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第2章 穏やかな新婚生活?
(12)握手会勃発
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翌朝、朝食を済ませてから身支度を整えたセレナ達は、中庭に揃えられた馬車や馬の前で、見送りに出たドーシュ一家と使用人の面々に対して、別れの挨拶をした。
「それでは皆様、お世話になりました」
「とても快適に、過ごす事ができました」
「お褒めの言葉をいただき、恐縮でございます。今後も機会があれば、私どもの宿屋をご利用くださいませ」
セレナとクレアの台詞にドーシュが笑顔で応えたまでは予想通りだったが、ここでかなり恐縮気味ではあったが、カエラがセレナに申し出た。
「それで、あの……。セレナ様」
「はい、どうかしましたか?」
「誠に不躾ではございますが、セレナ様に娘と握手していただけないかと思いまして。部屋係の者から話を聞いて、娘が羨ましがっているものですから……」
そう言ってからカエラは自分の斜め後ろに控えているジュリアを困り顔で眺め、セレナは事情を察した。
(ああ、昨日の女の子ね……。あの様子だと率先して吹聴したとは思えないから、随分喜んでいたから同僚達に理由を聞かれて、正直に喋ってしまったのかしら? いずれにしても、ここで断ったら彼女が後から苛められそうだし、握手くらいどうって事は無いわね)
そんな風に考えを巡らせたセレナは、カエラの申し出に快諾した。
「構いません。私で良ければ、どなたとでも握手致しますのでご遠慮なく。私と握手しても、大して運が良くなるとも思えませんが」
「まあ、とんでもございません! とても光栄な事ですわ! ジュリア、ほら、早く前に出なさい! 皆も来て、一列に並んで! セレナ様は、誰とでも握手してくださるそうよ!」
「本当ですか!?」
「嬉しい!」
「ありがとうございます!」
「え?」
カエラが嬉々として娘に声をかけると同時に、その背後から使用人達が歓喜の叫びを上げながら駆け寄って来るのを認め、その予想外の事態にセレナの顔が僅かに引き攣った。しかしジュリアはそれに気づかない様子でセレナの手を握り、感極まった面持ちで告げてくる。
「セレナ様、ありがとうございます! 私、今日の事は、一生忘れませんわ!」
「ええ……。私も今日の事は、一生忘れられなくなりそうです」
そしてセレナとの握手の為の、順番待ちの列が形成されるのを眺めながら、クレアは彼女に同情の眼差しを送った。
(あらあら、セレナさんは災難ね。だけど昨日あの場で、彼女の頼みを拒否するのは気の毒だったし、仕方が無いか)
そんな事を考えていた彼女に、恐る恐るといった感じで声をかけてきた者がいた。
「あの……、大公様」
「はい、どうかしましたか?」
反射的に振り返ったクレアだったが、相手がどうも宿の下働きの男性らしいのを見てとって怪訝な顔になった。すると彼は勇気を振り絞った様子で、言葉を継いだ。
「申し訳ありませんが、私と握手して貰えないでしょうか? 大公様と握手して貰えたら色々と運が上向いて、運命の女性とも巡り会える気がしますので」
「……え?」
思わずクレアは面食らって瞬きしたが、その彼に周囲から一斉に非難の声が上がる。
「ずるいぞ、トーマス!」
「そうだ! 抜け駆けするな!」
「俺達だって握手をして貰いたいが、さすがにまずいだろうと自重していたのに!」
そんな揉め始めた使用人達からクレアに視線を戻したドーシュは、面目なさげに頭を下げた。
「申し訳ありません。うちの独り身の者達がお騒がせを」
「いえ、私と握手して気が済むのなら、セレナと同様に皆さんと握手致しますよ? どうぞご遠慮なく」
「本当ですか?」
「ええ。並んでいただければ、順番に握手しますので」
これまでの王族としての生活で、社交辞令と人身掌握術を完全に身に付けていたクレアは、あっさりとトーマスからの要求に頷いた。それを聞いたドーシュが安堵しながら背後に向き直り、使用人達に声をかける。
