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六月

3.劇的交代劇

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 その後、清瀬に同行して商談先に出向いた美幸は、帰社すると二課の雰囲気が何となく重苦しい状態なのを察して怪訝な顔になった。
「戻りました」
「……ああ、お帰り、藤宮」
「どうかしたんですか? 何かちょっと雰囲気暗くありません?」
「それが……、あんたが外に出てる間に広瀬課長と上原課長が課長会議から戻ったんだけど、課長が会議終了直後に倒れて、医務室に運ばれたそうよ」
「何ですって!? 倒れたって、それで課長は大丈夫なんですか!?」
 反射的に掴みかかってきた美幸を宥めつつ、理彩が説明を続ける。

「ちょっと落ち着きなさい、藤宮! 倒れたって言っても、立ちくらみを起こしたみたいですぐに意識は戻ったし、念の為に弟の浩一課長が医務室で付いてくれているそうよ。ご主人も呼んだそうだし」
「そうですか」
 それで一応納得したような素振りを見せた美幸だったが、机に鞄を置いて再び部屋を出て行こうとする素振りを見せた。

「それでは、ちょっと課長の様子を見に行ってきま」
「止めておきなさい。今お休み中かもしれないし、浩一課長やご主人もいらっしゃるんだから、医務室に何人も押し掛けたら迷惑よ。浩一課長からは『先生から過労だから安静にしていれば大丈夫だと言われた』と内線で連絡が来たし、おとなしくしていなさい」
「……分かりました」
 しっかりと手首を掴まれ、真顔で理彩に諭された美幸は、それ以上口答えせずに大人しく席に着いた。すると美幸達のやり取りで不安が触発されたのか、二課の中で小声で深刻な会話が交わされる。

「しかし課長も妊娠後期に入っているし。随分仕事量を減らしているとは言っても、そろそろ休んで貰った方が良くはないか?」
「元々再来週には、産休に入る予定だったしな。だが一向に課長の産休中の体制について、公になっていないんだが。係長は聞いているか?」
「それが全く。部長にも人事部の方にも再三再四尋ねてみたのですが……」
「本当にどうなってるんだ? 訳が分からんな」
 普段は滅多に動じない村上まで苛ついているのか吐き捨てる様に呟いていると、何やら話し合いながら室内に入ってきた人影を認めた美幸が、喜色満面で立ち上がった。

「お帰りなさい課長、体調の方は大丈夫ですか?」
 その明るい声に室内の全員がドアに視線を向けると、真澄は部長である谷山と、写真で目にした事がある彼女の夫に付き添われて戻って来た所だった。それを認めた蜂谷は「ひいっ!」と短い悲鳴を上げて意識を失い、椅子に座ったまま後方に倒れて動かなくなる。

「蜂谷! 大丈夫か!? しっかりしろ!」
「今、まともに後頭部を打たなかったか?」
「脳震盪だよな? 変な打ち方はしてなかったよな!?」
 二課の一角でそんな騒ぎが勃発していたが、谷山達は三人固まって二課のスペースまで歩き、徐に周囲に声をかけた。

「あ~、皆、座ったままで構わないから聞いてくれ。柏木課長が産休取得後の二課の体制について、この間全く報告できていなかったが、今日正式に決定がなされたので報告する」
 その途端室内が静まり返り、皆真剣な表情になる。美幸も(幾ら何でもちょっと遅すぎるんじゃ無いの!?)などの文句はぐっと飲み込み、黙って谷山の説明を待った。そして室内中の視線を集めた谷山が、軽く咳払いをして話し出した。

「柏木君は課長職であり、短期の病休、出張であれば係長の城崎君が職務代行、私が権限を管轄する所だが、産休に続き育休取得で一年超の期間となると差し障りがある。更に城崎君の課長昇格も考えたが、本人が時期尚早と固辞した上、柏木君の復帰後のポストの問題もあり、柏木君の復帰までの期間限定で、課長代理を立てる事になった」
 谷山がそこまで説明した所で、怪訝な顔をしていた二課のメンバーを代表して、村上が疑わしそうに問いを発した。

「部長、そんな期間限定で課長職が務まる人材を、確保できたんですか?」
「ああ、まあ、な……。本人が希望して申し出て来たもので……」
「それはまた随分変わっ……、いえ、奇特な方が社内にいらっしゃいましたね」
「……まあな」
 村上の問いに何故か谷山は微妙に口ごもりながら応じ、何とか気を取り直しながら話を続けた。

「それで、予定では柏木君の産休は再来週からの予定だったが、体調面で不安もある事から、急遽明日から産休に入って貰う事になった。それで今日これから、必要な引き継ぎ等をやって貰うのでそのつもりで」
「えぇ? 明日からですか!? そんな急すぎます!」
 今度も皆が密かに動揺する中、美幸が動転した声を上げると、真澄が一歩前に進み出て落ち着いた口調で話し出した。

「今部長から説明があった通り、そういうわけで不本意ではありますが、体調を鑑みて急遽明日から産休を取得する事になりました。皆さんにご迷惑をお掛けする事になって、申し訳ありません」
 そうして頭を下げる真澄を呆然と眺めながら、ふと美幸は真澄の横で佇んでいる男性について疑問を覚えた。

