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シトシト嫉妬oh shit
第四話 空海
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協会本部ビル最上階 災害級危険事物処理班 オペレーションルーム
「うーん・・・電波悪過ぎ。ふざけんな。何も出来ること無い・・・」
両腕を、明るいオレンジに染めた頭の後ろに組んで回転椅子をクルクル回す・・・七谷冬次は仲間からの連絡が完全に途絶えたため、緊急事態の最中であるはずなのに手持ち無沙汰になっていた。
二人に続いて、戸黒も霧に入ってしまって連絡が取れなくなった。まあ、鬼打さんと戸黒はこんなので死ぬとは思えないし大丈夫だろう。三藤君は・・・戸黒に彼の乗り込んだ船の場所を教えたから心配ないかな?今頃到着して、合流出来た頃だろう。
「けどなぁ・・・あぁー、なんなのこの霧・・・ここまで電波を妨害してくる害悪クソ野郎はひっさしぶりだよ。魔物の詳細とかもう全く進展が無いよ・・・現場がどうなっているか一切分からないよ・・・」
約一時間前、正体不明の魔物が発生させた霧で東京湾が覆い尽くされた。冬に乾燥する東京で真っ昼間にこれほど大規模な霧が発生する訳がない・・・普通であれば。魔物が原因であることは確定であろうが、その外観も能力も居場所も危険度も被害も・・・全て白い霧に隠されて、判然としないままだった。
「あー・・・霧から離脱した小隊の生存報告だけだよ、流れてくるの。魔物が水を操って襲って来る奴ってぐらいしか分からない・・・防御系の魔法を持っている人員がいればそこまで苦戦しないらしいけど・・・」
本体が海の中に隠れているのか、ダメージが与えられているのか不明らしい。前線で戦闘中の隊員に報告を聞きたいのだが、霧の電波妨害で通信が取れない状況だった。
しかし、魔物の能力は水を操るだけで、操作可能領域も狭いため離れてさえいれば負傷することはほとんど無い・・・らしい。小隊は大抵、遠距離攻撃魔法持ちと防御魔法持ちが一人ずつ構成員に存在するからこういう相手には苦戦しないのだろう。ただ・・・
「液体を操るんだったら、直接的な物理攻撃しか持たない魔法使いは厳しいかもなあ・・・それこそ、三藤君とか!アッハッハッハッハ・・・」
東京湾海上 貨物船内
船員達の居住部屋に続く扉が途方もなく、片側にズラリと並んだ通路で、三藤はクラゲの魔物と交戦し・・・七谷の予想通り、苦戦していた。
ズズズ・・・ヒュガッ!
「グッ・・・」
水の刃で頬を浅く切り裂かれる。痛みを堪えて弾丸を四発、クラゲに向けて撃ち込むが、二発は水に浮かぶ瓦礫に弾かれてしまった。残り半分は一応命中した・・・が、
「ゼリーみたいな外見してるだけあるな畜生・・・穴が開いてもお構いなしか。」
もう八発は本体に命中させているが、クラゲが操る水の猛攻は衰える気配が無い。クラゲの傘はすでに穴がいくつも開いてボロボロになっているが、致命傷に及ばない。弱点さえ分かれば銃弾で貫いて終わりなのだが・・・
「クラゲの弱点って何!」
ヒュガガガガッッッ・・・
再び、クラゲが鉄をも切り裂く水の刃が発射する・・・体を捻りながら床にダイブしてどうにか躱す・・・もう格好を気にしていられない。
鈴城さんに選んでもらった、新品の葬服は海水につかったり破れたりすり切れたりで散々な有様・・・
服はボロボロとは言え、自分の体が五体満足を保てるぐらいには傷付いていないことがむしろ信じられない。
「相性悪すぎだろ!」
悲痛に叫んで、廊下から船員の個室に逃げ込んで扉の鍵を閉めた。
深く空気を吸って息を整える・・・こういう状況だと、戸黒さんの能力が羨ましい。羽衣の色さえ変えれば炎も雷も風も出せる上、銀色にすれば物理的な武器にもなる。どんな相手にも臨機応変に対応することが可能だ。あれだけ便利な能力はそうないだろう。
一方、僕の「道具の能力を極限まで引き出す能力」は手元にある道具で可能なこと以上のことは出来ない・・・例えば今、物理的な武器しか持ってないから液体を操るクラゲに有効打が与えられない・・・本当に使い勝手が悪い能力だ。
「ハァ・・・よし。」
自分の不便な能力を呪っても仕方がない・・・一旦落ち着いて現状を整理しよう。
まず一つ目はあの水の刃。距離を取ると威力を失って鉄を切断するような鋭利さはなくなる・・・そのおかげで、なんとか首の皮一枚繋がっている。
本体が纏っている水を大量に消費して放っているからか、数回しか連続で使えないようだった。三、四発撃つごとに水を周囲から供給する時間・・・クールタイムがある。といっても、近づいて本体に攻撃するまでの時間は無い。
ていうか、近づいて仕留めきれなかったらすぐに体が真っ二つになってゲームオーバーだ。リスクが高すぎる。
二つ目は、クラゲが鎧を纏っていること。あのゼラチン野郎、賢いことに自らが切断したことで生じた瓦礫を水に浮かせることで、鎧のように本体を守る盾にしていた。そのため、銃弾のほとんどは浮かぶ瓦礫に当たって弾かれてしまう。
「対して僕が持っている攻撃手段は・・・」
残弾があまり残っていない拳銃に、残り一つの手榴弾。あとは・・・何だっけ?違法に魔物を所有していた犯罪者・・・名前は忘れたけれど、そいつの家に突入したとき以来、戸黒さんに貸して貰っている、折りたたみ式ナイフ。
以上三つ。
「・・・・・・無理ゲーじゃね?」
水を供給し終えたのか、クラゲの放った水が僕の隠れている部屋の壁を突き抜けて来た。一応しゃがんでいたおかげで体は真っ二つにならずに済む。
「船内でなにか有効な武器を探すしかないか・・・船が海のまっただ中に移動させられているから、救援も見込めないし、僕があいつを倒すしかない・・・」
折りたたみナイフの刃を開き、クラゲがいる方向とは逆の壁に十字の切れ込みを入れる。まるで段ボールでも切っているかのようにサクサクと刃が通る・・・
考えている間に、あちこち指で叩いて、壁の薄い場所を探り当てておいたとは言え、ただのナイフでコンクリートを綺麗に切り分けられるようになるなんてね。
「ハハッ・・・魔法の力ってスゲエ。」
切れ込みを入れた壁を蹴り崩して隣の部屋に脱出し、クラゲが元の部屋に入り込む、丁度その瞬間を狙って廊下に飛び出す。休息の時間は終わり、クラゲとの鬼ごっこを再開する。
「しっかし、『鬼ごっこで捕まったんだから仕方ない』・・・か。守塚さんの言っていたことの意味が少し分かったかもしれない・・・」
新年会で鬼打さんが僕を捕まえたとき、守塚さんが述べた言葉・・・あの発言は彼の投げやりな判断基準を意味するモノでは決してなかった。
この非日常では鬼・・・敵に捕まることはすなわち「死」を意味するのだ。
「でも、それにしたって今回の鬼ごっこ、逃げる側の勝利条件がハード過ぎるだろ!」
ゴバッ!!!
