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倉庫整理の仕事
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「シルバーはまだ戻ってこないのか?」
禿げた頭を汗で光らせたモリが言った。
窓がないせいで空気がむっと淀んでいる。動かなくても汗が滲む暑苦しさだったが、さらにオレとモリは肉体労働に勤しんでいる。完全に汗だくだ。
「ああ、連絡ひとつ寄こさないな」
シルバーが竜の郷とやらに帰ってひと月ほどが経とうとしていた。
竜の郷がどこにあるのかは分からないが、あいつの脚ならばこの大陸のどこであっても数日の距離だ。
ということは故郷で長期滞在をしているということだ。これは出発前には否定をしていたが、実家の居心地が良くてここにはもう戻らないというパターンが濃厚だ。
それならそれで連絡のひとつでも寄こせと思うのだが、こういうのがシルバーいうところのメンヘラ彼女的な思考だろうか。
どのみち電話もメールもないこの世界じゃ連絡の手段など何もないのだが。
オレはこめかみを伝う汗を手の甲で拭って、そのまま肩を回した。汗で濡れた手の甲が真っ黒になっている。たぶんオレの顔も黒いだろう。
オレとモリが勤しんでいるのは、手広く交易を行っている商人の、倉庫整理の依頼だった。
物を動かす度に埃が舞い上がり、布で鼻と口を覆っていてもくしゃみが止まらない。
前の世界でも似たようなバイトをしてたことがあるなあとか考えながら、オレは無心で荷物を運んでいた。
その時その時の流行りに合わせて取り扱う商品を変えるため、商品に関連する道具も含めて使うものと使わないものの置き換えをする必要が出てくるらしい。
このぐらいの規模の商店だとそれはかなり大掛かりな作業になる。
なんでも香辛料を商いの主力商品に据えることにしたらしく、遠くシージニアへ買い付けを派遣するのだそうだ。
それにともない、旅程で必要になる物や向こうで売る商品を倉庫の奥から引っ張り出す仕事が生まれたわけだ。
「つかモリって、よくよく地味な仕事引き受けてるよな」
冒険者ギルドでもトップクラスの戦闘力を持ちダンジョン探索の経験も多いモリだが、不思議と仕事を選り好みしないところがある。
前回の城壁の修理なんかもそうだがこの倉庫整理も、実入りの良い悪いは別として、熟練冒険者の好む仕事ではない。
「カズにいわれたくはないな」
「オレは危ないのとか怖いのとか嫌だからな」
「そういうわりにはここ最近は大活躍だったじゃないか」
「巻き込まれてるんだよ。リッチの一件なんてオレは完全に被害者だ」
普通ならばオレ程度の冒険者がリッチに遭遇することなどほとんどあり得ない。
それが遭遇してしまったのはルシッドの強引な勧誘(と呼べるかさえ怪しいが)のせいだ。
「だけどお前のお陰でみんな命を拾ったんだろ」
「みんなじゃない」
口角を吊り上げるようなハーフリングの皮肉気な笑顔が思い起こされる。胸の奥底から何かが突き上げてくるような気配を感じて、オレは両手のひらで顔を擦った。
「ヨールのことは残念だった。だけど冒険者がダンジョンに挑めば少なくない割合で死ぬやつは出てくる。それがリッチに遭遇してたった一人の犠牲でリッチを倒してしまうなんざ、奇跡とでもいうしかない僥倖だぞ」
「いや……」
そんな事はない。もしあの場にシルバーがいれば……という言葉をオレは飲み込んだ。あのママチャリはタラレバに引っ張り出すにも規格外過ぎる。
代わりの言葉をオレは口にする。
「一人と、腕一本だ」
オレが言うと、モリは感慨深げに頷いた。
「片腕になっても冒険者続けるヤツなんてルシッドぐらいのもんだろうな」