「お前達、聞いたか? 大公様のご厚意で握手していただけるぞ。行儀良く、一列に並びなさい」
「本当ですか!?」
「偉い! トーマス、良く言った!」
「お前がまず一番に並べ!」
「文句なしに、お前が功労者だ!」
そして囃し立てる同僚達から列の一番先頭に押し出されたトーマスに、クレアは穏やかに微笑みながら右手を伸ばした。
「それでは、トーマスさんでしたね?」
「はっ、はいっ! 誠におそれ多い事で、申し訳ありません! それにこんな武骨な薄汚い手で、恥ずかしいです」
「何も恥ずかしい事はありませんよ? 私と握手して運が向いて来るかどうかは確約できませんが、あなたのような日々懸命に働いているのが分かる手をお持ちの方なら、きっとその努力は報われると思います。頑張ってください」
「ありがとうございます、大公様。こんな下働きの人間にまで、そんな優しい言葉をかけてくださるなんて……。これまで以上に頑張って働きます!」
握られた手が常に力仕事をしていると分かる、硬い豆だらけの手だった事にクレアは感心し、かつ好感を覚えながら言葉をかけた。それに感動したらしいトーマスが涙ぐみ、手を離した彼の肩をドーシュが激励するように軽く叩く。
「良かったな、トーマス」
「はい、旦那様」
「それでは次の方は、名前は何と仰いますか?」
そしてクレアは、次に緊張した面持ちで立っている男性に声をかけた。
「はいっ! 私は厨房で見習いをしている、ジエンと申します!」
「そうですか。昨日と今日、美味しい料理をありがとうございました」
「そんな……。本来なら元王族の大公様に、間違っても出せるような代物ではありませんのに」
そんな風にセレナが強張った笑みを浮かべ、クレアが慣れた様子で一人ずつ握手しながら言葉を交わしているのを眺めるしか無かった面々は、半ば呆れながら囁き合っていた。
「……何なんでしょうね、この握手会」
「あのさぁ、さっきから列の人間が、徐々に増えている気がしないか? どう考えてもおかしいだろ?」
「絶対、宿の人間以外の連中が、列に紛れ込んでるよな?」
「大方、大公夫妻に握手して貰ったと、宿の連中が感激のあまり周囲に触れ回っているんじゃないのか?」
「これってまずくありませんか?」
「やっぱり話を通しておくのは、ラーディスの仕事だよな?」
護衛達が意見を交わす中、名前を上げられたラーディスが途端に渋面になった。
「どうして俺なんだよ?」
「だって俺達とは違って、お前はレンフィス伯爵家の一員だし」
「一応、今回の警備の責任者だしな」
「そういう訳だから、宜しく!」
「……分かった」
全く反論できなかったラーディスは溜め息を一つ吐いてから、自分達以上に予想外の事態に困惑しているであろう二人のもとへ向かった。
「パトリック殿、コニー殿。お二人は大公夫妻の安全を確保する名目でこちらに派遣されているのは、重々理解しています。それを考えると、あのようにお二人の回りに不特定多数の人間が群がる事が、好ましくないと思われる事も」
「確かにそうだが……」
「今更中止させたら、それこそ暴動が起きないか?」
その指摘に、ラーディスは力強く頷く。
「その通りです。元はと言えば本人達が了承した事なので、警戒を怠らないまま最後まで黙って温かく見守っていただければ幸いです」
「そうだな」
「私達もそう思うよ」
「宜しくお願いします」
そうして一応筋を通したラーディスは、仲間達の所に戻って的確に指示を出した。
「話はつけてきた。黙って傍観してくれるそうだ。その代わり、間違っても変な人間を近づけさせるなよ?」
「了解」
「じゃあさりげなく列の整理を手伝いながら、変な物を持っていないか探っておきますか」
「あと宿の人間に頼んで、見慣れない人間がいないかチェックして貰います」
「私は、積み込んだ荷物の再確認をしておきます。このどさくさで盗みでも働かれたら、目も当てられません」
そして同僚達が手分けして散って行くのを見ながら、彼は頭の中で今日の旅程を思い描いた。
(やれやれ、出発予定からどれだけ遅れる事になるのやら。途中で時間調整が必要かな?)
