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商神ビスと鍛冶神ヤータ

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 ヨールの遺体を仰向けに寝かせ、あるべき場所に頭部と右腕を置いてから、オレたちは手を合わせた。
 両の手を合わせる。細かい違いはあれど、死者を悼む祈りの所作はこの世界もオレが元いた世界もほとんど変わらなかった。人が深く想いを込めた時に自然ととる姿勢なのかもしれない。
 もっとも片腕だけになったルシッドはそれを行うことができず、深く頭を垂れた姿勢で目を閉じていた。
 祈りの言葉を唱えることができる神官がヨールしかいなかったので、オレたちにできたのは黙祷だけだった。
 リッチによって作り出されたゾンビが残っていないとも限らず、目を閉じてじっとしているなどというのは危険な行いに他ならなかったが、それでもオレたちはずいぶんと長い時間そうしていた。

 ルシッドが近くに落ちていたペンダントを拾い上げた。
 オレにも見覚えがある物だった。ヨールが首にかけていたペンダントだ。
 銀色の金属性チェーンにアルファベットのTの字のような形のペンダントトップがついている。おそらくはキリスト教のクロスに相当するような、信仰のための装身具だったのだろう。

「それ何の形なんだ?」

 何気なく訊いてみた。
 ヨールは商神ビスに仕える神官だったので、祈りに使う道具も商いに使う物がモチーフになっているんだろうなとなんとなくオレは考えていた。

「これはハンマーをかたどっているんだ」

 ルシッドがペンダントトップをオレに見せながらそう答えた。
 ずんぐりと丸みを帯びたヘッド部や装飾掛かった握りなど、意匠の効いた形はしているものの言われてみればそれは確かにハンマーの形だった。

「ヨールが信じていたのって鍛冶の神サマだったけ。 商売の神サマじゃなかったか?」

 オレの問いに対してルシッドは返答まで少しの間を置いた。無表情だったが少し戸惑っているらしい雰囲気を感じる。

「いや、ヨールが信仰していたのは商いの神ビスだ。このアミュレットはビスが兄である鍛冶の神ヤータから盗んだ幸運のハンマーの形だからな」

 その言葉を聞いた途端、水に落としたインクがさっと広がるかのように商神ビスと鍛冶神ヤータの神話の物語が頭の中に浮かび上がった。
 それは忘れていた事を思い出すのとは似て非なる感覚だった。おそらく記憶喪失になった者が失った記憶を取り戻す時の感覚に近いのではないだろうか。
 蘇ったのはこの世界では子供にもおなじみの神話だ。おとぎ話といった方が近いかもしれない。

 ビスは兄である鍛冶の神ヤータが打った鉄の剣をその手に、山に入っては狩りを行う日々を送っていた。
 だがある日、山の主である大蛇に遭遇し、剣を呑まれてしまう。
 ビスはヤータに新しい剣を打ってくれるよう頼むが、剣を失った弟に激怒した兄は剣を打ってはくれない。
 剣がなければ大蛇に再戦を挑むこともできず、それどころか日々の糧を得るための狩りもできない。
 途方に暮れたビスはヤータがうたた寝をしている隙に鉄を打つための槌を盗み出し、それを手に大蛇のもとへと向かう。
 兄の槌で大蛇を打つと、大蛇は金貨や銀貨、銅貨などのお金に変わり、呑まれた剣も取り戻せた。ビスは槌を兄に返すと、お金と剣を手に船で東の海を渡り、海の向こうの国でお金と交換で獣の肉やミルクや麦や果実を得て戻ってきた。それからビスは狩りを行うことはなくなり、商いを司る神となった

 アミュレットについての質問をしたことが不思議に思えるほどに、この知識はオレの記憶に馴染んでいた。
 実はこの体験はこれまでにも度々起こっていた。
 蘇るのは「オレ」という自我が目覚めるまでの人生で得ていた知識なのだろう。
 前の世界の記憶を持ったままのオレの自我が割りこんできたために、脳が容量を確保しようともともとあった記憶を圧縮してどこかのストレージにしまい込んだのではないだろうか。
 だがこういった今世の記憶や知識が解凍された以上、前世の記憶の一部が消去されている可能性もある。あまり喜ばしいことではない気もするが、考えたところでおそらくどうしようもない。この世界で生きていくのだから今世の記憶こそ重要なのだし。

「ああ、金銀財宝を生み出すハンマーだったっけか。なにしろ信仰心とは無縁なもんですっかり忘れてたよ」

 オレがそう言うと、ルシッドは軽く頷いた。

「さて、ここからどうするかだな」

 顔を上げたヤムトが言う。

「どうするって、帰るんだろ」

 帰路に何か問題でもあっただろうか。
 ヤムトの言葉で不安になり、オレは確認する意味で三人の顔を順に見回す。

「まだ敵は残っているはずだ」

 ヤムトがいうとルシッドとレミックも真剣な顔で頷いた。

「なんでだよ、リッチがボスだったんじゃないのか」

 オレが訊くと答えたのはレミックだった。

「リッチがどうやって人間の傭兵を雇ったの? あの姿で街で出向いて冒険者ギルドとか傭兵ギルドに依頼を出しに行ったの?」

 数秒の間をおいて、ようやくオレにも理解できた。

「協力者がいるってことか」

「たぶんね。それもおそらくは貴人じゃなくて、裏仕事に通じている冒険者わたしたちみたいな胡散臭い人間のはずよ」
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