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一月
5.裏事情
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「俺や城崎が、柏木と営業三課で同僚だった時期、柏木は上司から嫌がらせを受けて、二年近く今回のお嬢ちゃんと同じ様に、金にならん仕事を任されていたんだ」
そんなとんでもない事を聞かされた美幸は、瞬時に怒りの声を上げた。
「なんですって!? どこのどいつですか、そいつはっ!!」
「営業三課の青田課長と峰岸係長だ」
「あんの万年課長係長コンビっ!! 鉄拳制裁を食らわせてやる!!」
「ああ、就任以来十年以上その席に居座ってる、社内で『柏木産業の産業廃棄物処分場』呼ばわりの企画推進部二課と並んで、『柏木産業の穀潰しの墓場』との悪名高い、営業系部署での業績が“万年”ダントツビリの、“万年”コンビだ」
怒りに任せて勢い良く立ち上がった美幸だったが、鶴田がニヤリと思わせぶりに笑いながら見上げてきた為、反射的に言われた内容を考えてみた美幸は、ふと疑問を覚えた。
「普通、係長や課長に就任したら、五年から十年を目処に昇進したり、他の支社の上部ポストに回ったり、他の部署の責任者を歴任する筈なのに、どうしてあの二人は異動しないんですか?」
「異動しないんじゃなくて、できないんだ。もう少し詳しく聞きたいか?」
「勿論です」
「それなら、最後まで黙って聞けよ?」
それに美幸は素直に頷き、静かに椅子に座り直した。それを見た鶴田は一口ビールを飲んでから、冷静に話し始める。
「元々は、課長が某専務にゴマをすろうと考えたのが始まりだ。社内で幾つかの派閥があるのは、お嬢ちゃんだって知ってるだろ? 当然、社長令嬢の柏木は社長派の駒だと周囲には見られている。本人にその意識は皆無だが」
そこで美幸の様子を窺った鶴田は、彼女が冷静に頷いたのを見て、話を続行させた。
「要するにあの二人は某専務に良い顔をする為に、柏木を飼い殺しにするか、仕事に嫌気が差して自ら辞職する方に持って行きたかったんだ。だけど柏木は能力も根性も人一倍だ。多少いびった位では、辞職する筈も無い。そこで各部署に声をかけて、直接業績に結び付かない仕事をかき集めて、全部柏木に押し付けたんだ」
「……どうして課長は、そんな仕事を受けたんですか?」
怒りを内包した美幸の問い掛けに、鶴田は淡々と説明を続けた。
「仕事を拒否したらそれを理由に処罰される可能性もある上、周りで課長達の対応を非難してた同僚の俺達にも、迷惑がかかる可能性があったし、柏木はこういう仕事も組織には必要だと、清濁併せ呑む潔さも持ってた。更に柏木にとって、メリットがあると判断したからだ」
「だって自分の業績に結びつかないのに、どんなメリットがあるんですか?」
苛つきながら問い返した美幸に、そんな反応は予想済みだった鶴田は苦笑した。
「俺達も当初はそう思っていた。殆ど専門外の案件だったしな。だから柏木は堂々と、本来その仕事をこなすべき部署に出向いて、そこの責任者に頭を下げたんだ。『専門外の仕事を任せられて、勉強不足の所が多々あり困っております。申し訳ありませんがこちらの部署のどなたかに、ご教授願いたいのですが』ってな。営業三課に専門外の仕事を押し付けた形になっている上、そこまで言われて柏木の申し出を一蹴するなら人でなしだろ。大抵は部下の誰かに、時間外で柏木を指導させたんだ」
「そうだったんですか……」
