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二月

1.不穏な話

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 昼上がりが一緒になった理彩と三課の渡部和枝と一緒に社員食堂に出向き、日替わり定食を食べ始めた美幸だったが、三分の一程食べ進めたところで、不意に異変を感じて箸の動きを止めた。

(あれ? このピリピリする感じ、久しぶりなんだけど……。どこからかな?)
「藤宮、どうかしたの?」
 向かい側に座っている理彩が、急に動きを止めた美幸を不審に思って声をかけると、前を見たまま周囲の気配を探っていた美幸が、真顔で理彩に尋ねた。

「仲原さん。私の左斜め後方、約六十度の角度の方向から、私を睨んでる人とか居ませんか?」
「あんたはまた、いきなり何を言い出すの……」
「何なんですか? 藤宮さん」
「居ないですか?」
「ちょっと待ってて。ええと……」
 うんざりした顔になった理彩だったが、和枝が興味津々で尋ねてくる中、さり気なく美幸に指定された方向に視線を向けて、それらしい該当者を探し始めた。

「……居たわ。と言うか、私と目を合わせたら盛大に顔を背けた上に、席を立って返却台の方に向かったけど」
「そうですか?」
「え? どんな人ですか?」
 美幸と和枝は慌てて体を捻って返却台の方に顔を向けたが、何人かの社員の後ろ姿しか見えなかった。そして皆そのまま食堂から出て行く為、問題の人物を確認する事を二人は潔く諦めた。

「年の頃は二十代後半。セミロングを後ろで束ねた、目つきの鋭い女性。身に覚えは?」
 理彩が端的に特徴を告げたが、美幸は頭を振った。

「全くありません。後ろ姿だけじゃ分かりませんし」
「さっきの人、本当に睨んでいたんですか?」
「ええ。でも藤宮は背中を向けていたんだから、何かしら関係とか面識が無いと、藤宮だとは分からないわよね?」
「そうですよね」
 そこで話を纏めた理彩と和枝は、声を揃えて美幸に迫った。

「藤宮、あんた一体、何をやったの?」
「藤宮先輩、何をしたんですか?」
「何もしてません! 人聞きが悪い事を言わないで下さい!」
 若干疑う様な視線を向けられて、美幸は憮然となりながらも、中断していた昼食を食べるのを再開し、二人もそれ以上しつこく問う事は無く、それなりに和やかに話をしながら食べ進めていった。

 そんな事があった日から数日後。
 企画推進部全員が参加しての週に一度の朝会で、議題が滞りなく進んでいると思ったら、何故か終盤近くになって部長の谷山が、言い難そうにある事を告げた。

「その……、急な事だが、来週から二課に異動してくる者が一名いるので、宜しく頼む」
 そう彼が口にした瞬間、最前列にいた城崎は顔を顰め、美幸は人垣の後方で密かに喜ぶ。

(また課員が増えるのか、良かった。普通に考えれば、どんな人でもここに来た当初のダメダメ蜂谷よりは使える筈だもの)
 蜂谷を除く二課の他の面々も同様の事を考えていると、城崎の緊張気味の声が前方から聞こえてきた。

「部長……。今の話、私は初耳ですが?」
(え? なんで係長が知らないの? 来るのが来週からなのに、それってありえないんじゃない?)
 城崎の発言に、二課のみならず室内全員の視線が彼と谷山に集まったが、その視線に若干たじろぎつつ、谷山は清人の方に視線を向けながら弁解した。

「それが……。実はこの異動話に関しては、柏木課長代理が独断で今現在の彼女の所属先と話を纏めて、私もつい先程報告を受けたばかりでな……」
(は? 部長の意向、丸無視!? それって普通、あり得ないでしょう?)
 目を丸くした美幸は慌てて課長代理に視線を向けたが、同様に室内の殆どの人間から疑念に満ちた視線を向けられても、彼は飄々としていた。そんな清人に、城崎が押し殺した声で確認を入れる。

「因みに、どこの部署のどなたが二課に異動されるんでしょうか? 課長代理、色々準備もありますので、今教えて頂けると“非常に”助かります」
 『非常に』のところを強調して尋ねた城崎に、谷山以下の企画推進部の面々は彼に心底同情したが、清人は薄笑いをその顔に浮かべたまま淡々と告げた。

「現在、営業三課所属の渋谷由香さんです」
「営業三課……」
「…………」
 それを聞いた途端微妙に室内が静まり返り、因縁の有りすぎる部署名を聞いた美幸は、思わず叫び声を上げなかったものの、限界まで両眼を見開いた。

(営業三課って、ついこの前鶴田係長から話に聞いた、かつて課長をいびり抜いた万年コンビのいる、別名『柏木産業の穀潰しの墓場』の事……。ちょっと! なんでそんな部署の人間、二課に引っ張ってくるのよっ!?)
 怒りを露わにして清人を睨み付けた美幸だったが、相手はそんな視線を歯牙にもかけず無言を貫き、谷山はそのまま幾つかの連絡事項を告げて散会となった。そして城崎が清人に詰め寄るのを視界に収めつつも、(あいつが簡単に吐くわけ無いわよね)と早々と見切った美幸は、席に戻りながら蜂谷を手招きして囁く。

