この裏切りは、君を守るため

島崎 紗都子

文字の大きさ
上 下
61 / 74
第6章 もう君を離さない

9 もう離さない 離れない

しおりを挟む
 やって来た場所は古びたアパートの一室だった。結局、コンツェットはファンローゼを〝キャリー〟に引き渡すことはしなかった。
 不思議なことに、諜報部からは何の沙汰もない。
 ますます〝キャリー〟の思惑が分からない。
 アパートの部屋に入ったファンローゼは、戸惑う表情でコンツェットを見上げる。
「ここは?」
 ファンローゼを安心させようと、コンツェットは微笑む。
「大丈夫。ここは自宅とは別に、俺が個人的に使用しているアパートだ。この場所は誰も知らない」
 キャリーという人物に引き渡されると覚悟していた。
 そうしなければコンツェットは上層部の命令に背くことになる。
「私……」
 言いかけた言葉が、コンツェットに抱きしめられることによって途切れる。
「コンツェット……」
 三年前よりも背の高くなったコンツェット。
 あの時は自分とあまり身長の差はなかったのに、今では肩幅も広く逞しくなった。こうして抱きしめられると自分の身体がすっぽりとおさまるくらいに。
「ずっと、この手で抱きしめたいと思っていた。いつもファンローゼのことばかりを考えて、どうしようもない気持ちでいた。君が生きているだけで、それでいいと思っていた。あの場所で、あんな形で再会するまでは……」
 大佐の屋敷の、それも婚約発表の場で。
「本当はあの時、冷静を保つのに必死だった。周りに気取られないように」
「私も心臓が止まるかと思った」
 ファンローゼはゆっくりと顔を上げ、コンツェットを見上げる。
「コンツェット、手が震えている」
 ファンローゼはそっと、コンツェットの手を包み込むように握った。
「ファンローゼと再会して、こうして触れられたことが、まだ信じられない……」
 コンツェットは強ばった表情で言いながら笑った。
 その笑みに、昔の面影が重なる。
 この姿を他の者が見たら驚くであろう。
 エスツェリアの黒い悪魔が、ただ一人の女性を前にして情けなく震えているとは。
 ファンローゼは握ったコンツェットの手を口元に持っていき、優しく口づける。
 ずっと会いたかった人が、こうして目の前にいて自分を抱きしめてくれている。
 こんな幸せなことはない。
 ファンローゼはコンツェットの胸に、こつりとひたいを添えた。
「三年前のあの日、俺はファンローゼを守りきれたら、もうどうなってもいい、死んでもいいと思っていた。だけど、軍に入るか死ぬかの選択を迫られ、俺は生きたいと願った」
 事実は少し違う。
 コンツェットが軍に入れば、ファンローゼの命は狙わないと交換条件を突きつけられたのだ。だが、本当の理由は言わない。
 言う必要はない。
「そして俺はエスツェリア軍に入った。あれほど憎んでいたエスツェリア軍に俺は身を投じた。以来、俺は常にエスツェリアの軍人であることを試されてきた。どんな汚いこともやってきた。エスツェリア人よりもエスツェリア人らしく振る舞わなければと。そうでなければ……」
 コンツェットはまぶたを落とした。
「軽蔑するだろう? 俺は……」
「もう何も言わなくていいの」
 ファンローゼはいいえ、と首を振り、コンツェットを抱きしめた。
「ファンローゼ、教えてくれ。君をエティカリアに連れてきたクレイという男のことを。そいつはいったい何者なんだ。君はその男は俺たちの協力者だと言った。だが、そんな協力者はいない」
「いない?」
「ああ」
 ファンローゼは身体を震わせた。
「何が本当なのか、私にも分からなくなったわ……クレイのことが分からない」
「ファンローゼ?」
「私、ずっと騙されていたの」
 ファンローゼはこれまでの出来事をコンツェットに語った。
 自分を拾い面倒をみてくれた老夫婦のこと。花屋で働くクレイとの出会い。ある日突然現れたスヴェリアの警察だという男たち。
 彼らに追われていたところをクレイに助けられ、彼の提案で父かもしれないクルト・ウェンデルを探すため、エティカリア行きを決意したこと。
 エティカリアに来て起きたことすべてを、順序通りにコンツェットに話し、最後にクレイがエスツェリア軍に協力する裏切り者であったことを告げた。
「クレイという男と出会ったのが三年前。まさか、その時からすでにファンローゼはエスツェリア軍に狙われていたというのか」
 クルト氏の行方を掴むために利用された。
 コンツェットはぎりっと奥歯を噛みしめた。
 だが、それはあり得ない。
 自分がエスツェリア軍に入るのと引き替えに、ファンローゼのことは追跡しないとヨシア大佐は約束してくれた。
 その約束は守られていた。事実、ファンローゼは三年前に亡くなったことになっている。
 それは間違いない。
 ならば、エスツェリア軍にいる他の何者かが、ファンローゼの行方を探していたことになる。
「三年……」
 決して短くはない期間だ。もし、クルトの存在を突き止めようとしているのなら、その三年の間に、何か他の方法で探すこともできた。
「私が記憶を取り戻すのを、クレイは根気よく待っていた」
 だが、失った記憶をいつ取り戻すか分からない状態で待ち続けるとは、あまりにも計画性がなさすぎる。
 クレイという男は何者なのか。
 何を考えているのか。
 ファンローゼを本当はどうしたいのか。
 分からない。
「私、こうしてコンツェットが生きていてくれただけで本当に嬉しかった。コンツェット……ありがとう。最後にコンツェットの気持ちを知れてよかった」
 コンツェットの腕からするりと抜け、ファンローゼは扉へ向かって歩き出す。
「どこへ行く」
「組織のあったアジトへ。私、キャリーの元に行くわ。これ以上、コンツェットを困らせたくない。本当にありがとう、コンツェット」
 コンツェットの本音を聞けただけでよかったと思った。しかし、コンツェットは大股で近寄りファンローゼの腕を掴んで再び胸に引き寄せた。
「行かせないと言った。もう、二度と君を離さない」
「コンツェット、私を逃しては咎められるわ」
「ファンローゼが心配することではない。君には途中で逃げられたとでも言えばいい。それに、元々ファンローゼは〝キャリー〟から送られた組織のリストに名前は載っていなかった。だから、すぐ解放するつもりだったし、いずれこの国から逃がすつもりでいた」
「私……」
「とにかくしばらくの間、ここに泊まるといい。これからのことは、俺が必ず何とかする」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完】皇太子殿下の夜の指南役になったら、見初められました。

112
恋愛
 皇太子に閨房術を授けよとの陛下の依頼により、マリア・ライトは王宮入りした。  齢18になるという皇太子。将来、妃を迎えるにあたって、床での作法を学びたいと、わざわざマリアを召し上げた。  マリアは30歳。関係の冷え切った旦那もいる。なぜ呼ばれたのか。それは自分が子を孕めない石女だからだと思っていたのだが───

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

処理中です...