2 / 74
第1章 忍び寄る黒い影
1 ファンローゼとコンツェット
しおりを挟む
柔らかな陽射しが落ちる昼下がり。
芳香の季節に舞う柔らかな春風が、明け放たれた窓の向こう、色彩豊かに咲く美しい花々で彩られた庭から甘く芳しい花の香をはこんだ。
その明るい窓際に面したところに置かれた文机で、一人の少女が腕を枕代わりにして眠っていた。
年の頃は八、九歳。背へと波打つ薄茶の髪が窓からそよぐ風にふわりと揺れる。
すやすやと気持ちよさそうに眠る少女のそばに、そっと歩み寄る人影があった。
陽射しに照らされていた少女の顔に影が落ちる。
近づいてきた人物の気配に気づいた少女は、うん、と声をもらし、ゆっくりと机から顔をあげた。
「お目覚めかな? ファンローゼ」
背後からかけられた声に、ファンローゼと呼ばれた少女はびくりと肩を跳ね、慌てて肩越しに振り返り眩しそうにその人物を見上げた。
驚きに見開かれた少女の瞳は髪と同じ明るいブラウン色。ふっくらとした頬は滑らかで、つやつやと輝いていた。
「コンツェット、来ていたの?」
そこに立っていたのは、まだあどけなさを残す可愛らしい顔だちの、ファンローゼよりも二、三歳年上の少年であった。
陽射しを受け濡れたように艶をおびた少年の黒髪と、晴れた青空を映したかのような蒼い瞳が印象的だ。
「今はどんなお話を書いてるのかな?」
背後から背伸びをしてのぞき込んでくるコンツェットに、ファンローゼははっとして、机の上に広げていたノートを慌てて両手で隠す。
「どうして知っているの?」
すっかり耳まで赤く染まったファンローゼに、コンツェットはくすりと笑む。差し込む陽射しがコンツェットの笑顔を眩しく照らす。
「知ってるさ。この間も机で居眠りをしていただろう? その時、ファンローゼの書いている小説を見たんだ」
「読んだの?」
ファンローゼはちらりとコンツェットを見上げ軽く唇を尖らせた。
「読みたかったけれど、ノートの上で寝ていたから読めなかった。だから、上着だけかけて部屋を出た」
ファンローゼの唇からほっとしたようなため息がもれる。
「お願いだから誰にも言わないで。それとも、もう他の人に喋った?」
「もちろん誰にも言ってないし、言わないけど。でも、ファンローゼが小説を書いていることをお父さんが知ったら喜ぶと思うのに」
「そんなの恥ずかしいわ。私はお父様みたいな立派な作家ではないし。お父様のように上手く書けないもの……ほんとうに趣味で書いているだけなの」
「そうかな。それでも物語を書けるファンローゼはすごいと思うよ。僕にはそんな才能なんかないし、書けと言われても絶対無理」
コンツェットはくしゃりと笑った。
「ねえ、ファンローゼ。お話が完成したら僕に読ませてくれる?」
ファンローゼは恥ずかしそうに頷いた。
「コンツェットになら……」
「楽しみにしているよ」
「二人とも、お茶が入りましたよ」
ファンローゼの母の呼び声に、二人は顔をあげ、はーい、と返事をし、皆が集まっている広間へと向かう。
そこには大人たちが数十人ほど集まり、笑ったり真剣な顔で熱く語り合っていた。
作家であるファンローゼの父クルト・ウェンデルが時折開く、読書会であった。そこで、各々読了した本の感想を述べ意見を交換しあうのだ。
「またあの子がこちらを見ている」
コンツェットがファンローゼの耳元で呟いた。
広間の隅、窓際の席で一人の少年が絵本を広げ座っていた。
この読書会に集まった参加者の子どもだ。
よく見かける少年で、名をレイシーという。
この読書会には親に連れられ小さな子が来ることもよくあった。
「いっしょに遊ばないって誘ってみるわ」
少年を手招きしようとしたファンローゼの腕を、コンツェットは咄嗟に掴んで引き止めた。
「誘ったって来ないさ。今までだってそうだったろう?」
コンツェットらしくないその言い方に、ファンローゼは首を傾げた。
持ち前の明るさと社交性で誰とでもすぐに打ち解け仲良くなるコンツェットが、そんなことを言うのは珍しい。
だが、彼が言うことも分からないでもなかった。
ここへやってきた子どもたちはみなで集まり、カードゲームをしたり本を読んだりして過ごすのだがレイシーだけは、誘いにはいっさいのらず、いつも部屋の隅の椅子に座って静かに本を読んでいた。
「でも、やっぱり誘ってみる。きっと、人見知りをする子なのよ。これでだめだったら、私あきらめるわ」
芳香の季節に舞う柔らかな春風が、明け放たれた窓の向こう、色彩豊かに咲く美しい花々で彩られた庭から甘く芳しい花の香をはこんだ。
その明るい窓際に面したところに置かれた文机で、一人の少女が腕を枕代わりにして眠っていた。
年の頃は八、九歳。背へと波打つ薄茶の髪が窓からそよぐ風にふわりと揺れる。
すやすやと気持ちよさそうに眠る少女のそばに、そっと歩み寄る人影があった。
陽射しに照らされていた少女の顔に影が落ちる。
近づいてきた人物の気配に気づいた少女は、うん、と声をもらし、ゆっくりと机から顔をあげた。
