婚約破棄された公爵令嬢は初恋を叶えたい !

橘 ゆず

文字の大きさ
上 下
46 / 66
第三章 悪人たちの狂騒曲

45.眠れる森の公爵令嬢

しおりを挟む
 アドリアンが別荘につくと、待ち受けていた侍女が恭しく馬車を出迎えた。
 もちろんこの侍女もマリエッタが手配した偽の侍女である。

「お待ちしておりました。お嬢さまが中でお待ちでございます」
 そう言って頭を下げる侍女を見て、アドリアンがちょっと眉を上げた。

「クレヴィング家の者か? 見ない顔だが。今日はシェリルは一緒ではないのか」

 アマーリアとは、十年近く婚約者として過ごしてきたアドリアンである。
 アマーリアのそば近く仕えている公爵家の従者や侍女たちとは、一通り面識があったが出迎えた侍女は見たことのないものだった。

 こういったお忍びのときなどは、必ず乳母の娘であるシェリルが付き添っていたものだったが……。

 侍女はそれには答えずに曖昧に微笑むと、

「さあ、それより早くお嬢さまのもとへ」
 とアドリアンを促した。

 
 案内された部屋に一歩足を踏み入れたアドリアンは驚きに立ちすくんだ。

 その部屋は、中央のローテーブルを挟んでソファが置かれている貴族の家によくある応接間だったが、そのソファの背にもたれかかるようにしてアマーリアが眠っていたのだ。

 案内してきた侍女が、
「お嬢様は殿下のことを想って眠れない日々が続いていたのでお疲れが出たようです」
と申し訳なさそうに言った。

 アドリアンの胸にアマーリアへの愛おしさがこみ上げてきた。

「お嬢さま。殿下がお着きになられました。お嬢さま」

 侍女がアマーリアを起こそうとする。
 もちろん、本当に起こしては元も子もないので声をひそめたまま、体には触れずに揺り動かす振りだけをする。

 エリザベートが用意した眠り薬は、数時間の間なら多少動かしても、物音をたてても目が覚めないほどの効果があるとは聞いているが、念を入れるに越したことはない。

「よい。寝かせておけ」
 アドリアンが言った。

「せっかくよく眠っているのだ。起こしては可哀想だろう」

「でも、このようなところでお休みになられてはお風邪を召されてしまいます」

「毛布か何かを持ってきてかけてやればいい」
 アドリアンが言うと、侍女はぱっと顔を輝かせて微笑んだ。

「それよりも殿下。恐れ入りますがお嬢さまを寝台までお連れしていただけないでしょうか? すぐそこになりますので」

 王子であるアドリアンに対して、本来ならば考えられないくらい不躾な申し出である。

 アドリアンは驚いたが、それだけクレヴィング家の使用人たちは今でもアドリアンをアマーリアの未来の夫だと、親しみをもって接してくれているのかもしれないと思い直す。

 アドリアンは眠っているアマーリアに歩み寄り、抱き上げた。
 小柄なアマーリアの体は重たくはなかったが、ぐっすりと眠っていて力を抜き切っているので抱え上げるのに少し苦労した。

「こちらでございます」
 侍女が先導したのは、応接間のすぐ隣りの部屋だった。

(応接間の隣りに令嬢の寝室……?)

 いぶかしく思う気持ちは、アマーリアを抱いて部屋に入った途端にさらに強まった。

「う……なんだ。この香りは」
 アドリアンは眉をひそめた。

 部屋のなかにはむせ返りそうになるほど強い、甘い香りが充満していたのだ。

「イスナーンから取り寄せた香木にございます。お嬢さまの最近のお好みで」
「アマーリアは、あまり強い香りは好まなかったはずだが……」

「それは殿下とお別れになったあと、お嬢さまには色々とお悩みが深くていらっしゃいまして。お心を紛らわせるために色々と」

「そ、そうか」
 確かにこの香木の香りは悩み事どころか、思考力を丸ごと吹き飛ばされて朦朧としてきそうな強烈さだった。

 アドリアンはアマーリアを寝台に寝かせた。
 乱れたドレスの裾を繕ってやり、顔を上げると案内してきた侍女の姿がない。

 先ほどの部屋に戻ろうとしたアドリアンは、ドアに鍵がかかっていることに気がついた。

「どういうことだ?」

 アマーリアを起こさないように軽くドアを叩くと、それを待っていたようにドアのむこうで侍女が応える声がした。

「なぜ、鍵をかけた? すぐにここを開けろ」
「申し訳ございません。なにぶん古い屋敷ですのでドアが壊れてしまったようで。今、助けを呼んでまいりますので、そちらでお待ち下さい」

