飛んで火に入れば偽装結婚!?

篠原 皐月

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第1章 進退窮まった人々

(5)兄弟の密談

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「兄様」
 弟の、その若干責めるような眼差しに、ラーディスは面白く無さそうに言い返す。
「俺にも……、と言うか母さん以上に、セレナの決めた事について、どうこう言う権利は無いだろう」
「本当にそれで良いんですか?」
「セレナは俺にとっては、大事な義妹だ。それがどうした」
 微妙に気分を害したように兄が言い返した為、エリオットは小さく溜め息を吐いてから話を進めた。

「それなら兄様は、姉様の話をどう思いますか?」
「胡散臭い。この一語に尽きる」
「端的に纏めてくれましたね」
 苦笑するしか無かったエリオットに、ラーディスは眉間にくっきりとシワを刻みながら指摘する。

「義父上の手紙に書いてあった、この結婚に関する殿下のメリットと言うのは、一体何なんだ? 王位継承権を放棄して、王族からも抜ける? あり得ないし、意味が分からん」
「そのあり得ない提案を父様がして、殿下が飲んだわけです。その背景を考えると、何かは全く分かりませんが、父様が殿下の弱みを握っていたとしか思えません」
 真顔で断言したエリオットだったが、それを聞いたラーディスの顔付きが、益々険しい物に変化した。

「脅迫? あの実直な義父上が? それはもっとあり得ないだろう。そもそもその脅迫するネタを、残っている俺達は全く知らないんだぞ? それなのに殿下が、その申し出に律儀に応じる必要は無いよな?」
「そうなんですよね……。だから背景はひとまず置いておいて、純粋にメリットと言うか、殿下がこの話を受けそうな理由を、二つ程考えてみたんですけど……」
「二つもあるのか?」
 本気で驚いたラーディスに対して、エリオットが冷静に説明する。

「まず一つ目は、殿下には以前から、身分の低い秘密の恋人が居て、その人以外と結婚する気は無いから、申し出を受けたって言う可能性です」
「はぁ?」
「僕は直接王太子殿下にお会いした事はありませんから、兄様の感想を聞きたいんですけど、王太子殿下は女癖が悪い方ですか?」
 まだ子供の弟に、そんな事を大真面目に問われたラーディスは、うんざりしながら言葉を返した。

「あのな、エリオット……。その物言いは幾ら何でも、王太子殿下に失礼過ぎるぞ? あの方こそ、真の紳士たる方だ。女性関係で問題を起こす筈が無い」
「僕も、そう聞いています。それに、れっきとした王太子殿下なのに、今まで結婚するどころか、婚約すらされていなかった筈ですよね? どう考えてもおかしくありませんか?」
「それは……、漏れ聞くところによると、王太子殿下のご生母たる王妃陛下が、妃候補のご令嬢方に色々と難癖を付けて、一向に縁談が纏まらないとか。それで最近、両陛下の関係が冷え切っているとの噂も、チラホラ聞こえてはいるが……」
 そこでラーディスが微妙に歯切れ悪く告げると、エリオットが力説してきた。

「だから殿下に以前から意中の方が居て、その方しか妻に迎えたく無いと、生真面目に思い詰めていらっしゃるなら、姉様との偽装結婚の話に乗るのもありえるのでは?」
 その主張に一応納得しつつも、ラーディスは渋面になりながら問い返した。

「だが……、セレナはどうなる?」
「対外的には、殿下の正妻なわけですから、本人が割り切るならそれほど悪い取引では無いと思います。……本人が割り切っても、周りが同調する必要は無いと思いますが」
 言外に、姉が許容範囲でも、自分は嫌がらせの一つ位はしても構わないだろうとの含みを持たせた弟に、ラーディスは思わず小さく笑ってしまった。

「確かにそうだな。取り敢えず、一つ目は分かった。もう一つは何だ?」
 笑いながら何気なく尋ねたラーディスだったが、ここで何故かエリオットは、躊躇う素振りを見せた。

