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一月

6.ケジメの付け方

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 その翌朝、美幸は盛大な頭痛と羞恥心と後悔を抱えながら、出社する事となった。
「ふ、ふふふ……、明らかに上司に暴言を吐いた上に、職場放棄した翌日の出勤って、どんな顔をして入れば良いのかしらね?」
 どこか遠い目をしながら企画推進部のドアの前で呟いた美幸の横で、心配してここまで付いて来た美野が呆れた様に溜め息を吐く。

「しかも泥酔して、会社に置き忘れた荷物と一緒に、城崎さんに家まで送り届けて貰うなんてね。『休む』とか『辞める』とか、喚き出さなかったのは褒めてあげるわ」
「それ言わないで! どうして鶴田係長と飲んでた筈なのに、係長が送ってくるのよ? そこら辺、全然記憶が無いんだけど!?」
「そんな事本人に聞いて。ほら、さっさと入りなさいったら!」
「ちょっと待って! 心の準備が!」
 そんな事を押し問答していると、どこか疲れた様な声がかけられた。

「二人とも、ドアの前で何やってるんだ? 他の人間の邪魔だし、美野は遅れるから早く法務部に行った方が良い。こいつは引き受けたから」
 その言葉に二人が周りを見回すと、確かにドアを二人が塞いでいる形になっており、中に入れず困惑顔の者達が目に入った。その為美野は慌ててドアから離れて歩き出しつつ、高須と美幸に声をかける。

「そう? じゃあ優治さんお願い。いいわね美幸、ちゃんと謝るのよ?」
「分かってるわよ!」
「ほら、行くぞ。通行の邪魔だ」
 そしてドアを押し開けた高須は、美幸を促して室内に入った。

「すみません、ご迷惑おかけします」
「気にするな。未来の義理の兄妹だろうが」
 苦笑した高須に手を引かれ、彼と同様周囲に「おはようございます」といつも通り挨拶しつつ入室した美幸は、こっそり(将来、高須さんが美野姉さんと夫婦喧嘩した時、一回だけは無条件に味方してあげよう)と埒も無い事を考えた。そして高須が「ほら、行って来い」と軽く背中を押しながら、小声で言い聞かせて来た為、美幸は覚悟を決めて課長席に向かって足を進めた。
 さすがに緊張した美幸だったが、自分の登場にざわめいている周囲をよそに、目下の美幸の天敵は手元の資料に視線を落としたままで、それが彼女を落ち着かせた。

「おはようございます、課長代理。それから昨日は、終業時刻前に無断で早退いたしまして、誠に申し訳ありませんでした。加えてその折に、非礼な発言と振る舞いを致しましたこと、深く反省しております。お許し下さい!」
 美幸が一気に述べて深々と頭を下げたのを見て、企画推進部の面々は美幸を眺めてから清人に視線を移した。対する清人はゆっくりと書類から視線を上げ、不気味な笑みを見せる。

「おはようございます、藤宮さん。昨日急遽早退した事に関しては、その時のあなたの様子を見た社内の方から色々な憶測が流れた様ですが、それはあなたが季節外れの花粉症を突如発症させ、その凄まじい症状に耐えかねて眼科と耳鼻科と精神科を受診しに行った為と、要所要所に説明済みですので支障はありません。決して職場放棄などと言い出す輩は居ない筈ですから、安心して下さい」
「……お気遣い頂きまして、どうもありがとうございます」
(眼科と耳鼻科は分かるけど、最後の精神科って何!?)
 盛大に顔を引き攣らせつつも、一応それなりに美幸の立場を取り繕ってくれた事には変わり無い為、美幸は感謝の言葉を絞り出した。そして俯き加減の顔を上げ、清人の顔を正面から見据えながら、力強く宣言する。

「それでは、一応謝罪は済みましたので、課長代理に一言言わせて頂きたいのですが」
「何でしょうか?」
「おい、ちょっと待て!」
「藤宮君!?」
 美幸が素直に頭を下げた事で胸を撫で下ろしたのも束の間、彼女が戦闘意欲満々でそんな事を言い出した為、周囲は顔色を変えて彼女を止めようとした。しかし時既に遅く、美幸はビシッと目の前の男を指差しながら宣言する。

「あんたが仕事ができて抜け目が無くて課長にベタボレだってのは、今回の事でよ――――っく分かったけど、やっぱり嫌味だし目障りだしムカつくのよ! いつか絶対ギャフンと言わせてやるから、首洗って待ってなさい!! 大体、もぐがぁっ!」
「もういいから黙れ! 何も喋るな!」
「ふがいげうらだいお!」
 血相を変えて吹っ飛んで来た高須に、背後から羽交い絞めにされつつ口を塞がれた美幸は、盛大に暴れつつ放すように訴えたが、高須はそのまま席に引き摺って行こうとした。

「だからどうしてお前は、物事を大きくするんだ! ほら、席に戻るぞ。言いたい事言って、すっきりしただろ」
「ぎゃふん」
「は?」
「え?」
「課長代理、今何か仰いましたか?」
 そこで唐突に変な音が生じた為、深雪や高須を含む企画推進部の面々が清人の方に視線を向けると、彼は真顔のまま意味不明な事を続けて口走った。

「ぎゃふん、ぎゃふん、ぎゃふん、ぎゃふん」
「………………」
 そして室内に不気味な沈黙が漂った後、清人が美幸に向かって優雅に微笑んでみせた。

「昨日、あれだけ挙動不審だった藤宮さんが優れない体調を押して出勤されたので、その勤労意欲に敬意を表して、望みの言葉を五回ほど口にしてみました。志が低くて結構ですね?」
 にこやかにそんな事をのたまった清人に、美幸の堪忍袋の緒が音を立ててブチ切れた。

「こっ……、こんの超腹黒似非紳士野郎っ!! やっぱり一回ぶん殴る!!」
「だからそれは止めろって!」
「藤宮さん、落ち着け!」
 本気で殴りにいった美幸をもはや高須だけでは抑え切れず、血相を変えて駆け寄った瀬上が高須と協力して腕を一本ずつ掴んで押さえにかかった。

「後生だから離して下さい、高須さん、瀬上さん! ……って、きゃあぁぁっ!!」
 そこで丁度出勤してきたらしい城崎が瞬時に状況判断をし、素早く男二人を美幸から引き剥がした上で、問答無用で彼女を肩に担ぎ上げつつ早口で宣言する。

「すみません、課長代理! 藤宮は昨日処方された薬の副作用で、少々興奮状態にあるようです! これから動悸や呼吸困難の症状が見られるかもしれませんから、念の為医務室に連れて行って経過を観察して貰います!」
 その台詞に清人は面白そうな笑みを向け、美幸は怒りの声をヒートアップさせる。

「ああ、そうですか。薬の副作用ではなく、逆に何か変な薬が切れたのかと思いました。症状が悪化したら大変です。ゆっくり休ませてあげて下さい」
「人をヤク中呼ばわりするなっ!! 係長も俵担ぎは止めて下さいよ!! 下ろしてぇぇぇ――っ!!」
 そして廊下を担がれていく、美幸の木霊する声が段々小さくなっていくのを聞きながら、二課の面々は顔を見合わせて溜め息を吐く。

「……何か、前にもあったな、こんな光景」
「これからもありそうな気がするな」
 そんな哀愁漂う部下に気を留める事など無く、清人は淡々と中断していた仕事を再開したのだった。

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