「指導を時間外に押し付けられた連中は、最初はいい顔をしなかったらしいが、一緒に仕事をすれば柏木が真面目で仕事ができる奴って事は自然に分かるし、本来は自分達の仕事を押し付けてるって意識もあって、柏木に同情的な人間が次第に増えたんだ。結果的にその間柏木の業績は振るわなかったが、柏木は専門外の知識を増やしつつ、着々と社内の有用な人材を見極める目を養い、自分に有益な人脈を作りまくった」
そこまで聞いた美幸は、(昼間のあのおじさんは、その頃の知り合いだったわけね)と納得し、(ちゃんと名前と伝言を伝えなくちゃ)と、無意識に名刺を入れたままのジャケットのポケットを上から押さえた。
「そのうち社内で『営業三課の課長と係長は、某専務の意向を受けて邪魔な社長令嬢を退社させるべく、嫌がらせばかりしている』と社内で噂が立って、全く預かり知らなかった某専務から『そんな事をしろと言った覚えは無い!』と激怒されて専務派から閉め出された上、社長派に睨まれて出世の目が無くなった挙げ句、俺達部下には愛想を尽かされて数字が取れる奴程次々他の部署に引き抜かれ、業績が上がらなくなって人気が無くなり、益々数字が取れなくなる悪循環。業績が上がらないから昇進出来ないし、他からもお呼びがかからなくて、未だに課長と係長の椅子を温めているってわけだ。温め過ぎて、今では腐ってるかもな」
そう言って「因果応報だ、ざまぁ見やがれ!」と豪快に笑い飛ばした鶴田に、美幸は思わず笑いを誘われた。そして美幸のクスクス笑いが収まったのを確認してから、鶴田が真顔になって話を続ける。
「だから柏木は課長に昇進する時、あちこちの支社や部署から訳あり部下ばかりを引き抜いたと、俺は考えている」
「どういう意味ですか?」
「連中、不祥事や不始末をしでかして閑職に回されて、おそらくどうでも良い仕事とか、仕事とか言えない内容の事ばかり、回されてたんじゃないか?」
そこで美幸は鶴田の言わんとする事がなんとなく分かり、表情を引き締めた。それを察したのか、鶴田が僅かに微笑しながら推測を述べた。
「普通、そういう事を続けてたらやる気が無くなるし、根性が腐るし、仕事に対する勘も無くなるよな?」
その問いかけに、美幸は小さく頷く。
「自ら辞職するか、ずるずると居座るとかですね。課長は違いましたが」
「ああ。だから柏木は経験上、そういう仕事をしている奴でも、機会を与えれば本来の能力を発揮できる人間だって居る筈だと、確信してたんだと思う。その信念に基づいて、腐った連中からより分けて、本当に有能な人間だけを引っ張った。勿論当時は非難囂々だったが、柏木はお嬢ちゃんとは別の意味で真っ直ぐだから、宣言通りやっちまった。結果はお嬢ちゃんが知ってる通りだ」
「…………」
無言で、頭の中で言われた内容を反芻した美幸だったが、鶴田は苦笑いで話題を変えてきた。
「それであの課長代理だが、柏木本人があいつに喋った筈は無いが、そういう事をやってた事実を掴んでる筈だ。そうじゃないと、今回のお嬢ちゃんに対する態度に、説明が付かない」
「は? それはどういう意味ですか?」
唐突に話が変わった様に感じた上、全く意味が分からなかった為、美幸は本気で疑問の声を上げた。すると鶴田が懇切丁寧に説明してくる。
「あいつは柏木の代理の立場だ。もし本当に柏木の後釜を狙ってるなら、わざわざお嬢ちゃんに嫌がらせ紛いの仕事をさせて、周囲から白眼視されるのは避ける筈だろう?」
「……桁外れに、性格が悪いだけでは?」
「お嬢ちゃん、こんな仕事を押し付けられたのが分かって、嫌な思いをしただろ?」
「勿論ですよ!」
「お嬢ちゃん、真っ直ぐだもんな~。だからそんなお嬢ちゃんにそんな仕事を押し付ける事になったら、大抵の人間は良心が痛むわけだ」
「普通そうですよ! あの課長代理は冷血動物なんですっ!」
