半世紀の契約

篠原 皐月

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第3話 家族の追究

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「ただいま」
 無事帰宅した美子は、叔母を乗せたタクシーを門前で見送ってから敷地内に入り短い小道を歩いて玄関に辿り着いた。そして引き戸を開けながら奥に向かって申し訳程度に帰宅の挨拶をすると、それが直接聞こえてはいない筈だが、車の停車音や気配で察知したのか、廊下の奥から妹達が駆け寄って来る。

「美子姉さん、お帰りなさい! お見合いどうだった!?」
「美幸、五月蠅いわよ、黙りなさい。美子姉さん、お疲れさまでした。お茶が飲みたかったら淹れるけど、どうする?」
 子供らしく、一番下の美幸よしゆきが嬉々として、そのすぐ上の美野よしのは妹を窘めつつも、好奇心に満ち溢れた表情でお伺いを立ててきたが、靴を脱いで上がり込んだ美子が彼女達に何か言う前に、新たな声が割って入った。

「美野、お茶なんてお腹が膨れる程飲んできたわよ。この場合、祝杯でしょ。シャンパン冷えてるわよ? それともワインが良いかなぁ?」
「美実、未成年が酒云々言ってないで、『お赤飯を炊こう』位にしておきなさい。私にならともかく、姉さんにあんな好条件の話が来るなんて、殆ど奇跡だったんだから」
 明らかに面白がっている三番目の美実よしみと、揶揄する様に言ってきた、自分のすぐ下の美恵よしえを見て、美子はどうでも良いと言わんばかりに肩を竦めた。

「そんなにあの人が欲しいならあげるわよ、美恵。あなた、未だに何でもかんでも、私の物を欲しがるのね。子供じゃないんだから、いい加減に周りの目を考えたら?」
 そう言ってスタスタと奥に向かって歩き出した美子を見て、驚いた妹達は互いの顔を見合わせた。

「え? あげるって……、美子姉さん、今日お見合いした人と結婚しないの? だってすっごいイケメンで三男の、東成大出身のキャリア官僚でしょ? お買い得でしょ?」
 四人を代表して、美幸が美子を追いながら尋ねたが、素っ気ない返事が返ってくる。

「幾らお得感があっても、腐ってる物に手を出す気はないわ。大体、誰が結婚するって言ったのよ。今回は美嘉叔母さんの顔を潰さない為に、出向いた様なものだしね」
「そうなの?」
「嘘……」
「勿体ない」
「これだから身の程知らずって、怖いわよね」
 背後でボソボソと呟いている妹達に苛立った美子は、歩きながらこれからの予定を淡々と告げた。

「お父さんは、今の時間帯は書斎ね。着替えてから、今日の話をしてくるわ」
 暗に邪魔をするなと釘を刺すと、自室まで追って来てあれこれ聞き出そうとする気は無かったらしく、背後で妹達が散って行く気配を察した美子は、人知れず溜め息を吐いた。

(本当に、皆、勝手な事ばかり言って……)
 心底うんざりしつつ、客を招き入れる日本家屋風の母屋から洋風のプライベートスペースの別棟に入った美子は、自室でスーツから普段着に着替えて、父の書斎に向かった。

「お父さん、美子です。今戻りました」
「ああ、入って来なさい」
 ドアをノックしてきた長女に気安く許可を出し、ぐるりと座ったまま肘掛け椅子を回してドアの方に向き直った昌典は、さっそく歩み寄って来た娘に首尾を尋ねた。

「どうだった?」
「お断りするつもりです。美嘉叔母さんにも、その旨はお話ししました」
「そうか。分かった」
 目の前に立つ美子の無表情での報告を聞いて、昌典も身体の前で両手を組みつつ小さく頷いた。しかしそのあっさりとし過ぎる反応を、美子が不審に思う。

