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第3章 お師匠さまの秘密を知ってしまいました
禁忌の術 4
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「お師匠……」
しがみつく腕を解き、ツェツイの唇にイェンは人さし指をあてた。
これ以上、何も言うなと。
「不安そうだな。怖いか?」
ツェツイはふるふると首を振る。
イェンはもう片方の手でツェツイの頭をくしゃりとなで、自分の胸に引き寄せた。
倒れ込んできたツェツイの背中をあやすように、イェンはぽんと叩く。
「こうして俺に触れてたら、怖くねえだろ。それでも不安だったら俺にしがみついてろ」
腕の中でツェツイが小さくうなずいて、両手を回しイェンの腰にぎゅっとしがみつく。
「ツェツイ、前に魔力の相性のことを話したよな。おまえにとって、俺の魔力が心地良いと感じるのなら、反対に、俺にとってもそうだということだ」
ツェツイは大きな目を開いてイェンを見上げた。そこにはイェンの笑った顔。
「お師匠様……」
「安心しろ。おまえは俺が必ず守る」
そして、イェンは手を前に突きだした。残った体力と気力を振り絞り、刻を戻すという大がかりな技を繰り出す。
失敗は許されない。
ここで気を失うわけにもいかない。
もとより、そんなへまをやらかすつもりも、意識を手放す失態をさらすつもりもない。
ゆっくりと、深く大きく息を吸い込む。
『時空の扉をひらく』
イェンの声とともに、何もない虚空がまばゆい光を放つ。
「じ、時空!?」
素っ頓狂な声をあげ、ツェツイは首を傾け背後を振り返った。
ツェツイの背中、イェンの差し出した手の辺り、何もない虚空から一本の黄金色の杖が現れた。
「杖!」
ツェツイが驚きの声を上げる。それはイェンの身の丈以上もある巨大な杖であった。
イェンが先ほど、あれの力を借りると言ったのはこの杖のことであったのか。
かなりの重量があるであろうその杖を手につかみ、イェンは水平にかまえた。
軽くまぶたを伏せ、もう一度すっと息を吸い込む。
頭の上で凄まじい音が響く。
ぱらぱらと炭と化した木くずが落ち、とうとう天井が抜けた。
『刻み続ける時よ
留まることなく
流れゆく時よ
その流れに逆らい
刻をもどせ』
謳うように流れる声にはよどみがなく、静かな口調に秘められた響きは力強い。
刻を戻すという大技だ。
上級魔術を詠唱なしで使いこなすイェンでも、こればかりはそうはいかなかったらしい。初めて耳にするイェンの詠唱に、心を奪われかけていたツェツイの目が徐々に見開かれていく。
炎がひいていくのだ。
それだけではない。
たちこめていた煙が薄れ、落ちた天井が浮き上がる。
倒れた柱が形を戻し、燃えた家財道具も何もかもが元どおりに戻っていく。
まさに、刻が逆戻りするように。
やがて、家は火事の被害があったとは思えない、いつもとかわらない状態を取り戻す。
瞬きをする間の一瞬のできごとであった。
「刻をもどす魔術……」
ツェツイは信じられないというように呟き、周りを見渡した。
家具も置物もその位置も、壁や天井にあったしみも、たてつけの悪い扉も歪んだ窓も、すべて元の状態を取り戻す。
けれど、刻を戻す術は禁術。
そして、術の知識も発動も、一介の魔道士が容易く手に入れ扱える術ではない。
あり得ない、と否定しても現実に今ツェツイの目の前で起こった。
咄嗟にツェツイはイェンに視線を戻す。
焼けた柱を支えていたイェンの背中のやけども顔の傷も、跡形もなくきれいに消えていた。
「お師匠様! 傷が、傷が治って」
「だから、心配すんなって言ったろ」
「初めてこんな術を見ました。すごすぎます……」
初めて見るのはあたりまえだ。
禁術なのだから使う者はいない。
いや、使える者がまずいないといった方が正しいか。
「確かに、流れる刻を操るのは禁忌の術」
だから、とイェンは唇に人さし指をあて、悪戯な笑みを口元に刻む。
「二人の秘密な」
二人の秘密、とツェツイは小声で繰り返す。
「だけど、火事のことが〝灯〟の人たちに知られたら」
あれだけ被害の大きい火事をおこして、家は無事です、何でもありませんでしたなど、そんなことが通用するはずがない。
説明ができない。
「そんときは、焚き火でもやってましたとでも言え」
「焚き火? ……ですか」
「ついでに、芋でも焼いてたってな。焚き火で芋焼いたことあるか?」
「ないです……」
「なら、やろうぜ。後で買いに行くぞ」
「おいも……」
どこまで本気ととらえたらいいのかわからないと、ツェツイは複雑な表情をつくる。
ばれるかもとか、ばれたらどうなるのかとか、そんな不安や恐れも微塵もみせないイェンの余裕な態度。けれど、お師匠様がそういうのなら、不思議と大丈夫なような気がして、ツェツイは思わずくすりと笑う。そして、笑いながら言う。
「もし、このことが〝灯〟に知られてお師匠様に何かあったら、あたしもおともさせていただきます。いえ、させてください。一緒に処罰を受けます」
「はは、それ、笑いながら言うことか?」
「お師匠様もです!」
「そうなったら、おまえ、かなり悲惨なことになるぞ」
「覚悟はできています」
イェンは肩をすくめた。
