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あらしの夜に
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外を吹きすさぶ風の音がうるさい。
いや、うるさいなんてもんじゃない。
窓を叩く風はある意味、狂気のように窓を揺らし、まるで私を威嚇しているかのようだった。
昔からド田舎で生まれ育った私は、女のくせに怖いものがほとんどなかった。
暗闇は街灯のない田舎では夜のお供のようなものだったし、幽霊や妖怪とかオカルト的なものは、信仰心の厚い田舎ではさして気にするようなものでもなかった。ましてや蜘蛛やゴキブリを筆頭とした虫の類なんか、家に帰れば毎日そこにいたし、なんなら寝こみを襲われたことさえある。
けれど、そんな私にも、怖いものはあった。
それはあらしの夜、だ。
昔から母子家庭で生まれ育った私は、兄弟もなく、母を家で一人待っていることが多かった。
母のいない、風の吹きすさぶ夜は、心細く。母が一生帰ってこないのでは、と思う夜ばかりだった。
だからだろうか。
大人になった今でも、風が強く吹き付ける、あらしの夜はとんでもなく怖く、寂しく、心細い。
8月も終わり、もう残暑になってもいいと思うのだが、相変わらず暑さは引くことなく、日中の猛暑は私の体力を奪っていく。
テレビをつけて、天気予報を見ていると、また南の方で、台風が発生したらしい。お前もう今年何十回目だよ。もういいよ、君のシーズンは終わったよ。頼むからさっさとただの低気圧に戻ってくれよ。
心の中で、毒づきながら、私は朝ご飯を手早く胃に収めると、早々にテレビの電源を消した。
着こんでいたスーツの襟を正し、手早く下ろしていた髪の毛を束ねると、準備していたカバンを手に持ち、玄関を出た。
電車が止まろうが、車通勤の私には『台風休暇』と言う言葉は関係ない。車のキーのついた家の鍵を回すと、足早に自分の愛車に向かった。
*
仕事と言うのは行くまでは億劫だが、行ってみると業務が山のように押しかけてきて、なかなか一日が早く過ぎるものだ。
今日の仕事は、悪天候の影響か、客足は少なかったがその分面倒な客が多かった。
やれ、買った荷物が雨で濡れて使い物にならないから、弁償しろだとか。
じゃあ、最初から買うなよ、と心の中で毒づきながらも、顔は心底申し訳なさそうな表情でお詫びの言葉を述べられるようになったのは、きっと私が大人になったから、だろう。
そして、疲れた身体を引きずりながら、愛車に乗って自宅に帰る。
車のキーのついた家の鍵。キーホルダーが揺れる鍵を差し込み回すと、鍵が開く反応がない。
あぁ、帰ってたのか。
そう思いながら、家のドアを開ける。
「帰ったよ」
言って、玄関で黒いパンプスを脱ぐ。
部屋の奥の方で淡く電気がついている。
カバンやスーツを定位置にかけながら、その部屋を覗き込むと、恋人の朋がテレビゲームをしていた。
「おかえり」
朋は一度ゲームをする手を止めて、私の方を見あげると、笑顔を浮かべた。
彼のその笑顔を見た瞬間、私の背中にのしかかっていた色々なものが、ふっとどこかに飛んで行ったかのような気分になった。
結局、今夜は朋の作ってくれていた夕食を食べて、軽くシャワーを浴び、布団に入ることにした。
隣の布団に入った朋に、私はふと声をかける。
「ねぇ、朋は怖いものある?」
声をかけると、朋は「んー?」と眠そうな声を出しながら、寝返りを打った。
「怖いもの、ある?」
朋は寝返りを打って、背中を向けると「ひみつー」と言ったっきり、何もしゃべらなくなり、次第に寝息が聞こえてきた。
「もう、寝ないでよ」
呟く私の枕元では、ガタガタと窓が揺れる。
私は、布団を首まで引き上げ、両手で布団にくるまり、そっと窓を見た。
窓の外では風がうるさいくらいに吹き荒れていて、どうしても私は子どものころのことを思い出してしまう。
お母さんが、あらしの中出て行く後姿。
ひとりぼっちで食べる夕食。
電気を消して、潜った布団の外で揺れる窓。
「寂しい、怖い、こわい、いや…」
気付くと、私は布団の中で、泣いていた。
大人になったはずなのに、いつまでも子どものまま。
そんな私が、私は大嫌いなのに。
すすり泣いていると、いきなりあたりがパッと明るくなった。
どうやら寝室の電気がついたようだ。
布団から顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見てくる朋の姿があった。
「大丈夫?」
涙で朋の姿がにじむと同時に、朋は私を抱きしめた。
「こ、怖かったよぉ…」
鼻水をすすりながら私が朋に抱き着くと、朋は私の背中をポンポンと撫でた。
「俺、途中で寝ちゃってごめんね。怖かったね」
言って、上半身だけを起こし、朋は電気を消してくれた。
しばらくして、落ち着いた私に、朋はゆっくりと話しかけた。
「さっきさ、怖いものは何? って聞いたでしょ?」
「うん」
朋の腕の中で、丸まりながら、私は頷いた。
「俺が怖いのはね、君が居なくなること。それが一番怖いよ」
そう言って、朋は私の頭を優しく撫でた。
あぁ、そうか。
私は怖かったんだ。
お母さんが私を置いて、いなくなってしまうのが。
帰ってこないのが。
一人になってしまうのが、怖かったのだ。
そして、朋の腕の中で、私はその夜夢を見た。
あらしの夜に、怖がって布団の中に潜りこんでいた私を、帰宅して見つけた母が、私を布団の上から抱きしめてくれた思い出を。
