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第2章 穏やかな新婚生活?
(2)逡巡
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宣言通り、クレアは毎日早寝早起きを心がけ、早朝から厨房に出向いて下働きをさせて貰っていた。
刃物の使い方に慣れたら、実際の調理の指導をするという話になっており、クレアはそれに文句を付ける事もなく、厨房の外で丸椅子に座って根菜の皮むきに励んでいると、籠から手に取ろうとした芋が零れ落ちる。
「よし、これはなかなか上手くできたわね。次はこれ……、あ、ちょっと待って!」
慌てて刃物を置き、コロコロと転がった芋を追いかけようとしたクレアだったが、その芋を素早く近寄ったラーディスが拾い上げ、彼女に手渡しながら呆れ気味に告げる。
「そんなに慌てなくても……。芋は走って逃げないぞ?」
「ありがとうございます、ラーディス。起きるのが早いですね。あ、もしかして、今は夜勤の帰りですか?」
「いや、普通に日勤だが……。どう考えても、俺より早く起きているよな?」
その問いかけに、クレアは真顔で首を傾げた。
「料理人の皆さんは、もう厨房内で仕事をしていますよ?」
「そういう事じゃなくてだな」
少々苛ついたようにラーディスが何か言おうとしたところで、厨房に続く扉が開き、料理人の一人が現れる。
「クレアさん、料理長が呼んでいるよ。芋は後で良いから、中で刻んでみて欲しい物があるって」
「はい、分かりました! じゃあラーディス、失礼します」
「……ああ」
皮むき以外の事をさせて貰えると、クレアが喜色満面で立ち上がったのを見て、ラーディスは言葉少なに彼女を見送った。
「もしかしたらと思っていたが……。使用人達の中で、誰か注意する人間はいないのか?」
厨房の裏に一人取り残されたラーディスは、そこで渋面になりながら苛立たしげに自問自答した。
その後朝食の時間になり、彼を含むレンフィス伯爵家の全員が顔を揃えると、フィーネがその日の予定について確認を入れた。
「セレナ、クレアさん。今日の午後は屋敷に、仕立て屋が来るのよね?」
「はい。少々お騒がせします」
「クレアさん、そんな事は気になさらないで。私は未だに社交界での装いには詳しくないので、セレナに適切なアドバイスができませんから、宜しくお願いします」
「分かりました」
そんな会話を交わしながら女二人が頭を下げ合っていると、ラーディスが無意識に忌々しげな呟きを漏らす。
「仕立て屋か……。せっかくの機会だから、誰かついでに話に出せば良いものを……。一体何をやっているんだ」
その様子を視界の隅に捉えたエリオットが、何気無く尋ねる。
「兄様。怖い顔をして、どうかしましたか?」
「……いや、何でもないから気にするな」
「そうですか?」
小首を傾げた弟を無視するようにラーディスは食べ続け、「そろそろ出るから」と一足先に席を立ってから、クレアが困惑顔で他の者に尋ねた。
「あの……、私、ラーディス殿を怒らせるような事を、何かしたでしょうか? 食事の間、時々睨まれていたような気がするのですが……」
それに他の三人は一瞬顔を見合わせてから、あまりフオローにならない事を口にする。
「いえ……、確かに睨まれていたと感じたかもしれませんが、クレアさんがラーディスを怒らせるような事はしていない筈ですよ?」
「第一、義兄様は日中は王宮に出勤していますから、あまりクレアさんと接点はありませし」
「睨んでいるように見えたかもしれませんが、それは兄様の目つきが人より多少悪いだけで、単に目が合っただけかと思いますが」
「……そうでしょうか?」
クレアは益々不思議そうな顔になったが、他の面々も首を傾げただけで、話題はすぐに他の物に取って代わった。
そんな事があった数日後、屋敷の使用人の一人であるティナは、午後に買い出しに出かけた先で意外な人物を見かけた。
(あら、ラーディス様? こんな時間にこんな所で、何をされているのかしら?)