(どうして課長のご主人が、仕事向きの話の時に一緒にいるのかしら? そりゃあ、課長の体調が心配かもしれないけど、応接スペースのソファーで待ってても支障は無いでしょうに……)
 当然の様に真澄の隣に立つ彼女の夫に、美幸は密かに首を捻った。しかし次に真澄が若干引き攣り気味の笑顔で夫を紹介した台詞で、その理由が明らかになる。

「それで、こちらが私が産休及び育休を取得中、課長職を代行して頂く、柏木清人さんです」
「はあぁ!?」
 静まり返った室内で、美幸の素っ頓狂な叫び声が妙に響いたが、谷山が特に美幸に言い聞かせる様に、真剣な表情で訴えた。

「皆が戸惑う気持ちは分かるが、彼は今日付けで柏木産業に採用された、れっきとした社員だ。色々制度運用として手探りの部分もあるので、皆宜しく頼む」
「私からもお願いします」
 そこで当事者が二課の面々をゆっくりと見回しながら、余裕の笑みを浮かべながら挨拶してきた。

「本日付けで柏木産業人事部、環境調整支援課課長に任命されました柏木清人です。柏木課長の復帰まで、企画推進部第二課課長代理として務めさせて頂きますので、宜しくお願いします」
 そう言って神妙に頭を下げた清人が再び周囲を見回し、目が合ったらしい城崎に親しげに声をかけた。

「やあ、久し振りだね、城崎君。ここに君が居てくれて心強いよ」
 それを聞いた城崎はピクリと顔を引き攣らせたが、表面上は平静を装って頭を下げる。
「……お久しぶりです、佐竹先輩。こちらこそ宜しくお願いします」
「城崎、悪いが今は《柏木》だからそのつもりで」
「……失礼しました、柏木さん」
 呼びかけの言葉が微妙に気に障ったらしく、清人は笑顔のまま鋭い眼光を城崎に向け、それを受けた城崎は無表情で謝罪の言葉を口にしつつ再度頭を下げた。そのやり取りを見て、他の面々が肝を冷やす。

(やっぱり見た目通りの優男じゃないな)
(あの蜂谷君を変貌させるのに一役買った事といい、ただ者じゃ無いか)
(あの城崎君が萎縮する相手……、タチが悪すぎる)
(これからニ課はどうなるんだ?)
 各自重苦しい雰囲気の中で、悲観的な考えに陥っていると、その場の微妙な空気を美幸の叫び声が切り裂いた。

「ちょっとふざけんじゃ無いわよ!? 何で課長の夫で社長の婿ってだけで、課長代理として得体の知れない人間が二課に乗り込んで来るわけ!?」
「藤宮さん、落ち着いて!」
 城崎は慌てて少し離れた所にいた美幸に駆け寄り制止したが、自称課長代理は皮肉っぽく尋ね返してきた。

「理由は先程柏木課長と谷山部長から話があったと思うが、聞いていなかったのかな?」
「何ですってぇぇ!!」
 一応丁寧なものの、明らかに揶揄と分かる口調に美幸が激昂しつつ一歩足を踏み出した為、城崎は本気で狼狽した。
(拙い! この人に下手に逆らって機嫌を損ねたら、彼女がどんな報復行為を受けるか、想像できない!)
 そこで殆ど反射的に、城崎は美幸に向かって声を張り上げた。

「藤宮さん、これは管理部及び人事部での決定事項だ! 既に部長も課長も承認している以上、これに文句を付けるのはお二人の意志に異を唱える事にもなるぞ! 加えてこれから二課を支えて頂く柏木課長代理に失礼だろう。口を慎め!!」
「……っ!」
 盛大に怒鳴りつけられた美幸は、納得できないと言わんばかりに城崎を睨み付けてから、いきなり無言のまま駆け出して部屋を出て行った。他の者達が呆気に取られて見送る中、城崎が目の前に並んでいる三人に目を向けると、谷山は疲れた様に溜め息を吐き出し、真澄は無言で額を押さえ、清人は楽しそうに含み笑いを見せる。

「ちょっと失礼します」
 寝耳に水だった今回の課長代理人事に、(本当に勘弁してくれ)と項垂れながら城崎は美幸の後を追った。しかし五分めしないうちに戻って来て、面目なさげに真澄に報告する。

「課長、申し訳ありません」
「どうしたの? 城崎さん」
「その……、藤宮が、女性用トイレで籠城していまして」
 谷山を交えて早速今後の体制などについて話を始めていた真澄は軽く溜め息を吐き、清人は皮肉っぽく口元を歪めた。

「城崎係長? 部下の指導力に問題があると言われた事は?」
「……言われない様に努力してきたつもりですが、色々と力不足な面があったかもしれません」
「清人。こんな事で嫌味を言わないで。分かりました、城崎さん。彼女は私が連れ戻してきますから、業務に戻って下さい」
「宜しくお願いします」
 夫を窘めつつ立ち上がった真澄は、城崎を宥めつつ廊下に向かって歩き出した。そして廊下を進んでトイレに辿り着くと、中から個室のドアを開け放ち、便座の蓋に突っ伏してむせび泣いている美幸の姿が目に入る。

「うっ……、ふぇぇっ、なっ、何でやっと一緒に、お仕事……、出来るように、ひくっ……、なっ、たの、にっ……、うぇっ……」
 泣いている美幸の後ろ姿に真澄は胸が痛んだが、気を取り直して美幸の後方に座り込んで声をかけた。
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