半世紀の契約

篠原 皐月

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第83話 秀明の野望

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「それじゃあ、皆、良~く聞けよ?」
 そして参加者全員が何事かと興味津々で見守る中、秀明は真顔で言い放った。

「俺は美子を、世界で一番愛してる! それは美子が、世界で一番良い女だからだ!!」
「なっ! こんな所で、いきなり何を言い出すのよ!?」
 突然の大真面目な宣言に、会場は一瞬呆気に取られたものの、次の瞬間爆笑が湧き起こった。

「何を言い出すのかと思ったら、惚気かよ!」
「江原君、相変わらずやってくれるわね!」
「笑わせてくれるじゃないか」
「どんだけ惚れ込んでんだ!?」
(このろくでなし野郎っ……。どうして私がこんな羞恥プレイをする羽目に! ホテルに戻ったら蹴り殺してやる!!)
 顔を真っ赤にして物騒な事を考え始めた美子の横で、秀明が何やら右手を軽く振る。それを近くで見ていた良治が察したらしく、何とか笑いを抑えて何度か手を打ち合わせてから、会場中に呼びかけた。

「おぉ~い、お前らちょっと黙れ! 秀明が、まだ話があるとさ!」
(どうして、こんな晒し者状態に……。さっさと話を終わらせなさい!)
 そしてまだ多少ざわめいてはいるものの、一応興味津々で秀明の話の続きを聞く態勢になった参加者の視線を一身に浴びる事となった美子は、左腕で自分を捕まえたままの秀明を、殺気の籠った目で睨み付けた。

「それで、どうして美子が良い女かと言うと」
「ちょっと! まさかつまらない話を、延々と喋るつもりじゃ」
「俺の人生の最後を、この町で一緒に過ごしてくれると約束してくれたからだ」
「え?」
 慌てて怒鳴りつけようとした美子だったが、秀明が語った内容を聞いて、思わず瞬きして黙り込んだ。その間に秀明が、淡々と語り出す。

「俺はこの町を離れる時、いつか絶対ここに戻って来て、母親の墓を建ててやると誓った。色々あって墓だけ先に作って、いつの間にか帰る事を忘れていたんだが、美子がそれを思い出させてくれた」
「…………」
 当然、秀明がこの町を離れる事になった経緯を知り尽くしている参加者達は、神妙に押し黙った。その静まり返ったホールに、静かな落ち着き払った秀明の声が響く。

「俺は美子の家に婿入りしたから、その家と美子と美子の大切な物をしっかり守らないといけないが、五十年したらここに戻ってくる。美子と一緒にな」
 秀明がそう語ると、流石に会場から苦笑と呆れ気味の囁きが漏れる。

「五十年って……」
「お前何歳まで生きる気だよ?」
「でも、江原君らしいと言えばらしいわね」
「だからその時、美子が苦労しないように、それまでにこの町を作り替える事にした」
「はぁ?」
「秀明。お前、何言ってんだ?」
 そしてさらりと付け加えられた内容に、殆どの者が目を丸くした。そんな周囲の当惑に構わず、秀明は少し離れた所に居たらしい人物達に向かって、声を張り上げる。

「健人! 正純! お前ら上背あるから、ちょっとこっちに来て手伝え!」
「何だ?」
「さぁ……」
 怪訝な顔をしながら指名された二人が前に出て来る間に、秀明は美子を解放すると同時に、長机の横に置いておいた自分のブリーフケースに向かい、それから何かを取り出して元の位置に戻った。

「よし。二人でこの地図の両端を持って、椅子の上に乗ってくれ。腕は少し上げて、皆がこれを見える様にして欲しい」
「ああ」
「分かった」
 予め出してあった椅子はこの時の為だったらしく、男二人が折り畳まれた大きな地図を広げ、上部の両端を持ちながら椅子に上がると、美子にもそれがこの町の地図だと分かった。しかしそれには赤い曲線が大きく書き込まれている他、黄色く塗りつぶされたり、青や緑の印が点在していて、全くその意味が分からなかった為、本気で首を捻る。
 会場にも困惑する気配が満ちている中、秀明は伸縮性の指示棒を勢い良く伸ばしたと思ったら、その先端で地図を軽く叩きつつ上機嫌で声を張り上げた。

「じゃあこれから、この町の改造計画について説明するぞ? コンセプトはズバリ、《でっかいコンパクトタウン》だ!!」
「………………」
 途端に会場内が水を打った様に静まり返り、美子は本気で頭を抱えた。

(いきなり、何を馬鹿な事を言い出すの……。皆、ドン引きしてるわよ?)
 しかし会場の無反応さも全く気にする事無く、秀明の独壇場が続く。

「この町が発展できずに寂れた最大の原因は、公共交通機関からのアクセスが悪い事に尽きる。そのせいで企業誘致も上手くいかないし、就職先が無い若者がどんどん町を出て行って、若年層の割合が減少し続けている。だから鉄道会社を作って、線路を引く」
「ちょっと! 秀明さん!?」
「………………」
 更にとんでもない話が飛び出した為、流石に美子が窘めたが、秀明の口の動きは止まらなかった。