「兄様……。今から何を言っても、怒らないで欲しいんですけど……」
「は? 怒るって、何をだ?」
 いきなり口調を変えた弟に、ラーディスが当惑しながら話の先を促したが、エリオットは煮え切らない言い方を続ける。

「もう一つは、殿下にれっきとした女性の恋人が、いなかった場合の推測なんですけど……」
「だから? その方がセレナの為だとは思うが」
「確かに姉様の為にはなるのかもしれませんけど、ある意味為にならないと言うか、レンフィス伯爵家が迷惑を被る事には、変わらないと言うか」
「くどいぞ、エリオット。お前、普段はそんな回りくどい言い方はしないくせに、何をグダグダ言っている! 考えている事をさっさと言え!」
「実は王太子殿下は男色家で、女性に全く興味がないから今まで悉く縁談を断っていて、そんな殿下の好みど真ん中な兄様がいる我が家からの要請にこれ幸いと便乗して、姉様の夫としてこの家に乗り込んでから、兄様を籠絡するつもりなのかもしれません!」
 兄に一喝されたエリオットが、勢いに任せて推論を叫ぶと、ラーディスは一瞬呆気に取られてから、憤怒の形相で握り拳を振り上げた。

「……エリオット、お前と言う奴はぁぁっ!!」
「ごめんなさい! 一応、正直に言ったけど、鉄拳制裁だけは勘弁して! でも、他に思い当たる節が無いし!!」
「…………っ!」
 真っ青になって両手で自分の頭を抱えたエリオットを見たラーディスは、さすがに殴りつける事などできず、拳を下ろした。するとそれを察したエリオットが、恐る恐る顔を上げながら尋ねてくる。

「あの……、参考までに聞かせて欲しいんですけど……。これまで王太子殿下に口説かれた事は」
「無い!!」
「ですよね……」
 力一杯否定されたエリオットは、それ以上余計な事は言わずに頷いた。すると何とか気を取り直したラーディスが、独り言のように呟く。

「第一、さっきも言ったように、俺が所属しているのは第三小隊だから、主にリオネス殿下の護衛の任に就いていたし、接点なんか殆ど無いに等しいぞ。確かに王城内でリオネス殿下に従っている時に、クライブ殿下をお見かけする事は、それなりにあったがな」
「それならお手上げです。本当に全く分かりません」
「…………」
 そこで難しい顔になった兄弟だったが、すぐに気持ちを切り替え、当面の対策について口にした。

「取り敢えず、様子を見るしかありませんよね? まだ正式に話が纏まるかは分かりませんし」
「確かにそうだな」
「でも、どうなっても、僕は姉様を犠牲にしてまで、伯爵家を継ごうとは思っていません。母様だって、同じ気持ちです」
「ああ、分かってる」
「ですから、犠牲になるのは兄様だけでお願いします」
「おい!」
 弟の容赦ない発言に、思わず声を荒げたラーディスだったが、エリオットは真顔で話を続けた。

「今のはちょっとした冗談ですが、現実問題として、姉様とクライブ殿下の結婚話が持ち上がったとなると、かなり我が家の周囲が物騒になりますよね? クライブ殿下の妃に娘を据えようとしていた貴族や、クライブ殿下にこのまま王太子及び国王になって頂かないと困る勢力が、邪魔な姉様を消しにかかる可能性があります」
「そこまでは考えなかったが、確かにそうだな……」
 冷静に指摘されたラーディスが、忽ち真剣な顔になった。その兄にエリオットが、提案を続ける。

「警護の為に新たに傭兵とかを雇ったりしたら、その中に賊が紛れ込む可能性もありますから、やはりここは信頼できる人員で固めるべきではないですか?」
「その通りだな。分かった。領地に早馬を出して、すぐにこっちに出て来れる人間を呼び寄せよう。次期当主のお前の名前で、急いで文書を作ってくれ。夕食前に遣いを出す手配を済ませる」
「分かりました、すぐに取り掛かります!」
 そこでラーディスは早速使用人達の休憩室に向かって、身体が空いていた者に話をつけ、エリオットは自室で人員を要請する為の文書を書き上げて、夕食前には領地への急使を送り出した。
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