「だから今後、万が一柏木がお嬢ちゃんにそんな仕事をさせる事になったら、散々嫌な思いをした柏木の古傷を抉るし、罪悪感も増すんじゃないかと奴は考えたんじゃないか?」
さらりと鶴田が口にした内容を耳にした途端、美幸の目が限界まで見開かれた。そして何か言おうとして何回か口を開閉させてから、漸く声を絞り出す。
「え? あの……、だって、じゃあ単なる嫌がらせとかじゃなくて、課長が私にこういう仕事を任せて嫌な思いをさせる前に、敢えてセクハラオヤジ相手の接待とか、自分を目の敵にしてる人物と組ませての仕事をさせて私に耐性を付けさせて、なるべく課長に嫌な思いをさせない様にしたって事ですか!?」
その疑念を含んだ声に、鶴田は再度苦笑いの表情になった。
「あいつ社内に居るうちに、できる事はできるだけやっておくって感じで、あちこちに接触してるみたいだからな。本当に柏木にベタ惚れだよなぁ……。城崎の奴も、お嬢ちゃんの事体張って庇ったみたいだし」
呆れ顔で一人頷いている鶴田に、美幸はもの凄く懐疑的な表情を向けた。
「なんで係長が私を庇った事になるんですか。私、問答無用で殴られたんですよ?」
「だって顔、赤くなってないだろ。あいつ柏木が上から無理難題ふっかけられてるのを目の当たりにして、残業中に抜け出して『ここだと防犯カメラの死角ですから』って冷静に言いながら、青田と峰岸の名前を書いた紙を貼り付けた会議室のドアを、一つ蹴り壊しちまった事があるんだぞ? 絶対手加減してるって」
「なんですか、それは?」
「端から見れば、お嬢ちゃんは上司に暴力を振るおうとした事になる。実際に殴ったら確実に処分ものだ。お嬢ちゃん、そんな事で自分の経歴に傷を付けたいか?」
「でも、それはっ!」
「確かに城崎はお嬢ちゃんを叩いたが、それは暴力を振るおうとした部下を制止させる為と、言い訳も立つ。お嬢ちゃんに嫌われる事は覚悟の上でな」
そこで咄嗟に反論出来ない美幸に向かって、鶴田が理解に苦しむ表情になる。
「だから城崎の奴、本来はお嬢ちゃん以上に曲がった事が大嫌いな奴なんだが……。この話を知ったら絶対止める筈なのに、課長代理に何か弱味でも握られてるのか?」
「……ええと、そうすると係長は、課長が一番不遇な時代を知っているんですよね?」
その『弱味』に思い当たる節があり過ぎた美幸は、かなり強引に話題を変えた。それに鶴田が素直に乗る。
「ああ。だから城崎は柏木の仕事に対する姿勢を尊敬してるし、社内から色々言われながら柏木の下でしっかり自分の職分を果たしてきたわけだ。しかし本当に良かったな、お嬢ちゃん」
「え? な、何がですか?」
いきなり話を振られて当惑した美幸に、鶴田は笑顔のまま解説した。
「今回の仕事が、あいつ流のお嬢ちゃん超促成栽培の一環だと言った理由。お嬢ちゃんはあいつに、柏木の下で働いて良いって認めて貰った筈だぜ?」
「は?」
「あいつが使えないと判断した奴を柏木の下に置くとは思えんし、将来下に居ない奴に手間暇かけないだろ。俺が思うに他の二課の連中も、あいつの査察対象だな。今のところ全員、合格っぽいが」
「…………」
そこで再び無言になった美幸に、鶴田がおかしそうに声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、どうした。目を開けたまま寝ちまったか?」
「鶴田さん……」
「何だ?」
「予想外の事ばかり聞かされて、笑えば良いのか泣けば良いのか怒れば良いのか、全く見当がつかないんです。この落とし前をどうつけてくれるんですか?」
じんわりと両目に涙を浮かべつつ、そんな難癖を付けてきた美幸に、鶴田は吹き出しそうになりながら胸を叩いて請け負った。