糸や布地を扱う店舗の前で、その出入り口を凝視しつつうろうろしている彼を見てティナは本気で首を傾げたが、すぐに何気なく声をかけた。
「ラーディス様、こんな所で奇遇ですね。お仕事中の時間では無いのですか?」
「ティッ、ティナ! い、いや、俺は別に! 偶々通りかかっただけで、この店に来たわけじゃないからな!?」
弾かれたように振り返った彼の狼狽っぷりと、その弁解がましい台詞に、ティナは軽く眉間に皺を寄せながら言葉を返した。
「……こちらにいらしたのなら、さっさとお入りになれば良いかと思いますが。少々、通行人の邪魔になっているかと」
「だっ、だから、来てはいないと言っているだろうが! 単に通りかかっただけだ! それじゃあな!」
「あ、ラーディス様?」
狼狽しながら叫んだと思ったら、次の瞬間脱兎の勢いで走り去ったラーディスを、ティナは呆気に取られて見送った。
「本当に、どうされたのかしら……。ここら辺一帯は衣料品の問屋街の上、ラーディス様が購入する必要など無い物ばかり取り扱っているのに……」
困惑しながら周囲を見回したティナだったが、それ以上あまり深く考えず、頼まれている買い物先へと向かった。
刃物の使い方に慣れたら、実際の調理の指導をするという話になっており、クレアはそれに文句を付ける事もなく、厨房の外で丸椅子に座って根菜の皮むきに励んでいると、籠から手に取ろうとした芋が零れ落ちる。
「よし、これはなかなか上手くできたわね。次はこれ……、あ、ちょっと待って!」
慌てて刃物を置き、コロコロと転がった芋を追いかけようとしたクレアだったが、その芋を素早く近寄ったラーディスが拾い上げ、彼女に手渡しながら呆れ気味に告げる。
「そんなに慌てなくても……。芋は走って逃げないぞ?」
「ありがとうございます、ラーディス。起きるのが早いですね。あ、もしかして、今は夜勤の帰りですか?」
「いや、普通に日勤だが……。どう考えても、俺より早く起きているよな?」
その問いかけに、クレアは真顔で首を傾げた。
「料理人の皆さんは、もう厨房内で仕事をしていますよ?」
「そういう事じゃなくてだな」
少々苛ついたようにラーディスが何か言おうとしたところで、厨房に続く扉が開き、料理人の一人が現れる。
「クレアさん、料理長が呼んでいるよ。芋は後で良いから、中で刻んでみて欲しい物があるって」
「はい、分かりました! じゃあラーディス、失礼します」
「……ああ」
皮むき以外の事をさせて貰えると、クレアが喜色満面で立ち上がったのを見て、ラーディスは言葉少なに彼女を見送った。
「もしかしたらと思っていたが……。使用人達の中で、誰か注意する人間はいないのか?」
厨房の裏に一人取り残されたラーディスは、そこで渋面になりながら苛立たしげに自問自答した。
その後朝食の時間になり、彼を含むレンフィス伯爵家の全員が顔を揃えると、フィーネがその日の予定について確認を入れた。
「セレナ、クレアさん。今日の午後は屋敷に、仕立て屋が来るのよね?」
「はい。少々お騒がせします」
「クレアさん、そんな事は気になさらないで。私は未だに社交界での装いには詳しくないので、セレナに適切なアドバイスができませんから、宜しくお願いします」
「分かりました」
そんな会話を交わしながら女二人が頭を下げ合っていると、ラーディスが無意識に忌々しげな呟きを漏らす。
「仕立て屋か……。せっかくの機会だから、誰かついでに話に出せば良いものを……。一体何をやっているんだ」
その様子を視界の隅に捉えたエリオットが、何気無く尋ねる。
「兄様。怖い顔をして、どうかしましたか?」
「……いや、何でもないから気にするな」
「そうですか?」
小首を傾げた弟を無視するようにラーディスは食べ続け、「そろそろ出るから」と一足先に席を立ってから、クレアが困惑顔で他の者に尋ねた。
「あの……、私、ラーディス殿を怒らせるような事を、何かしたでしょうか? 食事の間、時々睨まれていたような気がするのですが……」
それに他の三人は一瞬顔を見合わせてから、あまりフオローにならない事を口にする。
「いえ……、確かに睨まれていたと感じたかもしれませんが、クレアさんがラーディスを怒らせるような事はしていない筈ですよ?」
「第一、義兄様は日中は王宮に出勤していますから、あまりクレアさんと接点はありませし」
「睨んでいるように見えたかもしれませんが、それは兄様の目つきが人より多少悪いだけで、単に目が合っただけかと思いますが」
「……そうでしょうか?」
クレアは益々不思議そうな顔になったが、他の面々も首を傾げただけで、話題はすぐに他の物に取って代わった。
そんな事があった数日後、屋敷の使用人の一人であるティナは、午後に買い出しに出かけた先で意外な人物を見かけた。
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「本当に、どうされたのかしら……。ここら辺一帯は衣料品の問屋街の上、ラーディス様が購入する必要など無い物ばかり取り扱っているのに……」
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