上 下
43 / 59
第3章 お師匠さまの秘密を知ってしまいました

禁忌の術 4

しおりを挟む
「お師匠……」
 しがみつく腕を解き、ツェツイの唇にイェンは人さし指をあてた。
 これ以上、何も言うなと。
「不安そうだな。怖いか?」
 ツェツイはふるふると首を振る。
 イェンはもう片方の手でツェツイの頭をくしゃりとなで、自分の胸に引き寄せた。
 倒れ込んできたツェツイの背中をあやすように、イェンはぽんと叩く。
「こうして俺に触れてたら、怖くねえだろ。それでも不安だったら俺にしがみついてろ」
 腕の中でツェツイが小さくうなずいて、両手を回しイェンの腰にぎゅっとしがみつく。
「ツェツイ、前に魔力の相性のことを話したよな。おまえにとって、俺の魔力が心地良いと感じるのなら、反対に、俺にとってもそうだということだ」
 ツェツイは大きな目を開いてイェンを見上げた。そこにはイェンの笑った顔。
「お師匠様……」
「安心しろ。おまえは俺が必ず守る」
 そして、イェンは手を前に突きだした。残った体力と気力を振り絞り、刻を戻すという大がかりな技を繰り出す。
 失敗は許されない。
 ここで気を失うわけにもいかない。
 もとより、そんなへまをやらかすつもりも、意識を手放す失態をさらすつもりもない。
 ゆっくりと、深く大きく息を吸い込む。
『時空の扉をひらく』
 イェンの声とともに、何もない虚空がまばゆい光を放つ。
「じ、時空!?」
 素っ頓狂な声をあげ、ツェツイは首を傾け背後を振り返った。
 ツェツイの背中、イェンの差し出した手の辺り、何もない虚空から一本の黄金色の杖が現れた。
「杖!」
 ツェツイが驚きの声を上げる。それはイェンの身の丈以上もある巨大な杖であった。
 イェンが先ほど、あれの力を借りると言ったのはこの杖のことであったのか。
 かなりの重量があるであろうその杖を手につかみ、イェンは水平にかまえた。
 軽くまぶたを伏せ、もう一度すっと息を吸い込む。
 頭の上で凄まじい音が響く。
 ぱらぱらと炭と化した木くずが落ち、とうとう天井が抜けた。
『刻み続ける時よ
 留まることなく
 流れゆく時よ
 その流れに逆らい
 刻をもどせ』
 謳うように流れる声にはよどみがなく、静かな口調に秘められた響きは力強い。
 刻を戻すという大技だ。
 上級魔術を詠唱なしで使いこなすイェンでも、こればかりはそうはいかなかったらしい。初めて耳にするイェンの詠唱に、心を奪われかけていたツェツイの目が徐々に見開かれていく。
 炎がひいていくのだ。
 それだけではない。
 たちこめていた煙が薄れ、落ちた天井が浮き上がる。
 倒れた柱が形を戻し、燃えた家財道具も何もかもが元どおりに戻っていく。
 まさに、刻が逆戻りするように。
 やがて、家は火事の被害があったとは思えない、いつもとかわらない状態を取り戻す。
 瞬きをする間の一瞬のできごとであった。
「刻をもどす魔術……」
 ツェツイは信じられないというように呟き、周りを見渡した。
 家具も置物もその位置も、壁や天井にあったしみも、たてつけの悪い扉も歪んだ窓も、すべて元の状態を取り戻す。
 けれど、刻を戻す術は禁術。
 そして、術の知識も発動も、一介の魔道士が容易く手に入れ扱える術ではない。
 あり得ない、と否定しても現実に今ツェツイの目の前で起こった。
 咄嗟にツェツイはイェンに視線を戻す。
 焼けた柱を支えていたイェンの背中のやけども顔の傷も、跡形もなくきれいに消えていた。
「お師匠様! 傷が、傷が治って」
「だから、心配すんなって言ったろ」
「初めてこんな術を見ました。すごすぎます……」
 初めて見るのはあたりまえだ。
 禁術なのだから使う者はいない。
 いや、使える者がまずいないといった方が正しいか。
「確かに、流れる刻を操るのは禁忌の術」
 だから、とイェンは唇に人さし指をあて、悪戯な笑みを口元に刻む。
「二人の秘密な」
 二人の秘密、とツェツイは小声で繰り返す。
「だけど、火事のことが〝灯〟の人たちに知られたら」
 あれだけ被害の大きい火事をおこして、家は無事です、何でもありませんでしたなど、そんなことが通用するはずがない。
 説明ができない。
「そんときは、焚き火でもやってましたとでも言え」
「焚き火? ……ですか」
「ついでに、芋でも焼いてたってな。焚き火で芋焼いたことあるか?」
「ないです……」
「なら、やろうぜ。後で買いに行くぞ」
「おいも……」
 どこまで本気ととらえたらいいのかわからないと、ツェツイは複雑な表情をつくる。
 ばれるかもとか、ばれたらどうなるのかとか、そんな不安や恐れも微塵もみせないイェンの余裕な態度。けれど、お師匠様がそういうのなら、不思議と大丈夫なような気がして、ツェツイは思わずくすりと笑う。そして、笑いながら言う。
「もし、このことが〝灯〟に知られてお師匠様に何かあったら、あたしもおともさせていただきます。いえ、させてください。一緒に処罰を受けます」
「はは、それ、笑いながら言うことか?」
「お師匠様もです!」
「そうなったら、おまえ、かなり悲惨なことになるぞ」
「覚悟はできています」
 イェンは肩をすくめた。
「なら、何がなんでも隠し通さなければだな」
「はい」
 そして、二人は肩を揺らしてもう一度笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