「よし、責任は取ってやる! さっきも言ったがここの払いは俺持ちだし、幾ら笑おうが泣こうが怒鳴ろうが、最後までお嬢ちゃんに付き合ってやるぞ!」
その言葉に、美幸は手荒に両目を擦りつつ叫び返す。
「その言葉に二言はありませんね!? 今日は徹底的に飲みますよ!!」
「おう! どっからでもかかってきやがれ!」
そして変なノリで飲み始めた二人は、周囲のテーブルから迷惑そうな視線を受けながら、盛大に飲み始めた。それから約二時間後、テーブルに突っ伏してしまった美幸を見て、鶴田は苦笑いをしながら彼女に声をかけた。
「あ~、完璧に潰れちまったな~。どうだ? 城崎にでも迎えに来て貰うか?」
それに美幸は顔を上げないまま、若干呂律の回らない口調で言い返す。
「む~り~。まぁだ、ちょ~っと、おこってるんだも~ん」
「なんだ、そうか。城崎の奴、随分嫌われたもんだなぁ。じゃあお嬢ちゃん。俺に乗り換えないか?」
「つるたさんに、のりかえ~? ブッ、ブブーッ!」
「おいおい。ちょっとは気を遣えよ」
苦笑いしながら鶴田が美幸の背後に意味有り気な視線を向けたが、勿論そんな事は分からない美幸は、僅かに顔を上げて上機嫌に言い放った。
「だぁってぇ~、つるたさんより~、うちのかかりちょーのほうが~、ずぇぇぇったい、しごとできてぇ~、いいおとこですよぉ~? げんじつぉぅ~、ちょくしぃ~、しなきゃあ~、ダメっぴょーん!!」
そして再び突っ伏した美幸に、鶴田は苦笑しかできなかった。
「やれやれ、嫌われたもんだなぁ」
「でもぉ、はなしきいてくれたし~、しゅっけつだいさーびしゅでぇぇ、つるたさんに、もれなくぅ、カノジョさんを~ごしょ~か~い!!」
「へいへい、楽しみにしてるわ」
くぐもった声でそう宣言した直後、美幸は本格的に規則正しい寝息を立て始めた。それを確認してから、少し前から美幸の斜め後方の通路に立っていた城崎に、皮肉っぽい笑みを向ける。
「よう、色男。どうやら、俺よりお前の方が断トツで仕事はできるし、良い男らしいな」
それに口元を片手で覆った城崎が、短く答える。
「……どうも」
「礼を言う相手が違うし、照れまくるなよ。耳が赤いぞ?」
そう言って含み笑いをする鶴田に、城崎は何とか平常心を保ちつつ、頭を下げた。
「…………お手数おかけしました。連絡を頂けて、助かりました」
これ以上はないタイミングで現れた城崎を見て、こっそりテーブルの下で美幸に分からない様にメールを打った鶴田は、自分の仕事っぷりに満足した。
「彼女から一通り聞かせて貰ったが、本当にとんでもない野郎だな。お前の気苦労も増える一方だろう?」
「半ば諦めています」
「まあ、頑張れ。柏木の下でも、結構気苦労は多かったと思うしな。ああそれと、お嬢ちゃんに営業三課時代の話をしたからな?」
ぼかして言われたものの、すぐにその内容に見当が付いた城崎は、軽く顔を顰めながら確認を入れた。
「例の、課長が根も葉もない不倫の噂を流されて、事実上営業部から放逐された事は?」
「そこまで言ったらお嬢ちゃん、絶対あの二人を闇討ちするだろ?」
「そうですね」
「しかし本格的に爆睡してるな。悪い、つい飲ませ過ぎた」
鶴田が真顔で謝罪してきた為、城崎は首を振った。
「いえ、元はと言えば、こちらの不手際ですから。タクシーを呼んで、俺が自宅まで送って行きます」
「じゃあ、乗せる所までは付き合うぞ。抱えて乗せるにも、荷物があるし大変だろう」
「お願いします」
そうして話は纏まり、美幸は城崎によって自宅に送り届けられる事になった。
そんなとんでもない事を聞かされた美幸は、瞬時に怒りの声を上げた。
