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十二月

2.理不尽な噂

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「ただいま……」
 色々な意味で疲労して美幸が家に帰ると、車が門前に止まる音を聞きつけたのか、美子が玄関に出迎えに来ていた。

「お帰りなさい。どうだった? 足は痛まなかった?」
「うん、結構疲れたけど」
 そのまま家に上がれる様に、用意しておいた雑巾で松葉杖の先を綺麗に拭き取りながら、美子が尋ねてくる。

「そんなにお仕事が大変だったの?」
「そうじゃなくて、係長や蜂谷があれこれ世話を焼いてきて、ちょっとウザかったわ」
 それを聞いた美子は、杖を美幸に渡しながら小さく笑った。

「秀明さんったら、相当脅かしたのね。気の毒に。じゃあ課長代理さんも?」
 その問いに、美幸は苦々しげに答える。
「……あいつは復帰早々、山ほど仕事を回してくれたわよ。ありがたくて涙が出るわ」
「まあ」
 そこで楽しそうに微笑んだ美子と共に、美幸は杖を付きつつ廊下の奥へと進んだ。

「でもさすがに毎日、係長に帰りも送って貰うのは……。そのせいで係長が残業するのに支障が出ているし、休日出勤が確実みたいなのよね」
「あら、そこまでは思い至らなかったわ。とんだご迷惑よね」
 困惑顔で美子が同意を示してきた為、美幸は勢い込んでまくし立てた。

「そうよね! 幾ら何でも申し訳無いわよね? 美子姉さんから秀明義兄さんに、せめて帰りは送って貰わなくても良い様に」
「せめてものお詫びに、明日から城崎さんに夕食を食べていって貰いましょう。自宅に戻ってから準備するのは手間でしょうし、外食続きも健康に悪いもの」
「え? あ、あの、美子姉さん?」
 さくっと提案してきた美子に美幸が翻意を促そうとしたが、美子は既に決定事項であるかの如く微笑む。

「そういう事だから、美幸。食べ終わったら、早速城崎さんに連絡を入れてね?」
「……はい」
 長年の経験上、この類の微笑みを浮かべている時の長姉に逆らう事は無理だと分かっていた美幸は、素直に頷くしか選択肢が無かった。

「……そういうわけで、宜しかったら、明日から私を送ってきた時、夕飯を一緒に食べていただきたいな~と、思っておりまして」
「…………」
 そして指示通り夕食後に美幸は電話をかけてみたが、美子の話を伝えると、返ってきたのは沈黙のみだった。

「あの……、係長?」
 恐る恐る声をかけてみると、正気に戻ったらしい城崎が、些か慌て気味に問い返してくる。

「あ、いや、すまん。因みに、藤宮社長と先輩は、いつも何時位に帰宅されるんだ?」
「二人とも、帰宅時間は一定では無くて……。今日と同じ時間帯に帰るなら、一緒に食べるのは週に一度位でしょうか?」
「それなら何とか……」
 考え込みながらの美幸の台詞に、口の中で何やらもごもごと自問自答してから、城崎は腹を括った様に了承の言葉を返してきた。

「夕食の事は分かった。お姉さんに宜しく伝えてくれ」
「はい、分かりました。それでは失礼します」
「ああ、おやすみ」
 最後は苦笑混じりのその声に、美幸は疲労感を増大させながら通話を終わらせた。

「なんか……、益々泥沼に嵌まっている様な気がする。あれ?」
 そして時を置かずにかかってきた電話に、ディスプレイの発信者名を見て慌てて応答する。
「もしもし、美幸? 晴香だけど、今大丈夫?」
 そう断りを入れてきた友人に、美幸は気分転換とばかりに明るく言葉を返した。

「うん、平気だから。晴香、どうしたの?」
「ほら、年末に企画してた同期会だけど。あれ、今回はパスよね? 一応歩けるみたいだけど、お酒を飲むわけにいかないし、夜遅くまで出歩けないだろうし」
「うん、さすがにね。またあったら顔を出すから」
「こんな状態だし、皆も分かってるから気にしないで。今日復帰したばかりなのにもう噂が広がってるから、これが収束するまでは変な目で見られかねないし」
「……どんな噂が流れているわけ?」
 そう言って晴香が溜め息を吐いた為、嫌な予感を覚えながら美幸が問いただすと、晴香がとんでもない事を口にした。

「『自分に怪我させた相手を、裏で手を回して支店に飛ばした上、片足が使えない事を口実に、職場で恋人と後輩を顎でこき使ってる、転んでもタダでは起きない狡猾女』って。これだけ聞いたら、美幸ってとんでもない悪女よね~」
 コロコロと笑いながらの晴香の台詞を聞いて、美幸は思わず携帯を取り落としかけた。

「はいぃ!? ちょっと! 晴香、それ誤解だから!」
 盛大に反論しかけた美幸を、晴香が落ち着き払った声で宥める。

「はいはい、私は分かっているから。でも相変わらず、変なところで苦労してるわね、美幸。じゃあ頑張って」
 そうして晴香はあっさりと通話を終わらせ、美幸は固まったままその場に立ち尽くした。そして少ししてからゆっくりと携帯を耳から離し、翌日からの社内での視線と噂を想像して一人項垂れる。

「ま、負けないんだからっ!」
 復帰早々暗雲垂れ込めている職場環境を思い、美幸は挫けそうになる自分自身に言い聞かせる様に、力強く宣言したのだった。
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