背後で壁が吹き飛んだ音がする。振り返るとクラゲがズルズルと先程まで僕の隠れていた部屋の壁を破壊して這い出て来るところだった。
「ぐぅ・・・しょうがないか。」
額の汗を拭い、すでに疲れて、鉛のように重く感じる足を無理矢理動かして走り続ける・・・目的地はとりあえず「機関室」かな。なんか、色々道具がありそうだし。
東京湾周辺、とあるマンションの屋上
「七谷!・・・七谷!聞こえるか?」
黒髪に丈の長い黒コート、夜空よりも暗い瞳を持った男・・・・・・戸黒睡蓮が、海を眺望出来る高さのマンションの屋上で、耳に当てた通信機に何度も語りかけていた。
彼がわざわざ、立ち入り禁止の看板も掛けられている屋上にまで上がって来たのは、東京湾から流れてくる霧に周囲を包まれることを避けるためであった。
「・・・・・・もっと霧から離れないと通信出来ないか?」
この霧は何故か、通信機器の動作不良を起こす。地上はすでに霧が充満しており、通信機器がまるで正常に動作しない。そのため、戸黒は霧に侵されていない高所まで来る必要があったのだ。
「くろ・・・と・・・・・・戸黒?・・・聞こえるよ!」
「やっとか・・・面倒くさいなこの霧・・・」
基本はポーカーフェイスである戸黒も、この霧の害悪っぷりには悪態をつき、顔を顰めずにはいられないようであった。
「三藤君とは合流出来た?」
「それが・・・不味いことになった。東京港の、お前に指定された場所に向かったんだが、あいつが乗り込んだと聞いた船が消えていた。しかも霧の所為で船の所在が分からん。」
「ハア?・・・何それ?どういうこと?」
「おそらく・・・船が沖に流されたんだ。魔物の能力は水の操作だろ?波を操作して霧の濃い場所に運んだんじゃないか?」
「えぇ?でも・・・貨物船だよ?あんな巨大な船を動かせるほど強力な能力を持っているのその魔物は?だとしたらもっと被害が大きいはず・・・」
「知るかよ・・・三藤が危ないかもな。聞く限り、物理攻撃しか持たない三藤と相性が悪い能力だ・・・鬼打さんはどうした?」
「この霧で連絡が取れないんだよ・・・多分、最前線で戦ってる。」
「そうか・・・俺もこんな白い霧の中じゃ、奥の手までは使えない・・・クソッ。こういうのはルーンが一番得意な奴じゃねえか。なんであの馬鹿は肝心なときに不在なんだ・・・いてもいなくてもイライラさせるな・・・」
「うーん。今は仕事で中部に出張中だからなあ・・・そんなこと言ってもしょうがないよ・・・ん?え?・・・あれ?」
「どうした?」
「なんか、その馬鹿と付き添いの兎洞(うどう)からMINEが届いてるんだけど・・・」
「・・・・・・あ?」
「えっと・・・ルーンからは、『誰が馬鹿だ!黙ってろ色男め!!!』だってさ。」
「馬鹿の方はいいんだよ。兎洞からはなんて?」
「んー・・・んん?・・・要約すると・・・『馬鹿の我儘でこっちに出張から早めに帰ることになって今、丁度飛行機で霧の上空にいる』ってさ・・・」
「・・・・・・」
「ん?また馬鹿から・・・うわ!?スタ連して来やがる!?兎洞の所為だな!あんの『地獄兎』め!・・・僕ちゃんらがあいつを馬鹿って言ってることまで伝えなくていいのに!」
「・・・・・・」
戸黒は、マイクの向こうで、緊急事態中、場違いにもSNSと格闘している同僚達に肩を落としながら、こんなことを考えていた。
任務が終わって帰宅する頃には・・・俺のスマホにもあの馬鹿がスタンプを送り過ぎて、処理落ちして死ぬほど重くなってるかもな・・・
「面倒くさ・・・」
海上 貨物船内 機関室より
「うへえ、使い方分かんねえ・・・」
三藤は、工作室に設置された作業台の上に並べられた山のように多くの工具を前に・・・・・・自分の能力の根源であるはずの道具を前に、肩を落として落胆していた。
「分かんねえよ全部・・・」
この動作と台詞・・・テスト対策を全くしなかった奴が、定期テストの問題を見てするのと完璧に同じだ・・・
「能力が道具を触媒にすることから考えて、あらかじめ工具の名称と使い方ぐらい覚えときゃよかったな・・・てか、これもテストの例と被るっちゃ被るな。」
やっときゃよかった・・・てか?ハハッ・・・
笑えねえよ。
あの怪物はクラゲなこともあってか、移動の速さも僕の全速力よりは遅く、入り組んだ船の構造を利用して上手く距離を取ることが出来た。
おかげで機関室の工作室を物色する余裕が少しだけあった。
それはいいのだが、立て掛けてあったり道具箱の中に詰まっていたりする道具を作業台に並べてみると、ほとんどが見たことも聞いたこともない物ばかりで、役に立ちそうになかった。
「ペンチとスパナぐらいしか知らないよ・・・」
これらは船の機器を整備、修理する用途のモノであるから、直接クラゲとの戦闘に使えるとは思っていなかったけれど・・・予想以上に収穫が無い。
近くにあった船の備品倉庫らしき場所も探ってみたが、役に立ちそうな物は見つからなかった。
「これでどう奴を倒せと?」
これなら折り畳みナイフの方がまだ使えそうだ。どうしたものか・・・工作室を出て、様々な機械が設置され、その管が蜘蛛の巣のように張り巡らされた機関室を見回す。
クラゲにより、波を操られて強制的に移動させられているため、エンジンも動いておらず、比較的静かな状態であった・・・遠くから聞こえる、クラゲがこちらに這い寄って来る音以外は。
ビチャビチャズルズル・・・汚いったらありゃしない。
「うーん・・・道具が多そうって理由で来ちゃったけど、ここで戦うとエンジンとかが損傷して燃料とか漏れちゃいそうで怖いな・・・燃料?」
一瞬、奴に燃料をかけて燃やしてしまおうかと考えた・・・が、すぐに却下した。
そもそも燃料の取り出し方が分からない上、水を操れるのだから、奴にしてみれば、燃料が混ざった部分の水を全て本体から切り離してしまえば、火から簡単に逃れられてしまうのだ。
おそらく、やっても意味は無い・・・え?
切り離してくれるのか?
「・・・・・・いやでも、結局燃料の取り出し方なんて分からないしなあ。」
そもそもどの機械がエンジンで、どれが燃料タンクなのかすら判別出来ない。
「ん?」
エンジンって確か、燃料以外にも・・・
「それだ!」
すぐに、物色済みの備品室に駆け戻る・・・僕の記憶と知識が正しければ、この部屋の何処かにあるはず・・・あれが。
「あ、でも・・・もっと厳重な場所に保管しているのかな?危険物だから鍵の付いた場所とかにあるかもな・・・」
とにかく急がなければ。クラゲがここに来るまでもう時間が無い。
関東地方上空 東京着予定の飛行機より
「本当にどうなっているんだ下は?」
飛行機のコックピットで、経験豊富なはずの機長達が予測不能な事態に動揺していた。本来であれば着陸準備に入っていい場所まで到達したのだが、その許可が下りない・・・
いや、そもそも管制室と連絡が途絶えているかどうかに関わらずら明らかに地上は着陸可能な様子では無かった。
「東京でこんな大規模な濃霧なんて・・・聞いたことありませんよ。」
そう・・・霧。
巨大な、真っ白な霧が東京湾とその近縁の陸地を完全に覆っていた。着陸予定であった滑走路も霧に覆われて一切見えず、着陸不可能であった。
仕方なく、機長達は着陸を見送って、空港の上空を旋回して様子を伺っている状況であった。
「むぅ・・・せめて管制室と連絡が取れればな・・・」
最悪、着陸予定の空港とは別の空港に進路を変更しなければならない。燃料は余裕があるから、墜落の心配はあまり無いのだけれど。
「乗客にどう説明したものか・・・」
飛行機自体に問題が存在するわけでは無いため途方に暮れていると、客室乗務員から不審な連絡が入った。
「・・・き、機長!て、テロリストらしき人が・・・ブツッ・・・」
いきなり物騒な言葉が出てきたかと思うと、すぐに報告が途切れた。
「何?この異常事態に加えてテロリストだと?おい!どうした?無事か?」
すぐに連絡が再開されたが、無線の先にいる、声の主が明らかに変わっていた。
「・・・だーからテロリストじゃないって言ってるじゃん!ちゃんと国直属の魔法使いだってのに・・・ん?何?・・・余計なことを一般人に話すなって?別に大丈夫でしょ・・・言いふらす奴がいても信じる人なんていないよ。どんだけ頑張っても、こんな異常気象を記憶処理だけで済ませられるわけないし・・・」
なんだ?・・・魔法?
乗務員のマイクをテロリストが奪ったのだろうか?だとしても会話の内容が意味不明だぞ?
「・・・誰だお前は?要求は何だ?」
何にせよ、危険因子であることに変わりはない。無線を持っていた、元の乗務員が無事であることを祈る。
「あ、機長さん?ちょっといい?」
「・・・・・・?」
「あんたに電話が掛かって来ているんだ。」
「・・・・・・は?」
「あれ?聞こえなかった?電話だよ電話!で・ん・わ!
「・・・・・・」
「あんたに話がしたいってオッチャンが言っててさ・・・なんだよ、怒らないでよオッチャン。四十超えた男は大体オッチャンだし女だったらオバチャンだろ。そんなところでカリカリすんなよ。抜け毛が増えるぞオッチャン。」
電話?私に電話が掛かっているって・・・そんな、阿保みたいな・・・ここは飛行機の中だ。家の中とか、会社のオフィスにいるわけじゃあないんだぞ?
「あー、面倒くさいな。話が進まない。こっちは急いでいるってのに・・・取り敢えずそこに行くから!・・・ブツッ・・・」
また通信が途絶える・・・テロリストは、今なんていった?
こっちに来る?
「機長?これは一体・・・」
副操縦士が困惑を隠し切れない様子で私に何かを求めて来る。いや、私も何がなんだか・・・
ギギャッ!!!
