5 / 16
第一章 和風カフェあじさい堂
5.和カフェ あじさい堂
しおりを挟む
来ていたのは悠花と沙代里の他に三人。
二人はご近所の奥さんで、もうひとりは祖母とカルチャースクールで知り合ったという母くらいの年代の女性だった。
お点前が終わって皆で私が持参した和菓子を頂いているときに、ピロン、とメッセージアプリの着信を知らせる電子音が響いた。
「あら、いややわ。音切っといたつもりだったんやけど」
白の椿柄の着物を着た五十代くらいの女性が慌てたように巾着を取り上げた。
「いいんよ。気にせんでも」
「うちもようやるわ」
そんな声のなかで恐縮したようにスマートフォンを取り出して画面を操作した女性は、
「あらっ、いややわ」
と頓狂な声をあげた。
「どしたん?」
「娘からやわ。なんか急に入院せなならんことになったって言うてきた」
「えっ、真緒ちゃんが?」
「確か今二人目がお腹におるんやろ」
祖母やお稽古仲間の女性たちが口々に訊ねる。
「そう。予定日はまだ先なんやけど、なんか今日の検診で切迫早産の可能性があって絶対安静にせなあかんて言われたって」
「いやー」
「大変やないの」
「真緒ちゃんのお家って桜井やった?」
「うん。先生、すいませんけど私今からすぐ行ってきますわ。上の孫が保育園に行っとるからお迎えに行かな」
「もちろんや。気いつけてな」
「真緒ちゃん、お大事に」
あたふたと立っていきかけた女性は、
「あ、あかん」
と言って棒立ちになった。
「何があかんのん?」
「うち、今日、『あじさい堂』の手伝いの日やった。午後から行けるって約束しとったんや」
「沢野さん、あんた、こんな時に何言うとるん。そんなこと言うてる場合やないやろ。すぐに真緒ちゃんとこ行ったり」
祖母が叱りつけるような口調で言った。
「でも、この間バイトの子やめてしまって今日うちが行かへんと奏ちゃん困ると思うんや」
「また辞めたんか。いったい何人目や」
「今度の子はひと月ももたんかったな」
おばさんたちが口々に言う。
「あんたがおらんと困るのは真緒ちゃんとお孫さんの方がもっとやろ。いいからはよ行き。あっちにはうちから言うといたるから」
沢野さんと呼ばれた女性はそれでも躊躇うそぶりをみせていたが、祖母や他の女性たちに追い立てられるようにして、
「ほな、すんませんけどよろしくお願いします。奏ちゃんにもくれぐれも謝っといてください」
と言いおいてせかせかと帰って行った。
どうやら沢野さんはどこかのお店でパートの仕事をしていて、そこに急に行けなくなってしまったことを気にしていたみたいだった。
祖母が沢野さんのパート先に事情を説明しに行くというので、その日はそのままお開きとなった。
皆を見送ったあとで、祖母が悠花を振り返って言った。
「さ、あんたも行くで」
「え?」
「聞いてたやろ。奏ちゃんとこに今日沢野さん来られんようになったって伝えにいかな」
「聞いてたけど何で私まで……」
「いいから。どうせ帰ったってお母ちゃんにあれこれ叱られてばっかりおるんやろ。それよりかマシや。ついといで」
───それはその通りなんだけど。
奈江を母に預けている沙代里は遅くなれないというので先に帰っていった。
悠花は不承不承、祖母のあとについて家を出た。
「どこまで行くの?」
「すぐそこや。角曲がったらほら、もうそこに見えるやろ」
祖母が指さす先にそのお店はあった。
祖母の家の茶舗と同様の町家風の住居を改装したと思われる店舗で、黒い格子のはまった入口の戸の横には綺麗な青紫の布看板に、白い字で「あじさい堂」と染め抜かれてあった。
看板の下の方にはピンクと水色の紫陽花の絵が描かれている。葉の上にちょこんと載っているカタツムリと蛙の絵が可愛い。
近くまで行くと、黒板風の立て看板にメニューが書かれているのが見えた。
「本日のランチ 炙りサーモンとアボカド丼(お椀・サラダ付き)」
「本日のパスタ 揚げナスとベーコンの和風おろし(スープ・サラダ付き)」
「デザート 抹茶のチーズケーキ 和三盆ブリュレ 栗のモンブラン」
そんな文字が並んでいる。いわゆる「和カフェ」とか「和風ダイニング」というお店だろうか。
「準備中」の札のかかっているドアを祖母は何の躊躇いもなく開けた。
二人はご近所の奥さんで、もうひとりは祖母とカルチャースクールで知り合ったという母くらいの年代の女性だった。
お点前が終わって皆で私が持参した和菓子を頂いているときに、ピロン、とメッセージアプリの着信を知らせる電子音が響いた。
「あら、いややわ。音切っといたつもりだったんやけど」
白の椿柄の着物を着た五十代くらいの女性が慌てたように巾着を取り上げた。