モリには依頼中に片足を失ったカルドという仲間がいる。パーティを抜けたわけではないが、ダンジョン探索などの依頼には参加していない。
モリの言葉には返事をせず、オレは一度しゃがみこんでから大きな木箱を抱え上げる。
かなり重い。中身は陶製の食器といっていただろうか。
多少雑に扱った程度で割れるような梱包の仕方はしていないだろうけど、一応箱をヘソの上に乗せるように保持して、そおっと運ぶ。
モリがさらに声をかけてくる。
「ルシッドのパーティには入らないのか?」
「入るわけないじゃないか」
「どうしてだ。その仮面の男がまだ残っているんだろ?」
ショウエマ峡谷から戻ってからヤムトとルシッドが血眼になって探していたが、仮面の男はまだ見つけられずにいた。
ヤムトは臭いを憶えたといっていたが、それだってそこそこの距離にまで接近しないと確認できないだろう。
そもそもペンディエンテにいるとは限らない。いない可能性の方が高い。
オレはモリに気付かれないように小さくため息を吐いた。
さっきからモリが何か言いたげに見えたのは、オレにヨールの仇を取るつもりはないのかと、遠回しに訊いていたのだ。
「……誘われてないんだよ」
「あー、それは……なんか、すまん」
「むしろ謝んなし」
オレだって自分が戦力外だってことは自覚している。
リッチ戦で役に立つことができたのだってシルバーの剣を持っていたからだ。そもそもあの剣をルシッドやヤムトが装備していたならば、あれほどの苦戦はしなかったかもしれない。
だからこそ、仮面の男探しに誘われなかった事は納得しているし、安堵しているのも事実だ。
事実なのだが──
「オレがアテにされてないなんて当たり前の事だろ」
こういう事を言う声に、なんともいえないジメジメ感が滲んでしまうのは抑えることもできない。
「まあ、その、なんだ、気にするな」
「お前……わざと傷口広げてるだろ」
「だけどな、あちらさんはそうは思わないかもしれないぜ」
その声音に真剣な響きを感じ取って、オレはモリの方を振り返った。
「あちらさんって、ルシッドがか?」
モリはその太い首を振った。
「いや、仮面の男のことだ。リッチを殺してしまうような戦士のことを警戒しないわけがない。しかもそいつはミスリルドラゴンを従魔にしているんだ」
「なるほど、いわれてみればそうか」
ヤムトが仮面の男の打倒を宣言していたから、ついついこちらは狙う側だとばかり思っていたが、向こうは向こうでオレたちを、というかオレを狙う理由があるのは確かだ。
「単独なのか組織なのかも分からんが、とりあえずそいつは貴人絡みで何か悪い事をするやつなんだろう。今後の仕事をやりやすくするためにも先にカズを始末しておこうと考える可能性は高いんじゃねえか?」
「なるほどなるほど。って、オレやばいのか!?」
「だからよ、ルシッドのパーティに入るべきだと思うんだ」
「ん?」
「ルシッドたちは仮面の男をターゲットにしてる。仮面の男はカズをターゲットにする可能性が高い。ってことはカズが疾風の剣に入るのが得策ってもんじゃないか?」
「なるほど、そういう意味だったか」
ようするにモリは、オレにヨールの仇を取れといっているのではなく、ルシッドたちに守ってもらえといっていたのだ。
そこでオレはあることに気付いて、モリの顔に目を戻す。
「もしかして、オレのボディガードのつもりだったのか?」
倉庫整理なんていう人気のない仕事を、このトップクラスの冒険者が引き受けたのは、オレの身を案じて一人にさせないためだったのだろうか。そういえばこいつはとりあえず良いヤツなのだった。
だが、モリは一瞬きょとんとした顔になりそれから豪快に笑いだした。
「そうだ、って答えれば恩も売れるんだろうが、この雑用はシージニアへ行く隊商護衛の依頼があって、そのオプションみたいなもんなんだ」