耳をつんざく金属同士の擦れる音が・・・狭いコックピットに響く。
機長、副機長が驚いて後ろを振り向くと、銀色の細長い何かが、コックピットと客室を繋ぐ金属扉を貫通していた。
「「・・・・・・」」
よく見ると、扉を貫いていたのは・・・細身の西洋剣であった。表面に十字型の文様が均等な感覚でいくつも彫り込まれており、それらの模様がどういう原理なのか・・・真っ赤に光っており、鈍い銀色の刀身がその光を反射している。
「は?」
ギギギ・・・と、不快な金属音を出しながら西洋剣が斜めにスライドし、扉が真っ二つ切断されて床に転がった。
「そんな馬鹿な・・・」
コックピットの扉はテロ対策にかなりの強度を誇る・・・並の銃器をモノともしない程度には頑丈に作られているはずだ。その扉を、並の刃物で一刀両断なぞ・・・出来るはずが無い。
溶断するならまだしも、ただの剣で、力尽くに切断することは・・・不可能だと言ってもいい。
「失礼するよー・・・へえ。操縦室ってこんな感じになってるんだねえ・・・絶景かな絶景かな。」
扉を切り捨てて入って来たのは、扉を一瞬で破壊したとは思えない、そんな馬鹿力があるとは思えない、細身の女だった。
女性にしては身長が高い方だろうか?体型も出で立ちも、日本人というより、西洋人のそれに近かった。
「・・・・・・魔女?」
「ん?魔女だよ?」
副機長が呟いた言葉に戯けた風に笑って返した彼女の服装は、常識を大きく踏み越えた、異常なモノであった。
青いベルトを巻いた黒いつば広三角帽子に、黒に近い、濃い青色のマント・・・誰が見ても彼女を魔女・・・
違うな。
魔女のコスプレをした痛い人だと認識するはずだ。
「貴様!テロリストか!?武器を捨てろ!」
副操縦士が侵入者を排除しようと身構える。
「武器?・・・ああ、戻すの忘れてた。」
彼女が細身の剣を軽く振って床に剣の切っ先を当てたかと思うと、銀色の刀身が一瞬で黒い木製のステッキに変化した。
「「・・・へ?」」
理解が追いつかず、副操縦士と共に間抜けな声を上げる・・・マジックか何かか?
「ほら、電話!こっちも急いでるんだから早く出てよ!」
魔女は、こっちが怒りたいぐらいなのに、逆ギレしてスマートフォンを無理矢理私に押し付けて来た。その拍子に、巨大な帽子の影で隠れていて見えなかった、彼女の金の三つ編みが揺れる。
「一体何が・・・」
「だぁから早く電話に出ろって!さっきから言ってるでしょ!怒るよ!?」
訳が分からない・・・その一言に尽きた。
切断された扉の向こうからコックピット内を覗く、乗務員達や隣の副操縦士も同じことを思っているようだ。全員、テロ対策マニュアルなど忘れて、困惑した表情でおどおどしている。
「・・・もしもし?」
何だかんだ、周囲の部下に気を配るほどの冷静さを残していた機長は、状況が理解出来ないけれど、取り敢えず魔女の言う通り電話に出ることにした。
「もしもし!やっと機長と繋がったか・・・すまんね、大山機長。聞く限り、クソ生意気な馬鹿魔女が一悶着起こしたようだ・・・心から謝罪する。」
電話に出たのは、声色からしておそらく、中年の男性であった・・・何処かで聞いたことがある声な気がする。
「あなたは?」
「あぁ、すまない。私は石川聡一。国土交通大臣だ。」
「は?」
国土・・・交通大臣?
あの・・・内閣の?
ニュースで見る?
「単刀直入に言おう。君は今日目にすることになる、現実離れした出来事は全て夢と思って忘れろ。そして、目の前にいる金髪の女性とその仲間がこれから行うことに一切口出しするな・・・以上だ。」
「・・・・・・はい?」
「いいな?管制室に許可を取る必要は無い。そもそも現状、霧が晴れない限り管制室からの通信は復活しないからな。」
「・・・・・・」
本当に何を言っているんだこの人は?
「オッチャーン!話終わったぁ?早く現場に向かいたいんだけどぉ!」
「貴様!私とお前は初対面のはずだ!何故そんな生意気な口を利ける!私は貴様より立場は上だぞ!」
航空機の職員達の混乱を気にも留めず、傍若無人に振る舞う魔女と大臣。
「一体、何が・・・」
「機長さん。」
エメラルドのような、透き通るように綺麗な緑の瞳を持った魔女が、ニコリと・・・聖母のように笑う。
魔女が浮かべているからこそ、聖母のように優しい笑顔が・・・胡散臭い。
「私は今から困っている人を助けに行くんだ・・・それは当然、正しいことだろう?」
「・・・・・・」
「だから、協力してもらう。人命が掛かってるんだから、ルールを破らせて貰う。それを容認してくれってことさ・・・難しいことじゃ無いだろう?」
そう言い残すと、魔女はマントを翻して颯爽とコックピットを去った・・・乗務員達ががポカンと口を開けたまま客室の向こうに小さくなって行く背中を見つめる。
「・・・申し訳ないね。理不尽な要求であることは私も分かっているんだ。それでも・・・・・・承認して欲しい。」
携帯の向こうの、大臣だと名乗った男が低い声で言った。
「・・・・・・分かりました。私は今日見たことを明日には全て忘れ、彼らの行いに一切干渉しません・・・部下にもそれを徹底させます。」
機長はなんとなく・・・・・・自分達一般人が踏み入れてはいけない領域があるのだということを悟って・・・承諾した。
「ありがとう。お詫びに、君の家にワインでも届けておこう。」
「・・・日本酒でお願いします。」
飛行機後部 搭乗口より
「許可は取れました?」
共に中部支部に出張していた同僚・・・鼠色のプリーツパンツに分厚い白のレインコートを着ていて、首に大きなヘッドホンを下げている小柄な目つきの悪い青年・・・
七谷冬次から『地獄兎』と呼ばれた男
兎洞達美が人払いを済ませて待っていた。
「うん。取れなくても行くけどね。」
「なるほど・・・それもそうだ。」
兎洞はぶっきらぼうに相槌を打つと、自分の役目は終わったと言わんばかりに、通路の壁に背を預けて、ヘッドホンを耳に当てて目を閉じてしまった。
「外は任せます・・・」
「うん。任された。」
魔女は搭乗口の前にしゃがんで、懐から油性マーカーを取り出して準備を始める・・・魔女は、自分が扉を開けて飛び出した際、飛行機内の気圧が変化しないよう細工していた。
こんな上空で無闇に扉を開けたら、飛行機の乗客が全て死んでしまうことになる。
「あのっ!」
客室から三人の若い男女が現れた・・・背格好や顔つきから見て、おそらく中学生だろう。正月の帰省か旅行から、関東に帰る所だろうか?
「・・・・・・何?」
兎洞が片目を開けて、ギロリと彼らを睨む。中学生の彼らと背丈はそこまで変わらないというのに、彼のトゲのある言葉と凶悪な目つきに、中学生達がたじろぐ。
「「「わ、私達も手伝います!」」」
兎洞の威圧に負けず、三人が唇を噛みながら、懐から短い杖を取り出して見せた。
「・・・・・・なるほど。魔法学校の生徒か。」
「その杖、懐かしいなあ・・・そんなもの、今時誰も使わないのに、何故か授業ではそれ使うんだよね・・・」
彼らの取り出した杖は、学園の生徒に、授業用に支給される物だ。この緊急事態を見て、力不足であることは承知で勇敢にも・・・無謀にも、彼らの手伝いをしたくなったということだろう。
「ふふふ・・・君らには申し訳ないけど、その気持ちだけ貰っておくよ・・・ありがとう。君達みたいな学生がいるんなら、この世はしばらく安泰だね・・・」
準備を終え、三角帽子を外して杖と一緒に両腕で胸に抱えると、魔女はクルリと向きを変えて、背を扉にピッタリとつける。
「じゃあ行って来るよ。私に何かあったら宜しくね、兎洞?」
「了解」
バンッッッ!!!