それは、とても優しく、安心する夢だった。
-END-
いや、うるさいなんてもんじゃない。
窓を叩く風はある意味、狂気のように窓を揺らし、まるで私を威嚇しているかのようだった。
昔からド田舎で生まれ育った私は、女のくせに怖いものがほとんどなかった。
暗闇は街灯のない田舎では夜のお供のようなものだったし、幽霊や妖怪とかオカルト的なものは、信仰心の厚い田舎ではさして気にするようなものでもなかった。ましてや蜘蛛やゴキブリを筆頭とした虫の類なんか、家に帰れば毎日そこにいたし、なんなら寝こみを襲われたことさえある。
けれど、そんな私にも、怖いものはあった。
それはあらしの夜、だ。
昔から母子家庭で生まれ育った私は、兄弟もなく、母を家で一人待っていることが多かった。
母のいない、風の吹きすさぶ夜は、心細く。母が一生帰ってこないのでは、と思う夜ばかりだった。
だからだろうか。
大人になった今でも、風が強く吹き付ける、あらしの夜はとんでもなく怖く、寂しく、心細い。
8月も終わり、もう残暑になってもいいと思うのだが、相変わらず暑さは引くことなく、日中の猛暑は私の体力を奪っていく。
テレビをつけて、天気予報を見ていると、また南の方で、台風が発生したらしい。お前もう今年何十回目だよ。もういいよ、君のシーズンは終わったよ。頼むからさっさとただの低気圧に戻ってくれよ。
心の中で、毒づきながら、私は朝ご飯を手早く胃に収めると、早々にテレビの電源を消した。
着こんでいたスーツの襟を正し、手早く下ろしていた髪の毛を束ねると、準備していたカバンを手に持ち、玄関を出た。
電車が止まろうが、車通勤の私には『台風休暇』と言う言葉は関係ない。車のキーのついた家の鍵を回すと、足早に自分の愛車に向かった。
*
仕事と言うのは行くまでは億劫だが、行ってみると業務が山のように押しかけてきて、なかなか一日が早く過ぎるものだ。
今日の仕事は、悪天候の影響か、客足は少なかったがその分面倒な客が多かった。
やれ、買った荷物が雨で濡れて使い物にならないから、弁償しろだとか。
じゃあ、最初から買うなよ、と心の中で毒づきながらも、顔は心底申し訳なさそうな表情でお詫びの言葉を述べられるようになったのは、きっと私が大人になったから、だろう。
そして、疲れた身体を引きずりながら、愛車に乗って自宅に帰る。
車のキーのついた家の鍵。キーホルダーが揺れる鍵を差し込み回すと、鍵が開く反応がない。
あぁ、帰ってたのか。
そう思いながら、家のドアを開ける。
「帰ったよ」
言って、玄関で黒いパンプスを脱ぐ。
部屋の奥の方で淡く電気がついている。
カバンやスーツを定位置にかけながら、その部屋を覗き込むと、恋人の朋がテレビゲームをしていた。
「おかえり」
朋は一度ゲームをする手を止めて、私の方を見あげると、笑顔を浮かべた。
彼のその笑顔を見た瞬間、私の背中にのしかかっていた色々なものが、ふっとどこかに飛んで行ったかのような気分になった。
結局、今夜は朋の作ってくれていた夕食を食べて、軽くシャワーを浴び、布団に入ることにした。
隣の布団に入った朋に、私はふと声をかける。
「ねぇ、朋は怖いものある?」
声をかけると、朋は「んー?」と眠そうな声を出しながら、寝返りを打った。
「怖いもの、ある?」
朋は寝返りを打って、背中を向けると「ひみつー」と言ったっきり、何もしゃべらなくなり、次第に寝息が聞こえてきた。
「もう、寝ないでよ」
呟く私の枕元では、ガタガタと窓が揺れる。
私は、布団を首まで引き上げ、両手で布団にくるまり、そっと窓を見た。
窓の外では風がうるさいくらいに吹き荒れていて、どうしても私は子どものころのことを思い出してしまう。
お母さんが、あらしの中出て行く後姿。
ひとりぼっちで食べる夕食。
電気を消して、潜った布団の外で揺れる窓。
「寂しい、怖い、こわい、いや…」
気付くと、私は布団の中で、泣いていた。
大人になったはずなのに、いつまでも子どものまま。
そんな私が、私は大嫌いなのに。
すすり泣いていると、いきなりあたりがパッと明るくなった。
どうやら寝室の電気がついたようだ。
布団から顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見てくる朋の姿があった。
「大丈夫?」
涙で朋の姿がにじむと同時に、朋は私を抱きしめた。
「こ、怖かったよぉ…」
鼻水をすすりながら私が朋に抱き着くと、朋は私の背中をポンポンと撫でた。
「俺、途中で寝ちゃってごめんね。怖かったね」
言って、上半身だけを起こし、朋は電気を消してくれた。
しばらくして、落ち着いた私に、朋はゆっくりと話しかけた。
「さっきさ、怖いものは何? って聞いたでしょ?」
「うん」
朋の腕の中で、丸まりながら、私は頷いた。
「俺が怖いのはね、君が居なくなること。それが一番怖いよ」
そう言って、朋は私の頭を優しく撫でた。
あぁ、そうか。
私は怖かったんだ。
お母さんが私を置いて、いなくなってしまうのが。
帰ってこないのが。
一人になってしまうのが、怖かったのだ。
そして、朋の腕の中で、私はその夜夢を見た。
あらしの夜に、怖がって布団の中に潜りこんでいた私を、帰宅して見つけた母が、私を布団の上から抱きしめてくれた思い出を。
それは、とても優しく、安心する夢だった。
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