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出発の朝
しおりを挟む五日目の朝。
朝日が城壁に遮られ石畳の地面に青い影が落ちている。
仮設休憩小屋も建ててはいるが誰も使っていない。皆、毛布に包まって思い思いの場所で地べたに転がっている。その転がった毛布もいくつかがもそもそと起き始めていた。
現場の朝は早い。だがオレとハンクはそれよりも早い。すでに起きて朝食の準備をしていた。
とはいっても朝は簡単な物しか作らない。今朝は鍋で燕麦をミルクで煮ていた。いわゆるオートミールだ。
野営にも慣れてきていたが、昨夜はなかなか寝付けなかった。寝不足でぼんやりした頭のままオートミールをかき込む。少し離れた所ではヤムトもオートミールを食べていた。
「あとはオイラに任せてくださいっす」
ハンクが言うのでオレは自分の食器だけを洗う。
シルバーの姿が見えなかったが探しに行こうかと迷っているうちに戻ってきた。
『シルバー、朝飯は?』
『いらない。僕オートミールって嫌いなんだよね。それよりカズが食べ終わったんなら早く行こうよ』
『遠足に行くワケじゃないんだぞ』
『似たようなものじゃない』
そんなやり取りをしている所にヤムトがやってきた。
ヤムトの体が作る影に入っただけで無意識に首筋が竦む。
「準備が出来てるなら行こうか」
準備しておく事のひとつも思い浮かばないので、オレは頷いた。
ペンディエンテは城壁に囲まれた都市だ。
モリたちが修繕している貴人の邸宅エリアを囲む内壁だけではなく、街全体も石積みの壁が取り囲んでいる。
だがその壁もまた、街の中に収まりきらない家々によって取り囲まれている。この壁外エリアには主に、あとからこの街に来て住み着いた民たちが住んでいる。
広場の市で商売をしている行商者たちも、日が落ちれば壁の外に出されるため、ほとんどはこの壁外集落にある宿に泊まる。
街なかで寝泊まりすることが認められているのは、戸籍のある市民、もしくは街にあるいずれかのギルドに登録している者だけである。
オレは市民ではなかったが、冒険者ギルドに登録している冒険者なので、安宿ではあるが壁の中で生活をしていた。
しかし壁外の建物が全てボロ屋かというとそんな事はない。もちろん掘っ立小屋のような物もあるが、豪邸とは呼べないまでもきちんと建築された石積みの建物も少なくはない。住む、あるいは宿泊する場所と資産の多寡はイコールでないのだ。
そして資産はないが壁内住みのオレは今、城壁を通り壁外区の街並みを抜けて、ペンディエンテの外へと出たのだった。
目の前には、見渡す限りの小麦畑と、その間を縫うように伸びる踏み固められた土の道。
麦穂はまだ背が低く色も青い。これから暑くなっていくに従ってこの青い麦穂の背も伸びていくだろうが、今はまだオレの膝上くらいの高さしかなく、遠くの森も見渡せる。
「ここからは少し急ごうか」
ヤムトが言った。
ここまでは壁外区の、朝早くからやっている商店をひやかしながら普通に歩いてきていたのだ。
「ヤムトはカキプロルには行ったことがあるんだよな」
「ああ、何度か行っている」
「なら道案内を頼めるか?」
昨夜のうちにルシッドたちが所有する地図を見せてもらい、あらためてカキプロルの場所を確認したので大まかな方角は頭に入っている。
シルバーにしても、この街に来る途中にそこを通ってきたというのだから、行き方も分かってはいるだろう。
だけどこちらが先行した場合、ヤムトがついてこられるかが気掛かりだ。
シルバーがふざけてヤムトを置き去りにすることも十分に考えられるし、そうなった場合はまた色々と拗れることになるだろう。
「分かった。地竜なら我についてこれないなどということもないだろうが、速度を緩めてほしい場合は声をかけてくれ」
顔に似合わない優しい言葉だ。
だけどこれもオレを油断させるための演技かもしれない。警戒を解くべきではないな。
それ以上特になにを言うでもなく、ヤムトは踏み固められた土の道を軽く走り出した。
オレもシルバーにまたがり、ペダルを漕ぎはじめる。
ひと漕ぎで速度が乗った。
ヤムトがちらりと後ろを振り返った。すぐに前傾姿勢になり速度をあげる。
オレが漕ぐ力を強めたわけではないのだが、シルバーも遅れじと速度を上げた。
辺りに広がる畑や牛の放牧場がすぐに見当たらなくなった。見えるのは延々と続く草原と遠くの丘や森。
オレたちが走る真っ直ぐ伸びる道の先は、草原の中にあっても見分けられた。数え切れないほどの人々が、数え切れないほどこの道を行き交い土を踏み固めたのだろう。
遥かな過去から今日までの月日に思いを馳せることができるほど、のんびりとペダルを漕いだ。そもそも漕ぐ必要があるとも思えないぐらいだし。
幾つかの森や丘を越えたところで、まるで行く手を阻むかのように針葉樹の密生する山に直面した。
そこで道が分岐している。
直進して木々の間に入っていく急こう配の細い道。
山を避けるかのように別れて、山麓に沿って左右それぞれに伸びていく道。
「この先にショウエマ峡谷がある。馬車だと三日もかかるのは、谷を越えられず、ぐるっと迂回をしないといけないためだ」
足を止めたヤムトが言った。
ショウエマ峡谷まではオレも来た事がある。
谷底を流れる川の中にガーネットやサファイアの原石が稀に見つかる。それを採集してくれば、宝石のサイズや量に応じた買い取りをするという、宝飾ギルドからの依頼だった。
あの時は、水流の関係でガーネットが堆積する淵を一緒に探索していた仲間が見つけるという僥倖に恵まれ、けっこうな額の報酬を得る事ができた。ただし川へ向かう途中と帰りにコボルトと遭遇して戦闘になっている。谷のあちらこちらにコボルトの群れが住んでいるのだ。 ここを通るのならば警戒する必要がある。
「川を渡るのか?」
ヤムトに向かって訊く。
あまり深くなく、流れもそれほと速くはなかったと記憶している。
「釣り橋がある。ドラゴンも問題なく渡れるはずだ」
言うとヤムトは、ショウエマ峡谷に登る道へと進んだ。
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