大きな音を立てて扉が飛行機の外側に吹っ飛び、彼女の体も一緒に空中へ放り出される・・・
「久しぶりのスカイダイビングだ・・・パラシュート着けてないけどね。」
魔女は自虐的に笑う。
「さて、新人君は無事かな・・・死体とご対面なんて嫌だよ?」
魔女は目を閉じ、不吉なことに・・・いや、まるで鬼打千華と半田義彦の会話を聞いていたかのように・・・計ったかのようにタイミング良く、「ロンドン橋」を口ずさみながら海と大地を飲み込む霧の中に落下した。
「あの人は一体・・・」
「扉を開くと同時に魔法防御壁を展開してそれを塞ぐなんて・・・」
「あの三角帽子、もしかして!」
「・・・・・・」
兎洞辰巳は学生達に説明するのも面倒臭くなって、再び目蓋を閉じて、黙りこくっていた。魔法学校の生徒なら、説明しなくても今、大空に飛び出して行った馬鹿の名前ぐらい知っていて当然だ。
「間違いないよ!」
「うん!きっとそうだ!」
「あの人が・・・『原初の魔女』だ!」
「・・・・・・あれ?そういえば、俺が大臣に電話を繋げて貸したスマホ、どこやったんだあの人?」
貨物船内 機関室
ゴボボッ・・・ズズッ・・・ゴボッ・・・
獲物を食らうため、周りに目もくれず直進する。
クラゲは飢えていた。
ズズッ・・・ビチャッ・・・
入り組んだ機械のコードをすり抜け、下へと落下する。
クラゲは焦っていた。
ヒュガッ!!!
邪魔な鉄柵を切断する。
クラゲは悶えていた。
体が寒い、熱い、冷たい・・・暑い苦しい汚らわしい辛い煙い欲しい痺れる怠い痒い憎いしんどい気持ち悪い怖い暗い臭いさびしい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い・・・・・・
生きたい
生きたいから・・・食べなければ。
体が崩れてしまう前に。
命の火が消えてしまう前に。
あの獲物を取り込めば少しは楽になれるだろう・・・早く、早くあの獲物を捕らえなければ・・・早く!
パンパンッ!!!・・・
乾いた銃声が二回響き、振動でクラゲの纏う体が僅かに震える。
「・・・来い。」
綺麗な茶髪の・・・既に傷だらけの少女が・・・獲物が通路の奥に立っていた。
クラゲは思う・・・寄越せ!肉を寄越せ!
本来あるはずの無い理性と、死を受け入れようとしない本能がクラゲを突き動かす。
床に散らばっていた道具や機器を蹴散らして、獲物が逃げた階段の支柱を伝って下方に素早く移動する。階段を降り切ると、獲物はすぐ側の狭い通路へと飛び込んだ。
絶対に逃がさん。
クラゲは狭い通路の壁に体を何回も衝突させるが、構うことなく獲物を追跡する・・・獲物がどこか部屋に入って扉の鍵を閉めた。
ゴパンッ!!!
獲物が逃げ込んだ扉を押し潰して部屋に押し入る・・・しかし、いるはずなのに獲物がいない・・・
横一列に機械が並んでいる部屋だった。
クラゲは水の刃を射出して獲物が隠れられそうな障害物を切り刻み、残骸ごと獲物を飲み込もうとする・・・
ビチャッ・・・
突如、クラゲの操作する海水とは異なる、粘着性の高い液体の音が響く・・・濃いオレンジ色をした、粘り気のある液体がクラゲの体に掛けられた音だった。
しかし、液体であればクラゲの武器であることに変わりはない。渦を巻くように水を操作し、オレンジの液体を体に同化させる・・・
「ん?なんだ・・・水と油で混ざらないかも、なんて心配してたけど、杞憂だったか。わざわざ自分で取り込んでくれたし、そこまで量は必要無かったか・・・」
クラゲが乗り越えた瓦礫の真上、部屋を横断する形で張り巡らされた鉄網の上に、獲物が立っていた。
右手には拳銃、もう片方の手にはオレンジの液体が詰められた、巨大なアルミ缶を握っている。
同じアルミ缶が、彼女の乗っている金網の上にいくつも用意されていた。
「『エンジンオイル』だ。よく燃えるだろうね。」
獲物が拳銃をクラゲの側にあった鉄骨に撃ち込むと火花が飛び散り、同時にクラゲの体に引火した。
ゴボッ!?
クラゲが突然発火した自分の体に驚いて身をよじる。水の中で生活して来たクラゲにとって炎は経験の薄いモノであった。苦手な高温に周囲を包まれたことに恐怖し、今まで熱狂していた獲物を喰らう目的も忘れてのたうち回る。
『エンジンオイル』
燃料とは別にエンジンを動かすのに欠かせない油。燃料を燃やして動力が伝わったエンジンの駆動部に差し込んで使う・・・駆動部を滑りやすくして磨耗を防ぎ、密封性を高めてエンジンの仕事量を増加させ、冷却や防錆の効果も発揮する・・・簡単に言えば、『潤滑油』であった。
もちろん、油であるから火気厳禁
しばらく身体をくねらせていたクラゲも、火を起こしている正体が水に混ぜ込まれたオイルの所為であることに勘付き、混合してしまった部位を切り離しにかかる。
本体に火が回る前に、オイルを周囲の水ごと切り離して、炎から距離を取る。操作可能な水が少なくなってしまった。供給しなければ・・・
「させると思う?」
鉄網から跳び降りた獲物が拳銃からナイフに持ち替えて、クラゲに向かってゆっくりと近づいて来た。再び、抑え切れないほど湧き上がってくる莫大な食欲に駆られ、水の刃で獲物を仕留めるために水を圧縮・・・
「出来ないよね?あの刃、水をかなり消費するんだろ?だから数回使った後にクールタイムがある・・・エンジンオイルを取り除くために大部分の水を切り離したから、随分身体が縮んだもんだ。打てても水鉄砲ぐらいにしかならないんじゃない?」
攻撃手段が封じられてしまった。クラゲは命の危機を感じて瓦礫を盾にしようとするが、それも炎から逃げ出すために水と一緒に切り離してしまっていた。
「間抜けだなあ・・・一応、瓦礫を吹き飛ばすために手榴弾を使おうと思ってたけど必要無くなったね。」
今すぐ水を補給しないと殺される・・・近くに水は・・・
「無いよ。その為にわざわざ水気の無い制御室まで来たんだから。」
クラゲは気付いた。
獲物が自分にオイルを掛けたのは自分を焼き殺すためでは無く、纏った水を削り取るためであると。
獲物がここまで逃げたのは近くに水道管が無く、給水出来ない場所に自分を誘い込むためだと。
そして、自分が獲物だと思っていた生物は・・・
「ほら、逃げろよ。今度は僕が鬼だ。」
コポッ・・・
残り少なくなった水を懸命に操作して逃げる・・・
逃げれない。
逃げる暇なんて無い。
「捕まえた。」
一閃。
鬼が振り下ろしたナイフがクラゲの本体を二つに切断する。ベシャリと汚い音を立ててクラゲが地に落ちた。
容赦の無い鬼が既に動く力を失ったクラゲの体に、缶の中に少量残っていたエンジンオイルを振り掛ける・・・火をつけるまでも無く、炎上中のオイルを表面に浮かべた水が瓦礫を伝ってゆっくりとクラゲの方に流れて来た。
嫌だ・・・死にたくない・・・熱い・・・でも・・・これでもう・・・痛くない・・・
強大な能力に胡座を描くものは、自分が喰らう側である一方で、喰われる側の存在でもあることを忘れてしまう。
「三藤君、大丈夫かなあ・・・」
「心配し過ぎだと思うぞ。あいつの『道具の能力を極限まで引き出せる』能力の真骨頂はただ武器を達人レベルに使いこなせることじゃあないからな。」
「え?」
「訓練に付き合っていて気づいたんだが、あいつはおそらく『道具』の能力を引き出す時、その過程で副次的に自身の持つ『知識』や『経験』を完璧に引き出しているんだ・・・本人も気付いていないようだったがな。」
「どういうこと?」
「お前は道具を使う時・・・パソコンを操作する時、何を使っている?」
「何って・・・指?」
「そういうことじゃなくてだな・・・今まで習った知識や経験を統合して、パソコンや携帯、他にも様々な道具を使ってるだろ?」
「え?えーっと・・・そうだね。道具を使う時はいつだって、他人や説明書から教わった使い方・・・知識を活用しているし、自分で何回も試してみたり、他人が失敗しているところを見たりして得た失敗の経験を考慮して道具を使っているね。」
「ああ・・・『道具を使う』っていうのは、人間が手足を動かすだけの単なる動作を示すわけではなく、もっと複雑な・・・人間の思考の連続を、丸っ切り全て引っくるめた動作だ。」
「ほーん・・・」
「だから、『道具を使う』能力を使用している間、経験したことや教わったことを即座に昇華して成長する上、覚えている知識をフル活用して有効な策を短時間で練り上げることが出来るってことだ。」
「つまり?」
「常人の何倍も飲み込みが早く、思考の回転が速い・・・だな。周囲に何も使える物が無いんならまだしも、貨物船の中なら色々あるだろうから十分実力を発揮出来るだろ。」
「ふうん・・・」
「七谷お前、真面目に聞いていないな?」
第四話終
「うーん・・・電波悪過ぎ。ふざけんな。何も出来ること無い・・・」
両腕を、明るいオレンジに染めた頭の後ろに組んで回転椅子をクルクル回す・・・七谷冬次は仲間からの連絡が完全に途絶えたため、緊急事態の最中であるはずなのに手持ち無沙汰になっていた。
二人に続いて、戸黒も霧に入ってしまって連絡が取れなくなった。まあ、鬼打さんと戸黒はこんなので死ぬとは思えないし大丈夫だろう。三藤君は・・・戸黒に彼の乗り込んだ船の場所を教えたから心配ないかな?今頃到着して、合流出来た頃だろう。
「けどなぁ・・・あぁー、なんなのこの霧・・・ここまで電波を妨害してくる害悪クソ野郎はひっさしぶりだよ。魔物の詳細とかもう全く進展が無いよ・・・現場がどうなっているか一切分からないよ・・・」
約一時間前、正体不明の魔物が発生させた霧で東京湾が覆い尽くされた。冬に乾燥する東京で真っ昼間にこれほど大規模な霧が発生する訳がない・・・普通であれば。魔物が原因であることは確定であろうが、その外観も能力も居場所も危険度も被害も・・・全て白い霧に隠されて、判然としないままだった。
「あー・・・霧から離脱した小隊の生存報告だけだよ、流れてくるの。魔物が水を操って襲って来る奴ってぐらいしか分からない・・・防御系の魔法を持っている人員がいればそこまで苦戦しないらしいけど・・・」
本体が海の中に隠れているのか、ダメージが与えられているのか不明らしい。前線で戦闘中の隊員に報告を聞きたいのだが、霧の電波妨害で通信が取れない状況だった。
しかし、魔物の能力は水を操るだけで、操作可能領域も狭いため離れてさえいれば負傷することはほとんど無い・・・らしい。小隊は大抵、遠距離攻撃魔法持ちと防御魔法持ちが一人ずつ構成員に存在するからこういう相手には苦戦しないのだろう。ただ・・・
「液体を操るんだったら、直接的な物理攻撃しか持たない魔法使いは厳しいかもなあ・・・それこそ、三藤君とか!アッハッハッハッハ・・・」
東京湾海上 貨物船内
船員達の居住部屋に続く扉が途方もなく、片側にズラリと並んだ通路で、三藤はクラゲの魔物と交戦し・・・七谷の予想通り、苦戦していた。
ズズズ・・・ヒュガッ!
