ワケあり夫婦の悠々引きこもり生活

篠原 皐月

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流され妻と引きこもり夫の諦観と妥協

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「アクトス、喜べ! お前の嫁が決まったぞ! 彼女がセララさんだ、仲良くしてくれ!」
「…………」
 喜色満面で報告するエカードとは異なり、当事者二人は無言のまま相手を凝視していた。先に視線を逸らしたのはアクトスの方で、彼は座ったまま片手で額を押さえつつ、深い溜め息を吐く。
 それでなんとか気持ちを切り替えたのか、次に顔を上げた彼は、僅かに表情を険しくしながら兄に訴えた。

「兄さん……。勝手に話を進めないでください。第一、あのろくでなしが庶子を我が家に適当にあてがって借金を帳消しにしようとした場合、その娘に私との結婚を忌避するように仕向けて、更に慰謝料を請求する計画だったじゃありませんか。それはどうなったんですか?」
「そうは言ってもだな、俺はセララさんが気に入ったんだ。もうお前との偽装結婚の了解は得ているし、本人だって異を唱えていないぞ?」
「何を言っているんだか……。これは単に私の見た目に驚いて、声が出ないだけですよ」
 飄々とした口調で言い返してくる兄に苛立った表情を見せてから、アクトスはセララに向き直った。

「セララさんと仰いましたね? 兄が無理難題を持ちかけて、申し訳ありません。アクトス・ザクラスです、初めまして」
「あ、はい、ご丁寧にどうも……。セララ・ビクトーザです。今のところは」
「確認させて貰いたいのですが、兄が私との結婚を持ちかけた時、私に関してどう説明したのですか?」
「少し年の離れた弟さんで、少々事情がある独身だと伺いました」
「それだけですか?」
「……それだけですね」
「それだけで、形式上の事とはいえ、結婚を了承したと?」
「…………そうなるのではないでしょうか?」
 今度のアクトスの溜め息は、先程のものよりも深かった。そして彼は気合を振り絞るような感じで、話を続行させる。

「セララさん。当事者の私がこんな事を口にするのもどうかと思いますが、それで結婚を承諾するのは少々迂闊が過ぎると思います」
「つい先程、同様のことを姪御さんにも言われました。確かにそうかもしれないなと、思ったところです」
「…………」
 真顔でのセララの発言に、今度こそアクトスは無言で項垂れた。

 うん、半ば呆れられたのは分かった。そしてこの人が常識人で、善良な人の部類に入る事も分かった。まあ、それが分かったし、多少変な風に事態が転がっても、悪いことにはならないんじゃないかと思う。ご家族も真っ当な人達みたいだし。

 そんな判断を下したセララは、控え目に申し出てみた。

「ええと、その……。そちらの事情はだいたい察しましたし、少々驚きましたけど、結婚するのは別に構いませんよ? その顔の他に全身にも痣があるかもしれませんけど、達の悪い感染症とか皮膚病とかじゃありませんよね?」
 平然と問いかけてくるセララに、アクトスが不思議そうに答える。

「それは確かにそうですが……、気持ち悪くないんですか?」
「先生のお手伝いをしていた時、酷くただれて皮膚がぐしゃぐしゃになっていた患者さんを見たことがありますしね……。見た目ちょっと気味悪くて、ちょっとしわになっているだけじゃないですか」
「ちょっと気味悪くて、ちょっとしわって……、そういう問題ですか?」
「人間、誰だって年を取れば、シミができるししわもできます。それが多少早くできてしまって、多少酷い程度と思えば自然なのではありませんか?」
「……自然、ですか」
 セララは淡々と割り切り、その台詞にアクトスが半ば唖然としながら呟く。それはこの場に居合わせたザクラス家の子供達も同様だった。

「セララさん、豪胆すぎる……」
「使用人も新しい人だと、叔父さんの世話係に就くのは嫌がるのに」
「凄いねぇ」
 子供達の反応を見て、エカードとテネリアが無言のまま笑顔を見合わせて頷き合う。ここでセララが問いを発した。

「ところで、一つお伺いしたいんですけど。アクトスさんは全く歩けないんですか?」
 その質問でアクトスは我に返り、反射的に答える。

「ゆっくり歩くことはできますが、関節が痛むので長い距離は歩けません。着替えや入浴、トイレなどで立ち上がって動作はできますが、移動はなるべくこの椅子を使っています。外出もほとんどしませんし」
「それもこれも、あの老害親父のせいだ」
「なんですか、それは?」
 エカードが憤慨しながら、唐突に会話に割り込んだ。セララが訝しげな視線を向け、アクトスが困ったように兄を宥めにかかる。

