婚約破棄された公爵令嬢は初恋を叶えたい !

橘 ゆず

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第三章 悪人たちの狂騒曲

47.公爵令嬢の行方

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 状況が動いたのは、日も落ちたあとだった。

   王宮からクレヴィング公爵に至急参上するようにとの命令が届いたのだ。

 公爵──ギルベルト・クレヴィングは嫡男のヴィクトールを連れ、アマーリア捜索の指揮を弟のフランツに委ねると王宮へと向かう馬車に乗った。

「ラルフ、おまえも来い」
 ヴィクトールが言った。

「いや、しかし……」

「王命には、『クレヴィング公爵令嬢アマーリアの失踪に関する件で、至急四大公爵を召喚する』と書かれていた。アマーリアに関することならおまえが一番の関係者だ。いいから来い」

「ああ。事と次第によってはその場からすぐ騎士団を率いて出動して貰うことになるやもしれん。同行して欲しい」

 公爵にまで頭を下げられては断る理由はなかった。

 王宮に着くと、すぐに謁見の間に遠された。
 玉座のシュトラウス二世の隣りには青ざめた顔のクラウス王妃。

 そこから一段下がった諸侯たちの席にはすでに、国王の叔父のシュワルツ大公、その子息のエリックがつき、バランド公爵、ザイフリート公爵、そして残る一つの公爵家ベルトラン公爵家の当主のエドワルドが着席していた。

 それぞれの子息たちは、そこからまた少し離れた末席に控えている。
 クレイグやルーカスの顔も見えた。

 ヴィクトールに促されてラルフもその席の一番端に遠慮がちについた。

「遅くなって申し訳ありません」
 クレヴィング公爵が頭を下げた。

 「いや、このような時に……」
 口を開きかけた国王は、ぎょっとした顔で口をつぐんだ。
 それも無理はない。
 クレヴィング公爵の額には黒いインクででかでかと「平常心」と書かれているのだ。

 ヴィクトールの額にもまったく同じ文字が書かれている。

 アマーリア行方不明の報を聞いて、動揺から挙動不審な状態に陥ったこの父子は、
「まずは落ち着こう!!」
 と互いの頬を思いきり打ち合ったあとで、
「アマーリアを無事取り戻すまで平常心を忘れず、落ち着いて行動出来るように」
 とお互いの額にあの文字を書いたのだ。

 自分の額だと見えないから、らしい。
 ラルフも書くように勧められたが全力で辞退した。

 ちなみに公爵邸で待機中のフランツ・クレヴィングの額にも同じ文字が書かれている。

 本人たちは落ち着くのかもしれないが、見ている側はかえって不安定な気持ちにさせられる。

 しかし、公爵とは学生時代からの付き合いである国王はさすがにすぐに驚きから立ち直り、

「い、いや、ギルベルト。このような時に呼び立てて済まぬ。しかし皆に集まったのは他でもない。アマーリアの失踪に関わることなのだ」

 と言葉を続けた。
 一同にざわめきが広がった。

「アマーリア嬢が失踪とはどういうことでしょう? しかも、それに関わることで我ら四大公爵を皆、招集されるとは……」

 ベルトラン公爵が、戸惑ったように言う。

 シュトラウス二世は片手を上げてベルトラン公爵を制し、沈痛な面持ちで話し始めた。
 それは驚くべき内容だった。

 今日の午後、王宮の門に投げ文があった。
 石に包まれた布に書かれたそれには、前王太子アドリアンの名で、

「私は、アマーリア・クレヴィング嬢への真実の愛に気がついた。愛する彼女と二人で幸せになるためにともに王国を出奔する。探さないで欲しい」

 と書かれていたというのだ。

「そんな馬鹿な! アマーリアはすでにそこにおりますラルフ・クルーガーと婚約を交わした身。今さら、アドリアン殿下とどうこうなどありえませぬ!!」

 ギルベルトが声を荒げた。
 ヴィクトールもすかさず立ち上がった。

「その通りです。これは駆け落ちを装った拉致、誘拐です。すぐに捜索のための兵を出す許可を!」

 国王が頷きかけるよりも早く、ザイフリート公爵ニコラスが立ち上がった。

「待たれよ。ヴィクトール卿。それは少々、早計というものではないかな」
「何がですか」

「この文がアドリアン殿下の虚言と言い切ってしまっても良いものなのかと言っているのだよ。早まったことをすれば汚名を着るのはそちらのアマーリア嬢の方ではないのかな」

「どういう意味だ。ニコラス」
 ギルベルトが低い声で尋ねた。

「いや。親子とはいえ、年頃の娘の心などは分からぬもの。父や兄が知らぬだけで当のご息女はかねてより殿下と心を通じておったのではないのかな、と言っておるのだ」

「もしそうならば、拉致だ、誘拐だのと騒ぎ立てて兵などを派遣すれば、とんだ恥さらしということになりますね」
 父に同調するようにルーカスが言う。

 ギルベルトがさっと顔を険しくした。
 
「貴公らはアマーリアが親に隠れて婚約者以外の男と情を通じるような恥知らずな女子だと申しておるのか! もし、そうならば我が娘に対する重大な侮辱だ。絶対に許さぬぞ!!」

 雷鳴のような声で怒鳴られルーカスは顔色を白くしたが、父のニコラスの方はさすがにそんなことでは怯まずににやりと笑い返した。

「いや侮辱など、とんでもない。そんな大袈裟な話ではなくアマーリア嬢が長年、婚約者として互いへの気持ちを深め合ってきたアドリアン殿下のことをそう簡単に忘れられなくても仕方ないのでは、という話だよ。ギルベルト」

「あり得ぬ! 昔はいざ知らず、アマーリアという婚約者がいながら他の娘に心をうつし、その娘の嘘八百を鵜呑みにして、公衆の面前で罵倒し、婚約破棄を突き付けるような厚顔無恥、自分勝手、無知蒙昧、傲岸不遜、人面獣心、放蕩三昧のバカ王子をなぜにアマーリアがいまだに想うてやらねばならぬのか! あんなクズとよりを戻すくらいなら庭の石の下のダンゴムシと結ばれた方がまだマシと言うものだ。馬鹿も休み休み言うがいい!!」

 ギルベルトの発言に、声もなくうなだれる国王とクラウス王妃。


「父上! 言い過ぎです! 陛下の御前ですよ!」
 ヴィクトールが自分の額を指し示して言う。

「そうだったな。平常心、平常心……」
 ブツブツと呟きながら、ギルベルトは着席した。

「今のふざけた発言に関する報復は、アマーリアが無事に見つかってから考えましょう! ええ、そりゃあもう二度とそんな馬鹿げた口がきけないように徹底的に……」

「ヴィクトール! そなたも落ち着け!」
 ギルベルトが自分の額を指して言う。

「そうでした……妹のことになると、幼い頃から殿下の婚約者としてふさわしくあろうと、健気に努力を続けていたのを無残にも踏み躙られたのを目の当たりにしていたものですから誰よりも幸せにしてやりたいと思うあまりつい……平常心、平常心」

 ヴィクトールが自分の両頬をバシバシと叩く。
 ますます、うなだれる国王と王妃。


 ラルフはその様子をよそに考え続けていた。

 アドリアンの手紙の内容に関しては、少しも信じていなかった。

 アマーリアは失踪直前まで、自分のためにランチを持ってきてくれ、今度の武術大会の応援に行くと言ってくれていた。それがその日のうちにアドリアンと示し合わせて姿を消したなど到底信じられない。

 そもそも、あの自分に向けてくれた愛情に溢れた眼差しと笑顔をほんのかけらでも疑う気にはまったくなれなかった。


(考えろ、ラルフ。今、クレヴィング公爵家を敵に回してまで彼女を攫って得をするものは誰だ)

 アドリアンには、こんな風にアマーリアを拉致する理由がない。
 もし、まだ彼女を愛しているのなら自分の間違いを認めて、正面切ってもう一度求愛すればいいのだ。

 断られる危険を回避しようとしたとしても、こんなやり方はあまりにリスクがあり過ぎる。
 それにアマーリアから聞いていた性格から、ラルフはアドリアンはこんな荒っぽい手段に出るようなタイプではないと思った。

 アドリアンは王太子ではなくなったとはいえ、今の時点ではまだシュトラウス二世の第一王子だ。
 父国王も母王妃も、何だかんだと息子を愛している。

 だが、こんなことをすれば国王だとて庇いきれない。身の破滅だ。

(いや……これはアドリアン殿下を破滅させたい者の仕組んだことなのか)

 ラルフはさらに考えた。

 アドリアンが邪魔な者。
 クレヴィング家を恨んでいる者。

 そして、アマーリアがラルフと結婚する前に彼女を消してしまいたいと願う者。

 真っ先に継母エリザベートの顔が思い浮かんだ。
 あの女ならラルフを公爵家の婿にしないためにそれくらいはするかもしれない。

 
 そして、息女のカタリーナがエルリック王子の妃となることが決まった今、ザイフリート家にとってアドリアンは目の上のたんこぶだろう。

 アドリアンとラルフ。
 邪魔な二人を排除するためにザイフリート公爵とエリザベートが企んだのだとしたら。

 ラルフは立ち上がった。

「どうした?」
 尋ねてきたヴィクトールに、今頭に浮かんだ考えをざっと説明し、クルーガー伯爵家のエリザベートのところへ行ってきたいという考えを伝える。
 
 ヴィクトールはさっと表情を改め頷いた。

「分かった。行け。ここは俺にまかせておけ」

 平常心、と額に思いきり書かれたヴィクトールが何をするつもりなのか不安が頭をかすめたが、クレイグが隣りにいる限り、大丈夫だろうと思い直し、国王と王妃に向かって騎士の礼をすると退出を願う。

「ラルフ・クルーガーか。さぞやアマーリアの身が心配であろう。で、どこへ行こうというのか」

 国王が尋ねるのに、ヴィクトールが恭しく進み出てあとを引き取った。

「それに関してはあとは私からお話しさせていただきとう存じます。事は一刻を争いますので、この場で何卒、クルーガーに退出の許可を」

「よし。許そう」
 国王は即座に頷いた。

 ラルフはもう一度、その場の人々に礼をして踵を返すと厩舎に向かって駆けだした。

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