「グッ・・・」
水の刃で頬を浅く切り裂かれる。痛みを堪えて弾丸を四発、クラゲに向けて撃ち込むが、二発は水に浮かぶ瓦礫に弾かれてしまった。残り半分は一応命中した・・・が、
「ゼリーみたいな外見してるだけあるな畜生・・・穴が開いてもお構いなしか。」
もう八発は本体に命中させているが、クラゲが操る水の猛攻は衰える気配が無い。クラゲの傘はすでに穴がいくつも開いてボロボロになっているが、致命傷に及ばない。弱点さえ分かれば銃弾で貫いて終わりなのだが・・・
「クラゲの弱点って何!」
ヒュガガガガッッッ・・・
再び、クラゲが鉄をも切り裂く水の刃が発射する・・・体を捻りながら床にダイブしてどうにか躱す・・・もう格好を気にしていられない。
鈴城さんに選んでもらった、新品の葬服は海水につかったり破れたりすり切れたりで散々な有様・・・
服はボロボロとは言え、自分の体が五体満足を保てるぐらいには傷付いていないことがむしろ信じられない。
「相性悪すぎだろ!」
悲痛に叫んで、廊下から船員の個室に逃げ込んで扉の鍵を閉めた。
深く空気を吸って息を整える・・・こういう状況だと、戸黒さんの能力が羨ましい。羽衣の色さえ変えれば炎も雷も風も出せる上、銀色にすれば物理的な武器にもなる。どんな相手にも臨機応変に対応することが可能だ。あれだけ便利な能力はそうないだろう。
一方、僕の「道具の能力を極限まで引き出す能力」は手元にある道具で可能なこと以上のことは出来ない・・・例えば今、物理的な武器しか持ってないから液体を操るクラゲに有効打が与えられない・・・本当に使い勝手が悪い能力だ。
「ハァ・・・よし。」
自分の不便な能力を呪っても仕方がない・・・一旦落ち着いて現状を整理しよう。
まず一つ目はあの水の刃。距離を取ると威力を失って鉄を切断するような鋭利さはなくなる・・・そのおかげで、なんとか首の皮一枚繋がっている。
本体が纏っている水を大量に消費して放っているからか、数回しか連続で使えないようだった。三、四発撃つごとに水を周囲から供給する時間・・・クールタイムがある。といっても、近づいて本体に攻撃するまでの時間は無い。
ていうか、近づいて仕留めきれなかったらすぐに体が真っ二つになってゲームオーバーだ。リスクが高すぎる。
二つ目は、クラゲが鎧を纏っていること。あのゼラチン野郎、賢いことに自らが切断したことで生じた瓦礫を水に浮かせることで、鎧のように本体を守る盾にしていた。そのため、銃弾のほとんどは浮かぶ瓦礫に当たって弾かれてしまう。
「対して僕が持っている攻撃手段は・・・」
残弾があまり残っていない拳銃に、残り一つの手榴弾。あとは・・・何だっけ?違法に魔物を所有していた犯罪者・・・名前は忘れたけれど、そいつの家に突入したとき以来、戸黒さんに貸して貰っている、折りたたみ式ナイフ。
以上三つ。
「・・・・・・無理ゲーじゃね?」
水を供給し終えたのか、クラゲの放った水が僕の隠れている部屋の壁を突き抜けて来た。一応しゃがんでいたおかげで体は真っ二つにならずに済む。
「船内でなにか有効な武器を探すしかないか・・・船が海のまっただ中に移動させられているから、救援も見込めないし、僕があいつを倒すしかない・・・」
折りたたみナイフの刃を開き、クラゲがいる方向とは逆の壁に十字の切れ込みを入れる。まるで段ボールでも切っているかのようにサクサクと刃が通る・・・
考えている間に、あちこち指で叩いて、壁の薄い場所を探り当てておいたとは言え、ただのナイフでコンクリートを綺麗に切り分けられるようになるなんてね。
「ハハッ・・・魔法の力ってスゲエ。」
切れ込みを入れた壁を蹴り崩して隣の部屋に脱出し、クラゲが元の部屋に入り込む、丁度その瞬間を狙って廊下に飛び出す。休息の時間は終わり、クラゲとの鬼ごっこを再開する。
「しっかし、『鬼ごっこで捕まったんだから仕方ない』・・・か。守塚さんの言っていたことの意味が少し分かったかもしれない・・・」
新年会で鬼打さんが僕を捕まえたとき、守塚さんが述べた言葉・・・あの発言は彼の投げやりな判断基準を意味するモノでは決してなかった。
この非日常では鬼・・・敵に捕まることはすなわち「死」を意味するのだ。
「でも、それにしたって今回の鬼ごっこ、逃げる側の勝利条件がハード過ぎるだろ!」
ゴバッ!!!
