あやかし屋敷の離れでスムージー屋さん始めました~生きていくにはビタミンが必要です~

橘 ゆず

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3.はじめまして 君の夫です

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(古いとは聞いていたけれど、これじゃほとんどお化け屋敷じゃないの)

 雫は途方に暮れて、門の外から屋敷を眺めた。

 黒い格子戸のついた屋根付きの門は立派だったが、そこに門の脇の巨大な柳の葉が枝垂れかかっているのがなんともおどろおどろしい。

 一緒に屋敷を見る約束をした榊氏はまだ来ていない。

(もうこのまま、帰っちゃおうかな)

 という思いが頭を掠めたが、それであの物腰が柔らかいわりに妙に押しの強かった榊氏が納得してくれるとも思えない。

 雫はなにげなく格子戸に手をかけてみた。

 すると戸がカラカラと開いた。


(え、何? 鍵かけてないの?)

 不用心といえば不用心だが、こんなお化け屋敷みたいな家に好き好んで入ろうとする泥棒もいないか。

(そんな泥棒にも避けられそうな不気味な邸を譲られようとしている私っていったい……)

 せめて祖父の存命中に訪ねることが出来れば、この屋敷の印象もずいぶんと違ったものになっていたと思うのに。

 そんなことを思いながら、門をくぐり中へ入る。

 門から玄関までは、白い玉砂利がしきつめられ、その中に飛び石が風情ありげに配置されていた。

 造りだけみたら、どこかの高級旅館のように立派なのにこの妙に禍々しい雰囲気は何なんだろうか……。


(とりあえず、記念に写真とっておこうっと)

 門の横の柳の方にむかってスマホのカメラを構えた雫は思わず、悲鳴をあげた。

「きゃっ!!」

 柳の下に、白い着物の上に藍色の長い羽織を羽織った男が立っていたからだ。

(え、え、えっ、何? さっきまでは誰もいなかったよね)

 雫は慌ててスマホを下ろした。

 男は、年の頃は雫より少し上……二十代半ばくらいだろうか。
 
 黒髪に白い肌の、ぞくっとするような美青年で、切れ長で黒目がちの目でじっとこちらを見るとちょっと小首を傾げた。

「雫?」
「えっ」

 思いがけず名を呼ばれて雫は固まった。

(どうして私の名前……)

 青年は雫の様子に構わずに、こちらにやって来た。

「雫だろう? 水瀬 雫。伊蔵の孫娘の」

 伊蔵というのが祖父の名前だと思い当たるまでに少し時間がかかった。

 自分と祖父の名を知っているということは、この人は祖父の知り合いなのだろうか。
 たとえば、祖父が雇っているこの屋敷の管理人さんだとか。


 それにしては、いきなり名前を呼び捨ててきたり、祖父のことも呼び捨てだったり違和感が半端ないのだけれど。

 それにこの青年の醸し出す雰囲気はなんだろう。
 側にいるだけで、なんとなくひんやりとするような……ざわざわと肌が粟立つようなこの感覚は。


「あの、あなたは……」
 
 無意識に後ずさりながら尋ねたが、青年はじりじりと雫が下がった距離をあっという間に詰めるとにっこりと微笑んだ。

「ああ。そうだね。自己紹介がまだだった。僕は、ひいらぎ。君の夫だよ」

 そう言っていきなり雫を抱きしめた。

「えっ、ちょっと……っ!!」

 慌てて押し返そうとしながら、雫は真っ青になった。

(夫!? 何言ってるの、この人。っていうか、これってもしかしなくてももの凄くまずい状況なんじゃ……)

 ここは、石段をかなり上った坂の上にあってこの屋敷自体が異様に広いこともあってすぐ近くには他の家もない。

 石段の下には普通の住宅地が広がっていたが、そこまではかなり距離がある。
 ここで雫が悲鳴をあげたところで、誰かが気づいて助けに来てくれる可能性はものすごく低い。


(や、やだ! やっぱりオーナーについてきて貰えば良かったよ……!)

 カフェのオーナーの高木さんはご夫妻そろってもの凄くいい人で、今日も突然降って湧いた、雫の祖父の相続話を心配して、一緒に行こうかと言ってくれていたのだ。

 せっかくの休日に迷惑をかけては申し訳ないと思い、
「ちょっと見てくるだけですから。どちらにしても相続の話とか断るつもりですし」
 と言って一人で来てしまったのだが、まさかこんなことになるなんて。


「ちょっと、離して下さい!」

「どうして? 雫。ずっと会いたかったよ。もう離さない」

(ずっと会いたかったも何も今が初対面じゃないの)

 この真冬に薄手の着物なんかでうろうろしているし、ちょっとおかしい人なのかもしれない。

 刺激したらよけいまずいのかもしれないけど、かといってこのままおとなしく言うなりになるなんて絶対に嫌だ。

 雫は渾身の力で男の腕を振りほどいて逃げ出した。

「あ、待って。雫」

 男の声が追いかけてくる。

(冗談。待てといわれて待つわけないでしょ!)

 とにかく思いきり走って逃げて、そこで110番してやる!
 祖父の知り合いだろうがなんだろうが構うもんか。

 これはれっきとした痴漢行為、犯罪よ!!

 そう思って門を飛び出し、石段に向かって駆けだした雫は次の瞬間、愕然とした。

(石段が、ない……!!)

 つい、さっき上ってきたはずの石段がきれいさっぱりと消え、あったはずの場所には白い霧のようなものが広がっている。

(どういうこと……!!)

 思ったときにはもう遅く、雫は前のめりに走ってきた勢いのまま、その霧のなかに飛び込んでしまった。
 
 目の前が真っ白になる。

 次の瞬間、雫は自分がすうっと落下しているのを感じた。

(落ちる──!!)

 すうっと背筋が寒くなるような感覚。
 けれど、それに続く衝撃はいつまでも来ない。

 その時、雫はふわっと自分の体が浮かび上がるのを感じた。

(え……?)

 見れば、一面真っ白な視界のなかに青白い炎がちらちらと浮かんでいる。

(何、これ……夢? 私、石段から落ちて気を失ったの?)

 やがて霧のなかから一つの人影が浮かび上がる。

 黒髪に白い着物、藍色の長羽織。

(ひ……っ)

 雫は思わず顔を引きつらせた。

(さ、さっきの変質者……!)

 怯える雫に構わず、彼女の体はふわふわと宙を飛び、やがて青年の真上まで来ると、ふいに浮力を失ったようにすとんと落ちて、彼の腕のなかにおさまった。

「おかえり、雫。危ないだろう。急に走ったりしたら」

 彼はにっこりと笑って雫の顔を覗き込んだ。

「雫は意外とお転婆さんなんだなあ」

 そう言う彼の瞳が青く光っていることに気がついて雫は息を呑んだ。
 さっきまでは確かに髪と同じ、黒い瞳だったはずなのに。

(何なの……お願い。夢ならさめて……!)

 祈るような気持ちで思った瞬間、視界をゆらりと白いものが横切った。

「え?」

 ゆらゆらと揺れるふさふさとした柔らかそうなもの。

 それが目の前の青年の尻尾だということに気が付いた雫は、今度こそ声もなく気を失った。

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