「お目覚めかな? ファンローゼ」
背後からかけられた声に、ファンローゼと呼ばれた少女はびくりと肩を跳ね、慌てて肩越しに振り返り眩しそうにその人物を見上げた。
驚きに見開かれた少女の瞳は髪と同じ明るいブラウン色。ふっくらとした頬は滑らかで、つやつやと輝いていた。
「コンツェット、来ていたの?」
そこに立っていたのは、まだあどけなさを残す可愛らしい顔だちの、ファンローゼよりも二、三歳年上の少年であった。
陽射しを受け濡れたように艶をおびた少年の黒髪と、晴れた青空を映したかのような蒼い瞳が印象的だ。
「今はどんなお話を書いてるのかな?」
背後から背伸びをしてのぞき込んでくるコンツェットに、ファンローゼははっとして、机の上に広げていたノートを慌てて両手で隠す。
「どうして知っているの?」
すっかり耳まで赤く染まったファンローゼに、コンツェットはくすりと笑む。差し込む陽射しがコンツェットの笑顔を眩しく照らす。
「知ってるさ。この間も机で居眠りをしていただろう? その時、ファンローゼの書いている小説を見たんだ」
「読んだの?」
ファンローゼはちらりとコンツェットを見上げ軽く唇を尖らせた。
「読みたかったけれど、ノートの上で寝ていたから読めなかった。だから、上着だけかけて部屋を出た」
ファンローゼの唇からほっとしたようなため息がもれる。
「お願いだから誰にも言わないで。それとも、もう他の人に喋った?」
「もちろん誰にも言ってないし、言わないけど。でも、ファンローゼが小説を書いていることをお父さんが知ったら喜ぶと思うのに」
「そんなの恥ずかしいわ。私はお父様みたいな立派な作家ではないし。お父様のように上手く書けないもの……ほんとうに趣味で書いているだけなの」
「そうかな。それでも物語を書けるファンローゼはすごいと思うよ。僕にはそんな才能なんかないし、書けと言われても絶対無理」
コンツェットはくしゃりと笑った。
「ねえ、ファンローゼ。お話が完成したら僕に読ませてくれる?」
ファンローゼは恥ずかしそうに頷いた。
「コンツェットになら……」
「楽しみにしているよ」
「二人とも、お茶が入りましたよ」
ファンローゼの母の呼び声に、二人は顔をあげ、はーい、と返事をし、皆が集まっている広間へと向かう。
そこには大人たちが数十人ほど集まり、笑ったり真剣な顔で熱く語り合っていた。
作家であるファンローゼの父クルト・ウェンデルが時折開く、読書会であった。そこで、各々読了した本の感想を述べ意見を交換しあうのだ。
「またあの子がこちらを見ている」
コンツェットがファンローゼの耳元で呟いた。
広間の隅、窓際の席で一人の少年が絵本を広げ座っていた。
この読書会に集まった参加者の子どもだ。
よく見かける少年で、名をレイシーという。
この読書会には親に連れられ小さな子が来ることもよくあった。
「いっしょに遊ばないって誘ってみるわ」
少年を手招きしようとしたファンローゼの腕を、コンツェットは咄嗟に掴んで引き止めた。
「誘ったって来ないさ。今までだってそうだったろう?」
コンツェットらしくないその言い方に、ファンローゼは首を傾げた。
持ち前の明るさと社交性で誰とでもすぐに打ち解け仲良くなるコンツェットが、そんなことを言うのは珍しい。
だが、彼が言うことも分からないでもなかった。
ここへやってきた子どもたちはみなで集まり、カードゲームをしたり本を読んだりして過ごすのだがレイシーだけは、誘いにはいっさいのらず、いつも部屋の隅の椅子に座って静かに本を読んでいた。
「でも、やっぱり誘ってみる。きっと、人見知りをする子なのよ。これでだめだったら、私あきらめるわ」
10
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完】皇太子殿下の夜の指南役になったら、見初められました。
112
恋愛
皇太子に閨房術を授けよとの陛下の依頼により、マリア・ライトは王宮入りした。
齢18になるという皇太子。将来、妃を迎えるにあたって、床での作法を学びたいと、わざわざマリアを召し上げた。
マリアは30歳。関係の冷え切った旦那もいる。なぜ呼ばれたのか。それは自分が子を孕めない石女だからだと思っていたのだが───
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
踏み台令嬢はへこたれない
三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。
誰にも言えないあなたへ
天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。
マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。
年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる