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第1章 進退窮まった人々
(10)交渉
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慌てて屋敷内に戻ったセレナだったが、既にクライブは玄関から応接室に移動したらしく、玄関の内外には引き連れてきた近衛騎士が待機しているだけであり、彼女はその足で応接室に向かった。
「クライブ殿下、お待たせして申し訳ありません。レンフィス伯爵邸にようこそ。歓迎いたします」
入室して恭しくセレナが挨拶すると、クライブがソファーに座ったまま笑顔で声をかけてくる。
「セレナ、急に屋敷に押しかけてしまってすみません。是非ともあなたと、直に話がしたかったものですから」
「私とですか?」
「ええ。ですが、一々予定を立てて訪問するのは面倒ですし、事が大袈裟になるのも嫌だったので」
「はぁ……」
それ位、王太子であれば当然だろうにと、セレナが曖昧に頷いていると、クライブが笑いを堪える表情で続けた。
「実は今現在、城の出入りを厳重にして、総保守点検の真っ最中なのです。とても“今まで通り”あなたと会ったり、連絡を取れそうにありませんから」
「左様でございますか……」
(護衛の方々の表情が硬い……。私のせいではありませんから!)
クライブが座っているソファーの背後に控えている騎士達の顔が強張ったのを見て、セレナがいたたまれなくなっていると、ここでフィーネが申し出た。
「クライブ殿下、セレナにお話がおありとの事ですので、私達は遠慮いたしますか?」
「申し訳ない。伯爵夫人は遠慮して欲しいのですが、エリオット君には同席して貰いたいのです。少し今後の事を話したいので」
「それは“次期レンフィス伯爵”に対して、と言う事でしょうか?」
「そうですね」
思わず口を挟んだエリオットと顔を見合わせてから、フィーネは静かに立ち上がり、セレナに場所を譲った。
「承知いたしました。それでは、私は下がらせていただきます。セレナ、エリオット。後は宜しくね?」
「はい」
「話が終わったら、呼びます」
それからセレナはソファーに腰を下ろすや否や、単刀直入に問いかけた。
「ところで殿下。私達にお話とは、一体何でしょうか?」
しかしクライブはそれにすぐには答えず、背後を振り返って騎士達に指示を出した。
「君達、ここは遠慮して貰えるかな?」
「いえ、ですが殿下」
「我々の職務ですので」
「私はもうすぐ、王太子では無くなる身だ。その後の生活について話し合うわけだから、国家機密などでは無いし、第一彼女達が、私を害する事ができるとでも?」
一応、抵抗した騎士達だったが、重ねてクライブに言われた為、困った顔をしながらも頷いた。
「分かりました。それでは私達は、ドアの外で待たせていただきます」
「すまないね」
そんな風に二人を廊下に追いやってから、クライブは改めて申しわけなさそうに頭を下げた。
「無粋な護衛をぞろぞろ引き連れて来てしまって、すみません」
「いいえ、あの方達も職務でしょうからお気遣い無く。殿下、この間に色々と分不相応な贈り物を頂きまして、ありがとうございました」
「気にしないでください。生地はドレスの代わりですし、宝飾品はかなり控え目な物を贈りましたから」
そんなやり取りをしていると、ただでさえ苛ついていたのか、エリオットが半ば強引に会話に割り込んできた。
「殿下、私から幾つかお尋ねしても宜しいでしょうか?」
「エリオット!」
「ええ、構いませんよ?」
「先程仰られたように、殿下が王太子位を返上するのは、ほぼ確定したのでしょうか?」
慌ててセレナが窘めたが、エリオットは遠慮無く尋ねた。それにクライブが、事も無げに答える。
「水面下では、その手続きが進んでいます。そうですね……、あとひと月位で、円満にリオネスが王太子に就任する予定です」
「その後にあなたは、対外的には姉様と結婚するのですね?」
「そうですね。“対外的”には」
その含みのある物言いに、エリオットは一層顔付きを険しくしながら、探るように問いを発した。
「それでは、そちらの条件は何でしょうか?」
「条件?」
「姉様と結婚後は、あなたに次期レンフィス伯爵である私の後見をして貰いますが、あなたからの条件は無いのですか?」
ハラハラしながら見守っているセレナの目の前で、エリオットが率直に尋ねると、クライブは落ち着き払って条件を口にした。
「ああ、そういう事ですか……。それでは、こちらの条件としては三つですね」
「その内容について、お聞かせ願えますか?」
「構いません。一つは偽装結婚が前提なので、私専用の寝室を提供して欲しい事。もう一つは、城から私付きの女官を一人連れて来たいと思っているので、ここで侍女として雇ってください」
「殿下付きの女官、ですか?」
思わず微妙な顔付きになったエリオットに、クライブが真顔で続ける。
「ええ。彼女には長い間、私の身の回りの世話をして貰っていました。基本的に私は身の回りの事は自分でできるので、彼女が一人居れば、他の侍女の手を煩わせる事は無いと思います」
それを聞いたエリオットは、納得して頷いた。
「分かりました。それでは殿下の私室と寝室を準備するのは勿論ですが、近くにその女官殿の部屋も整える事にいたしましょう」
「そうして貰えると助かります」
「姉様も、それで構いませんよね?」
「え? え、ええ。大丈夫ではないかしら?」
いきなり意見を求められたセレナが、動揺しながらも頷いたのを見てから、エリオットが話を再開した。
「それでは、三つ目の要求は何でしょうか?」
「それは……」
「何か?」
自分達の顔を見ながら、何故かクライブが口ごもった為、セレナ達は怪訝な顔になった。それを見たクライブが、控え目に言い出す。
「結婚してからレンフィス伯爵家全員が揃って、私の話を聞いてくれる事ですね」
「え?」
「何に関しての話ですか?」
「色々です。その話を聞いた上で、レンフィス伯爵家の皆さんの判断に任せる事になります」
(どういう事なの?)