結局、出発予定時刻よりかなり過ぎてから、バルド大公一行はかなりの数の群衆に見送られて、その街を後にした。そして街道を走りながら、パトリックがコニーに尋ねる。
「今日は昨日より、少しペースが速いかな?」
その疑問に、コニーが同意を示す。
「出発するまでに、あれだけ時間がかかってしまったからな。ラーディスの指示で、進行速度を速めているんだろう」
「確かに日暮れまでに、今日の宿泊予定地まで到着できなかったらまずいが、このペースなら大丈夫そうだな」
「ああ。これ以上スピードを上げると、馬車の乗り心地もさすがに悪くなるだろうし」
「しかし今日の宿泊先でも、今朝のような握手会が勃発するだろうか?」
「…………」
そこで何気なくパトリックが口にした疑問に、コニーは思わず無言になった。
その後、暫く馬を走らせてから、一行は街道筋の林に入って休憩する事になった。
「よし、ここで小休止。馬を休ませておけ。各自、水分は取っておく事」
「了解」
「ほら、この木に馬を繋いでおけ」
各自がそれぞれ動き回る中、ラーディスは木製の器に水を入れたものを2つ受け取り、パトリックとコニーに歩み寄った。
「パトリック殿、コニー殿、飲み物をどうぞ」
「ありがとう」
「そう言えばご夫妻は、まだ馬車から降りていらっしゃらないのかな?」
「ネリアが呼びに行った筈ですが……」
そんな会話をしながら器を受け渡ししていると、話題に出したネリアが、馬車からラーディスに向かってやって来た。
「ラーディス様、ちょっと良いですか?」
「どうした」
「クライブ様とセレナ様ですが、馬車の中で熟睡されています」
「………………」
その報告を聞いたパトリックとコニーは無言で顔を見合わせ、ラーディスは彼女に念を押した。
「熟睡……。具合が悪いわけでは無いんだな?」
「そうみたいです。声をかけて起こした方が良いですか?」
「無理に起こさなくても良いだろう。どうせ寝不足だろうから、寝かせておけ。昼には起こすから」
「分かりました」
些かなげやりにネリアに指示を出してから、ラーディスはパトリック達に向き直った。
「すみません。どうも最近、二人で遅くまで起きている事が多いらしく。朝食の席でも、微妙に眠そうな顔をしていましたから、ちゃんと睡眠を取ったのか怪しんでいたのですが」
(全く、あの二人。ただでさえ旅で疲れる筈だから、ちゃんと睡眠は取っておくようにあれほど言っておいたのに。どうせ領地に行ったらあれを食べよう、あそこに行こうなどと計画を立てて、盛り上がっていたに決まっている)
憮然としながら説明したラーディスだったが、対する二人は微妙に引き攣った笑顔で応じる。
「あ、あはははは……。それはまあ、少々寝不足でも仕方がないのではないかな?」
「そうだな。何と言っても新婚だし、仲が良いのは結構な事だと思う」
「……それでは失礼します」
自分の発言が、相手に妙な誤解を与えてしまった事をラーディスはすぐに察したが、熱愛夫婦のカモフラージュとしては正解だろうと判断し、言葉少なに彼らから離れた。
「それでは皆様、お世話になりました」
「とても快適に、過ごす事ができました」
「お褒めの言葉をいただき、恐縮でございます。今後も機会があれば、私どもの宿屋をご利用くださいませ」
セレナとクレアの台詞にドーシュが笑顔で応えたまでは予想通りだったが、ここでかなり恐縮気味ではあったが、カエラがセレナに申し出た。
「それで、あの……。セレナ様」
「はい、どうかしましたか?」
「誠に不躾ではございますが、セレナ様に娘と握手していただけないかと思いまして。部屋係の者から話を聞いて、娘が羨ましがっているものですから……」
そう言ってからカエラは自分の斜め後ろに控えているジュリアを困り顔で眺め、セレナは事情を察した。
(ああ、昨日の女の子ね……。あの様子だと率先して吹聴したとは思えないから、随分喜んでいたから同僚達に理由を聞かれて、正直に喋ってしまったのかしら? いずれにしても、ここで断ったら彼女が後から苛められそうだし、握手くらいどうって事は無いわね)
そんな風に考えを巡らせたセレナは、カエラの申し出に快諾した。
「構いません。私で良ければ、どなたとでも握手致しますのでご遠慮なく。私と握手しても、大して運が良くなるとも思えませんが」
「まあ、とんでもございません! とても光栄な事ですわ! ジュリア、ほら、早く前に出なさい! 皆も来て、一列に並んで! セレナ様は、誰とでも握手してくださるそうよ!」
「本当ですか!?」
「嬉しい!」
「ありがとうございます!」
「え?」
カエラが嬉々として娘に声をかけると同時に、その背後から使用人達が歓喜の叫びを上げながら駆け寄って来るのを認め、その予想外の事態にセレナの顔が僅かに引き攣った。しかしジュリアはそれに気づかない様子でセレナの手を握り、感極まった面持ちで告げてくる。
「セレナ様、ありがとうございます! 私、今日の事は、一生忘れませんわ!」
「ええ……。私も今日の事は、一生忘れられなくなりそうです」
そしてセレナとの握手の為の、順番待ちの列が形成されるのを眺めながら、クレアは彼女に同情の眼差しを送った。
(あらあら、セレナさんは災難ね。だけど昨日あの場で、彼女の頼みを拒否するのは気の毒だったし、仕方が無いか)
そんな事を考えていた彼女に、恐る恐るといった感じで声をかけてきた者がいた。
