猫がいた風景

篠原 皐月

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のほほんスローライフ希望

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 春が過ぎたと思ったら、あっという間に夏が到来した。
 その酷暑に大学入学以来、何年経っても音を上げている俺は、待ち焦がれた夏休み突入すると同時に白旗を掲げ、北にある実家へと逃げ帰った。

「ただいま」
「お帰りなさい、太郎」
「なぁ~ご」
「にゃあ~ん」
 春休みにしっかり親睦を深めていたお陰で、暫く離れていても俺の顔を覚えていてくれたらしい。二匹は揃って、母さんと一緒に出迎えてくれた。

「お、ミミ、ハナ。お前達、ちょっと見ない間に、随分でかくなりやがって。もう普通の猫と、それほど大きさが違わないんじゃないか?」
「猫は生まれてから、最初の一年の成長が速いみたいね。今が一番、やんちゃ盛りじゃない?」
「そんなものか。お前ら油断してると、すぐデブ猫になるぞ?」
 そんな事を言いながら上がり込み、廊下を歩き出すと、スーツケースと一緒に持ち帰ったビニール袋に向かって、ミミとハナが顔を寄せながら鳴き声を上げる。

「みゃあ~」
「なぁ~ん」
「お、やっぱり分かるのか? 今回の土産はこれだ。美味い干物だぞ?」
 早速の食い付きっぷりに顔を緩めていると、母さんが意外そうに言ってきた。

「あら、わざわざ買って来たの?」
「ああ。駅前のデパートで、物産展をやっていたから。『舌の肥えた猫が、かっさらう美味しさ』だと、売り場のおっさんが宣伝してたんだ」
「……それを真に受けて、買うってどうなの? 太郎ったら、将来騙されそうで不安だわ」
「何だよ。ちゃんと試食もしてきたんだぞ?」
 深々と溜め息を吐かれて、ちょっとばかりムカついた。すると猫達が、まるで母さんに同調するように鳴く。

「なぁ~」
「にゃうっ!」
「やっぱり、ミミとハナもそう思うわよね?」
「にゅ~」
「みゃあぁ~」
「……女同士で結託しやがって」
 偶々タイミングが合っただけで、さっきのは「早く魚を食わせろ」ってアピールだったんだからな!?
 その後、焼いて食わせた干物は、二匹にはなかなか好評だったので、良しとしよう。


「太郎、こっちにいる間、ちゃんと食えよ? 普段はろくなものを食っとらんだろうし」
 夕食時。一人暮らしを始めてから、似たような台詞を聞くのは何度目だろうかと思いながら、俺は淡々と答えた。

「ちゃんとバランスを考えて食ってるよ。大学の周囲には、食堂や弁当屋やコンビニが充実してるし」
「そういう事を、真顔で力説してくるところがね……」
 母さんが嘆息する所まではいつも通りの流れだったが、その後、予想外過ぎる展開になった。

「ところで太郎。お前に、言っておかなければならない事がある」
「は? 急に改まって何だよ?」
「俺は来年三月で引退して医院を閉めて、あそこを敷地ごと売却する」
 いつになく真剣な表情で、いきなりそんな事を父さんに言われた俺は、思わず箸を取り落としかけた。

「はあぁぁ!? 引退って、何で? 父さんはまだ五十六だし、まだまだ働けるだろうが!? まさか、どこか身体が悪いのか!?」
「これまであくせく働いて十分金も貯めたから、余生は好きなだけスローライフだ」
「はぁ?」
 一瞬、本気で父さんの身体を心配したが、変わらず真顔のまま言われた内容が咄嗟に理解できず、俺は本気で固まった。すると母さんが、笑顔で補足説明してくる。

「安心して、太郎。あなたの世話にはならないわ。これまで二人でしっかり貯めていたし、保有しているアパートや駐車場の立地は良いかから、今後も安定した賃貸収入が見込めるし。生活費の心配は無いから」
「医院を売った金で、田舎に土地と家を買って移住するからな。ついでに、この家と敷地も売り払うつもりだ」
「待て待て待て! 医院やここを売り払うって、冗談だよな!? 何だか具体的に話が進んでいるみたいで、洒落にならないんだが!?」
 俺は動揺しながら、(冗談だと言ってくれ!)と密かに願ったが、生憎と両親は本気も本気だった……。

「具体的な話よ? もう医院で働いている人達には告知して、退職金の計算や、希望者には再就職の斡旋も始めているし」
「いやぁ、俺が結婚したのもお前が生まれたのも、人よりちょっと遅かったからな。さすがにお前が在学中や就職活動中に、親が無職だと格好が付かないと思って、今まで我慢して働いていたがもう良いよな? お前、来春には卒業だし」
「お気遣いいただいたみたいでどうも……。だけど自主的早期退職はともかく、何でいきなりスローライフなんて言い出したんだ?」
 マジだ、この二人……。
 そう悟って唖然とするのと同時に、解消していない疑問について重ねて問いかけると、父さんから予想の斜め上の答えが返ってきた。

「この家はそれなりに敷地があって、庭付きだが街中だ」
「それがどうした。父さんが『駅から歩いて五分以上かかる所になんか住みたくない』とゴネて、新婚時代に母さんと大喧嘩した事はお祖母さんから聞いてるぞ。その結果、ここに住む事になったんじゃないか」
「門の前の道路は狭めだが、幹線道路への抜け道になるから、朝夕に結構交通量がある」
「だから、何が言いたいんだ?」
「ミミとハナが、車に轢かれるかもしれないだろうが」
「……あ?」
 これまで以上に大真面目に断言された俺は首を傾げ、食べ終えて好き勝手に遊んでいる二匹に、無意識に視線を向けた。すると母さんが、困ったように言い出す。

「あのね? 最近、ミミ達が好奇心旺盛で、困っているの。最初は庭の中だけで遊んでいたんだけど、時々外に逃げ出しちゃって。この前自転車に轢かれそうになって、慌てて避けた子供が倒れて、怪我をしちゃったのよ。その時、ちょっとした騒ぎになったの」
 そこまで聞いた俺は、滅多にしない事だが、本気で両親を叱りつけた。

「他人様(ひとさま)に迷惑かけんな! それにその子供にきちんと謝罪して、治療費も負担したんだろうな!?」
「勿論よ」
「そもそも猫を、外に出すなよ!」
「だけどミミ達が、『外に出たい』ってみゃぁ~みゃぁ~鳴いているから、お父さんが業者さんに頼んで、壁に猫用の出入り口を作っちゃって……」
 そこで困り顔で母さんが父さんに視線を向けた為、俺は何とか怒りを抑えながら父さんに言い聞かせた。

「……父さん。さっさとその出入り口を塞げ」
「何て非人道的な事を言うんだ、お前は?」
「俺の台詞が非人道的なら、父さんの台詞は非常識極まりないだろうが!! すると何か? 猫が家の外をほっつき歩いても危険が無いように、田舎に引っ越すって言うのか?」
「そう言っている。何か文句でもあるのか? 俺が働いて得た金だ。俺の好きに使って何が悪い?」
「……へいへい、もう勝手にしろ」
 堂々と胸を張って主張する父さんに、俺はこれ以上言う気が失せた。そしてふと見ると、母さんがミミ達を連れてダイニングキッチンからいなくなっている。リビングを確認したら、さっさと夕飯を食べ終えて、猫達と遊んでいたらしい。
 飼い主なら、猫の行動に責任持てよ!? この天然夫婦が!!
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