「なんだ、そういうことなのか」
「だからオレがいない間はルシッドに守ってもらってくれ」
「うるせ。別にそんなものいらねえよ」
禿げた頭を汗で光らせたモリが言った。
窓がないせいで空気がむっと淀んでいる。動かなくても汗が滲む暑苦しさだったが、さらにオレとモリは肉体労働に勤しんでいる。完全に汗だくだ。
「ああ、連絡ひとつ寄こさないな」
シルバーが竜の郷とやらに帰ってひと月ほどが経とうとしていた。
竜の郷がどこにあるのかは分からないが、あいつの脚ならばこの大陸のどこであっても数日の距離だ。
ということは故郷で長期滞在をしているということだ。これは出発前には否定をしていたが、実家の居心地が良くてここにはもう戻らないというパターンが濃厚だ。
それならそれで連絡のひとつでも寄こせと思うのだが、こういうのがシルバーいうところのメンヘラ彼女的な思考だろうか。
どのみち電話もメールもないこの世界じゃ連絡の手段など何もないのだが。
オレはこめかみを伝う汗を手の甲で拭って、そのまま肩を回した。汗で濡れた手の甲が真っ黒になっている。たぶんオレの顔も黒いだろう。
オレとモリが勤しんでいるのは、手広く交易を行っている商人の、倉庫整理の依頼だった。
物を動かす度に埃が舞い上がり、布で鼻と口を覆っていてもくしゃみが止まらない。
前の世界でも似たようなバイトをしてたことがあるなあとか考えながら、オレは無心で荷物を運んでいた。
その時その時の流行りに合わせて取り扱う商品を変えるため、商品に関連する道具も含めて使うものと使わないものの置き換えをする必要が出てくるらしい。
このぐらいの規模の商店だとそれはかなり大掛かりな作業になる。
なんでも香辛料を商いの主力商品に据えることにしたらしく、遠くシージニアへ買い付けを派遣するのだそうだ。
それにともない、旅程で必要になる物や向こうで売る商品を倉庫の奥から引っ張り出す仕事が生まれたわけだ。
「つかモリって、よくよく地味な仕事引き受けてるよな」
冒険者ギルドでもトップクラスの戦闘力を持ちダンジョン探索の経験も多いモリだが、不思議と仕事を選り好みしないところがある。
前回の城壁の修理なんかもそうだがこの倉庫整理も、実入りの良い悪いは別として、熟練冒険者の好む仕事ではない。
「カズにいわれたくはないな」
「オレは危ないのとか怖いのとか嫌だからな」
「そういうわりにはここ最近は大活躍だったじゃないか」
「巻き込まれてるんだよ。リッチの一件なんてオレは完全に被害者だ」
普通ならばオレ程度の冒険者がリッチに遭遇することなどほとんどあり得ない。
それが遭遇してしまったのはルシッドの強引な勧誘(と呼べるかさえ怪しいが)のせいだ。
「だけどお前のお陰でみんな命を拾ったんだろ」
「みんなじゃない」
口角を吊り上げるようなハーフリングの皮肉気な笑顔が思い起こされる。胸の奥底から何かが突き上げてくるような気配を感じて、オレは両手のひらで顔を擦った。
「ヨールのことは残念だった。だけど冒険者がダンジョンに挑めば少なくない割合で死ぬやつは出てくる。それがリッチに遭遇してたった一人の犠牲でリッチを倒してしまうなんざ、奇跡とでもいうしかない僥倖だぞ」
「いや……」
そんな事はない。もしあの場にシルバーがいれば……という言葉をオレは飲み込んだ。あのママチャリはタラレバに引っ張り出すにも規格外過ぎる。
代わりの言葉をオレは口にする。
「一人と、腕一本だ」
オレが言うと、モリは感慨深げに頷いた。
「片腕になっても冒険者続けるヤツなんてルシッドぐらいのもんだろうな」
モリには依頼中に片足を失ったカルドという仲間がいる。パーティを抜けたわけではないが、ダンジョン探索などの依頼には参加していない。
モリの言葉には返事をせず、オレは一度しゃがみこんでから大きな木箱を抱え上げる。
