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第4章 鎮火、その藍の瞳に堕ちて
哀愁の笛の音
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文机に頬杖をつき、サラは口元を緩ませた。
窓の向こうに広がる夜空を見上げる。
翳りのない深い藍に彩られた夜空は、澄んだハルの瞳を思わせた。
そっとため息をつき眼差しを落とす。
ハルのことを考えるだけで、頬が熱くなり、胸が苦しく締めつけられるように痛んだ。
生まれて初めて恋というものを知ったサラにとって、この上もない至福の瞬間。と同時に、幸せに満たされた心によぎる不安の翳り。
サラは頬杖をついたまま、もう一度ため息をつく。
幸福と不安が交錯する心はまさに張り裂けんばかり。
愛する男性の一つ一つの動作に、何気ない一言に一喜一憂してしまう。
それほどまでに、サラの胸のうちにはハルの存在がしめていた。
だが、果たして相手にとって自分はどうであろうか。
今の自分がハルにとって、大きな存在であるとは到底思えない。けれど、いつかそうなれる日がくればいいと願わずにはいられない。
きまぐれで会いに来てくれるのではなく、ハルから自分に会いたいと思わせなければいけない。
分かっているけれど、やっぱり無理よ。
だって、私の方がハルに夢中だもの。
「せつないな」
そして、再び深いため息をつく。
とにかく、朝からこんな調子ゆえ、明日まで片づけなければならない宿題がまだ半分も残っていたが、気もそぞろで手をつける気がおきない。
きっとまた家庭教師に小言を言われてしまうだろう。
すでに時刻は夜更け。
机の上に置いた蜜蠟の淡い炎に視線を落とす。
今夜も来てくれるのかな……。
よくよく考えてみれば、素直に約束を守るような人ではなさそうだし。
などと、半ばあきらめにも似た思いを抱き始めたサラの耳に、夜の静寂をぬって響くかすかな笛の音が聞こえた。
笛?
まさか……!
咄嗟にサラは顔を上げ、椅子から勢いよく立ち上がった。そして、バルコニーへと向かって駆け出し窓を開け放つ。
清涼な夜の空気が一気に部屋へと流れ込む。
涼とした風がサラのほんのりと薔薇色に染まる頬をなで、波打つ髪を揺らした。
サラは瞳を輝かせた。
熱のこもったその視線は、目の前の相手に釘づけになったまま離れない。
露台の手すりに足を組み、腰をかけるハルの姿。
淡い月の光がハルを照らす。
まぶたを閉ざし、うつむき加減で首を傾け横笛を吹くその姿は、夜の闇にぼんやりと浮かんで、まるでそこだけが現実と切り離された、幻想的な空間を満たしていた。
どこか悲哀さを漂わせる笛の旋律が、静かなる夜の虚空へと溶けていく。
その音色は、耳を傾ける者の心の奥深くまで浸透していった。
震える笛の音が曲の終わりを告げ、静かな余韻が暗い闇の虚空へとさまよって消えていく。
笛から唇を離したハルは、ゆっくりと閉ざしていたまぶたを上げた。
藍色の瞳の奥深くに曖昧な炎を揺らして、サラをじっと見つめる。
しばしの沈黙が二人を包む。
声を出すことも身動きをとることもできず、サラはその真っ直ぐな視線に射すくめられ立ちつくしていた。
やがて、ハルの形のいい唇に微笑が刻まれる。
緩やかな風が流れ、ハルの片方の肩にだけ羽織られた上着がふわりと揺れる。
軽やかな動作でハルは手すりから飛び降りた。
足音すら立てない身軽さであった。
先ほどまでの不安もどこかへ、サラは満面の笑みでハルに抱きついた。
窓の向こうに広がる夜空を見上げる。
翳りのない深い藍に彩られた夜空は、澄んだハルの瞳を思わせた。
そっとため息をつき眼差しを落とす。
ハルのことを考えるだけで、頬が熱くなり、胸が苦しく締めつけられるように痛んだ。
生まれて初めて恋というものを知ったサラにとって、この上もない至福の瞬間。と同時に、幸せに満たされた心によぎる不安の翳り。
サラは頬杖をついたまま、もう一度ため息をつく。
幸福と不安が交錯する心はまさに張り裂けんばかり。
愛する男性の一つ一つの動作に、何気ない一言に一喜一憂してしまう。
それほどまでに、サラの胸のうちにはハルの存在がしめていた。
だが、果たして相手にとって自分はどうであろうか。
今の自分がハルにとって、大きな存在であるとは到底思えない。けれど、いつかそうなれる日がくればいいと願わずにはいられない。
きまぐれで会いに来てくれるのではなく、ハルから自分に会いたいと思わせなければいけない。
分かっているけれど、やっぱり無理よ。
だって、私の方がハルに夢中だもの。
「せつないな」
そして、再び深いため息をつく。
とにかく、朝からこんな調子ゆえ、明日まで片づけなければならない宿題がまだ半分も残っていたが、気もそぞろで手をつける気がおきない。
きっとまた家庭教師に小言を言われてしまうだろう。
すでに時刻は夜更け。
机の上に置いた蜜蠟の淡い炎に視線を落とす。
今夜も来てくれるのかな……。
よくよく考えてみれば、素直に約束を守るような人ではなさそうだし。
などと、半ばあきらめにも似た思いを抱き始めたサラの耳に、夜の静寂をぬって響くかすかな笛の音が聞こえた。
笛?
まさか……!
咄嗟にサラは顔を上げ、椅子から勢いよく立ち上がった。そして、バルコニーへと向かって駆け出し窓を開け放つ。
清涼な夜の空気が一気に部屋へと流れ込む。
涼とした風がサラのほんのりと薔薇色に染まる頬をなで、波打つ髪を揺らした。
サラは瞳を輝かせた。
熱のこもったその視線は、目の前の相手に釘づけになったまま離れない。
露台の手すりに足を組み、腰をかけるハルの姿。
淡い月の光がハルを照らす。
まぶたを閉ざし、うつむき加減で首を傾け横笛を吹くその姿は、夜の闇にぼんやりと浮かんで、まるでそこだけが現実と切り離された、幻想的な空間を満たしていた。
どこか悲哀さを漂わせる笛の旋律が、静かなる夜の虚空へと溶けていく。
その音色は、耳を傾ける者の心の奥深くまで浸透していった。
震える笛の音が曲の終わりを告げ、静かな余韻が暗い闇の虚空へとさまよって消えていく。
笛から唇を離したハルは、ゆっくりと閉ざしていたまぶたを上げた。
藍色の瞳の奥深くに曖昧な炎を揺らして、サラをじっと見つめる。
しばしの沈黙が二人を包む。
声を出すことも身動きをとることもできず、サラはその真っ直ぐな視線に射すくめられ立ちつくしていた。
やがて、ハルの形のいい唇に微笑が刻まれる。
緩やかな風が流れ、ハルの片方の肩にだけ羽織られた上着がふわりと揺れる。
軽やかな動作でハルは手すりから飛び降りた。
足音すら立てない身軽さであった。
先ほどまでの不安もどこかへ、サラは満面の笑みでハルに抱きついた。
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