半世紀の契約

篠原 皐月

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第26話 晩秋のひと時

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(どうして黙々と食べているわけ? 別に、一口ごとに感想とか褒め言葉を言えと言ってるわけじゃないんだけど)
 がっついているとは言えないが、勢いが衰えないまま無言で食べ進める秀明に、美子は当初苛立ったものの、このままだと全部食べられてしまいかねないと思い返して、自身も食べる事に専念した。
 しかし半分ほど食べた所で満腹感を覚え始めた美子は、控え目に秀明に声をかける。

「あの……、多かったら、残しても構わないから」
 それを聞いた秀明は、若干驚いた様な表情で口と箸の動きを止めた。
「残す? どうして?」
 不思議そうにまじまじと見つめられて、美子は若干居心地悪そうに告げる。

「その……、男の人がどれ位食べるか分からなかったから、多目に作って来てしまったものだから……」
「これ位は食べる」
「そう? それなら良いんだけど」
「それより、お茶のお代わりを貰えるか?」
「あ、はい」
 差し出された紙コップに慌ててお茶を注いだ美子だったが、再び平然と食べ始めた秀明と、目の前の重箱の中身を交互に眺めて、途方に暮れた。

(本当にこれ全部食べられるの? 私、もう無理なんだけど)
 しかしそんな美子の懸念など、秀明はものの見事に吹き飛ばした。
「御馳走様でした」
「お粗末様でした」
 重箱を綺麗に空にした秀明に美子が唖然としながらゴミを纏め、重箱を元通り風呂敷に包んでいると、秀明はその横でいきなり寝転がった。

「じゃあ、少し寝るから」
「え? ここで!?」
「ああ。天気も良いし」
「確かに天気は良いけど、あの……」
 おろおろとしながら尚も言いかけた美子だったが、横になって片方の腕を枕代わりにして寝始めた秀明が無反応なのを見て、恐る恐る背中側から前の方に回り込んでみた。しかししっかり瞼を閉じて微動だにしない彼を見て、思わず起こさない程度の小声で呟く。

「……え? 本当に、寝ちゃった?」
 そして静かに再び彼の背後に戻り、極力音を立てない様に荷物を纏めながら、美子は考え込んでしまった。
(何? そんなに眠かったの?)
 そこで、ある可能性に気が付く。

(ひょっとして……、居眠り運転しそうな位だったから、今日は敢えて車を使わなかったわけ?)
 そんな事を考えてた美子は慌てて振り返り、秀明の背中を凝視した。

(話を聞いた段階で、仕事が忙しくて疲れが溜まってるのが分かってるのなら、無理に今日出て来なくても、家で休んでれば良かったじゃない。何を考えてるのよ?)
「馬鹿じゃないの?」
 思わず口を突いて出た言葉に、美子は無意識に顔を歪める。

(私が例の件で全部手配してくれた事を気にしてるから、気を楽にする為に無理して付き合ってくれたとか?)
「……そんなわけ、無いわよ」
 自信無さげにそんな事を呟いてから、秀明の様子を観察していた美子だったが、全く起きる気配を見せない為、段々困惑してきた。

(でも、どうしよう。全然起きそうもないし、このまま放置して帰ろうかしら? ……そんな事、できないわよね)
 一瞬冷たい事を考えたものの思い留まった美子は、色々諦めて溜め息を吐いた。
(もう良いわ。確かにお天気が良くて気持ちが良いし、一緒に寝ちゃおう)
 一応何の為貴重品はポケットに入れて、美子は秀明の背中を見る様な体勢で横になり、そのまま風変わりな昼寝に突入したのだった。

 そんな美子が全く知らなかった事だが、そんな二人の様子の一部始終を、少し離れた所から双眼鏡で観察していた一組の男女の間には、少し前から冷え冷えとした空気が漂っていた。

「ねえ? あんたの親友、何をやってるのか聞いても良い?」
「……寝てるかな?」
 美実から白い目を向けられた淳は、とても友人を庇える雰囲気では無く正直に述べた。それに美実が盛大に噛み付く。

「『寝てるかな?』じゃあ、無いでしょうがっ!? 何なの? 馬鹿なの? デートの相手ほったらかして寝るなんて!? しかもここに着くまで、姉さんに荷物を持たせて!」
「ああ、それに関しては、俺もどうかと思うんだが……」
「江原さんがここまで無神経な人だとは思わなかったわ。もう帰る。馬鹿馬鹿しい」
「あ、おい、美実?」
 プンプンしながら双眼鏡を淳に押し付けてその場を後にした美実を無理に引き止める事はせず、淳は苦笑いで見送った。そして改めて双眼鏡で件の男を眺めて、感慨深そうにひとりごちる。

「だがなぁ……、あいつ見た感じ、随分気持ち良さそうに寝てやがるんだよな……」
 そうして苦笑した淳は、取り敢えず二人を観察する為に食べ損ねていた昼食をとるべく、周辺の飲食店を探しに出かけた。

