この裏切りは、君を守るため

島崎 紗都子

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第4章 裏切りと愛憎

8 試される覚悟

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「いいえ、何をおっしゃっているのか分かりません」
 見えない目で相手を仰ぎ、ファンローゼは毅然とした声で言い放つ。相手がほう、と驚いた声をもらした。
「私は組織の者ではありません」
 男の表情からそれまで浮かべていた笑みが消えたことに、ファンローゼは当然のことながら気づかない。
「あくまで、君は反エスツェリア組織の者でないと言い張るんだね。だけど、拷問して口を割らせる方法もあるんだよ」
 拷問をちらつかされてもファンローゼは怯まず、毅然とした態度を崩さなかった。いや、その心中は穏やかではなかったが。
 自分でも無茶苦茶なことを言っていると思った。それでも、反エスツェリア組織の人間だと認めるわけにはいかない。
「知らないものは知らないわ。だから、何をされても、答えようがない」
「そう、なら、地下牢の鍵はいらないね」
「いいえ、鍵は渡してもらいます。同じエティカリアの者が敵に捕らわれ、惨い拷問を受けていると知って、どうして見過ごせますか。その鍵を渡してくださるのなら、あなたの条件に従います。私を好きにしてもかまいません」
「へえ、自分とは無関係なのに、同じエティカリア人を助けるためなら、君はどうなってもかまわないと?」
「同じ祖国の人間なら私にとって無関係ではない。それに、たとえ、私が反エスツェリア組織の者であったとしても、あなたに抱かれることで見逃してくれるというのなら同じことでしょう?」
「そう、分かった」
「だけど、その前に牢の鍵は最初に渡してもらいます」
 ファンローゼは男の前に右手を突き出した。
 牢の鍵を今すぐ渡せと。
 男は肩をすくめた。
 胸のポケットから鍵を取り出すと、それをファンローゼの手にではなく、机の引き出しの鍵穴に差し込んだ。
 かちゃりと鍵の開く音が聞こえた。
 男は引き出しの中から、鍵を取りだす。
「嘘偽りなく、地下牢の鍵だよ」
 手にした鍵を、ファンローゼの開いた右手のひらに乗せ、握らせた。
 ほっとした表情を浮かべるファンローゼの腕を掴み、男は引き寄せる。
 ファンローゼの身体が男の胸に倒れ込む。
 真っ先に脳裏に浮かんだのは、コンツェットの姿。
 二人で一緒に暮らそうと言ってくれた。なのに、こんな形でコンツェットを裏切ることになるとは。
 もう後には引けない。
 ごめんなさい。
 コンツェット……。
 コンツェットを思うファンローゼの思考が途切れた。
 近づいてきた相手の唇が首筋に触れたからだ。
 反射的に逃れようと身を引くが、男はそれを許さなかった。
「待って!」
 ファンローゼの手が相手の身体を押しのけようと突っぱねる。
「覚悟を決めたのではないの?」
 ファンローゼは唇が切れるのではないかというほどに、きつく噛みしめる。
 上質な硬い生地の感触。
 しがみついた相手の左腕の腕章。おそらくそこには、エスツェリア軍の徽章が刺繍されているはず。
 目の前の男は間違いなく、エスツェリア軍に所属する者。
 怖い……。
 本当は逃げ出してしまいたい。
 誰なのかも分からない敵の男に、いいようにされるなんて。
 コンツェット、助けて。
「なるべく、ドレスを乱さないようにするから」
 相手の手がドレスの裾をたくし上げ太腿に触れる。おぞましい手の感触に全身が総毛立った。男の手がゆっくりと腿の内側をなぞる。
 ファンローゼは顔をあげ、目隠しされた状態で相手を見上げた。
「そんな顔をしてもだめ」
 とうとうファンローゼは相手の胸に顔をうずめ、いやいやをするように頭を振る。相手の軍服を涙で濡らし、ファンローゼは細い肩を小刻みに震わせた。
「や、やめて! やっぱり私には……」
「君のその右手に握っているものは何?」
 ファンローゼははっとなる。
 きつく握った右手には、牢に捕らえられたエティカリア人を救うための鍵がある。ここで拒絶をすれば、彼らを助けることはできない。
 相手の男がふっと笑った気配。
「そういうこと。分かったね。落としてはいけないよ。しっかりその鍵を握っているんだ」
 耳元で囁かれ、ファンローゼは唇を震わせた。
「コンツェット……助けて……コンツェット」
 ファンローゼのすすり泣く声に、男の放つ攻撃的な気配がすっと消えていく。
「抱かれる覚悟もないのに、どうして」
 相手の手が頭を優しくなで頬にあてられた。ひやりと堅く冷たい感触が頬に触れたその時。
「そこで何をしている」
 扉の方から別の男の声がした。
 目隠しされた状態では、何が起こったのか分からないが、不意に部屋の扉が開かれたようだ。
「こちらのお嬢さんが急に具合を悪くされたそうです」
「それで、この部屋にか?」
「一番近かったものですから」
 二人の男の間に沈黙が落ちる。
 見えない緊張感に、一瞬にして部屋の空気が凍えた。
「その娘は俺が部屋に来るよう呼んだ娘だ」
「そうとは知らず、失礼いたしました」
「その娘を置いてさっさといけ」
「はい」
 短い返事を発し、男の身体が離れる。と同時に、男の唇が耳元に寄せられた。
「残念。邪魔が入ったね」
 そう耳元で囁き、男は颯爽とした足どりで部屋から退出した。
 ファンローゼは戸惑った顔でその場に立ち尽くす。
 助かったのだと安堵するにはまだ早い。それどころか、さらに最悪な状況に陥った可能性もある。
 どうしたらいいの?
 靴音を響かせ、相手が近づいてくる。
 やにわに腕を引かれ、目隠しを取りのぞかれた。
 窓から差し込む月明かりに照らされた相手の顔に、ファンローゼはこれ以上はないというくらいに大きく目を開いた。
 目の前に立っていたのは、コンツェットだった。
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