全く意味が分からない話に、無言でセレナ達が顔を見合わせたが、クライブは冷静に話を進めた。
「それから、私達が生活するのは当面レンフィス伯爵邸になりますが、一代限りの大公として王家直轄領が下賜されるので、そこからの税収は全てレンフィス伯爵家に渡します。それで私と侍女の生活費を賄ってください」
「畏まりました」
(そうか……。やっぱり殿下には、隠していた恋人が存在していたのね。納得できたし、安心したわ。今までまともに面識が無かったのに、殿下が私の事を実は好きだったなんて、あり得ないもの)
清々しい気持ちでセレナが頷くと、ここでクライブが問いかけてきた。
「それから、エリオット君が無事、伯爵位継承を認められたら暁には、あなたはどうするつもりですか?」
「え? どう、とは……」
「あなたにしてみれば目的は達成するわけですし、私は適当な理由を付けて、離婚しても構いません。あなただって、自由に恋愛や結婚をしたいでしょうし」
そんな事を真剣な顔で申し出られて、セレナはすっかり感心した。
(やっぱり殿下は、お優しい方だわ。私なんかに、そんなに気を遣わなくて良いのに。でも名目上でも結婚する相手が、殿下のような思いやりあふれる優しい方で良かったわ)
しみじみとそう考えてから、セレナは笑顔で了承した。
「分かりました。その時にならないと分かりませんが、誰か結婚したい人ができた時には、離婚してください」
「分かりました。それでは離婚云々に関して、一筆書いておきましょうか?」
「いえ、殿下を信用しておりますので。口約束だけで結構です」
セレナは生真面目に頷いたが、クライブは笑顔のまま彼女からエリオットに視線を移した。
「君の姉上はそう言っていますが、次期レンフィス伯爵のご意見は?」
「書面にて頂きたく」
「エリオット!」
「この場合は、彼の方が正しいかな? しっかりした後継者で、何よりですね」
面と向かって言い放った弟をセレナは慌て窘めたが、クライブは全く気分を害した様子は見せずに笑って応じた。
その後は多少の世間話をしてから、クライブはあっさりとレンフィス伯爵邸を後にし、本来の視察をこなして王城に戻った。そして奥へと進むうちに、廊下で偶然にジュリアと鉢合わせする。
「母上、ご機嫌いかがですか?」
「……あなたの顔を見た瞬間、悪くなりました」
「それは申し訳ございません。ああ、そうだ。正式に王太子位を返上して、王族籍から抜ける日程が定まりました。その前にもう一度、セレナを連れてご挨拶に」
しかし目が合った途端、顔を背けた彼女は、クライブの話の途中でさっさと歩き出した。
「あ、王妃様!?」
「さっさといらっしゃい! 何をグズグズしているの!」
「はい!」
付き従っていた女官達が慌てて声をかけたが、ジュリアから一喝された為、彼女達はクライブに一礼してから、慌てて主の後を追った。そんな彼女達の後姿を見送ったクライブが、苦笑交じりに呟く。
「まだ相当怒っていらっしゃるな。まあ、無理もないが」
「殿下……」
「ああ、待たせて悪かったね。急いで行こうか」
(順調に進んでいるな。全く、ここまでトントン拍子に進むとは……。実に的確なアドバイスを遺してくれた、レンフィス伯爵に感謝だな)
護衛に付いている騎士達から同情する眼差しを向けられた為、神妙な顔つきで歩き出しながらも、予想以上に事態が上手く進んでいる為、クライブは内心で満足していた。
「クライブ殿下、お待たせして申し訳ありません。レンフィス伯爵邸にようこそ。歓迎いたします」
入室して恭しくセレナが挨拶すると、クライブがソファーに座ったまま笑顔で声をかけてくる。
「セレナ、急に屋敷に押しかけてしまってすみません。是非ともあなたと、直に話がしたかったものですから」
「私とですか?」
「ええ。ですが、一々予定を立てて訪問するのは面倒ですし、事が大袈裟になるのも嫌だったので」
「はぁ……」
それ位、王太子であれば当然だろうにと、セレナが曖昧に頷いていると、クライブが笑いを堪える表情で続けた。
「実は今現在、城の出入りを厳重にして、総保守点検の真っ最中なのです。とても“今まで通り”あなたと会ったり、連絡を取れそうにありませんから」
「左様でございますか……」
(護衛の方々の表情が硬い……。私のせいではありませんから!)