「……ぅん」
「起きたか?」
 身じろぎしたと同時にかけられた声に、美子はゆっくりと目を開けた。

「……え? あ、そうか。寝てたんだわ」
 いつの間にかかなり日が傾いており、風除けのつもりか目の前に片膝を立てて座り込んでいる秀明のジャケットが身体に掛けられているのが分かった美子は、それを除けながら上半身を起こした。すると秀明が真顔で提案してくる。

「そろそろ冷えてきたし、帰らないか?」
「そうね。これ、ありがとう」
 ジャケットを手渡しながら頷いた美子は、予想外の事態に靴を履きながら溜め息を吐く。

(熟睡しちゃったわね。起きたなら起こしてくれても良かったのに)
 そして手早くレジャーシートを畳んでしまい込むと、ショルダーバッグと紙袋を持った秀明が確認を入れた。

「駅まで荷物は持って行く。家まで送らなくても大丈夫だな?」
「子供じゃ無いんだから。来る時も一人で来たし、大丈夫よ」
 門に向かって歩き出しながら、美子が何を今更と思いながら言い返すと、秀明が物言いたげな視線を向けてきた。それに気付いた美子は、若干眉を寄せながら尋ねる。

「何?」
「いや、今回寝顔を見ていて思ったんだが……」
「……どんな事を?」
 何やら嫌な予感しか覚えなかった美子だったが、取り敢えず尋ねてみると、予想通りろくでもない答えが返ってきた。

「今まで予想外の切り返しとか、想定外の行動が面白くて、顔の造形にあまり注意を払って無かったが……。妹達には負けるがそれなりに見られるんだな」
(本当に今日のあれこれは、嫌がらせ決定!!)
 それを聞いた途端、こめかみに青筋を浮かべた美子は、勢い良く秀明からバッグと紙袋を引ったくって怒声を浴びせた。

「それはどうも!! さようなら! 酒飲んでひっくり返って、朝まで寝なさい!!」
「美子が言うならそうする」
「……っ!」
 バッグを取り返したりはせず、何故か嬉しそうに応じた秀明を見て、美子は怒りと羞恥心で顔を赤くした。

(どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのよ!?)
 憤然として足早に立ち去る美子を、笑顔のまま見送った秀明だったが、自身も帰ろうと足を浮かせかけたところで、タイミング良く肩を叩かれた。

「よ! お疲れ!」
 その声に、今の今までその存在に気がつかなかった事に舌打ちしそうになりながら、秀明は面白く無さそうに言い返した。
「別に疲れて無い」
「そうだよな。お前には珍しく、アホ面で熟睡してたもんな。少しは疲れも取れただろ」
 ニヤニヤしながら顔を覗き込んできた淳に、秀明は無意識に渋面になる。

「……やっぱり覗いていたか」
「気がついてたか?」
「俺とした事が、気がつかなかったな。今回は見逃してやるが、次はするなよ?」
「分かった」
 そして自然に並んで歩き出しながら、淳が笑いを堪える様に指摘してきた。

「しかし、お前が他人が側にいる状況で熟睡するのは珍しいよな? 特に女の場合」
「そうだな」
「よっぽど疲れてたのか? こき使われてんな~」
「偶々だ」
「それとも? 彼女に限って、側にいても熟睡できたとか?」
「そうだな」
 淡々と淳の問いに答えていた秀明だったが、何故か急に相手が黙り込んだ為、不思議そうに尋ねた。

「どうした?」
「……お前が素直に認めるとは、思わなかったぞ」
 気味悪そうに自分の顔を見つめてくる悪友に、秀明はいつもの人の悪い笑みで応じる。

「時々意外な顔を見せないと、つまらないだろう?」
「不気味だから止めろ。それに何やら最後に、美子さんを怒らせてただろうが。何をした?」
「正直に言っただけだったんだがな」
「何を言ったんだか」
「容姿が思ったより見られると」
「どこまで馬鹿だ、お前は。幾ら料理を褒めるのに忙しかったからって、容姿をきちんと褒めろよ」
 がっくりと項垂れた淳が思わず愚痴を零すと、秀明が思わず立ち止まった。

「そう言えば、どれも美味かったので、褒めるのを忘れていた気がする」
「はぁ!?」
「今までの女の料理とかだと、幾つか作った中でなんとかマシなのが一つ位はあったから、それに集中して褒め言葉を駆使していたからな。どれもこれも美味いから、夢中で食べてた」
「お前と言う奴は……」
 真顔で告げられた内容を聞いて、盛大に顔を引き攣らせた淳は目の前の親友を殴りつけるのを辛うじて堪えたが、ここで秀明が問い質してきた。

「ところで、お前はどうして彼女の料理の腕前を知ってる口ぶりなんだ?」
「何でって……、そりゃあ、美実と付き合いだしてから、何度か家に呼ばれて夕飯をご馳走になってるし?」
「……ほぅ?」
 途端に物騒な気配を醸し出し始めた秀明に、淳は咄嗟に間合いを取りながら弁解した。

「仕方ないだろ、向こうは好意でご馳走してくれたんだし! だけど俺とお前が友人関係と分かってからは、全然呼ばれなくなったからな!!」
「それは悪かった」
 思わず苦笑して先程までの気配を霧散させた秀明に、淳は心底安堵しつつ(本当に面倒くさい奴)と呆れながら、再び並んで歩き出した。
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