「なんですって!? どこのどいつですか、そいつはっ!!」
「営業三課の青田課長と峰岸係長だ」
「あんの万年課長係長コンビっ!! 鉄拳制裁を食らわせてやる!!」
「ああ、就任以来十年以上その席に居座ってる、社内で『柏木産業の産業廃棄物処分場』呼ばわりの企画推進部二課と並んで、『柏木産業の穀潰しの墓場』との悪名高い、営業系部署での業績が“万年”ダントツビリの、“万年”コンビだ」
怒りに任せて勢い良く立ち上がった美幸だったが、鶴田がニヤリと思わせぶりに笑いながら見上げてきた為、反射的に言われた内容を考えてみた美幸は、ふと疑問を覚えた。
「普通、係長や課長に就任したら、五年から十年を目処に昇進したり、他の支社の上部ポストに回ったり、他の部署の責任者を歴任する筈なのに、どうしてあの二人は異動しないんですか?」
「異動しないんじゃなくて、できないんだ。もう少し詳しく聞きたいか?」
「勿論です」
「それなら、最後まで黙って聞けよ?」
それに美幸は素直に頷き、静かに椅子に座り直した。それを見た鶴田は一口ビールを飲んでから、冷静に話し始める。
「元々は、課長が某専務にゴマをすろうと考えたのが始まりだ。社内で幾つかの派閥があるのは、お嬢ちゃんだって知ってるだろ? 当然、社長令嬢の柏木は社長派の駒だと周囲には見られている。本人にその意識は皆無だが」
そこで美幸の様子を窺った鶴田は、彼女が冷静に頷いたのを見て、話を続行させた。
「要するにあの二人は某専務に良い顔をする為に、柏木を飼い殺しにするか、仕事に嫌気が差して自ら辞職する方に持って行きたかったんだ。だけど柏木は能力も根性も人一倍だ。多少いびった位では、辞職する筈も無い。そこで各部署に声をかけて、直接業績に結び付かない仕事をかき集めて、全部柏木に押し付けたんだ」
「……どうして課長は、そんな仕事を受けたんですか?」
怒りを内包した美幸の問い掛けに、鶴田は淡々と説明を続けた。
「仕事を拒否したらそれを理由に処罰される可能性もある上、周りで課長達の対応を非難してた同僚の俺達にも、迷惑がかかる可能性があったし、柏木はこういう仕事も組織には必要だと、清濁併せ呑む潔さも持ってた。更に柏木にとって、メリットがあると判断したからだ」
「だって自分の業績に結びつかないのに、どんなメリットがあるんですか?」
苛つきながら問い返した美幸に、そんな反応は予想済みだった鶴田は苦笑した。
「俺達も当初はそう思っていた。殆ど専門外の案件だったしな。だから柏木は堂々と、本来その仕事をこなすべき部署に出向いて、そこの責任者に頭を下げたんだ。『専門外の仕事を任せられて、勉強不足の所が多々あり困っております。申し訳ありませんがこちらの部署のどなたかに、ご教授願いたいのですが』ってな。営業三課に専門外の仕事を押し付けた形になっている上、そこまで言われて柏木の申し出を一蹴するなら人でなしだろ。大抵は部下の誰かに、時間外で柏木を指導させたんだ」
「そうだったんですか……」
「指導を時間外に押し付けられた連中は、最初はいい顔をしなかったらしいが、一緒に仕事をすれば柏木が真面目で仕事ができる奴って事は自然に分かるし、本来は自分達の仕事を押し付けてるって意識もあって、柏木に同情的な人間が次第に増えたんだ。結果的にその間柏木の業績は振るわなかったが、柏木は専門外の知識を増やしつつ、着々と社内の有用な人材を見極める目を養い、自分に有益な人脈を作りまくった」
そこまで聞いた美幸は、(昼間のあのおじさんは、その頃の知り合いだったわけね)と納得し、(ちゃんと名前と伝言を伝えなくちゃ)と、無意識に名刺を入れたままのジャケットのポケットを上から押さえた。
「そのうち社内で『営業三課の課長と係長は、某専務の意向を受けて邪魔な社長令嬢を退社させるべく、嫌がらせばかりしている』と社内で噂が立って、全く預かり知らなかった某専務から『そんな事をしろと言った覚えは無い!』と激怒されて専務派から閉め出された上、社長派に睨まれて出世の目が無くなった挙げ句、俺達部下には愛想を尽かされて数字が取れる奴程次々他の部署に引き抜かれ、業績が上がらなくなって人気が無くなり、益々数字が取れなくなる悪循環。業績が上がらないから昇進出来ないし、他からもお呼びがかからなくて、未だに課長と係長の椅子を温めているってわけだ。温め過ぎて、今では腐ってるかもな」
そう言って「因果応報だ、ざまぁ見やがれ!」と豪快に笑い飛ばした鶴田に、美幸は思わず笑いを誘われた。そして美幸のクスクス笑いが収まったのを確認してから、鶴田が真顔になって話を続ける。
「だから柏木は課長に昇進する時、あちこちの支社や部署から訳あり部下ばかりを引き抜いたと、俺は考えている」
「どういう意味ですか?」
「連中、不祥事や不始末をしでかして閑職に回されて、おそらくどうでも良い仕事とか、仕事とか言えない内容の事ばかり、回されてたんじゃないか?」
そこで美幸は鶴田の言わんとする事がなんとなく分かり、表情を引き締めた。それを察したのか、鶴田が僅かに微笑しながら推測を述べた。
「普通、そういう事を続けてたらやる気が無くなるし、根性が腐るし、仕事に対する勘も無くなるよな?」
その問いかけに、美幸は小さく頷く。
「自ら辞職するか、ずるずると居座るとかですね。課長は違いましたが」
「ああ。だから柏木は経験上、そういう仕事をしている奴でも、機会を与えれば本来の能力を発揮できる人間だって居る筈だと、確信してたんだと思う。その信念に基づいて、腐った連中からより分けて、本当に有能な人間だけを引っ張った。勿論当時は非難囂々だったが、柏木はお嬢ちゃんとは別の意味で真っ直ぐだから、宣言通りやっちまった。結果はお嬢ちゃんが知ってる通りだ」
「…………」
無言で、頭の中で言われた内容を反芻した美幸だったが、鶴田は苦笑いで話題を変えてきた。
「それであの課長代理だが、柏木本人があいつに喋った筈は無いが、そういう事をやってた事実を掴んでる筈だ。そうじゃないと、今回のお嬢ちゃんに対する態度に、説明が付かない」
「は? それはどういう意味ですか?」
唐突に話が変わった様に感じた上、全く意味が分からなかった為、美幸は本気で疑問の声を上げた。すると鶴田が懇切丁寧に説明してくる。
「あいつは柏木の代理の立場だ。もし本当に柏木の後釜を狙ってるなら、わざわざお嬢ちゃんに嫌がらせ紛いの仕事をさせて、周囲から白眼視されるのは避ける筈だろう?」
「……桁外れに、性格が悪いだけでは?」
「お嬢ちゃん、こんな仕事を押し付けられたのが分かって、嫌な思いをしただろ?」
「勿論ですよ!」
「お嬢ちゃん、真っ直ぐだもんな~。だからそんなお嬢ちゃんにそんな仕事を押し付ける事になったら、大抵の人間は良心が痛むわけだ」
「普通そうですよ! あの課長代理は冷血動物なんですっ!」
「だから今後、万が一柏木がお嬢ちゃんにそんな仕事をさせる事になったら、散々嫌な思いをした柏木の古傷を抉るし、罪悪感も増すんじゃないかと奴は考えたんじゃないか?」
さらりと鶴田が口にした内容を耳にした途端、美幸の目が限界まで見開かれた。そして何か言おうとして何回か口を開閉させてから、漸く声を絞り出す。
「え? あの……、だって、じゃあ単なる嫌がらせとかじゃなくて、課長が私にこういう仕事を任せて嫌な思いをさせる前に、敢えてセクハラオヤジ相手の接待とか、自分を目の敵にしてる人物と組ませての仕事をさせて私に耐性を付けさせて、なるべく課長に嫌な思いをさせない様にしたって事ですか!?」
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「あいつ社内に居るうちに、できる事はできるだけやっておくって感じで、あちこちに接触してるみたいだからな。本当に柏木にベタ惚れだよなぁ……。城崎の奴も、お嬢ちゃんの事体張って庇ったみたいだし」
呆れ顔で一人頷いている鶴田に、美幸はもの凄く懐疑的な表情を向けた。
「なんで係長が私を庇った事になるんですか。私、問答無用で殴られたんですよ?」
「だって顔、赤くなってないだろ。あいつ柏木が上から無理難題ふっかけられてるのを目の当たりにして、残業中に抜け出して『ここだと防犯カメラの死角ですから』って冷静に言いながら、青田と峰岸の名前を書いた紙を貼り付けた会議室のドアを、一つ蹴り壊しちまった事があるんだぞ? 絶対手加減してるって」
「なんですか、それは?」
「端から見れば、お嬢ちゃんは上司に暴力を振るおうとした事になる。実際に殴ったら確実に処分ものだ。お嬢ちゃん、そんな事で自分の経歴に傷を付けたいか?」
「でも、それはっ!」
「確かに城崎はお嬢ちゃんを叩いたが、それは暴力を振るおうとした部下を制止させる為と、言い訳も立つ。お嬢ちゃんに嫌われる事は覚悟の上でな」
そこで咄嗟に反論出来ない美幸に向かって、鶴田が理解に苦しむ表情になる。
「だから城崎の奴、本来はお嬢ちゃん以上に曲がった事が大嫌いな奴なんだが……。この話を知ったら絶対止める筈なのに、課長代理に何か弱味でも握られてるのか?」
「……ええと、そうすると係長は、課長が一番不遇な時代を知っているんですよね?」
その『弱味』に思い当たる節があり過ぎた美幸は、かなり強引に話題を変えた。それに鶴田が素直に乗る。
「ああ。だから城崎は柏木の仕事に対する姿勢を尊敬してるし、社内から色々言われながら柏木の下でしっかり自分の職分を果たしてきたわけだ。しかし本当に良かったな、お嬢ちゃん」
「え? な、何がですか?」
いきなり話を振られて当惑した美幸に、鶴田は笑顔のまま解説した。
「今回の仕事が、あいつ流のお嬢ちゃん超促成栽培の一環だと言った理由。お嬢ちゃんはあいつに、柏木の下で働いて良いって認めて貰った筈だぜ?」
「は?」
「あいつが使えないと判断した奴を柏木の下に置くとは思えんし、将来下に居ない奴に手間暇かけないだろ。俺が思うに他の二課の連中も、あいつの査察対象だな。今のところ全員、合格っぽいが」
「…………」
そこで再び無言になった美幸に、鶴田がおかしそうに声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、どうした。目を開けたまま寝ちまったか?」
「鶴田さん……」
「何だ?」
「予想外の事ばかり聞かされて、笑えば良いのか泣けば良いのか怒れば良いのか、全く見当がつかないんです。この落とし前をどうつけてくれるんですか?」
じんわりと両目に涙を浮かべつつ、そんな難癖を付けてきた美幸に、鶴田は吹き出しそうになりながら胸を叩いて請け負った。
「よし、責任は取ってやる! さっきも言ったがここの払いは俺持ちだし、幾ら笑おうが泣こうが怒鳴ろうが、最後までお嬢ちゃんに付き合ってやるぞ!」
その言葉に、美幸は手荒に両目を擦りつつ叫び返す。
「その言葉に二言はありませんね!? 今日は徹底的に飲みますよ!!」
「おう! どっからでもかかってきやがれ!」
そして変なノリで飲み始めた二人は、周囲のテーブルから迷惑そうな視線を受けながら、盛大に飲み始めた。それから約二時間後、テーブルに突っ伏してしまった美幸を見て、鶴田は苦笑いをしながら彼女に声をかけた。
「あ~、完璧に潰れちまったな~。どうだ? 城崎にでも迎えに来て貰うか?」
それに美幸は顔を上げないまま、若干呂律の回らない口調で言い返す。
「む~り~。まぁだ、ちょ~っと、おこってるんだも~ん」
「なんだ、そうか。城崎の奴、随分嫌われたもんだなぁ。じゃあお嬢ちゃん。俺に乗り換えないか?」
「つるたさんに、のりかえ~? ブッ、ブブーッ!」
「おいおい。ちょっとは気を遣えよ」
苦笑いしながら鶴田が美幸の背後に意味有り気な視線を向けたが、勿論そんな事は分からない美幸は、僅かに顔を上げて上機嫌に言い放った。
「だぁってぇ~、つるたさんより~、うちのかかりちょーのほうが~、ずぇぇぇったい、しごとできてぇ~、いいおとこですよぉ~? げんじつぉぅ~、ちょくしぃ~、しなきゃあ~、ダメっぴょーん!!」
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「やれやれ、嫌われたもんだなぁ」
「でもぉ、はなしきいてくれたし~、しゅっけつだいさーびしゅでぇぇ、つるたさんに、もれなくぅ、カノジョさんを~ごしょ~か~い!!」
「へいへい、楽しみにしてるわ」
くぐもった声でそう宣言した直後、美幸は本格的に規則正しい寝息を立て始めた。それを確認してから、少し前から美幸の斜め後方の通路に立っていた城崎に、皮肉っぽい笑みを向ける。
「よう、色男。どうやら、俺よりお前の方が断トツで仕事はできるし、良い男らしいな」
それに口元を片手で覆った城崎が、短く答える。
「……どうも」
「礼を言う相手が違うし、照れまくるなよ。耳が赤いぞ?」
そう言って含み笑いをする鶴田に、城崎は何とか平常心を保ちつつ、頭を下げた。
「…………お手数おかけしました。連絡を頂けて、助かりました」
これ以上はないタイミングで現れた城崎を見て、こっそりテーブルの下で美幸に分からない様にメールを打った鶴田は、自分の仕事っぷりに満足した。
「彼女から一通り聞かせて貰ったが、本当にとんでもない野郎だな。お前の気苦労も増える一方だろう?」
「半ば諦めています」
「まあ、頑張れ。柏木の下でも、結構気苦労は多かったと思うしな。ああそれと、お嬢ちゃんに営業三課時代の話をしたからな?」
ぼかして言われたものの、すぐにその内容に見当が付いた城崎は、軽く顔を顰めながら確認を入れた。
「例の、課長が根も葉もない不倫の噂を流されて、事実上営業部から放逐された事は?」
「そこまで言ったらお嬢ちゃん、絶対あの二人を闇討ちするだろ?」
「そうですね」
「しかし本格的に爆睡してるな。悪い、つい飲ませ過ぎた」
鶴田が真顔で謝罪してきた為、城崎は首を振った。
「いえ、元はと言えば、こちらの不手際ですから。タクシーを呼んで、俺が自宅まで送って行きます」
「じゃあ、乗せる所までは付き合うぞ。抱えて乗せるにも、荷物があるし大変だろう」
「お願いします」
そうして話は纏まり、美幸は城崎によって自宅に送り届けられる事になった。
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百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

声劇・シチュボ台本たち
ぐーすか
大衆娯楽
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