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1.石段の上の青柳御殿

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  そこは坂の多い街だった。

 どこへ行くにも坂道を上ったり下りたりしなければいけない住宅地の完成な家並みのなかに唐突にその石段は存在した。
 手すりもなく舗装もされていないその石段は、周囲の風景のなかで異質な存在感を放っていたが、近隣の人々はそれが昔からそこにあるゆえに、当たり前のものとしてあまり深く注意を払っていなかった。

 その石段をのぼった上にその屋敷はある。

 丈の高い生垣に囲まれたどこか鬱蒼としたその屋敷は、周辺の人たちから「青柳御殿あおやぎごてん」と呼ばれていた。

 おそらく門柱の脇に立っている大きな柳の木からきた名前なのだろう。

 その門柱の前に立って、水瀬みなせしずくは途方に暮れていた。

(ここ、なの……?)
 渡されたメモに書かれている住所はここで間違いない。

 けれど、その屋敷のあまりに広大な敷地と時代がかった外観に雫は完全に圧倒されてしまっていた。

(わたしのお祖父ちゃんって、いったい何者なの?)

 愛用のチョコレート色のボストンバッグの取っ手を握りしめて、雫は祖父が自分に遺したという屋敷の前に、茫然と立ち尽くした。


 
 ことの起こりは、勤め先のカフェに突然訪ねてきた祖父の代理人を名乗る男だった。

 オーナーご夫妻の許可を貰って、休憩時間に店の隅の席で対応した雫は唖然とした。
「先日、世を去られました水瀬 伊蔵さまからのご依頼で参りました。孫娘にあたられる貴女さまにお譲りしたい財産があるということで」

 そう言って男が差し出した文書(なぜか書道に使うような紙に毛筆で書かれている!)に目を落とした雫は困惑した顔をあげた。

「あのう、どういうことでしょうか?」
 それも無理はない。
 自分に祖父がいるなどという話すら、これまで聞いたことがなかったのだから。
 いや、生き物である以上、生物学的な両親、祖父母が存在することは間違いないのだけれど。

 雫は児童養護施設と呼ばれる場所で十八歳まで育った。
 
 父は物心ついた時からおらず、母は雫が幼稚園のときに彼女を置き去りにして失踪してしまった。
 幼い雫をショッピングモールのフードコートに置き去りにして。

「すぐに戻ってくるからここでおとなしく待ってるのよ」
 
 いつも些細なことで叱りつけてばかりいる母に、優しい声で微笑みかけられ、ハンバーガーショップのオレンジジュースを渡されてとても嬉しかったのを雫は今でも昨日のことのように覚えている。
  そのあとの、いつまで経っても戻ってこない母を一人でぽつんと座って待ち続けた、恐ろしい心細さとともに。

 結局、母はそのまま行方をくらませてしまい、他に連絡のつく身よりもなかったことから雫はそのまま施設に引き取られた。

 十八歳で施設を出たあと、奨学金や支援制度を利用して専門学校に通い、調理師と栄養士の資格をとった。卒業後に施設のスタッフさんの知り合いだというここのカフェに就職が決まったときはとても嬉しかった。
 
 一生懸命働いて奨学金を返済し、いつかは小さくても自分の店が持てたら、なんていう夢を描き始めていた矢先の思いがけない出来事だった。

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