クライブが座っているソファーの背後に控えている騎士達の顔が強張ったのを見て、セレナがいたたまれなくなっていると、ここでフィーネが申し出た。
「クライブ殿下、セレナにお話がおありとの事ですので、私達は遠慮いたしますか?」
「申し訳ない。伯爵夫人は遠慮して欲しいのですが、エリオット君には同席して貰いたいのです。少し今後の事を話したいので」
「それは“次期レンフィス伯爵”に対して、と言う事でしょうか?」
「そうですね」
思わず口を挟んだエリオットと顔を見合わせてから、フィーネは静かに立ち上がり、セレナに場所を譲った。
「承知いたしました。それでは、私は下がらせていただきます。セレナ、エリオット。後は宜しくね?」
「はい」
「話が終わったら、呼びます」
それからセレナはソファーに腰を下ろすや否や、単刀直入に問いかけた。
「ところで殿下。私達にお話とは、一体何でしょうか?」
しかしクライブはそれにすぐには答えず、背後を振り返って騎士達に指示を出した。
「君達、ここは遠慮して貰えるかな?」
「いえ、ですが殿下」
「我々の職務ですので」
「私はもうすぐ、王太子では無くなる身だ。その後の生活について話し合うわけだから、国家機密などでは無いし、第一彼女達が、私を害する事ができるとでも?」
一応、抵抗した騎士達だったが、重ねてクライブに言われた為、困った顔をしながらも頷いた。
「分かりました。それでは私達は、ドアの外で待たせていただきます」
「すまないね」
そんな風に二人を廊下に追いやってから、クライブは改めて申しわけなさそうに頭を下げた。
「無粋な護衛をぞろぞろ引き連れて来てしまって、すみません」
「いいえ、あの方達も職務でしょうからお気遣い無く。殿下、この間に色々と分不相応な贈り物を頂きまして、ありがとうございました」
「気にしないでください。生地はドレスの代わりですし、宝飾品はかなり控え目な物を贈りましたから」
そんなやり取りをしていると、ただでさえ苛ついていたのか、エリオットが半ば強引に会話に割り込んできた。
「殿下、私から幾つかお尋ねしても宜しいでしょうか?」
「エリオット!」
「ええ、構いませんよ?」
「先程仰られたように、殿下が王太子位を返上するのは、ほぼ確定したのでしょうか?」
慌ててセレナが窘めたが、エリオットは遠慮無く尋ねた。それにクライブが、事も無げに答える。
「水面下では、その手続きが進んでいます。そうですね……、あとひと月位で、円満にリオネスが王太子に就任する予定です」
「その後にあなたは、対外的には姉様と結婚するのですね?」
「そうですね。“対外的”には」
その含みのある物言いに、エリオットは一層顔付きを険しくしながら、探るように問いを発した。
「それでは、そちらの条件は何でしょうか?」
「条件?」
「姉様と結婚後は、あなたに次期レンフィス伯爵である私の後見をして貰いますが、あなたからの条件は無いのですか?」
ハラハラしながら見守っているセレナの目の前で、エリオットが率直に尋ねると、クライブは落ち着き払って条件を口にした。
「ああ、そういう事ですか……。それでは、こちらの条件としては三つですね」
「その内容について、お聞かせ願えますか?」
「構いません。一つは偽装結婚が前提なので、私専用の寝室を提供して欲しい事。もう一つは、城から私付きの女官を一人連れて来たいと思っているので、ここで侍女として雇ってください」
「殿下付きの女官、ですか?」
思わず微妙な顔付きになったエリオットに、クライブが真顔で続ける。
「ええ。彼女には長い間、私の身の回りの世話をして貰っていました。基本的に私は身の回りの事は自分でできるので、彼女が一人居れば、他の侍女の手を煩わせる事は無いと思います」
それを聞いたエリオットは、納得して頷いた。
「分かりました。それでは殿下の私室と寝室を準備するのは勿論ですが、近くにその女官殿の部屋も整える事にいたしましょう」
「そうして貰えると助かります」
「姉様も、それで構いませんよね?」
「え? え、ええ。大丈夫ではないかしら?」
いきなり意見を求められたセレナが、動揺しながらも頷いたのを見てから、エリオットが話を再開した。
「それでは、三つ目の要求は何でしょうか?」
「それは……」
「何か?」
自分達の顔を見ながら、何故かクライブが口ごもった為、セレナ達は怪訝な顔になった。それを見たクライブが、控え目に言い出す。
「結婚してからレンフィス伯爵家全員が揃って、私の話を聞いてくれる事ですね」
「え?」
「何に関しての話ですか?」
「色々です。その話を聞いた上で、レンフィス伯爵家の皆さんの判断に任せる事になります」
(どういう事なの?)
