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九月

2.言いがかり

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「高須、俺は未だにお前から、納涼会の席上、俺を殴った事についての謝罪を受けていないんだが?」
「何?」
「はあ?」
 当事者の高須は僅かに眉を寄せ、美幸はこんな場所で何を言い出すのかと本気で呆れた。
 双方の上司達四人も呆れた表情で視線を交わし合ったが、清人が軽く首を振ったのを認めて、無言で事態の推移を見守る。

「まさか社内の人間が見てる前で起こした暴挙を、しらばっくれる様な真似はしないよな? 企画推進部ニ課の名前に傷が付くぞ? まあ確かに今更一つ位傷が増えても、どうって事無いかもしれないがな」
 誰も制止しないのを良い事に、山崎は嘲笑の口調も露わに言い放つ。その物言いを聞いた美幸は、当然ながら激昂した。

「何ですって!? 黙って聞いていれば、ふんぞり返って何様のつもりよ!!」
「藤宮、黙ってろ」
「でも!」
「いいから!」
 高須は美幸の腕を押さえつつ、小声で言い聞かせた。さすがに山崎の隣に座っていた隆が真っ青になりながら「先輩、言い過ぎです!」と窘めたが、本人はどこ吹く風で薄笑いしながら変わらず高須に視線を合わせる。その視線を真正面から見返した高須は、如何にも不満そうにしながらも黙り込んだ美幸から手を離してから、ゆっくりと口を開いた。

「山崎さん、先だっては大変失礼いたしました。一方的に暴力行為に及び、心から反省しております。加えて忙しさに紛れて謝罪が遅くなりまして、誠に申し訳ありませんでした」
 冷静にそう言い終えた高須が無言で頭を下げると、山崎が勝ち誇った様に横柄に頷く。

「ふん、そこの無神経女よりは、物事ってものを弁えているらしいな。本当だったら人目の有る所で土下座して貰いたい気分だったが、それで勘弁してやる」
「それはどうも、お気遣いありがとうございます」
「ちょっと高須さん!」
 どこまで言われっぱなしでいるのかと美幸が腹立たしく思っていると、ここで高須は丁寧な口調はそのままに、目つきを鋭くして山崎を凝視した。

「ところで、山崎さんは、法務部の藤宮さんにはきちんと謝罪をされたんでしょうか?」
「は? なんで俺が、そんな事をしなくちゃいけないんだ」
 予想外の事を言われて本気で当惑している山崎に、高須が冷静に畳み掛ける。

「未だに謝罪されていない様ですが、まさか社内の人間の前で一方的に人を揶揄する様な発言をしておいて、そ知らぬふりをするおつもりですか? 営業一課の名前に傷が付きそうですね。うちと違って、そちらは社内でも花形の部署ですから、普段から言動に気を付けられた方が良いかと思いますが」
「何だと!?」
 明らかに、先程自分が高須に向けた台詞のフレーズを引用して非難されている事が理解できた山崎は、顔色を変えて勢い良く立ち上がった。しかしここで穏やかな口調で、山崎の上司である浩一が口を挟んでくる。

「そうですね、私もそれは知りたいです。その女性への謝罪は済ませているんですか?」
「課長……、い、いえ、ですが、俺は本当の事を言ったまでです!」
「……本当の事、ですか」
「はい、ですから」
 上司から確認されて慌てて山崎が弁解すると、浩一は穏やかに微笑みつつ頷いた。それを見て山崎が安心して話を続けようとしたが、それを急に表情を変えた浩一が、冷え冷えとした口調で遮る。

「それでは君は、業績不振の会社の責任者に向かって『お宅の会社は仕事が無くて困ってるな? 仕事をさせてやるから、単価を四割安で引き受けろよ。仕事が貰えるだけ、ありがたいと思え』とか、平気で口にするわけか?」
「いえっ、課長! それとこれとは!」
 さすがに顔色を変えた山崎に対し、浩一が更に続ける。

「例え真実だからと言って、何でも口にして良いと言うわけではない。気配りは周囲とのコミュニケーションに必要な最たるものだが、これまでも君は仕事上ではともかく、社内でのプライベートな交友関係で口が過ぎると、色々と噂になっている。その納涼会での事も、同席した複数の女性社員から君を指導してくれと、後日抗議及び要請されていた」
「なっ! あいつら寄ってたかって、ある事ない事課長に吹き込んだんですよ!」
 そう言って山崎は自分には非の無い事をアピールしようとしたが、浩一は淡々と続けた。

「彼女達の話を聞いた後で、君と同じテーブルに着いていた早川と青木にも詳細を聞いたが、彼女達のそれと大差ない内容だった。まあ正直、プライベートな事に一々口を挟むのはどうかと思って、これまで敢えて苦言は差し控えていたが。彼等には君が変に委縮しない様に、俺に話した事を黙っていて欲しいと頼んだしな」
「………………」
 同僚から既に詳細を報告済みと知らされた山崎は、これ以上弁解できずに黙り込んだ。それを見て、浩一が溜め息交じりに続ける。

「まあ、いい年の大人同士のやり取りだし、とっくに大人の対応をしたと思い込んでいた、こちらのミスだった。……この会議が終わったら、その足で法務部に出向く。同行しろ」
「え? いえ、ちゃんと彼女に謝罪してきますので」
 さすがに上司同行で頭を下げに行くなど御免こうむりたい山崎は、いきなりの命令口調に動揺しつつ弁解しようとしたが、浩一の意思が変わらないどころか、醸し出す空気の冷感が一気に増加した。

「業務の邪魔をしてまで下らん揉め事を蒸し返した挙句、未だにぐだぐだぬかしている相手を信用しろと? 貴様がまともな対応をしないと、管理者の俺が恥をかくという事が、まだ分からないのか?」
「……分かりました。お願いします」
 如何にも悔しそうな顔を見せたものの、山崎は大人しく浩一に向かって頭を下げた。その一連のやり取りを傍観していた美幸は、改めて肝を冷やす。

(浩一課長、怖っ! でも田村君は顔色が悪いけど、初めて見た様には動揺してないし、鶴田係長は平然としてるし。温厚に見える浩一課長も、営業一課の中では派手に叱責する事もあるって事よね。さすがだわ)
 山崎に対する怒りなど完全に忘れて美幸が感心していると、まるで何事も無かったかのように浩一が元の笑顔になって、清人達に声をかけた。

「すみません、業務に関係の無い事でお時間を頂きました。早速始めましょう」
「分かりました。それでは前回持ち帰りとなっていた、候補企業の選定から。城崎係長」
「はい、それではこちらをご覧下さい」
 そしてテキパキと城崎が配った書類に目を落としながら、チラッと向かい側の様子を窺った美幸は、心底うんざりしてしまった。

(完全に墓穴掘り。美野姉さんに形だけでも頭を下げておくか、こんな所で高須さんに絡まなければ見逃して貰えたのに。うわ~、怨念の籠った視線が、寧ろ爽快だわね。ちょっと、どうでも良いけど、ちゃんと資料を見てないと、どこ話してるか分からなくなるわよ?)
 そこまで考えて他人事ではないと思った美幸は、それからは山崎からの視線は素知らぬふりで、議論に集中した。
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