「先輩、どうかしましたか?」
「蜂谷。内密に業務外で、ちょっと頼みたい事があるんだけど良い?」
 一応神妙に尋ねてみた美幸に、蜂谷が小声で了解の返事をする。

「お任せ下さい、藤宮先輩。必ずお役に立ってみせます」
 それからこそこそと二・三の指示をした美幸は、自分の席に着いて仕事を始める準備をしながら(今度は絶対に負けないわよ!?)と、横目で課長席を見つつ密かに闘志を燃やした。

「と言うわけで、緊急対策会議です」
 二課の若手組の面々に、有無を言わさぬ気迫で終業後に職場近くの居酒屋に集合する事を迫った美幸は、最後にやって来た城崎が座卓を囲んで座ると同時に、厳かに宣言した。しかしそれに些かうんざりした口調で、高須が愚痴を零す。

「藤宮……。異動してくる人間がいるだけで、どうして対策会議と銘打って、飲まなきゃいけないんだ?」
「高須さん! あの課長代理が、普通に使える人間を二課に引っ張ると思ってるんですか? 絶対、何かの罠に決まってます!」
「だがな、確かにお前に対する当たりはきついが、あの人は基本的に二課の為にならない事はしない人だろう? 課長激ラブな人だし」
「確かにそう見えるよな」
「高須さんも瀬上さんも、考えが甘いです!!」
 真顔で訴える美幸とは裏腹に、男二人の反応は鈍かった。しかしそこで苦々しい口調で、理彩が会話に割り込んでくる。

「今回に限っては、藤宮の懸念は尤もかもね」
「どういう事だ?」
 若干顔付きを険しくした城崎が尋ねると、理彩が小さく肩を竦めて話し出す。
「今日一日調べて分かっただけでも、例の彼女、色々問題が有りそうなのよ」
「はい、仲原先輩。藤宮先輩に言われて俺も仕事中に調べてみましたが、全く同意見です」
 横から頷きつつ同意してきた蜂谷に、城崎は頭を抱えたくなった。

「仲原、蜂谷。お前達、勤務時間中に何をやっている……」
「それで? どんな事が分かったの? どんな人?」
 城崎の愚痴を半ば無視して美幸が催促すると、二人は似た様なコメントを口にした。

「一言で言うと、『空回りばかりの藤宮先輩』です」
「私に言わせると『対人スキルが皆無の藤宮』かしら?」
「…………」
「できればもう少し、具体的に……」
 憮然とした表情になって黙り込んだ美幸を見て、城崎は益々頭痛を覚えつつ詳細について尋ねた。すると両者から息の合った、ろくでもない報告を受ける。

「営業系に所属している女性から聞き出したんだけど、藤宮同様色々な資格保持者なのよ」
「出身大学も光正大でレベルは結構高いし、入社試験の成績もかなり上位だったみたいですね」
「だけど一々それを鼻にかけて、初期研修中から色々な問題を起こしていたらしいわ」
「自分はこれだけ優秀なんだから、『私の言う通りにすればよいのよ』的にグループワークを仕切ろうとしたり、自分がそれだけの評価しかされないのは男女差別だと、指導役の社員に食ってかかったりしたとか」
「それで配属希望を出したものの、手を焼かされてた指導役の社員、研修中の評判や評価を聞いた希望先の管理職にそっぽを向かれて、二課と同様皆が忌避する、営業三課配属になったそうよ」
「今年入社六年目なんですが、営業三課でも目立つ成績を出すわけでも無く、だけど周囲への愚痴は人一倍という感じで、顔を合わせるなり職場の愚痴を聞かされるので、入った当初はそれなりに仲が良かった同期の方も一人二人と敬遠していって、今では社内で仲が良いという人は一人も居ないとか」
「一言で言うと……、残念過ぎる人なんですね」
 話を聞いた高須が一言で纏めたが、誰もそれに反論しなかった。

「うわぁ……、なんでそんなお荷物、二課に来る事になったのよ? あの課長代理だったら、幾らでも回避できそうなのに」
 思わず美幸が本音を漏らすと、理彩がそれまで以上に難しい顔になって、美幸に声をかけた。

「藤宮、その事だけど……」
「何ですか? 仲原さん」
「今日一日考えてみたんだけど、これってこの前あんたから聞いた、鶴田係長曰わく、あんたの超促成栽培の為じゃないかしら? 今回は藤宮の他に、高須君や蜂谷君も対象になっていると思うけど」
 考え深げに理彩がそんな事を口にした為、名前が出た三人は揃って当惑した。

「はい? どういう事ですか?」
「俺達も対象?」
「ご主人様のする事は、確かに意味がある事ばかりだとは思いますが……」
 そんな彼等に、理彩が真顔で解説を加えた。
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