「兄さん。もう死んだ人、しかも血のつながった父親の事を、あまり悪しざまに言うのは感心できませんよ?」
「あぁ!? 生きていようが死んでいようが構うもんか! あのくそ親父、痣持ちで病弱に生まれて、出産時に母親まで亡くしたのはアクトスのせいでも何でもないのに、誕生直後から『あいつには悪霊が憑りついている。下手に殺すと祟れるかもしれないから生かしておくが、お前達は近寄るな』と言って、離れに隔離しやがって!」
「そうは言っても、私の外見が外見だし。対外的な事もあっただろうし」
「お前の足がまともに動かなくなったのも、あいつがお前が子供の頃、床に叩きつけた挙句、医者も呼ばなかったせいだとお前付きの使用人が俺に泣いて訴えてきて。慌てて医者を呼んで診て貰ったが、後の祭りで」
 当事者である弟が頗る冷静であるのとは対照的に、エカードは益々怒りを増幅させた。彼が怒りに任せて語った内容を聞いて、セララも瞬時に激高する。

「はぁあ!? なんですか、そのど腐れ野郎!! 自称父親もろくでもないと思ってましたが、ろくでもなさではそのジジイに負けますよ!!」
「セララさんもそう思うだろう!? もうさすがに我慢できなくてな、十五の時までに仕事で成果を出して、主だった使用人達を丸め込んであの手この手で支配下に置いて、親父を田舎での隠居に持ち込んだぞ!」
「エカードさん、凄いです! そんな老害ジジイがいつまでものさばっていたら、絶対、使用人皆さんのためにもなりませんでしたよ!」
「そうだろう、そうだろう!」
 セララの拍手喝采に、エカードは気を良くして胸を張った。その姿から、妻子は無言で視線を逸らす。さすがに身内の不祥事が明らかにされて室内に微妙な空気が漂ったが、アクトスがかなり強引に話を戻した。

「その……、先程、『先生のお手伝いをしていた時』とか言っていましたが、お医者様の手伝いをして皮膚病の患者さんを見たことがあったんですか?」
 そこでセララも怒りを鎮め、真顔で説明を加える。

「はい。母が病気になってからは、看病しながら家で内職をする他、治療費の代わりに先生の手伝いをする事もあったので。でも大して力になれませんでしたから、先生からしたら手伝いを口実に、かなり治療費を安くしてくれていた筈ですよ? 『対処の仕方を指示しておいても忘れたり間違えて覚えていたりすると困るから、しっかり読み書きは覚えておくように』と言って、教読本も貸してくれましたし」
 それを聞いたエカードとテネリアは、納得して頷き合った。

「なるほどな。お母上があまり長くはないと分かっていたから、その先生は君にあまり借金をさせず、今後の為に読み書きもきちんと覚えさせておこうと考えたわけか」
「貧困層では読み書きさえ怪しい人間が、一定数存在するものね。お母様は、最後に良い先生に診て貰えて良かったわね」
「はい。私もそう思います。それでいつまでも先生の厚意に甘えるのもどうかと思ったので、あの腐れ自称父親の提案に乗って先生への借金を返したので、契約通り偽装結婚しましょう」
「…………」
 今度はセララが話をサクッと元に戻し、思わずアクトスが無言になる。そんな対照的な二人を目の当たりにした子供達は、真顔で囁き合った。

「心意気は立派ね。見上げたものだわ」
「姉さん、感心するところかな?」
「セララさんが大物だってことは分かった」
「ほら見ろ、セララさんは完全にお前との結婚に同意しているんだぞ? ここでお前があくまでも結婚を拒否したら、諸々の計画が水の泡なんだが?」
 にやにやと最後通告をしてきた兄を少々恨みがましく見上げてから、アクトスはここで完全に抵抗を諦めた。

「ええ……、はい、もう、分かりましたよ。偽装結婚でも契約結婚でもなんでもしますよ。どうせもう一幕ある筈ですから、最後まで茶番を続けないといけないですしね」
 半ばやけになりながらの台詞に、セララが首を傾げる。

「アクトスさん。『もう一幕』って、なんですか?」
「君が手に持っている、それ」
「……え? あ、あぁぁぁぁっ!! そうですよ、こんな物、私、本当に要らないんですけど!?」
 アクトスが指し示しているのが、自分が持っている箱だと気がついたセララは、ついでのその中身も思い出した。その途端真っ青になりながら、周囲に訴える。その様子を見たアクトスが、さすがに気の毒になりながらテネリアに声をかけた。

「義姉さん、取り敢えずそれを預かっていて貰えますか?」
「そうね。セララさん、一時預からせて貰いますね?」
「いえ、もう本当に、返していただかなくて結構ですから!!」
 セララは押し付けるように箱を手渡し、テネリアは苦笑しながらそれを受け取ったのだった。








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