自殺した妻を幸せにする方法

久留茶
恋愛
平民出身の英雄アトラスと、国一番の高貴な身分の公爵令嬢アリアドネが王命により結婚した。 アリアドネは英雄アトラスのファンであり、この結婚をとても喜んだが、身分差別の強いこの国において、平民出のアトラスは貴族を激しく憎んでおり、結婚式後、妻となったアリアドネに対し、冷たい態度を取り続けていた。 それに対し、傷付き悲しみながらも必死で夫アトラスを支えるアリアドネだったが、ある日、戦にて屋敷を留守にしているアトラスのもとにアリアドネが亡くなったとの報せが届く。 アリアドネの死によって、アトラスは今迄の自分の妻に対する行いを激しく後悔する。 そしてアトラスは亡くなったアリアドネの為にある決意をし、行動を開始するのであった。 *小説家になろうにも掲載しています。 *前半は暗めですが、後半は甘めの展開となっています。 *少し長めの短編となっていますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

【本編完結】ワケあり事務官?は、堅物騎士団長に徹底的に溺愛されている

卯崎瑛珠
恋愛
頑張る女の子の、シンデレラストーリー。ハッピーエンドです! 私は、メレランド王国の小さな港町リマニで暮らす18歳のキーラ。実は記憶喪失で、10歳ぐらいの時に漁師の老夫婦に拾われ、育てられた。夫婦が亡くなってからは、食堂の住み込みで頑張っていたのに、お金を盗んだ罪を着せられた挙句、警備隊に引き渡されてしまった!しかも「私は無実よ!」と主張したのに、結局牢屋入りに…… 途方に暮れていたら、王国騎士団の副団長を名乗る男が「ある条件と引き換えに牢から出してやる」と取引を持ちかけてきた。その条件とは、堅物騎士団長の、専属事務官で…… あれ?「堅物で無口な騎士団長」って脅されてたのに、めちゃくちゃ良い人なんだけど!しかも毎日のように「頑張ってるな」「助かる」「ありがとう」とか言ってくれる。挙句の果てに、「キーラ、可愛い」いえいえ、可愛いのは、貴方です!ちゃんと事務官、勤めたいの。溺愛は、どうか仕事の後にお願いします! ----------------------------- 小説家になろうとカクヨムにも掲載しています。

多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?

あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」 結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。 それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。 不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました) ※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。 ※小説家になろうにも掲載しております

処理中です...