「安心しろ。新たに敷設する路線は、一般的な私鉄と比較するとキロ数で見ると比較にならない程短い。だがJRのこの駅から、こうS字型にここの山を回り込み、町の中心を抜けて、丘の間を抜けてこっちの私鉄の駅に接続する様に引けば、双方の鉄道会社と相互乗り入れできて効果的だ。その場合操車場と車庫は、ここら辺に設置する事になる」
「………………」
 地図の上を指示棒で指し示しながら、計画の具体案を提示し始めた秀明だったが、その内容を聞いた美子は大きく目を見張った。

(まさか、あのお墓参りの時に私が言った事を、真に受けていたなんて……。単に思い付いた事を、口にしただけだったのに)
 唖然として言葉を失っていると、秀明の感極まった様な声が続く。

「調べてみたら、該当ルートの地権者はたったの百十九人だった。同じキロ数でも、これがゴチャゴチャしてる都心だったら、軽く千人は超えるところだ。あまりのチョロさに、俺は思わず泣きそうになったぞ!」
(と言うか、既に涙目よね? これは絶対、酔いも入ってるわ)
 叫んだ後、拳で両目を拭った秀明を、美子は生温かい目で見やった。するとここで秀明が、更に傍迷惑で予想外の事を言い出す。

「そういう訳だから靖史。お前が鉄道会社を立ち上げて、まず気合い入れて土地を買い漁れ。地元の地銀には無いが、某都市銀行には伝手がある。土下座や泣き落としが駄目なら、手っ取り早く脅してでも融資を引き出してやるから安心しろ!」
「脅し……、安心できるかっ!! 何馬鹿な事を言ってるんだ、お前!?」
(やりかねない……。いいえ、この人ならきっとやるわ。すみません勝俣さん、ご迷惑おかけして)
 突然の指名に、真っ青な顔で人垣をすり抜けて駆け寄り、秀明の胸倉を掴んでがくがくと揺さぶり始めた靖史に、美子は心底同情した。そして叱り付けられながらも、秀明が笑顔で断言する。

「お前はもう土地も金も持ってるから、名誉と肩書きを山ほどくれてやる。郷土史に名前が乗るぞ?」
「秀明……」
 そこで靖史が手の動きを止めて絶句すると、この間ひたすら呆然としていた良治が何とか立ち直り、秀明の服から靖史の手を引き剥がしながら、冷静に言い聞かせてきた。

「秀明、ちょっと待て。幾ら何でも鉄道会社を作れば町が発展するって、発想が極端で乱暴過ぎるぞ?」
「勿論、それは分かっている」
「そうか、分かってるのか。それなら」
「だから、お前が町長に就任しろ」
「お前、人の話、全然聞いてねぇな!?」
 今度は良治が血相を変えて秀明に組み付いたが、対する秀明は傍目にはどこまでも冷静だった。

「今の町長の任期は、後二年だよな? それだけ時間があれば大丈夫だ」
「あのな、秀明」
「お前『トップになるって気持ちが良いな』と言ってただろうが。今度は学校一つのトップじゃなくて、町のトップだ。どうだ、文句は無いだろう?」
「確かに言ったが、それとこれとは」
「金も人員も俺が手配する。どんな手を使っても、次の町長選で絶対にお前を町長にしてやる。これから長期間に渡って、継続的に計画を実行する人間が必要なんだ」
「秀明……、お前、マジか?」
 何やら悟ったらしい良治が表情を険しくしながら確認を入れると、秀明は力強く宣言した。

「農地の区画整理や町道県道の拡張工事、工業団地の造成と企業誘致、商業エリアの復興と周辺自治体との調整。やる事は山積みなんだ。とっくに頭がカビてて現状維持すらできていない、ただ手をこまねいてるだけの干からびたじじい共に、それができるわけないだろうが! だから他の誰でもない、俺達がやるんだ! 靖史、良治、一緒にやろうぜ!? お前達も全員、黙って俺に付いて来い!!」
「………………」
 最後は嬉々として、会場を見渡しながら絶叫した秀明だったが、あまりにも途方もない内容を次々に聞かされた面々は、流石に理解が追いつかなかったらしく、微動だにせず秀明を凝視していた。

(言っちゃった……。皆、付いていけなくて、固まっちゃってるけど? もっと他にもやりようがあるでしょうに……)
 心の中で美子が呆れ果てていると、秀明は良治をへばりつかせたまま、満面の笑みで美子に向き直って胸を張った。

「どうだ美子! これでお前が年を取ってからこの町に移住しても、介護難民になる事は無いぞ? それまでに医療体制もマンパワーも、格段に今より向上している筈だからな! どうだ! 惚れ直したか!?」
 その自信満々の姿に、美子は笑い出したいのを必死に堪えた。

(この人……、あれから二ヶ月以上、一人でこつこつ調べてこっそり計画を立てて。だから何だか忙しそうにしてたのね。それに、すっかりやる気になってるなんて……。本当に無駄に頭が良くて、行動力があり過ぎだわ。昔の同級生達を、巻き込む気満々だし)
 そして小さく首を振ってから、秀明に向かって歩き出した。

(しかも黙っていて驚かせた方が、喜んでくれると思ってるなんて、何て傍迷惑でお馬鹿さんで可愛いのかしら)
 そして秀明の目の前に立つと美子は右手を伸ばし、彼の左頬を軽くペチッと叩いた。
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