全く意味が分からない話に、無言でセレナ達が顔を見合わせたが、クライブは冷静に話を進めた。
「それから、私達が生活するのは当面レンフィス伯爵邸になりますが、一代限りの大公として王家直轄領が下賜されるので、そこからの税収は全てレンフィス伯爵家に渡します。それで私と侍女の生活費を賄ってください」
「畏まりました」
(そうか……。やっぱり殿下には、隠していた恋人が存在していたのね。納得できたし、安心したわ。今までまともに面識が無かったのに、殿下が私の事を実は好きだったなんて、あり得ないもの)
清々しい気持ちでセレナが頷くと、ここでクライブが問いかけてきた。
「それから、エリオット君が無事、伯爵位継承を認められたら暁には、あなたはどうするつもりですか?」
「え? どう、とは……」
「あなたにしてみれば目的は達成するわけですし、私は適当な理由を付けて、離婚しても構いません。あなただって、自由に恋愛や結婚をしたいでしょうし」
そんな事を真剣な顔で申し出られて、セレナはすっかり感心した。
(やっぱり殿下は、お優しい方だわ。私なんかに、そんなに気を遣わなくて良いのに。でも名目上でも結婚する相手が、殿下のような思いやりあふれる優しい方で良かったわ)
しみじみとそう考えてから、セレナは笑顔で了承した。
「分かりました。その時にならないと分かりませんが、誰か結婚したい人ができた時には、離婚してください」
「分かりました。それでは離婚云々に関して、一筆書いておきましょうか?」
「いえ、殿下を信用しておりますので。口約束だけで結構です」
セレナは生真面目に頷いたが、クライブは笑顔のまま彼女からエリオットに視線を移した。
「君の姉上はそう言っていますが、次期レンフィス伯爵のご意見は?」
「書面にて頂きたく」
「エリオット!」
「この場合は、彼の方が正しいかな? しっかりした後継者で、何よりですね」
面と向かって言い放った弟をセレナは慌て窘めたが、クライブは全く気分を害した様子は見せずに笑って応じた。
その後は多少の世間話をしてから、クライブはあっさりとレンフィス伯爵邸を後にし、本来の視察をこなして王城に戻った。そして奥へと進むうちに、廊下で偶然にジュリアと鉢合わせする。
「母上、ご機嫌いかがですか?」
「……あなたの顔を見た瞬間、悪くなりました」
「それは申し訳ございません。ああ、そうだ。正式に王太子位を返上して、王族籍から抜ける日程が定まりました。その前にもう一度、セレナを連れてご挨拶に」
しかし目が合った途端、顔を背けた彼女は、クライブの話の途中でさっさと歩き出した。
「あ、王妃様!?」
「さっさといらっしゃい! 何をグズグズしているの!」
「はい!」
付き従っていた女官達が慌てて声をかけたが、ジュリアから一喝された為、彼女達はクライブに一礼してから、慌てて主の後を追った。そんな彼女達の後姿を見送ったクライブが、苦笑交じりに呟く。
「まだ相当怒っていらっしゃるな。まあ、無理もないが」
「殿下……」
「ああ、待たせて悪かったね。急いで行こうか」
(順調に進んでいるな。全く、ここまでトントン拍子に進むとは……。実に的確なアドバイスを遺してくれた、レンフィス伯爵に感謝だな)
護衛に付いている騎士達から同情する眼差しを向けられた為、神妙な顔つきで歩き出しながらも、予想以上に事態が上手く進んでいる為、クライブは内心で満足していた。
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