「それだけですか?」
「ああ。お前の判断だからな。間違いは無いだろう」
 再び静かに頷いた昌典に、美子は尚も尋ねた。

「話を断って来たのに、お父さんはどうして、そんなに平然としているんですか?」
 それを聞いた昌典は、面白そうにニヤリと笑う。
「うん? どうしてこんな良い縁談を断るんだと、叱って欲しいのか? お前にそんな自虐趣味があったとは知らなかったな」
 父の発言で疲労感が増した様に感じた美子は、溜め息を吐いて部屋を出て行こうとした。

「……もう良いです。失礼します」
「だがな、美子」
「何ですか?」
「お前がそんなにはっきり断ると口にする位だから、見合いの席で何かあったな?」
 足を止めて振り返ると、昌典が探る様な視線を自分に向けていた為、美子は気を引き締めつつしらばっくれた。

「だったらどうだと言うんですか?」
「お前が本気で怒りを露にするのは、珍しいなと。良くも悪くも、お前はあまり感情を面に出さないタイプだ」
 互いにニコリともせずに腹の探り合いをした二人だったが、先に音を上げたのは美子の方だった。

「……もう行って良いですか?」
「ああ、今日はご苦労だったな」
 昌典も徹底的に問い詰めるつもりは無かったらしく、苦笑しながら頷いた。そしてドアの向こうに美子の姿が消えてから机に向き直った昌典は、難しい顔付きになって、暫くの間何やら考え込んでいた。


 当事者双方にとって、全く異なる感想を抱いた見合いから、ちょうど一週間後の日曜日。
 藤宮家では家族全員が食堂に揃って朝食を食べていたが、殆ど食べ終えたところで、何気ない口調で昌典が美子に声をかけた。

「美子、今日は一日、外出する用事は無いな?」
「ええ、特には無いけど……、それがどうかしたの?」
「十時半に、白鳥さんが家に来る」
「どちらの『白鳥さん』ですか?」
(『白鳥』って……、まさか先週の見合い相手の、あいつの事じゃ無いでしょうね?)
 父親の口からまだ記憶に新しい、不愉快極まりない名前が出て来た途端、美子は顔を引き攣らせつつ現実逃避を図ったが、娘のそんな様子を見た昌典は、笑いを堪える様な表情になりながら追い打ちをかけてきた。

「もう忘れたか? 先週のお前の見合い相手が、お前に対しての失礼な言動を謝罪しに出向きたいと、私に連絡を取って来たんだ」
「そう言う事は早く言って欲しいし、謝罪なんて一切必要無いと言って頂戴!」
 普段冷静沈着な美子には似合わず、思わず声を荒げた為、彼女の妹達は一様に驚いた顔になったが、昌典は淡々と確認を入れた。

「私が個人的に彼に興味があったから、快諾した。訪問の目的が目的だから、お前が不在だと意味がない。お前はさっき、今日は終日用事は無いと言ったな?」
「…………」
「美恵達は出かけて良いぞ」
 反論できずに黙り込んだ美子を余所に、昌典がさり気なく他の娘達に声をかけると、四人は互いに顔を見合わせてから、即座に予定を変更する。

「気が変わったわ。映画は今度にするから」
「ショッピングはいつでも行けるわね」
「図書館は通学路沿いだし、明日行きます」
「友紀ちゃん達と遊ぶ約束、キャンセルしなきゃ! 電話電話!」
 そこで嬉々として声を上げながら勢い良く立ち上がった美幸に向かって、美子の鋭い叱責が飛んだ。

「美幸! 食事の途中で席を立たない! 走らない!」
「は――い!」
 しかしそんな叱責もなんのその、美幸は明るく返事をしつつ、食堂を出て元気一杯に廊下を駆け出して行った。それを見送るしかなかった美子は、思わず額に手を当てて呻く。
「……全然、分かって無いじゃない」
 そんな彼女に家族達は、それぞれ苦笑したり興味深げな視線を向けていた。

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