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第4章 鎮火、その藍の瞳に堕ちて
ハルとシンの対決
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アルガリタの街、夜の歓楽街。
軒並み連なる酒場の一角にハルとシンはいた。
客が二十人も入ればいっぱいの、さほど広くもない店内には仕事帰りの男たちが集まっていた。
テーブルを埋め尽くす客たちの人熱れと、厨房から発せられる火の熱で、部屋は蒸した空気が漂っている。
客の合間を器用にぬって給仕たちが大忙しで動き回る。けれど、そんな給仕の様子など、客にとってはおかまいなしであるのは仕方のないこと。
客たちはそれぞれに注文した料理の匂いと、厨房からのそれとが入り混じり、いやがうえにも空腹をかき立て、なかなか料理の運ばれてこない苛立ちをつのらせた。
横から追加の注文を言い出す者や、料理はまだかと催促する者に目を丸くし、なだめすかし、それでも愛想笑いは忘れずに給仕たちは働いている。
そんなむさ苦しい男たちがほとんどの店内の片隅で、年若い、それも思わず目を瞠るほどの容貌の二人の少年の姿はことさら目立った。
「あら、シンお久しぶり。最近姿を見せに来てくれなかったから心配してたのよ。どこに行ってたのよ。寂しかったじゃない」
テーブルにつくなり、ひとりの女性給士がシンの姿を見つけ、すかさず声をかけてきた。
肉感的な美女だ。シンに対する馴れ馴れしさから、二人の間に何かしらの関係があることをうかがわせる雰囲気であった。
「まあ、ちょっとね」
シンは曖昧に笑って受け流す。
ふと、女の視線がちらりとハルに向けられた。途端、女は息を呑み頬を赤らめる。
「そちらはシンのお友達? 異国の人? きれいな人ね……ねえ、シン紹介してよ」
「だめだめ。こいつ、こう見えてかなり獰猛だから近寄らない方がいいって」
「そうなの? 全然そうは見えないわよ」
「だから危険なんだよ」
ふーん、と女はどこか残念そうにハルをもう一度見る。一方、ハルは女の視線などまったく無視であった。
「それよりもさ、あれ持ってきて」
あれと聞きいてその女は目を見開き、シンとハルを交互に見つめていたが、やがて、その艶やかな朱い唇に何やら含むような笑いを浮かべた。
「わかったわ。あれね、今すぐに持ってくるわ。これはおもしろそうなことになりそうね」
「だろ? 盛り上げてやるよ」
女はふふ、と笑いテーブルから去って行った。
「ところで、手折った薔薇ってどのくらいで枯れるか、おまえ知ってるか?」
突然、脈絡のないことを言いだしたシンに、ハルは眉根を寄せただけであった。もっとも、シンもハルに答えを求めているわけでもないらしく。
「三日……四日? いや、一週間はもつかな……」
どちらにしてもあまり時間がねえな、とぶつぶつ呟いて腕を組み、うーんと唸っている。
そんなシンをハルは冷めた目で見つめた。
「いきなり俺をこんなところに連れて来て、そんな話か?」
「まあ、そう言うなよ。どうせすることもないし、暇だろ? それにおまえだって、気になるだろ?」
「何が?」
「この数日間、俺とサラが何をしていたかってこと」
シンの口からサラの名前がでたことに、ハルは反応を示した。
「あいつと仲良くなったみたいだな」
まあね、とシンは意味ありげに笑う。
「その話をしつつ、俺と勝負をしないか?」
勝負? と、ハルは訝しげに眉をあげた。
「おまえと剣での勝負じゃ、絶対に俺に勝ち目はない。というより、二度と俺はおまえに剣を向けたくはない。死ぬ思いをするのはもうごめんだからな。ということで、勝負の方法は……」
「シン、おまたせ。これでいいのよね」
先ほどの女がテーブルに持ってきたもの。
それは一本の酒瓶であった。
「北の国ヴァナル原産の酒だ」
それは、火をつけると燃え上がるほどに強い酒で〝烈火の酒〟と呼ばれている。
「これで勝負して、先に酔いつぶれた方が負け」
どう? とシンは挑戦的な眼差しをハルに向けた。
「大酒飲みのおまと勝負をしろと?」
「そう。で、負けた方が勝った方の言うことを何でもひとつ聞く」
「断る。おまえの考えていることなど予想つく」
「なら、話はやい」
「聞こえなかったか? 俺は断ると……」
「会いにいくってサラに約束したんだろ?」
再びシンの口からサラの名前が出たことにハルの表情が険しくなる。
「気が向いたらだ」
「そんなこと言って、ほんとはサラに会いに行きたい。でも、これまで彼女に冷たくしてきた手前、何となく自分からは行きづらいと思っているおまえに、俺がせっかくきっかけを作ってやろうとしているんじゃないか」
そして、シンは酒盃に酒をそそぎ、有無を言わせずハルの前に差し出した。
「あれ? それともハルくんはもしかしてお酒が飲めなかったとか? だったら、お子さま用の林檎酒にしてやってもいいぞ」
シンの挑発に、ハルは差し出された酒を無言で一気に流し込んだ。空になった酒盃をとんとテーブルに置く。
テーブルに頬杖をつき、シンはしてやったりというように、にやりと笑う。
かかったな。
こいつ案外、負けず嫌いなところがあるからな。で、意外に単純だったりするところもある。
だから好きなんだよ。
シンは空になったハルの酒杯にさらに酒をつぐ。
さあ、おまえのその澄ました顔も感情も、何もかも崩してやる。