「なら、何がなんでも隠し通さなければだな」
「はい」
そして、二人は肩を揺らしてもう一度笑った。
しがみつく腕を解き、ツェツイの唇にイェンは人さし指をあてた。
これ以上、何も言うなと。
「不安そうだな。怖いか?」
ツェツイはふるふると首を振る。
イェンはもう片方の手でツェツイの頭をくしゃりとなで、自分の胸に引き寄せた。
倒れ込んできたツェツイの背中をあやすように、イェンはぽんと叩く。
「こうして俺に触れてたら、怖くねえだろ。それでも不安だったら俺にしがみついてろ」
腕の中でツェツイが小さくうなずいて、両手を回しイェンの腰にぎゅっとしがみつく。
「ツェツイ、前に魔力の相性のことを話したよな。おまえにとって、俺の魔力が心地良いと感じるのなら、反対に、俺にとってもそうだということだ」
ツェツイは大きな目を開いてイェンを見上げた。そこにはイェンの笑った顔。
「お師匠様……」
「安心しろ。おまえは俺が必ず守る」
そして、イェンは手を前に突きだした。残った体力と気力を振り絞り、刻を戻すという大がかりな技を繰り出す。
失敗は許されない。
ここで気を失うわけにもいかない。
もとより、そんなへまをやらかすつもりも、意識を手放す失態をさらすつもりもない。
ゆっくりと、深く大きく息を吸い込む。
『時空の扉をひらく』
イェンの声とともに、何もない虚空がまばゆい光を放つ。
「じ、時空!?」
素っ頓狂な声をあげ、ツェツイは首を傾け背後を振り返った。
ツェツイの背中、イェンの差し出した手の辺り、何もない虚空から一本の黄金色の杖が現れた。
「杖!」
ツェツイが驚きの声を上げる。それはイェンの身の丈以上もある巨大な杖であった。
イェンが先ほど、あれの力を借りると言ったのはこの杖のことであったのか。
かなりの重量があるであろうその杖を手につかみ、イェンは水平にかまえた。
軽くまぶたを伏せ、もう一度すっと息を吸い込む。
頭の上で凄まじい音が響く。
ぱらぱらと炭と化した木くずが落ち、とうとう天井が抜けた。
『刻み続ける時よ
留まることなく
流れゆく時よ
その流れに逆らい
刻をもどせ』
謳うように流れる声にはよどみがなく、静かな口調に秘められた響きは力強い。
刻を戻すという大技だ。
上級魔術を詠唱なしで使いこなすイェンでも、こればかりはそうはいかなかったらしい。初めて耳にするイェンの詠唱に、心を奪われかけていたツェツイの目が徐々に見開かれていく。
炎がひいていくのだ。
それだけではない。
たちこめていた煙が薄れ、落ちた天井が浮き上がる。
倒れた柱が形を戻し、燃えた家財道具も何もかもが元どおりに戻っていく。
まさに、刻が逆戻りするように。
やがて、家は火事の被害があったとは思えない、いつもとかわらない状態を取り戻す。
瞬きをする間の一瞬のできごとであった。
「刻をもどす魔術……」
ツェツイは信じられないというように呟き、周りを見渡した。
家具も置物もその位置も、壁や天井にあったしみも、たてつけの悪い扉も歪んだ窓も、すべて元の状態を取り戻す。
けれど、刻を戻す術は禁術。
そして、術の知識も発動も、一介の魔道士が容易く手に入れ扱える術ではない。
あり得ない、と否定しても現実に今ツェツイの目の前で起こった。
咄嗟にツェツイはイェンに視線を戻す。
焼けた柱を支えていたイェンの背中のやけども顔の傷も、跡形もなくきれいに消えていた。
「お師匠様! 傷が、傷が治って」
「だから、心配すんなって言ったろ」
「初めてこんな術を見ました。すごすぎます……」
初めて見るのはあたりまえだ。
禁術なのだから使う者はいない。
いや、使える者がまずいないといった方が正しいか。
「確かに、流れる刻を操るのは禁忌の術」
だから、とイェンは唇に人さし指をあて、悪戯な笑みを口元に刻む。
「二人の秘密な」
二人の秘密、とツェツイは小声で繰り返す。
「だけど、火事のことが〝灯〟の人たちに知られたら」
あれだけ被害の大きい火事をおこして、家は無事です、何でもありませんでしたなど、そんなことが通用するはずがない。
説明ができない。
「そんときは、焚き火でもやってましたとでも言え」
「焚き火? ……ですか」
「ついでに、芋でも焼いてたってな。焚き火で芋焼いたことあるか?」
「ないです……」
「なら、やろうぜ。後で買いに行くぞ」
「おいも……」
どこまで本気ととらえたらいいのかわからないと、ツェツイは複雑な表情をつくる。
ばれるかもとか、ばれたらどうなるのかとか、そんな不安や恐れも微塵もみせないイェンの余裕な態度。けれど、お師匠様がそういうのなら、不思議と大丈夫なような気がして、ツェツイは思わずくすりと笑う。そして、笑いながら言う。
「もし、このことが〝灯〟に知られてお師匠様に何かあったら、あたしもおともさせていただきます。いえ、させてください。一緒に処罰を受けます」
「はは、それ、笑いながら言うことか?」
「お師匠様もです!」
「そうなったら、おまえ、かなり悲惨なことになるぞ」
「覚悟はできています」
イェンは肩をすくめた。
「なら、何がなんでも隠し通さなければだな」
「はい」
そして、二人は肩を揺らしてもう一度笑った。
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