「あの……、大公様」
「はい、どうかしましたか?」
反射的に振り返ったクレアだったが、相手がどうも宿の下働きの男性らしいのを見てとって怪訝な顔になった。すると彼は勇気を振り絞った様子で、言葉を継いだ。
「申し訳ありませんが、私と握手して貰えないでしょうか? 大公様と握手して貰えたら色々と運が上向いて、運命の女性とも巡り会える気がしますので」
「……え?」
思わずクレアは面食らって瞬きしたが、その彼に周囲から一斉に非難の声が上がる。
「ずるいぞ、トーマス!」
「そうだ! 抜け駆けするな!」
「俺達だって握手をして貰いたいが、さすがにまずいだろうと自重していたのに!」
そんな揉め始めた使用人達からクレアに視線を戻したドーシュは、面目なさげに頭を下げた。
「申し訳ありません。うちの独り身の者達がお騒がせを」
「いえ、私と握手して気が済むのなら、セレナと同様に皆さんと握手致しますよ? どうぞご遠慮なく」
「本当ですか?」
「ええ。並んでいただければ、順番に握手しますので」
これまでの王族としての生活で、社交辞令と人身掌握術を完全に身に付けていたクレアは、あっさりとトーマスからの要求に頷いた。それを聞いたドーシュが安堵しながら背後に向き直り、使用人達に声をかける。
「お前達、聞いたか? 大公様のご厚意で握手していただけるぞ。行儀良く、一列に並びなさい」
「本当ですか!?」
「偉い! トーマス、良く言った!」
「お前がまず一番に並べ!」
「文句なしに、お前が功労者だ!」
そして囃し立てる同僚達から列の一番先頭に押し出されたトーマスに、クレアは穏やかに微笑みながら右手を伸ばした。
「それでは、トーマスさんでしたね?」
「はっ、はいっ! 誠におそれ多い事で、申し訳ありません! それにこんな武骨な薄汚い手で、恥ずかしいです」
「何も恥ずかしい事はありませんよ? 私と握手して運が向いて来るかどうかは確約できませんが、あなたのような日々懸命に働いているのが分かる手をお持ちの方なら、きっとその努力は報われると思います。頑張ってください」
「ありがとうございます、大公様。こんな下働きの人間にまで、そんな優しい言葉をかけてくださるなんて……。これまで以上に頑張って働きます!」
握られた手が常に力仕事をしていると分かる、硬い豆だらけの手だった事にクレアは感心し、かつ好感を覚えながら言葉をかけた。それに感動したらしいトーマスが涙ぐみ、手を離した彼の肩をドーシュが激励するように軽く叩く。
「良かったな、トーマス」
「はい、旦那様」
「それでは次の方は、名前は何と仰いますか?」
そしてクレアは、次に緊張した面持ちで立っている男性に声をかけた。
「はいっ! 私は厨房で見習いをしている、ジエンと申します!」
「そうですか。昨日と今日、美味しい料理をありがとうございました」
「そんな……。本来なら元王族の大公様に、間違っても出せるような代物ではありませんのに」
そんな風にセレナが強張った笑みを浮かべ、クレアが慣れた様子で一人ずつ握手しながら言葉を交わしているのを眺めるしか無かった面々は、半ば呆れながら囁き合っていた。
「……何なんでしょうね、この握手会」
「あのさぁ、さっきから列の人間が、徐々に増えている気がしないか? どう考えてもおかしいだろ?」
「絶対、宿の人間以外の連中が、列に紛れ込んでるよな?」
「大方、大公夫妻に握手して貰ったと、宿の連中が感激のあまり周囲に触れ回っているんじゃないのか?」
「これってまずくありませんか?」
「やっぱり話を通しておくのは、ラーディスの仕事だよな?」
護衛達が意見を交わす中、名前を上げられたラーディスが途端に渋面になった。
「どうして俺なんだよ?」
「だって俺達とは違って、お前はレンフィス伯爵家の一員だし」
「一応、今回の警備の責任者だしな」
「そういう訳だから、宜しく!」
「……分かった」
全く反論できなかったラーディスは溜め息を一つ吐いてから、自分達以上に予想外の事態に困惑しているであろう二人のもとへ向かった。
「パトリック殿、コニー殿。お二人は大公夫妻の安全を確保する名目でこちらに派遣されているのは、重々理解しています。それを考えると、あのようにお二人の回りに不特定多数の人間が群がる事が、好ましくないと思われる事も」
「確かにそうだが……」
「今更中止させたら、それこそ暴動が起きないか?」
その指摘に、ラーディスは力強く頷く。
「その通りです。元はと言えば本人達が了承した事なので、警戒を怠らないまま最後まで黙って温かく見守っていただければ幸いです」
「そうだな」
「私達もそう思うよ」
「宜しくお願いします」
そうして一応筋を通したラーディスは、仲間達の所に戻って的確に指示を出した。
「話はつけてきた。黙って傍観してくれるそうだ。その代わり、間違っても変な人間を近づけさせるなよ?」
「了解」
「じゃあさりげなく列の整理を手伝いながら、変な物を持っていないか探っておきますか」
「あと宿の人間に頼んで、見慣れない人間がいないかチェックして貰います」
「私は、積み込んだ荷物の再確認をしておきます。このどさくさで盗みでも働かれたら、目も当てられません」
そして同僚達が手分けして散って行くのを見ながら、彼は頭の中で今日の旅程を思い描いた。
(やれやれ、出発予定からどれだけ遅れる事になるのやら。途中で時間調整が必要かな?)