かなり重い。中身は陶製の食器といっていただろうか。
多少雑に扱った程度で割れるような梱包の仕方はしていないだろうけど、一応箱をヘソの上に乗せるように保持して、そおっと運ぶ。
モリがさらに声をかけてくる。
「ルシッドのパーティには入らないのか?」
「入るわけないじゃないか」
「どうしてだ。その仮面の男がまだ残っているんだろ?」
ショウエマ峡谷から戻ってからヤムトとルシッドが血眼になって探していたが、仮面の男はまだ見つけられずにいた。
ヤムトは臭いを憶えたといっていたが、それだってそこそこの距離にまで接近しないと確認できないだろう。
そもそもペンディエンテにいるとは限らない。いない可能性の方が高い。
オレはモリに気付かれないように小さくため息を吐いた。
さっきからモリが何か言いたげに見えたのは、オレにヨールの仇を取るつもりはないのかと、遠回しに訊いていたのだ。
「……誘われてないんだよ」
「あー、それは……なんか、すまん」
「むしろ謝んなし」
オレだって自分が戦力外だってことは自覚している。
リッチ戦で役に立つことができたのだってシルバーの剣を持っていたからだ。そもそもあの剣をルシッドやヤムトが装備していたならば、あれほどの苦戦はしなかったかもしれない。
だからこそ、仮面の男探しに誘われなかった事は納得しているし、安堵しているのも事実だ。
事実なのだが──
「オレがアテにされてないなんて当たり前の事だろ」
こういう事を言う声に、なんともいえないジメジメ感が滲んでしまうのは抑えることもできない。
「まあ、その、なんだ、気にするな」
「お前……わざと傷口広げてるだろ」
「だけどな、あちらさんはそうは思わないかもしれないぜ」
その声音に真剣な響きを感じ取って、オレはモリの方を振り返った。
「あちらさんって、ルシッドがか?」
モリはその太い首を振った。
「いや、仮面の男のことだ。リッチを殺してしまうような戦士のことを警戒しないわけがない。しかもそいつはミスリルドラゴンを従魔にしているんだ」
「なるほど、いわれてみればそうか」
ヤムトが仮面の男の打倒を宣言していたから、ついついこちらは狙う側だとばかり思っていたが、向こうは向こうでオレたちを、というかオレを狙う理由があるのは確かだ。
「単独なのか組織なのかも分からんが、とりあえずそいつは貴人絡みで何か悪い事をするやつなんだろう。今後の仕事をやりやすくするためにも先にカズを始末しておこうと考える可能性は高いんじゃねえか?」
「なるほどなるほど。って、オレやばいのか!?」
「だからよ、ルシッドのパーティに入るべきだと思うんだ」
「ん?」
「ルシッドたちは仮面の男をターゲットにしてる。仮面の男はカズをターゲットにする可能性が高い。ってことはカズが疾風の剣に入るのが得策ってもんじゃないか?」
「なるほど、そういう意味だったか」
ようするにモリは、オレにヨールの仇を取れといっているのではなく、ルシッドたちに守ってもらえといっていたのだ。
そこでオレはあることに気付いて、モリの顔に目を戻す。
「もしかして、オレのボディガードのつもりだったのか?」
倉庫整理なんていう人気のない仕事を、このトップクラスの冒険者が引き受けたのは、オレの身を案じて一人にさせないためだったのだろうか。そういえばこいつはとりあえず良いヤツなのだった。
だが、モリは一瞬きょとんとした顔になりそれから豪快に笑いだした。
「そうだ、って答えれば恩も売れるんだろうが、この雑用はシージニアへ行く隊商護衛の依頼があって、そのオプションみたいなもんなんだ」
「なんだ、そういうことなのか」
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