「まあ、安心しな。酔いつぶれたら俺が面倒みてやるから」
シンはにっこりと笑い、自分も酒の入った酒杯をかたむけた。
軒並み連なる酒場の一角にハルとシンはいた。
客が二十人も入ればいっぱいの、さほど広くもない店内には仕事帰りの男たちが集まっていた。
テーブルを埋め尽くす客たちの人熱れと、厨房から発せられる火の熱で、部屋は蒸した空気が漂っている。
客の合間を器用にぬって給仕たちが大忙しで動き回る。けれど、そんな給仕の様子など、客にとってはおかまいなしであるのは仕方のないこと。
客たちはそれぞれに注文した料理の匂いと、厨房からのそれとが入り混じり、いやがうえにも空腹をかき立て、なかなか料理の運ばれてこない苛立ちをつのらせた。
横から追加の注文を言い出す者や、料理はまだかと催促する者に目を丸くし、なだめすかし、それでも愛想笑いは忘れずに給仕たちは働いている。
そんなむさ苦しい男たちがほとんどの店内の片隅で、年若い、それも思わず目を瞠るほどの容貌の二人の少年の姿はことさら目立った。
「あら、シンお久しぶり。最近姿を見せに来てくれなかったから心配してたのよ。どこに行ってたのよ。寂しかったじゃない」
テーブルにつくなり、ひとりの女性給士がシンの姿を見つけ、すかさず声をかけてきた。
肉感的な美女だ。シンに対する馴れ馴れしさから、二人の間に何かしらの関係があることをうかがわせる雰囲気であった。
「まあ、ちょっとね」
シンは曖昧に笑って受け流す。
ふと、女の視線がちらりとハルに向けられた。途端、女は息を呑み頬を赤らめる。
「そちらはシンのお友達? 異国の人? きれいな人ね……ねえ、シン紹介してよ」
「だめだめ。こいつ、こう見えてかなり獰猛だから近寄らない方がいいって」
「そうなの? 全然そうは見えないわよ」
「だから危険なんだよ」
ふーん、と女はどこか残念そうにハルをもう一度見る。一方、ハルは女の視線などまったく無視であった。
「それよりもさ、あれ持ってきて」
あれと聞きいてその女は目を見開き、シンとハルを交互に見つめていたが、やがて、その艶やかな朱い唇に何やら含むような笑いを浮かべた。
「わかったわ。あれね、今すぐに持ってくるわ。これはおもしろそうなことになりそうね」
「だろ? 盛り上げてやるよ」
女はふふ、と笑いテーブルから去って行った。
「ところで、手折った薔薇ってどのくらいで枯れるか、おまえ知ってるか?」
突然、脈絡のないことを言いだしたシンに、ハルは眉根を寄せただけであった。もっとも、シンもハルに答えを求めているわけでもないらしく。
「三日……四日? いや、一週間はもつかな……」
どちらにしてもあまり時間がねえな、とぶつぶつ呟いて腕を組み、うーんと唸っている。
そんなシンをハルは冷めた目で見つめた。
「いきなり俺をこんなところに連れて来て、そんな話か?」
「まあ、そう言うなよ。どうせすることもないし、暇だろ? それにおまえだって、気になるだろ?」
「何が?」
「この数日間、俺とサラが何をしていたかってこと」
シンの口からサラの名前がでたことに、ハルは反応を示した。
「あいつと仲良くなったみたいだな」
まあね、とシンは意味ありげに笑う。
「その話をしつつ、俺と勝負をしないか?」
勝負? と、ハルは訝しげに眉をあげた。
「おまえと剣での勝負じゃ、絶対に俺に勝ち目はない。というより、二度と俺はおまえに剣を向けたくはない。死ぬ思いをするのはもうごめんだからな。ということで、勝負の方法は……」
「シン、おまたせ。これでいいのよね」
先ほどの女がテーブルに持ってきたもの。
それは一本の酒瓶であった。
「北の国ヴァナル原産の酒だ」
それは、火をつけると燃え上がるほどに強い酒で〝烈火の酒〟と呼ばれている。
「これで勝負して、先に酔いつぶれた方が負け」
どう? とシンは挑戦的な眼差しをハルに向けた。
「大酒飲みのおまと勝負をしろと?」
「そう。で、負けた方が勝った方の言うことを何でもひとつ聞く」
「断る。おまえの考えていることなど予想つく」
「なら、話はやい」
「聞こえなかったか? 俺は断ると……」
「会いにいくってサラに約束したんだろ?」
再びシンの口からサラの名前が出たことにハルの表情が険しくなる。
「気が向いたらだ」
「そんなこと言って、ほんとはサラに会いに行きたい。でも、これまで彼女に冷たくしてきた手前、何となく自分からは行きづらいと思っているおまえに、俺がせっかくきっかけを作ってやろうとしているんじゃないか」
そして、シンは酒盃に酒をそそぎ、有無を言わせずハルの前に差し出した。
「あれ? それともハルくんはもしかしてお酒が飲めなかったとか? だったら、お子さま用の林檎酒にしてやってもいいぞ」
シンの挑発に、ハルは差し出された酒を無言で一気に流し込んだ。空になった酒盃をとんとテーブルに置く。
テーブルに頬杖をつき、シンはしてやったりというように、にやりと笑う。
かかったな。
こいつ案外、負けず嫌いなところがあるからな。で、意外に単純だったりするところもある。
だから好きなんだよ。
シンは空になったハルの酒杯にさらに酒をつぐ。
さあ、おまえのその澄ました顔も感情も、何もかも崩してやる。
「まあ、安心しな。酔いつぶれたら俺が面倒みてやるから」
シンはにっこりと笑い、自分も酒の入った酒杯をかたむけた。
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