背後で壁が吹き飛んだ音がする。振り返るとクラゲがズルズルと先程まで僕の隠れていた部屋の壁を破壊して這い出て来るところだった。
「ぐぅ・・・しょうがないか。」
額の汗を拭い、すでに疲れて、鉛のように重く感じる足を無理矢理動かして走り続ける・・・目的地はとりあえず「機関室」かな。なんか、色々道具がありそうだし。
東京湾周辺、とあるマンションの屋上
「七谷!・・・七谷!聞こえるか?」
黒髪に丈の長い黒コート、夜空よりも暗い瞳を持った男・・・・・・戸黒睡蓮が、海を眺望出来る高さのマンションの屋上で、耳に当てた通信機に何度も語りかけていた。
彼がわざわざ、立ち入り禁止の看板も掛けられている屋上にまで上がって来たのは、東京湾から流れてくる霧に周囲を包まれることを避けるためであった。
「・・・・・・もっと霧から離れないと通信出来ないか?」
この霧は何故か、通信機器の動作不良を起こす。地上はすでに霧が充満しており、通信機器がまるで正常に動作しない。そのため、戸黒は霧に侵されていない高所まで来る必要があったのだ。
「くろ・・・と・・・・・・戸黒?・・・聞こえるよ!」
「やっとか・・・面倒くさいなこの霧・・・」
基本はポーカーフェイスである戸黒も、この霧の害悪っぷりには悪態をつき、顔を顰めずにはいられないようであった。
「三藤君とは合流出来た?」
「それが・・・不味いことになった。東京港の、お前に指定された場所に向かったんだが、あいつが乗り込んだと聞いた船が消えていた。しかも霧の所為で船の所在が分からん。」
「ハア?・・・何それ?どういうこと?」
「おそらく・・・船が沖に流されたんだ。魔物の能力は水の操作だろ?波を操作して霧の濃い場所に運んだんじゃないか?」
「えぇ?でも・・・貨物船だよ?あんな巨大な船を動かせるほど強力な能力を持っているのその魔物は?だとしたらもっと被害が大きいはず・・・」
「知るかよ・・・三藤が危ないかもな。聞く限り、物理攻撃しか持たない三藤と相性が悪い能力だ・・・鬼打さんはどうした?」
「この霧で連絡が取れないんだよ・・・多分、最前線で戦ってる。」
「そうか・・・俺もこんな白い霧の中じゃ、奥の手までは使えない・・・クソッ。こういうのはルーンが一番得意な奴じゃねえか。なんであの馬鹿は肝心なときに不在なんだ・・・いてもいなくてもイライラさせるな・・・」
「うーん。今は仕事で中部に出張中だからなあ・・・そんなこと言ってもしょうがないよ・・・ん?え?・・・あれ?」
「どうした?」
「なんか、その馬鹿と付き添いの兎洞(うどう)からMINEが届いてるんだけど・・・」
「・・・・・・あ?」
「えっと・・・ルーンからは、『誰が馬鹿だ!黙ってろ色男め!!!』だってさ。」
「馬鹿の方はいいんだよ。兎洞からはなんて?」
「んー・・・んん?・・・要約すると・・・『馬鹿の我儘でこっちに出張から早めに帰ることになって今、丁度飛行機で霧の上空にいる』ってさ・・・」
「・・・・・・」
「ん?また馬鹿から・・・うわ!?スタ連して来やがる!?兎洞の所為だな!あんの『地獄兎』め!・・・僕ちゃんらがあいつを馬鹿って言ってることまで伝えなくていいのに!」
「・・・・・・」
戸黒は、マイクの向こうで、緊急事態中、場違いにもSNSと格闘している同僚達に肩を落としながら、こんなことを考えていた。
任務が終わって帰宅する頃には・・・俺のスマホにもあの馬鹿がスタンプを送り過ぎて、処理落ちして死ぬほど重くなってるかもな・・・
「面倒くさ・・・」
海上 貨物船内 機関室より
「うへえ、使い方分かんねえ・・・」
三藤は、工作室に設置された作業台の上に並べられた山のように多くの工具を前に・・・・・・自分の能力の根源であるはずの道具を前に、肩を落として落胆していた。
「分かんねえよ全部・・・」
この動作と台詞・・・テスト対策を全くしなかった奴が、定期テストの問題を見てするのと完璧に同じだ・・・
「能力が道具を触媒にすることから考えて、あらかじめ工具の名称と使い方ぐらい覚えときゃよかったな・・・てか、これもテストの例と被るっちゃ被るな。」
やっときゃよかった・・・てか?ハハッ・・・
笑えねえよ。
あの怪物はクラゲなこともあってか、移動の速さも僕の全速力よりは遅く、入り組んだ船の構造を利用して上手く距離を取ることが出来た。
おかげで機関室の工作室を物色する余裕が少しだけあった。
それはいいのだが、立て掛けてあったり道具箱の中に詰まっていたりする道具を作業台に並べてみると、ほとんどが見たことも聞いたこともない物ばかりで、役に立ちそうになかった。
「ペンチとスパナぐらいしか知らないよ・・・」
これらは船の機器を整備、修理する用途のモノであるから、直接クラゲとの戦闘に使えるとは思っていなかったけれど・・・予想以上に収穫が無い。
近くにあった船の備品倉庫らしき場所も探ってみたが、役に立ちそうな物は見つからなかった。
「これでどう奴を倒せと?」
これなら折り畳みナイフの方がまだ使えそうだ。どうしたものか・・・工作室を出て、様々な機械が設置され、その管が蜘蛛の巣のように張り巡らされた機関室を見回す。
クラゲにより、波を操られて強制的に移動させられているため、エンジンも動いておらず、比較的静かな状態であった・・・遠くから聞こえる、クラゲがこちらに這い寄って来る音以外は。
ビチャビチャズルズル・・・汚いったらありゃしない。
「うーん・・・道具が多そうって理由で来ちゃったけど、ここで戦うとエンジンとかが損傷して燃料とか漏れちゃいそうで怖いな・・・燃料?」
一瞬、奴に燃料をかけて燃やしてしまおうかと考えた・・・が、すぐに却下した。
そもそも燃料の取り出し方が分からない上、水を操れるのだから、奴にしてみれば、燃料が混ざった部分の水を全て本体から切り離してしまえば、火から簡単に逃れられてしまうのだ。
おそらく、やっても意味は無い・・・え?
切り離してくれるのか?
「・・・・・・いやでも、結局燃料の取り出し方なんて分からないしなあ。」
そもそもどの機械がエンジンで、どれが燃料タンクなのかすら判別出来ない。
「ん?」
エンジンって確か、燃料以外にも・・・
「それだ!」
すぐに、物色済みの備品室に駆け戻る・・・僕の記憶と知識が正しければ、この部屋の何処かにあるはず・・・あれが。
「あ、でも・・・もっと厳重な場所に保管しているのかな?危険物だから鍵の付いた場所とかにあるかもな・・・」
とにかく急がなければ。クラゲがここに来るまでもう時間が無い。
関東地方上空 東京着予定の飛行機より
「本当にどうなっているんだ下は?」
飛行機のコックピットで、経験豊富なはずの機長達が予測不能な事態に動揺していた。本来であれば着陸準備に入っていい場所まで到達したのだが、その許可が下りない・・・
いや、そもそも管制室と連絡が途絶えているかどうかに関わらずら明らかに地上は着陸可能な様子では無かった。
「東京でこんな大規模な濃霧なんて・・・聞いたことありませんよ。」
そう・・・霧。
巨大な、真っ白な霧が東京湾とその近縁の陸地を完全に覆っていた。着陸予定であった滑走路も霧に覆われて一切見えず、着陸不可能であった。
仕方なく、機長達は着陸を見送って、空港の上空を旋回して様子を伺っている状況であった。
「むぅ・・・せめて管制室と連絡が取れればな・・・」
最悪、着陸予定の空港とは別の空港に進路を変更しなければならない。燃料は余裕があるから、墜落の心配はあまり無いのだけれど。
「乗客にどう説明したものか・・・」
飛行機自体に問題が存在するわけでは無いため途方に暮れていると、客室乗務員から不審な連絡が入った。
「・・・き、機長!て、テロリストらしき人が・・・ブツッ・・・」
いきなり物騒な言葉が出てきたかと思うと、すぐに報告が途切れた。
「何?この異常事態に加えてテロリストだと?おい!どうした?無事か?」
すぐに連絡が再開されたが、無線の先にいる、声の主が明らかに変わっていた。
「・・・だーからテロリストじゃないって言ってるじゃん!ちゃんと国直属の魔法使いだってのに・・・ん?何?・・・余計なことを一般人に話すなって?別に大丈夫でしょ・・・言いふらす奴がいても信じる人なんていないよ。どんだけ頑張っても、こんな異常気象を記憶処理だけで済ませられるわけないし・・・」
なんだ?・・・魔法?
乗務員のマイクをテロリストが奪ったのだろうか?だとしても会話の内容が意味不明だぞ?
「・・・誰だお前は?要求は何だ?」
何にせよ、危険因子であることに変わりはない。無線を持っていた、元の乗務員が無事であることを祈る。
「あ、機長さん?ちょっといい?」
「・・・・・・?」
「あんたに電話が掛かって来ているんだ。」
「・・・・・・は?」
「あれ?聞こえなかった?電話だよ電話!で・ん・わ!
「・・・・・・」
「あんたに話がしたいってオッチャンが言っててさ・・・なんだよ、怒らないでよオッチャン。四十超えた男は大体オッチャンだし女だったらオバチャンだろ。そんなところでカリカリすんなよ。抜け毛が増えるぞオッチャン。」
電話?私に電話が掛かっているって・・・そんな、阿保みたいな・・・ここは飛行機の中だ。家の中とか、会社のオフィスにいるわけじゃあないんだぞ?
「あー、面倒くさいな。話が進まない。こっちは急いでいるってのに・・・取り敢えずそこに行くから!・・・ブツッ・・・」
また通信が途絶える・・・テロリストは、今なんていった?
こっちに来る?
「機長?これは一体・・・」
副操縦士が困惑を隠し切れない様子で私に何かを求めて来る。いや、私も何がなんだか・・・
ギギャッ!!!
