飛んで火に入れば偽装結婚!?

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
2 / 51
第1章 進退窮まった人々

(1)切羽詰まった事情

しおりを挟む
 謹厳実直を絵に描いたような父親が、半年程病臥した末、呆気なくこの世を去ってひと月足らず。未だ服喪期間であるセレナは、黒衣で王城を訪れていた。
 病で職を辞する前、伯爵である父親が官吏としても勤務していた場所ではあるが、その内務局とは異なる王太子殿下の執務室に出向くなど、勿論初めての事であり、黒一色の出で立ちで人目を集めてしまった事も相まって、部屋に通された時点で既に彼女の緊張はピークに達しかけていた。

「お待たせしました、セレナ嬢。このような場所で、妙齢のご婦人をお一人でお待たせして、誠に申し訳ありません」
 執務室から何部屋かを隔てて設けられている各種陳情などを受ける部屋に、自分とそれほど年が違わない、王太子であるクライブが現れた時、セレナは緊張しながらも立ち上がって礼儀正しく頭を下げた。

「いえ、殿下のご都合をお伺いしましたが、これほど早く、しかもお手紙を差し上げた翌々日にお時間を割いていただけるとは、予想だにしておりませんでした。お仕事の合間であれば、こちらに通されるのも当然です。重ねて、お礼を申し上げます」
「恐縮される事はありません。亡きお父上のレンフィス伯爵は、長らく官吏として父の執政を助けて下さった方。立場上、気安く弔問には出向けませんでしたが、ご遺族には直にお悔やみを言いたかったのです。本当に、惜しい方を亡くしました」
「ありがとうございます。そのお言葉だけで、十分でございます。父も満足でございましょう」
 身振りで促され、クライブに続いて元通り椅子に座ったセレナは、彼が心から父の死を悼んでくれているのを感じ取った。それとは真逆に、虎視眈々と自家の乗っ取りを企んでいる親族達の、わざとらしい弔辞を思い出してしまった彼女は、思わず落涙しそうになった。

(本当に王太子殿下は、紳士でいらっしゃるのね。あのろくでなし揃いの親戚連中とは違って、本当に父を惜しんで下さっているのが分かる……。お父様の遺言通り、この話を殿下に持ってきて正確だったわ)
 そして気合いだけで涙が零れ落ちるのを防ぎつつ、ともすれば女性的な顔立ちで覇気にかけると陰口を叩かれている、柔和な印象の整った顔を凝視する。

(我が家の事でお手数を煩わせるのは、本当に不本意なのだけど……。殿下におすがりしなかったら、レンフィス伯爵家をどれだけ食い荒らされる事になるか分からないもの。じめじめしていないで、しっかりしなさい、セレナ。これからが正念場よ)
 心の中で自分自身にそう言い聞かせていると、クライブが穏やかに声をかけてきた。

「それで、あなたのご用件とは何でしょうか?」
「まずはこちらです。父から王太子殿下と国王陛下に、お手紙を預かっております」
 そう言いながら持参したハンドバッグを開け、セレナが中から二通の封書を取り出すと、彼は困惑した顔になった。

「私にですか?」
「はい。何故か亡くなる前に父から『私が死んだら必ず誰の手も介する事なく、お二方に手渡すように』と厳命されました。さすがに陛下に直にお渡しするのは不可能なので、殿下からお渡ししていただけないでしょうか?」
 差し出されたそれらの封書に、まぎれもなく自分の名前と、父である国王の名前が記されているのを確認したクライブは、そのまま二通を受け取りながら、怪訝な顔で問いを重ねた。

「それは構いませんが……、この手紙の内容を、あなたはご存知ですか?」
 その問いかけに、セレナが固い表情で頷く。
「聞かされてはおりませんが、おそらく、私がこれからお願いする内容に関してだと推察します」
「そうですか。それではまず、あなたのお話を聞かせていただきましょう」
 頷いて取り敢えず封書を目の前に置き、話を聞く態勢になったクライブに、セレナは慎重にレンフィス伯爵家の実情を語り始めた。

「殿下は今現在の、我が家の家族構成をご存じでしょうか?」
「その……、時折お見かけしたり、噂を耳にする限りですが……」
「亡くなった父と前妻との間の娘である私の他は、父の後妻に入った継母と、彼女の連れ子の義兄と、彼女が生んだ異母弟になります」
「そうみたいですね。その……、セレナ嬢? 気を悪くしないで欲しいのですが……」
 記憶を探りながら微妙に言葉を濁した相手に対し、セレナは溜め息を吐いてから説明を続けた。

「殿下。仰りたい事は分かっておりますので、口に出されなくても結構です」
「そうですか?」
「と言うか、殿下の口から言われたら『仮にも王族でいらっしゃいますのに、随分と見た目と噂に惑わされておいでですのね。目が相当な節穴で、耳が風通しの良すぎる洞穴とお見受けします』と暴言を吐いた上で、平手の一つもお見舞いしたくなりますので」
 真顔に加えて切実な口調で訴えられたクライブは、思わずぼそりと呟いた。