結局、出発予定時刻よりかなり過ぎてから、バルド大公一行はかなりの数の群衆に見送られて、その街を後にした。そして街道を走りながら、パトリックがコニーに尋ねる。
「今日は昨日より、少しペースが速いかな?」
その疑問に、コニーが同意を示す。
「出発するまでに、あれだけ時間がかかってしまったからな。ラーディスの指示で、進行速度を速めているんだろう」
「確かに日暮れまでに、今日の宿泊予定地まで到着できなかったらまずいが、このペースなら大丈夫そうだな」
「ああ。これ以上スピードを上げると、馬車の乗り心地もさすがに悪くなるだろうし」
「しかし今日の宿泊先でも、今朝のような握手会が勃発するだろうか?」
「…………」
そこで何気なくパトリックが口にした疑問に、コニーは思わず無言になった。
その後、暫く馬を走らせてから、一行は街道筋の林に入って休憩する事になった。
「よし、ここで小休止。馬を休ませておけ。各自、水分は取っておく事」
「了解」
「ほら、この木に馬を繋いでおけ」
各自がそれぞれ動き回る中、ラーディスは木製の器に水を入れたものを2つ受け取り、パトリックとコニーに歩み寄った。
「パトリック殿、コニー殿、飲み物をどうぞ」
「ありがとう」
「そう言えばご夫妻は、まだ馬車から降りていらっしゃらないのかな?」
「ネリアが呼びに行った筈ですが……」
そんな会話をしながら器を受け渡ししていると、話題に出したネリアが、馬車からラーディスに向かってやって来た。
「ラーディス様、ちょっと良いですか?」
「どうした」
「クライブ様とセレナ様ですが、馬車の中で熟睡されています」
「………………」
その報告を聞いたパトリックとコニーは無言で顔を見合わせ、ラーディスは彼女に念を押した。
「熟睡……。具合が悪いわけでは無いんだな?」
「そうみたいです。声をかけて起こした方が良いですか?」
「無理に起こさなくても良いだろう。どうせ寝不足だろうから、寝かせておけ。昼には起こすから」
「分かりました」
些かなげやりにネリアに指示を出してから、ラーディスはパトリック達に向き直った。
「すみません。どうも最近、二人で遅くまで起きている事が多いらしく。朝食の席でも、微妙に眠そうな顔をしていましたから、ちゃんと睡眠を取ったのか怪しんでいたのですが」
(全く、あの二人。ただでさえ旅で疲れる筈だから、ちゃんと睡眠は取っておくようにあれほど言っておいたのに。どうせ領地に行ったらあれを食べよう、あそこに行こうなどと計画を立てて、盛り上がっていたに決まっている)
憮然としながら説明したラーディスだったが、対する二人は微妙に引き攣った笑顔で応じる。
「あ、あはははは……。それはまあ、少々寝不足でも仕方がないのではないかな?」
「そうだな。何と言っても新婚だし、仲が良いのは結構な事だと思う」
「……それでは失礼します」
自分の発言が、相手に妙な誤解を与えてしまった事をラーディスはすぐに察したが、熱愛夫婦のカモフラージュとしては正解だろうと判断し、言葉少なに彼らから離れた。
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