耳をつんざく金属同士の擦れる音が・・・狭いコックピットに響く。
機長、副機長が驚いて後ろを振り向くと、銀色の細長い何かが、コックピットと客室を繋ぐ金属扉を貫通していた。
「「・・・・・・」」
よく見ると、扉を貫いていたのは・・・細身の西洋剣であった。表面に十字型の文様が均等な感覚でいくつも彫り込まれており、それらの模様がどういう原理なのか・・・真っ赤に光っており、鈍い銀色の刀身がその光を反射している。
「は?」
ギギギ・・・と、不快な金属音を出しながら西洋剣が斜めにスライドし、扉が真っ二つ切断されて床に転がった。
「そんな馬鹿な・・・」
コックピットの扉はテロ対策にかなりの強度を誇る・・・並の銃器をモノともしない程度には頑丈に作られているはずだ。その扉を、並の刃物で一刀両断なぞ・・・出来るはずが無い。
溶断するならまだしも、ただの剣で、力尽くに切断することは・・・不可能だと言ってもいい。
「失礼するよー・・・へえ。操縦室ってこんな感じになってるんだねえ・・・絶景かな絶景かな。」
扉を切り捨てて入って来たのは、扉を一瞬で破壊したとは思えない、そんな馬鹿力があるとは思えない、細身の女だった。
女性にしては身長が高い方だろうか?体型も出で立ちも、日本人というより、西洋人のそれに近かった。
「・・・・・・魔女?」
「ん?魔女だよ?」
副機長が呟いた言葉に戯けた風に笑って返した彼女の服装は、常識を大きく踏み越えた、異常なモノであった。
青いベルトを巻いた黒いつば広三角帽子に、黒に近い、濃い青色のマント・・・誰が見ても彼女を魔女・・・
違うな。
魔女のコスプレをした痛い人だと認識するはずだ。
「貴様!テロリストか!?武器を捨てろ!」
副操縦士が侵入者を排除しようと身構える。
「武器?・・・ああ、戻すの忘れてた。」
彼女が細身の剣を軽く振って床に剣の切っ先を当てたかと思うと、銀色の刀身が一瞬で黒い木製のステッキに変化した。
「「・・・へ?」」
理解が追いつかず、副操縦士と共に間抜けな声を上げる・・・マジックか何かか?
「ほら、電話!こっちも急いでるんだから早く出てよ!」
魔女は、こっちが怒りたいぐらいなのに、逆ギレしてスマートフォンを無理矢理私に押し付けて来た。その拍子に、巨大な帽子の影で隠れていて見えなかった、彼女の金の三つ編みが揺れる。
「一体何が・・・」
「だぁから早く電話に出ろって!さっきから言ってるでしょ!怒るよ!?」
訳が分からない・・・その一言に尽きた。
切断された扉の向こうからコックピット内を覗く、乗務員達や隣の副操縦士も同じことを思っているようだ。全員、テロ対策マニュアルなど忘れて、困惑した表情でおどおどしている。
「・・・もしもし?」
何だかんだ、周囲の部下に気を配るほどの冷静さを残していた機長は、状況が理解出来ないけれど、取り敢えず魔女の言う通り電話に出ることにした。
「もしもし!やっと機長と繋がったか・・・すまんね、大山機長。聞く限り、クソ生意気な馬鹿魔女が一悶着起こしたようだ・・・心から謝罪する。」
電話に出たのは、声色からしておそらく、中年の男性であった・・・何処かで聞いたことがある声な気がする。
「あなたは?」
「あぁ、すまない。私は石川聡一。国土交通大臣だ。」
「は?」
国土・・・交通大臣?
あの・・・内閣の?
ニュースで見る?
「単刀直入に言おう。君は今日目にすることになる、現実離れした出来事は全て夢と思って忘れろ。そして、目の前にいる金髪の女性とその仲間がこれから行うことに一切口出しするな・・・以上だ。」
「・・・・・・はい?」
「いいな?管制室に許可を取る必要は無い。そもそも現状、霧が晴れない限り管制室からの通信は復活しないからな。」
「・・・・・・」
本当に何を言っているんだこの人は?
「オッチャーン!話終わったぁ?早く現場に向かいたいんだけどぉ!」
「貴様!私とお前は初対面のはずだ!何故そんな生意気な口を利ける!私は貴様より立場は上だぞ!」
航空機の職員達の混乱を気にも留めず、傍若無人に振る舞う魔女と大臣。
「一体、何が・・・」
「機長さん。」
エメラルドのような、透き通るように綺麗な緑の瞳を持った魔女が、ニコリと・・・聖母のように笑う。
魔女が浮かべているからこそ、聖母のように優しい笑顔が・・・胡散臭い。
「私は今から困っている人を助けに行くんだ・・・それは当然、正しいことだろう?」
「・・・・・・」
「だから、協力してもらう。人命が掛かってるんだから、ルールを破らせて貰う。それを容認してくれってことさ・・・難しいことじゃ無いだろう?」
そう言い残すと、魔女はマントを翻して颯爽とコックピットを去った・・・乗務員達ががポカンと口を開けたまま客室の向こうに小さくなって行く背中を見つめる。
「・・・申し訳ないね。理不尽な要求であることは私も分かっているんだ。それでも・・・・・・承認して欲しい。」
携帯の向こうの、大臣だと名乗った男が低い声で言った。
「・・・・・・分かりました。私は今日見たことを明日には全て忘れ、彼らの行いに一切干渉しません・・・部下にもそれを徹底させます。」
機長はなんとなく・・・・・・自分達一般人が踏み入れてはいけない領域があるのだということを悟って・・・承諾した。
「ありがとう。お詫びに、君の家にワインでも届けておこう。」
「・・・日本酒でお願いします。」
飛行機後部 搭乗口より
「許可は取れました?」
共に中部支部に出張していた同僚・・・鼠色のプリーツパンツに分厚い白のレインコートを着ていて、首に大きなヘッドホンを下げている小柄な目つきの悪い青年・・・
七谷冬次から『地獄兎』と呼ばれた男
兎洞達美が人払いを済ませて待っていた。
「うん。取れなくても行くけどね。」
「なるほど・・・それもそうだ。」
兎洞はぶっきらぼうに相槌を打つと、自分の役目は終わったと言わんばかりに、通路の壁に背を預けて、ヘッドホンを耳に当てて目を閉じてしまった。
「外は任せます・・・」
「うん。任された。」
魔女は搭乗口の前にしゃがんで、懐から油性マーカーを取り出して準備を始める・・・魔女は、自分が扉を開けて飛び出した際、飛行機内の気圧が変化しないよう細工していた。
こんな上空で無闇に扉を開けたら、飛行機の乗客が全て死んでしまうことになる。
「あのっ!」
客室から三人の若い男女が現れた・・・背格好や顔つきから見て、おそらく中学生だろう。正月の帰省か旅行から、関東に帰る所だろうか?
「・・・・・・何?」
兎洞が片目を開けて、ギロリと彼らを睨む。中学生の彼らと背丈はそこまで変わらないというのに、彼のトゲのある言葉と凶悪な目つきに、中学生達がたじろぐ。
「「「わ、私達も手伝います!」」」
兎洞の威圧に負けず、三人が唇を噛みながら、懐から短い杖を取り出して見せた。
「・・・・・・なるほど。魔法学校の生徒か。」
「その杖、懐かしいなあ・・・そんなもの、今時誰も使わないのに、何故か授業ではそれ使うんだよね・・・」
彼らの取り出した杖は、学園の生徒に、授業用に支給される物だ。この緊急事態を見て、力不足であることは承知で勇敢にも・・・無謀にも、彼らの手伝いをしたくなったということだろう。
「ふふふ・・・君らには申し訳ないけど、その気持ちだけ貰っておくよ・・・ありがとう。君達みたいな学生がいるんなら、この世はしばらく安泰だね・・・」
準備を終え、三角帽子を外して杖と一緒に両腕で胸に抱えると、魔女はクルリと向きを変えて、背を扉にピッタリとつける。
「じゃあ行って来るよ。私に何かあったら宜しくね、兎洞?」
「了解」
バンッッッ!!!