 ドアが壊れて人が閉じ込められたという突発的な事故が起こったわりに、妙に落ち着き払った侍女の声がする。

 しかも、助けを呼んでくると言うわりには人を呼ぶ声も走っていく足音もしない。

(いったい、どうなってるんだ……)
 困惑しながらも、助けを呼ぶというのならそれが来るまで待っていようと、アドリアンは溜息をついた。

 もともと、物事を深く考えるたちではないし、何かにつけて人任せで育ってきているのでこういった状況に陥っても自分でなんとかしようという発想がないのだ。

 アドリアンは室内をみまわした。

 ベッドの他には小さな椅子もない。

 仕方なくアドリアンはアマーリアが眠っているベッドの端に腰を下ろした。
 
 質素な調度類のなかで、そこだけ妙にけばけばしく飾り立てられた寝台の中央でアマーリアはすやすやと眠っていた。

 淡いピンク色のドレスの胸が呼吸に合わせて規則正しく上下している。
 淡い金色の髪が、結い上げられずにそのまま枕のまわりに広がっているのが少女のような愛らしさだった。

 アドリアンは思わず吸い寄せられるように、枕元の方へと移動した。

 長い睫毛が、柔らかそうな頬に影を落としている。
 白いミルクのような肌は、頬のあたりだけがピンクに上気していかにも健やかそうだ。

 花びらのように色づいた可憐な唇が、うっすらと開いてかすかに寝息を立てているのを見て、アドリアンは無意識に、ふうっと吐息を漏らした。

(なんだろう。この胸の高鳴りは……。久しぶりにリアに会ったせいだろうか。動悸が激しくて、なんだか胸が苦しい……頭がくらくらするみたいだ)

 それに体の中心が燃え上がるように熱い。
 
(なんだ。これは。俺はこんなに、顔を見ただけで胸が苦しくなるほど、リアのことが恋しかったのか。確かに、会えて嬉しい気持ちはあるけれど……でも、これは恋というよりまるで……)

 アドリアンは戸惑った。

 体の奥底から湧き上がってくるそれは、恋の情熱というよりもそれははっきりと情欲だった。

 マリエッタと二人きりで過ごしていた時。
 甘えて膝にのってくる彼女にしなだれかかられ、幾度もキスを繰り返すうちに湧き上がってきた体を内側から炙られるようなじりじりとした熱さ。

 それに心身を揺すぶられるような誘惑を感じながら、アドリアンは懸命に自分を制してきた。

 未婚の令嬢とそのような淫らな行為を交わすことは、彼女の名誉を傷つけるだけでなく自分の王子としての品位を損なうものだと信じていたからだ。

 その時に感じたのと同じ熱が、今、アドリアンの身体を内側から焦がすような勢いで突き上げてきている。

 しかもその情欲が向かおうとしている先は、色っぽく身をくねらせ、口づけや愛撫をねだるマリエッタではない。
 子どものような汚れのない寝顔で、無防備に眠っているアマーリアなのだ。

 今すぐにでも彼女に覆いかぶさり、その柔らかな体を抱きしめて、ところかまわずキスを雨を降らせたい衝動が抑えようもなく湧き上がってくる。


(どうなっているんだ、俺はいったい……)

 アドリアンは、大きく頭を振った。

(この香りがいけないんだ。これを嗅いでいると頭がぼんやりしておかしくなる。どこか窓はないか。窓を開けて、外の空気を……)

 眠るアマーリアから吸い寄せられたように離れない視線を無理矢理に引きはがし、よろめくようにベッドを降りる。

 なんとか窓辺に辿り着いたが、窓にもすべて鍵がかかっている。

  アドリアンはぼんやりとした目で周囲を見回して、ふらふらとベッドに歩み寄った。

  隣室の壁に作った隠し窓から覗いていたマリエッタがほくそ笑む。

 が、次の瞬間その笑みが固まった。

  ベッドに歩み寄り、そのままアマーリアに覆い被さるかに見えたアドリアンが、枕元の台に置いてあった花瓶を持ち上げ、花を抜き捨てると、叩きつけるようにして頭から水をかぶったのだ。

  水飛沫があたりに飛び散った。
しおりを挟む
感想 123

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

もう、いいのです。

千 遊雲
恋愛
婚約者の王子殿下に、好かれていないと分かっていました。 けれど、嫌われていても構わない。そう思い、放置していた私が悪かったのでしょうか?

処理中です...