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第4章 鎮火、その藍の瞳に堕ちて
今はこの時間を大切にしたい
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もしかしたら、ファルクが剣を手に追いかけてくるのでは不安に思い、何度もサラは後ろを振り返ったが、その心配はなかった。
心に落ちる暗澹としたものが決して消えたわけではないが、もしかしたら、自分の思い過ごしなのかも知れない。
きっとファルクの姿を見てしまったからそう不安を感じているのだと、無理矢理そう思うことにした。
とにかく今は忘れてしまおう。
ハルと一緒にいられる時間を大切にしたい。
そんな自分を気遣ってくれているのか、ハルが時折、手を強く握りしめてくれた。それはまるで、大丈夫、俺がいるよと言ってくれているようで嬉しかった。
言葉はなくても、ハルの気持ちは伝わってくる。
隣を歩くハルの顔をちらりと見上げると、ハルも気づいて視線を落としてくる。目が合うたび、サラは微笑みを返した。
ごめんねハル、心配をかけさせて。
でも、私は大丈夫よ。
薔薇園を抜けたその奥には林が広がっていた。
ハルがあんたの庭は広くて迷う、と言っていたわりには、広大な敷地内をまるで知りつくしているかのように、ハルの足どりはためらいもなく進んでいく。
サラとて、奥にまで入って行くのは初めてであった。自分の屋敷なのに、こんな場所があったのかと驚いてしまったほどであった。
林内に踏み込むと一転して辺りは薄暗くなり、ひんやりとした空気が漂い、肌寒さを感じた。
サラはきょろきょろと回りを見渡しながら、ハルの手に引かれ歩いた。
薄暗い木々の中、上空を覆う枝葉の隙間から、ちらちらと太陽の光が見え隠れした。
しばらく歩くと、一頭の馬が木に繋がれているのがサラの目に飛び込んだ。
「え? こんなところに馬……」
ハルが連れてきたのだろう、サラは木に繋がれた馬に駆け寄りその背をそっとなでた。
「どうしたの、この馬?」
「今日は少し遠出をしようかと思って借りてきた」
サラは嬉しそうに瞳を輝かせた。
「ハル、馬に乗れるの! すごいわ!」
「そんなに驚くこと?」
「ハルは何でもできてしまうのね。ねえ、ハルにできないことってあるのかしら?」
「できないこと?」
ハルは首を傾げてしばし考え込み。
「思い浮かばないな」
と、しれっと答える。
「そんなことはないでしょう。ハルにだって苦手なこととかあるでしょう? たとえば、お料理とかお裁縫は? 男の人だもの苦手よね」
「それ、あんたの苦手なことだよね? 困らない程度にはできるよ。少なくともあんたよりはね」
「それを言われると返す言葉がないわ。うーん、私、絶対ハルの苦手なこと探してみせるから」
「いちいち探さなくていいよ。そんなことより」
言うや否や、ハルは軽やかに馬にまたがった
手にしていたお弁当の籠を胸に抱え、サラはぽうっと頬を赤らめハルを見上げる。
「何だかハル、王子様みたいで素敵……」
何それ、と苦笑を浮かべ、ハルはおいで、とサラに手を差し出してきた。
「もしかして、一緒に乗せてくれるの?」
「一緒に乗らなかったらあんたはどうするつもり? 歩くの?」
「歩かない! 乗せて!」
「なら、お姫様」
「お姫様……」
「照れてないで、手」
うん、とうなずきハルの差し出してきた手をとると、軽々と引っ張り上げられ騎乗する。
「うわー馬ってこんなに高いのね」
「乗るの初めて?」
「初めてだわ」
「怖くない?」
「ハルと一緒だもの。怖くない」
首を傾けてサラは振り返り、にこりとハルに笑顔を向けた。
「ハル、私のためにありがとう。嬉しいわ」
ふわりと背後から抱きしめられる。
「喜んでくれるなら、よかったよ」
「うん」
背中越しに伝わってくるハルの温かさが心地よくて、サラは静かに目を閉じた。
「少し笑ってくれたね」
「うん、心配かけてしまってごめんなさい。それに、私がハルにお屋敷に来てと言ったばかりに……まさかあの人があの場に来るとは思わなかったから……」
回されたハルの手にサラは自分の手を重ねた。
「ねえハル、もしさっきファルクが剣を向けてきたら、ハルはどうするつもりだったの? 戦うつもりだった?」
いいえ……殺してしまうつもりだったの。
「どうするつもりもないよ。それに、剣を抜くまでもない、あの男程度なら素手でじゅうぶん」
「素手でって……」
重ねたハルの手にサラは視線を落とす。
こんなにきれいで、女の人みたいに細い手なのに。
「心配しなくても、あの男が俺に何かを仕掛けてきたとしても、どうこうするつもりはないよ。いちおう、あんたの婚約者だし、今あの男に何かあったら問題があるだろう」
それを聞いてほんの少しだけ安心した。
が……。
「ただし……」
ただし、と言って、重ねた手に指を絡めとられ、さらに、回されたハルの腕に力が込められる。
「あんたに危害を加えない限りはだけどね」
ならもし、と言いかけようとしたサラは思わず言葉を呑み込んでしまった。
恐ろしくて聞けなかった。
もし、私に何かあったら、間違いなくハルはファルクを容赦なく叩き潰してしまうだろう。
ハルにそんなことはさせたくない。
私がちゃんと気をつければいいだけのこと。