大きな音を立てて扉が飛行機の外側に吹っ飛び、彼女の体も一緒に空中へ放り出される・・・
「久しぶりのスカイダイビングだ・・・パラシュート着けてないけどね。」
魔女は自虐的に笑う。
「さて、新人君は無事かな・・・死体とご対面なんて嫌だよ?」
魔女は目を閉じ、不吉なことに・・・いや、まるで鬼打千華と半田義彦の会話を聞いていたかのように・・・計ったかのようにタイミング良く、「ロンドン橋」を口ずさみながら海と大地を飲み込む霧の中に落下した。
「あの人は一体・・・」
「扉を開くと同時に魔法防御壁を展開してそれを塞ぐなんて・・・」
「あの三角帽子、もしかして!」
「・・・・・・」
兎洞辰巳は学生達に説明するのも面倒臭くなって、再び目蓋を閉じて、黙りこくっていた。魔法学校の生徒なら、説明しなくても今、大空に飛び出して行った馬鹿の名前ぐらい知っていて当然だ。
「間違いないよ!」
「うん!きっとそうだ!」
「あの人が・・・『原初の魔女』だ!」
「・・・・・・あれ?そういえば、俺が大臣に電話を繋げて貸したスマホ、どこやったんだあの人?」
貨物船内 機関室
ゴボボッ・・・ズズッ・・・ゴボッ・・・
獲物を食らうため、周りに目もくれず直進する。
クラゲは飢えていた。
ズズッ・・・ビチャッ・・・
入り組んだ機械のコードをすり抜け、下へと落下する。
クラゲは焦っていた。
ヒュガッ!!!
邪魔な鉄柵を切断する。
クラゲは悶えていた。
体が寒い、熱い、冷たい・・・暑い苦しい汚らわしい辛い煙い欲しい痺れる怠い痒い憎いしんどい気持ち悪い怖い暗い臭いさびしい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い・・・・・・
生きたい
生きたいから・・・食べなければ。
体が崩れてしまう前に。
命の火が消えてしまう前に。
あの獲物を取り込めば少しは楽になれるだろう・・・早く、早くあの獲物を捕らえなければ・・・早く!
パンパンッ!!!・・・
乾いた銃声が二回響き、振動でクラゲの纏う体が僅かに震える。
「・・・来い。」
綺麗な茶髪の・・・既に傷だらけの少女が・・・獲物が通路の奥に立っていた。
クラゲは思う・・・寄越せ!肉を寄越せ!
本来あるはずの無い理性と、死を受け入れようとしない本能がクラゲを突き動かす。
床に散らばっていた道具や機器を蹴散らして、獲物が逃げた階段の支柱を伝って下方に素早く移動する。階段を降り切ると、獲物はすぐ側の狭い通路へと飛び込んだ。
絶対に逃がさん。
クラゲは狭い通路の壁に体を何回も衝突させるが、構うことなく獲物を追跡する・・・獲物がどこか部屋に入って扉の鍵を閉めた。
ゴパンッ!!!
獲物が逃げ込んだ扉を押し潰して部屋に押し入る・・・しかし、いるはずなのに獲物がいない・・・
横一列に機械が並んでいる部屋だった。
クラゲは水の刃を射出して獲物が隠れられそうな障害物を切り刻み、残骸ごと獲物を飲み込もうとする・・・
ビチャッ・・・
突如、クラゲの操作する海水とは異なる、粘着性の高い液体の音が響く・・・濃いオレンジ色をした、粘り気のある液体がクラゲの体に掛けられた音だった。
しかし、液体であればクラゲの武器であることに変わりはない。渦を巻くように水を操作し、オレンジの液体を体に同化させる・・・
「ん?なんだ・・・水と油で混ざらないかも、なんて心配してたけど、杞憂だったか。わざわざ自分で取り込んでくれたし、そこまで量は必要無かったか・・・」
クラゲが乗り越えた瓦礫の真上、部屋を横断する形で張り巡らされた鉄網の上に、獲物が立っていた。
右手には拳銃、もう片方の手にはオレンジの液体が詰められた、巨大なアルミ缶を握っている。
同じアルミ缶が、彼女の乗っている金網の上にいくつも用意されていた。
「『エンジンオイル』だ。よく燃えるだろうね。」
獲物が拳銃をクラゲの側にあった鉄骨に撃ち込むと火花が飛び散り、同時にクラゲの体に引火した。
ゴボッ!?
クラゲが突然発火した自分の体に驚いて身をよじる。水の中で生活して来たクラゲにとって炎は経験の薄いモノであった。苦手な高温に周囲を包まれたことに恐怖し、今まで熱狂していた獲物を喰らう目的も忘れてのたうち回る。
『エンジンオイル』
燃料とは別にエンジンを動かすのに欠かせない油。燃料を燃やして動力が伝わったエンジンの駆動部に差し込んで使う・・・駆動部を滑りやすくして磨耗を防ぎ、密封性を高めてエンジンの仕事量を増加させ、冷却や防錆の効果も発揮する・・・簡単に言えば、『潤滑油』であった。
もちろん、油であるから火気厳禁
しばらく身体をくねらせていたクラゲも、火を起こしている正体が水に混ぜ込まれたオイルの所為であることに勘付き、混合してしまった部位を切り離しにかかる。
本体に火が回る前に、オイルを周囲の水ごと切り離して、炎から距離を取る。操作可能な水が少なくなってしまった。供給しなければ・・・
「させると思う?」
鉄網から跳び降りた獲物が拳銃からナイフに持ち替えて、クラゲに向かってゆっくりと近づいて来た。再び、抑え切れないほど湧き上がってくる莫大な食欲に駆られ、水の刃で獲物を仕留めるために水を圧縮・・・
「出来ないよね?あの刃、水をかなり消費するんだろ?だから数回使った後にクールタイムがある・・・エンジンオイルを取り除くために大部分の水を切り離したから、随分身体が縮んだもんだ。打てても水鉄砲ぐらいにしかならないんじゃない?」
攻撃手段が封じられてしまった。クラゲは命の危機を感じて瓦礫を盾にしようとするが、それも炎から逃げ出すために水と一緒に切り離してしまっていた。
「間抜けだなあ・・・一応、瓦礫を吹き飛ばすために手榴弾を使おうと思ってたけど必要無くなったね。」
今すぐ水を補給しないと殺される・・・近くに水は・・・
「無いよ。その為にわざわざ水気の無い制御室まで来たんだから。」
クラゲは気付いた。
獲物が自分にオイルを掛けたのは自分を焼き殺すためでは無く、纏った水を削り取るためであると。
獲物がここまで逃げたのは近くに水道管が無く、給水出来ない場所に自分を誘い込むためだと。
そして、自分が獲物だと思っていた生物は・・・
「ほら、逃げろよ。今度は僕が鬼だ。」
コポッ・・・
残り少なくなった水を懸命に操作して逃げる・・・
逃げれない。
逃げる暇なんて無い。
「捕まえた。」
一閃。
鬼が振り下ろしたナイフがクラゲの本体を二つに切断する。ベシャリと汚い音を立ててクラゲが地に落ちた。
容赦の無い鬼が既に動く力を失ったクラゲの体に、缶の中に少量残っていたエンジンオイルを振り掛ける・・・火をつけるまでも無く、炎上中のオイルを表面に浮かべた水が瓦礫を伝ってゆっくりとクラゲの方に流れて来た。
嫌だ・・・死にたくない・・・熱い・・・でも・・・これでもう・・・痛くない・・・
強大な能力に胡座を描くものは、自分が喰らう側である一方で、喰われる側の存在でもあることを忘れてしまう。
「三藤君、大丈夫かなあ・・・」
「心配し過ぎだと思うぞ。あいつの『道具の能力を極限まで引き出せる』能力の真骨頂はただ武器を達人レベルに使いこなせることじゃあないからな。」
「え?」
「訓練に付き合っていて気づいたんだが、あいつはおそらく『道具』の能力を引き出す時、その過程で副次的に自身の持つ『知識』や『経験』を完璧に引き出しているんだ・・・本人も気付いていないようだったがな。」
「どういうこと?」
「お前は道具を使う時・・・パソコンを操作する時、何を使っている?」
「何って・・・指?」
「そういうことじゃなくてだな・・・今まで習った知識や経験を統合して、パソコンや携帯、他にも様々な道具を使ってるだろ?」
「え?えーっと・・・そうだね。道具を使う時はいつだって、他人や説明書から教わった使い方・・・知識を活用しているし、自分で何回も試してみたり、他人が失敗しているところを見たりして得た失敗の経験を考慮して道具を使っているね。」
「ああ・・・『道具を使う』っていうのは、人間が手足を動かすだけの単なる動作を示すわけではなく、もっと複雑な・・・人間の思考の連続を、丸っ切り全て引っくるめた動作だ。」
「ほーん・・・」
「だから、『道具を使う』能力を使用している間、経験したことや教わったことを即座に昇華して成長する上、覚えている知識をフル活用して有効な策を短時間で練り上げることが出来るってことだ。」
「つまり?」
「常人の何倍も飲み込みが早く、思考の回転が速い・・・だな。周囲に何も使える物が無いんならまだしも、貨物船の中なら色々あるだろうから十分実力を発揮出来るだろ。」
「ふうん・・・」
「七谷お前、真面目に聞いていないな?」
第四話終
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