「いいんよ。気にせんでも」
「うちもようやるわ」
そんな声のなかで恐縮したようにスマートフォンを取り出して画面を操作した女性は、
「あらっ、いややわ」
と頓狂な声をあげた。
「どしたん?」
「娘からやわ。なんか急に入院せなならんことになったって言うてきた」
「えっ、真緒ちゃんが?」
「確か今二人目がお腹におるんやろ」
祖母やお稽古仲間の女性たちが口々に訊ねる。
「そう。予定日はまだ先なんやけど、なんか今日の検診で切迫早産の可能性があって絶対安静にせなあかんて言われたって」
「いやー」
「大変やないの」
「真緒ちゃんのお家って桜井やった?」
「うん。先生、すいませんけど私今からすぐ行ってきますわ。上の孫が保育園に行っとるからお迎えに行かな」
「もちろんや。気いつけてな」
「真緒ちゃん、お大事に」
あたふたと立っていきかけた女性は、
「あ、あかん」
と言って棒立ちになった。
「何があかんのん?」
「うち、今日、『あじさい堂』の手伝いの日やった。午後から行けるって約束しとったんや」
「沢野さん、あんた、こんな時に何言うとるん。そんなこと言うてる場合やないやろ。すぐに真緒ちゃんとこ行ったり」
祖母が叱りつけるような口調で言った。
「でも、この間バイトの子やめてしまって今日うちが行かへんと奏ちゃん困ると思うんや」
「また辞めたんか。いったい何人目や」
「今度の子はひと月ももたんかったな」
おばさんたちが口々に言う。
「あんたがおらんと困るのは真緒ちゃんとお孫さんの方がもっとやろ。いいからはよ行き。あっちにはうちから言うといたるから」
沢野さんと呼ばれた女性はそれでも躊躇うそぶりをみせていたが、祖母や他の女性たちに追い立てられるようにして、
「ほな、すんませんけどよろしくお願いします。奏ちゃんにもくれぐれも謝っといてください」
と言いおいてせかせかと帰って行った。
どうやら沢野さんはどこかのお店でパートの仕事をしていて、そこに急に行けなくなってしまったことを気にしていたみたいだった。
祖母が沢野さんのパート先に事情を説明しに行くというので、その日はそのままお開きとなった。
皆を見送ったあとで、祖母が悠花を振り返って言った。
「さ、あんたも行くで」
「え?」
「聞いてたやろ。奏ちゃんとこに今日沢野さん来られんようになったって伝えにいかな」
「聞いてたけど何で私まで……」
「いいから。どうせ帰ったってお母ちゃんにあれこれ叱られてばっかりおるんやろ。それよりかマシや。ついといで」
───それはその通りなんだけど。
奈江を母に預けている沙代里は遅くなれないというので先に帰っていった。
悠花は不承不承、祖母のあとについて家を出た。
「どこまで行くの?」
「すぐそこや。角曲がったらほら、もうそこに見えるやろ」
祖母が指さす先にそのお店はあった。
祖母の家の茶舗と同様の町家風の住居を改装したと思われる店舗で、黒い格子のはまった入口の戸の横には綺麗な青紫の布看板に、白い字で「あじさい堂」と染め抜かれてあった。
看板の下の方にはピンクと水色の紫陽花の絵が描かれている。葉の上にちょこんと載っているカタツムリと蛙の絵が可愛い。
近くまで行くと、黒板風の立て看板にメニューが書かれているのが見えた。
「本日のランチ 炙りサーモンとアボカド丼(お椀・サラダ付き)」
「本日のパスタ 揚げナスとベーコンの和風おろし(スープ・サラダ付き)」
「デザート 抹茶のチーズケーキ 和三盆ブリュレ 栗のモンブラン」
そんな文字が並んでいる。いわゆる「和カフェ」とか「和風ダイニング」というお店だろうか。
「準備中」の札のかかっているドアを祖母は何の躊躇いもなく開けた。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
【完結】返してください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと我慢をしてきた。
私が愛されていない事は感じていた。
だけど、信じたくなかった。
いつかは私を見てくれると思っていた。
妹は私から全てを奪って行った。
なにもかも、、、、信じていたあの人まで、、、
母から信じられない事実を告げられ、遂に私は家から追い出された。
もういい。
もう諦めた。
貴方達は私の家族じゃない。
私が相応しくないとしても、大事な物を取り返したい。
だから、、、、
私に全てを、、、
返してください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる