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第4章 裏切りと愛憎
2 君は嘘つき
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「これはこれは。こんな壁際に立って、どちらのお嬢さんかな?」
一人のエスツェリア軍の男に声をかけられ、ファンローゼはびくりと肩を震わせた。視線を上げると、目の前に長身の男が立っている。
特務部隊にいる者は容姿端麗な者が多いと組織の者から聞かされた。目の前にいる男も女性が好みそうな端整な顔に、爽やかな笑みを浮かべた青年であった。だが、この男も、笑顔の裏では、多くのエティカリア人を虐殺してきた。
そう思うと胸が痛い。
男は驚いたように目を見開く。
「これは……美しいお嬢さんだ。名前をうかがってもよろしいかな?」
ファンローゼは男から視線をそらし、うつむきながら答える。
「ファ、ファリカと申します」
これはクレイから教えてもらった名である。
「……シュミット侯爵の遠縁の者です。シュミット候が突然今夜のパーティーに出席できなくなったため、私が代理で」
クレイから教わった通りに答える。
何度も繰り返したので、滑らかに答えられた。
シュミット侯とは、エスツェリアに寝返ったエティカリアの貴族の名だ。
その男は一瞬目を細め、何やら考え込む顔をする。
「大丈夫かい? 顔色が悪いけど、もしかして具合が悪い?」
「い、いえ……少し酔ったみたいで……」
言ってファンローゼは手元のグラスに視線を落とす。
「それならいいんだけれど」
ファンローゼはうつむいたまま、はい、と頷き返す。
グラスを持つ手が震えた。
自然に振る舞って会話をしなければと思うのに、緊張と恐ろしさでそれができない。
隣に立つアデルも自分の行動に、はらはらした様子で見守っているのが分かった。
男に一礼して去ろうとしたその時。
「待って」
と、呼び止められ、ファンローゼは足を止める。
手のひらにじっとりと汗がにじむ。
「僕と踊っていただけませんか?」
思いもよらない男の一言に、ファンローゼは表情を強張らせた。
「いえ、私は……」
男はにこやかな笑みを浮かべ、こちらに手を差しだしてきた。
「踊りは苦手なので……」
「大丈夫ですよ。きちんと僕がリードしてさしあげますから」
男は引き下がる様子はない。
隣にいるアデルは、さらに緊張した面持ちでごくりと唾を飲み込んでいる。
ここで断ればさらに怪しまれる。
ファンローゼは振り返り男の手をとった。
男に導かれホール中央へと連れていかれる。と同時に、音学隊が楽曲を奏で始めた。
大勢の招待客が注目する中、ファンローゼは生きた心地がしなくて始終うつむいていた。
まさか、こんな目立つ行動をとることになろうとは、予想もしなかった。
密着した状態で、男が耳元に唇を寄せてきた。
腰に回された男の手に、力が入る。
「君、嘘をついているね」
耳元で囁かれ、ファンローゼは男を見上げた。
「私、嘘なんてついて!」
私の正体がばれた!
男はくすりと笑う。
「いや、君は大嘘つきだ。ダンスが苦手と言っていたけれど、見事なステップだ。流れるように美しく、羽のように軽やか」
頭の中が真っ白だった。
ダンスは苦手と答えておきながら、緊張のあまり、自然に身体が動くままに踊った。
「ほら、周りを見てごらん。皆が君の美しさに注目している」
ファンローゼはそっと視線を落とした。
「ファリカ」
名前を呼ばれて顔を上げるが、すぐにファンローゼはうつむく。
相手の顔があまりにも間近で、顔を覚えられることを恐れたからだ。しかし、そんなファンローゼの仕草を、男は別の意味でとらえたようだ。
「恥ずかしがり屋さんだね。そんな控えめなところもいいよ。ねえ、よかったら場所を移さない?」
言って男はファンローゼの耳のふちにキスをする。
「二人っきりになれる所へ」
ファンローゼは身を堅くした。
承諾するわけにはいかない。かといって、無下に断れば怪しまれる。
「連れがおりますので……」
「ああ、さっきの男性だね。もしかして、彼は恋人?」
「……婚約者です」
ファンローゼはちらりとアデルを見る。
婚約者がいると聞き、男は残念そうに肩をすくめた。
「そうだったのですね。それは残念。だったら、申し訳ないことをしたね。どうかお許しいただけるかな」
曲が終わると男は腰を折って一礼し、ファンローゼの手をとり、その甲に口づけを落とした。
エスツェリア軍は野蛮で残忍な者ばかりだと思っていたが、男はそれ以上しつこく口説いてくることもなく紳士的だった。
最後に踊ってくれてありがとう、と爽やかな笑顔を浮かべると、男はあっさりと去って行った。
ファンローゼは青ざめた顔で、壁際でやはり表情を強張らせているアデルに歩み寄る。
膝が震え、自分がきちんとまっすぐ歩いているのかどうかも定かではない。
「大丈夫?」
「ええ……」
すかさず問いかけるアデルにそう答えたものの、生きた心地がしなかった。
「ひやひやしたよ」
そこへ、ヨシア大佐が手をあげた。すると、賑わっていた会場内がしんと静まり帰る。
「今宵は我が娘の誕生日に集まってくれてありがとう。そして、今日は皆に重大な発表がある」
大佐は傍らに立つ娘の肩を抱いた。
ふわりと背中に流れる長い金髪に、雪のように白い肌。美しい少女だった。
少女は頬を赤らめ、父であるヨシア大佐を見上げた。
辺りがざわめきだした。皆、大佐の重大発表が何であるのか知っているという様子であった。
「我が娘、エリスの婚約者を紹介しよう。さあ、こちらに来たまえ」
と言って、大佐は招待客たちの後方に控えている男に手を差し伸べた。
一人のエスツェリア軍の男に声をかけられ、ファンローゼはびくりと肩を震わせた。視線を上げると、目の前に長身の男が立っている。
特務部隊にいる者は容姿端麗な者が多いと組織の者から聞かされた。目の前にいる男も女性が好みそうな端整な顔に、爽やかな笑みを浮かべた青年であった。だが、この男も、笑顔の裏では、多くのエティカリア人を虐殺してきた。
そう思うと胸が痛い。
男は驚いたように目を見開く。
「これは……美しいお嬢さんだ。名前をうかがってもよろしいかな?」
ファンローゼは男から視線をそらし、うつむきながら答える。
「ファ、ファリカと申します」
これはクレイから教えてもらった名である。
「……シュミット侯爵の遠縁の者です。シュミット候が突然今夜のパーティーに出席できなくなったため、私が代理で」
クレイから教わった通りに答える。
何度も繰り返したので、滑らかに答えられた。
シュミット侯とは、エスツェリアに寝返ったエティカリアの貴族の名だ。
その男は一瞬目を細め、何やら考え込む顔をする。
「大丈夫かい? 顔色が悪いけど、もしかして具合が悪い?」
「い、いえ……少し酔ったみたいで……」
言ってファンローゼは手元のグラスに視線を落とす。
「それならいいんだけれど」
ファンローゼはうつむいたまま、はい、と頷き返す。
グラスを持つ手が震えた。
自然に振る舞って会話をしなければと思うのに、緊張と恐ろしさでそれができない。
隣に立つアデルも自分の行動に、はらはらした様子で見守っているのが分かった。
男に一礼して去ろうとしたその時。
「待って」
と、呼び止められ、ファンローゼは足を止める。
手のひらにじっとりと汗がにじむ。
「僕と踊っていただけませんか?」
思いもよらない男の一言に、ファンローゼは表情を強張らせた。
「いえ、私は……」
男はにこやかな笑みを浮かべ、こちらに手を差しだしてきた。
「踊りは苦手なので……」
「大丈夫ですよ。きちんと僕がリードしてさしあげますから」
男は引き下がる様子はない。
隣にいるアデルは、さらに緊張した面持ちでごくりと唾を飲み込んでいる。
ここで断ればさらに怪しまれる。
ファンローゼは振り返り男の手をとった。
男に導かれホール中央へと連れていかれる。と同時に、音学隊が楽曲を奏で始めた。
大勢の招待客が注目する中、ファンローゼは生きた心地がしなくて始終うつむいていた。
まさか、こんな目立つ行動をとることになろうとは、予想もしなかった。
密着した状態で、男が耳元に唇を寄せてきた。
腰に回された男の手に、力が入る。
「君、嘘をついているね」
耳元で囁かれ、ファンローゼは男を見上げた。
「私、嘘なんてついて!」
私の正体がばれた!
男はくすりと笑う。
「いや、君は大嘘つきだ。ダンスが苦手と言っていたけれど、見事なステップだ。流れるように美しく、羽のように軽やか」
頭の中が真っ白だった。
ダンスは苦手と答えておきながら、緊張のあまり、自然に身体が動くままに踊った。
「ほら、周りを見てごらん。皆が君の美しさに注目している」
ファンローゼはそっと視線を落とした。
「ファリカ」
名前を呼ばれて顔を上げるが、すぐにファンローゼはうつむく。
相手の顔があまりにも間近で、顔を覚えられることを恐れたからだ。しかし、そんなファンローゼの仕草を、男は別の意味でとらえたようだ。
「恥ずかしがり屋さんだね。そんな控えめなところもいいよ。ねえ、よかったら場所を移さない?」
言って男はファンローゼの耳のふちにキスをする。
「二人っきりになれる所へ」
ファンローゼは身を堅くした。
承諾するわけにはいかない。かといって、無下に断れば怪しまれる。
「連れがおりますので……」
「ああ、さっきの男性だね。もしかして、彼は恋人?」
「……婚約者です」
ファンローゼはちらりとアデルを見る。
婚約者がいると聞き、男は残念そうに肩をすくめた。
「そうだったのですね。それは残念。だったら、申し訳ないことをしたね。どうかお許しいただけるかな」
曲が終わると男は腰を折って一礼し、ファンローゼの手をとり、その甲に口づけを落とした。
エスツェリア軍は野蛮で残忍な者ばかりだと思っていたが、男はそれ以上しつこく口説いてくることもなく紳士的だった。
最後に踊ってくれてありがとう、と爽やかな笑顔を浮かべると、男はあっさりと去って行った。
ファンローゼは青ざめた顔で、壁際でやはり表情を強張らせているアデルに歩み寄る。
膝が震え、自分がきちんとまっすぐ歩いているのかどうかも定かではない。
「大丈夫?」
「ええ……」
すかさず問いかけるアデルにそう答えたものの、生きた心地がしなかった。
「ひやひやしたよ」
そこへ、ヨシア大佐が手をあげた。すると、賑わっていた会場内がしんと静まり帰る。
「今宵は我が娘の誕生日に集まってくれてありがとう。そして、今日は皆に重大な発表がある」
大佐は傍らに立つ娘の肩を抱いた。
ふわりと背中に流れる長い金髪に、雪のように白い肌。美しい少女だった。
少女は頬を赤らめ、父であるヨシア大佐を見上げた。
辺りがざわめきだした。皆、大佐の重大発表が何であるのか知っているという様子であった。
「我が娘、エリスの婚約者を紹介しよう。さあ、こちらに来たまえ」
と言って、大佐は招待客たちの後方に控えている男に手を差し伸べた。
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