「……もう言っていますが」
「殿下、何か仰いましたか?」
「いえ、独り言です。しかし何というか……、あなたを以前、夜会等でお見かけした時とは、随分印象が違うようにお見受けしますが……」
 さり気なく誤魔化しつつ、数多く顔を合わせた事は無かったものの、色々と話題に事欠かない家であった為、クライブの記憶の片隅には、彼女の姿と印象が残っていた。その正直な感想を聞いたセレナの顔が、自嘲気味に歪む。

「私は『性悪な継母に虐げられている、無口で無表情なご令嬢』でしたか?」
「ええと……、正直に言わせていただければ、そんな感じです。実際には異なるみたいですが」
 その素朴な疑問に、セレナが首を振って答える。

「それは出向く先々で、継母や義兄や異母弟の事を悪しざまに言われて、毎回腹を立てていたからです。余計な事を口にしたら、先程のような悪口雑言を垂れ流る可能性がありましたので、どこでも必要最低限の会話だけして我慢していたら、いつしかそうなっておりました」
「そうでしたか……。それではご家族仲は、良好だと仰る?」
「その通りです。でもそう口にしたらしたで、『気の毒に洗脳されたか』とか『脅迫されている』とかろくでもない方向に邪推されて、大抵の方には信じて貰えません」
 淡々とそんな説明をされたクライブは、(何なんだ、その曲解ぶりは)と呆れ返った。と同時に、彼女がここに出向いてきた理由を確信する。

「難儀な事ですね……。そうなるとあなたがここに来た理由は、やはりレンフィス伯爵位の継承に関してですか」
「その通りです。誠に申し訳ありませんが、王太子殿下のご助力をお願いします。義兄は父の養子にはなっていますが、血の繋がりが無いので継承権はありません。私は女なので、当然継承権はありませんし、異母弟は今現在十歳で、正式に継承を認められる年齢ではありません」
「そのような事例なら、本来ならば一族の中から、異母弟殿が継承を認められる年齢になるまで当主代行を立てて、伯爵家を取り仕切る事になるのですが」
 話を聞いたクライブが、難しい顔になりながら通常の措置内容を口にした途端、セレナが怒りの形相でテーブルを拳で叩きつつ、彼に訴えた。

「あんな外面だけ良くて、品性下劣な輩に好き勝手させたら、忽ちレンフィス伯爵家は立ちゆかなくなります! 第一、これまでも寄ってたかって継母や義兄を叩き出そうとすると同時に、私の夫にと自分自身や息子を売り込んできた馬鹿どもですよ!? そんなのに当主代行なんかさせた場合、一年以内に継母と義兄と異母弟は、綺麗さっぱり後腐れなく消されますわ!」
「あの、セレナ嬢の主張は良く分かりましたから、取り敢えず落ち着いてください」
 驚いた表情になったクライブから宥められて、セレナは瞬時に頭を冷やし、先程の暴言を詫びた。

「取り乱して、誠に申し訳ありません。そういう事情があるものですから、父が余命幾ばくも無い事を医師から宣告された時、即刻父にその事実を告げた上で、『亡くなった後、エリオットが円満に爵位継承できる手段を考えて下さい』と迫りました。……後で弟に、『あの時の姉様の顔が怖かった』と、暫く怯えられましたが」
「確かに、余命幾ばくも無い方に、容赦なく余命宣告をした上で、自らが死んだ後の事についての判断を無理強いするのは、どうかと思いますね……」
 最後は微妙に視線を逸らしながら告げたセレナを見て、クライブは遠い目をしてしまった。そんな彼に、素早く気を取り直したセレナが、冷静に話を続ける。

「そうしましたら数日後、父から『私が死んだら、これを持って王太子殿下の所に行きなさい』と指示を受けたのです」
「それが、この手紙というわけですか」
「はい。『その中に継承問題を解決する策が書いてあるから、安心しなさい』とも言っておりました」
「それでは今、読ませてもらいます」
「お願いします」
 そこでクライブは立ち上がり、室内に設置してある机の引き出しからペーパーナイフを取り出し、自分宛ての封書を開封した。そして椅子に戻ってから、折り畳まれた何枚もの便箋を取り出し、真剣な面持ちで目を通し始める。

(でもお父様は、本当にあれに何を書いたのかしら? 義兄様やエリオットを無理やりレンフィス伯爵家の当主にしようとしても明らかに国法違反だし、王太子殿下自ら、そんな事に手を貸して下さる筈もないのに)
 無言で読み進めているクライブの様子を時折盗み見ながら、不安で一杯になっていたセレナは、緊張感に耐えきれず、俯いて涙を堪えた。

(だけど親族の中に、当主代行を安心して任せられる人間なんかいないし……。もう、どうやってこの状況を解決しろって言うの? お父様の馬鹿。どうしてこんなに早く、死んでしまったのよ……)
 そんな風にセレナが心の中で亡き父に愚痴を零している間に、状況が劇的に変化した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?

つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです! 文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか! 結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。 目を覚ましたら幼い自分の姿が……。 何故か十二歳に巻き戻っていたのです。 最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。 そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか? 他サイトにも公開中。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

処理中です...