あの男と二人っきりになったりしないし、夜もしっかりと部屋に鍵をかけておけばこの間のように忍び込んでくることもないはず。
「行こうか」
ハルの声にサラは我に返りうなずいた。
そして、馬は走り出した。
心に落ちる暗澹としたものが決して消えたわけではないが、もしかしたら、自分の思い過ごしなのかも知れない。
きっとファルクの姿を見てしまったからそう不安を感じているのだと、無理矢理そう思うことにした。
とにかく今は忘れてしまおう。
ハルと一緒にいられる時間を大切にしたい。
そんな自分を気遣ってくれているのか、ハルが時折、手を強く握りしめてくれた。それはまるで、大丈夫、俺がいるよと言ってくれているようで嬉しかった。
言葉はなくても、ハルの気持ちは伝わってくる。
隣を歩くハルの顔をちらりと見上げると、ハルも気づいて視線を落としてくる。目が合うたび、サラは微笑みを返した。
ごめんねハル、心配をかけさせて。
でも、私は大丈夫よ。
薔薇園を抜けたその奥には林が広がっていた。
ハルがあんたの庭は広くて迷う、と言っていたわりには、広大な敷地内をまるで知りつくしているかのように、ハルの足どりはためらいもなく進んでいく。
サラとて、奥にまで入って行くのは初めてであった。自分の屋敷なのに、こんな場所があったのかと驚いてしまったほどであった。
林内に踏み込むと一転して辺りは薄暗くなり、ひんやりとした空気が漂い、肌寒さを感じた。
サラはきょろきょろと回りを見渡しながら、ハルの手に引かれ歩いた。
薄暗い木々の中、上空を覆う枝葉の隙間から、ちらちらと太陽の光が見え隠れした。
しばらく歩くと、一頭の馬が木に繋がれているのがサラの目に飛び込んだ。
「え? こんなところに馬……」
ハルが連れてきたのだろう、サラは木に繋がれた馬に駆け寄りその背をそっとなでた。
「どうしたの、この馬?」
「今日は少し遠出をしようかと思って借りてきた」
サラは嬉しそうに瞳を輝かせた。
「ハル、馬に乗れるの! すごいわ!」
「そんなに驚くこと?」
「ハルは何でもできてしまうのね。ねえ、ハルにできないことってあるのかしら?」
「できないこと?」
ハルは首を傾げてしばし考え込み。
「思い浮かばないな」
と、しれっと答える。
「そんなことはないでしょう。ハルにだって苦手なこととかあるでしょう? たとえば、お料理とかお裁縫は? 男の人だもの苦手よね」
「それ、あんたの苦手なことだよね? 困らない程度にはできるよ。少なくともあんたよりはね」
「それを言われると返す言葉がないわ。うーん、私、絶対ハルの苦手なこと探してみせるから」
「いちいち探さなくていいよ。そんなことより」
言うや否や、ハルは軽やかに馬にまたがった
手にしていたお弁当の籠を胸に抱え、サラはぽうっと頬を赤らめハルを見上げる。
「何だかハル、王子様みたいで素敵……」
何それ、と苦笑を浮かべ、ハルはおいで、とサラに手を差し出してきた。
「もしかして、一緒に乗せてくれるの?」
「一緒に乗らなかったらあんたはどうするつもり? 歩くの?」
「歩かない! 乗せて!」
「なら、お姫様」
「お姫様……」
「照れてないで、手」
うん、とうなずきハルの差し出してきた手をとると、軽々と引っ張り上げられ騎乗する。
「うわー馬ってこんなに高いのね」
「乗るの初めて?」
「初めてだわ」
「怖くない?」
「ハルと一緒だもの。怖くない」
首を傾けてサラは振り返り、にこりとハルに笑顔を向けた。
「ハル、私のためにありがとう。嬉しいわ」
ふわりと背後から抱きしめられる。
「喜んでくれるなら、よかったよ」
「うん」
背中越しに伝わってくるハルの温かさが心地よくて、サラは静かに目を閉じた。
「少し笑ってくれたね」
「うん、心配かけてしまってごめんなさい。それに、私がハルにお屋敷に来てと言ったばかりに……まさかあの人があの場に来るとは思わなかったから……」
回されたハルの手にサラは自分の手を重ねた。
「ねえハル、もしさっきファルクが剣を向けてきたら、ハルはどうするつもりだったの? 戦うつもりだった?」
いいえ……殺してしまうつもりだったの。
「どうするつもりもないよ。それに、剣を抜くまでもない、あの男程度なら素手でじゅうぶん」
「素手でって……」
重ねたハルの手にサラは視線を落とす。
こんなにきれいで、女の人みたいに細い手なのに。
「心配しなくても、あの男が俺に何かを仕掛けてきたとしても、どうこうするつもりはないよ。いちおう、あんたの婚約者だし、今あの男に何かあったら問題があるだろう」
それを聞いてほんの少しだけ安心した。
が……。
「ただし……」
ただし、と言って、重ねた手に指を絡めとられ、さらに、回されたハルの腕に力が込められる。
「あんたに危害を加えない限りはだけどね」
ならもし、と言いかけようとしたサラは思わず言葉を呑み込んでしまった。
恐ろしくて聞けなかった。
もし、私に何かあったら、間違いなくハルはファルクを容赦なく叩き潰してしまうだろう。
ハルにそんなことはさせたくない。
私がちゃんと気をつければいいだけのこと。
あの男と二人っきりになったりしないし、夜もしっかりと部屋に鍵をかけておけばこの間のように忍び込んでくることもないはず。
「行こうか」
ハルの声にサラは我に返りうなずいた。
そして、馬は走り出した。
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