きみを見つけた

山鳩由真

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 そのまま仕事先に向かうというユタをロビーで見送り、成井田とさつきは駅に向かって歩き出した。
 実務経験者のユタの話はとても有意義なもので、さつきは興奮を持て余したまま、成井田の横を歩いていた。
「ユタさんの話、リアルだったね。“納まり”のことで施工業者と揉めた話とか」
「そうですね。自分の思想を押し通すためには、相手を説得できる力が必要、とか」
「自信ないな。俺、職人さんにこうした方がいい、って言われたら、きっとあっさり受け入れる。ユタさん、やっぱりすごいよね」
 いつにも増して、さつきは饒舌だった。
 成井田も喜んでくれているようだし、勇気を出してユタにお願いして良かった、とさつきは思っていた。
 無神経なことをしてしまったかと心配したが、ユタは変わらない様子で接してくれている。
 嫉妬しちゃうな、とユタが言ったのは一度きりで、それは本当の嫉妬というよりも、さつきを揶揄って反応を楽しんでいただけなのかもしれなかった。そして、このことの“ご褒美”として要求された普段より濃厚なセックスも、単にこれを口実にしただけなのかもしれなかった。
 ポーカーフェイスのユタの本心を、ただでさえコミュニケーションに難を感じているさつきが察することは不可能に近い。訓練だと言って、時々ユタは「今何を考えているか当ててごらん」とさつきに出題するが、一度たりとて正確に当てられたことはなかった。

「先輩、あの人には、さつきって呼ばれてましたね」
 駅まで断続的に設置された水平型エスカレーターに乗った時、成井田が何気ない様子でさつきに言った。
「う……うん……?」
 口調が平時よりも冷たいように感じて、さつきは少し緊張して成井田を見上げる。
 しかし、成井田の口角が上がっているのを見て、さつきは安堵した。
「名前で呼ばれるの苦手だって、言ってましたけど……。あの人なら、いいんですね」
 そう言われて、さつきは幼い頃のことを思い出した。
 小学校まで、『“さつき”という名前だから“さっちゃん”』と言われ、なんの疑問も抱かずにいた。違和感に気付いたのは小学校高学年になった時だった。クラスメイトも他クラスの友達も、皆名字で呼びあっているのに自分だけが“さっちゃん”と呼ばれていた。それどころか、先生や、低学年の知らない児童すら“さっちゃん”と呼びかけてくる。そのうち、知らない児童同士が自分のことについて話しているのを聞いて、ようやくさつきは理解した。
「さっちゃん、朝礼でまた列からはみ出ててウケた」
「先生に三回くらい注意されてたけど、ずっとはみ出ててさあ。さすがさっちゃんw」
 “さっちゃん”には嘲笑が込められていたのだった。
 その時のことを思い出すと、下の名前で呼ばれるのはやはり、今も苦手だった。
 けれど、ユタが呼んでくれる“さつき”からは、嫌な感じは少しもしない。おそらく、好意を持って呼んでくれていることが解っているからだ。
 嘲笑や侮蔑が含まれず、親愛を持って呼ばれる名前は心地良く耳に響く。
「……苦手……だったんだけど、ユタさんは名前で呼ぶの好きみたいで……。ユタさんが優しく呼んでくれるから、名前で呼ばれるの慣れてきたんだ」
「そう……なんですね」
 成井田の口調は、やはり冷たい感じがした。さつきは少し身構えたが、過敏なせいでそう感じてしまっているのか、それとも本当に成井田が怒っているのか、感じ取ることはできない。自分の回答が間違いでないことを祈りながらもう一度見上げると、にこりと微笑む成井田の顔があり、さつきは胸を撫で下ろした。
 相手の目を見て話すのが苦手なさつきは、成井田の表情を口元のみで判断した。そのため、成井田の瞳に嫉妬が滲んでいたことには気付くことができなかった。

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