婚約破棄された公爵令嬢は初恋を叶えたい !

橘 ゆず

文字の大きさ
上 下
39 / 66
第三章 悪人たちの狂騒曲

38.二人の新居と古屋敷の密談

しおりを挟む
 「古いので気に入らないかもしれないけれど」
 そう前置きしてラルフが案内してくれた屋敷を見たアマーリアは思わず感嘆の声をあげた。

「なんて可愛いお家でしょう」

 王都の南西部。中流貴族の邸宅の並ぶ月光通りの一角にその家は建っていた。
 ゆるやかな丘の頂にあり、建物の両脇に大きな樫の木が守るように立っているその家は、建っているというより「そこに自然に生えている」ようにアマーリアには感じられた。

「亡き母が祖父から譲られた屋敷です。母はそう裕福でない伯爵家の一人娘だったので、見ての通り立派なものではありませんが……」
 アマーリアはにっこり笑って彼を見上げた。
「ここが私たちの新居になるのですね。なんて素敵なんでしょう」

 婚約にあたってクレヴィング公爵は、二人のために王都内にいくつか所有している邸宅の一つを譲ろうと申し出た。
 だがラルフはそれを「もし、アマーリアと公爵閣下のお許しが頂けるのなら」と言って辞退した。

 そう大きくはないが母方の祖父から継承した屋敷があるので、可能ならばそこで二人の生活を始めさせて欲しいと言ったのだ。

 公爵家の婿になれるからといって当然のようにすべてを妻の実家に頼りきるのではなく、出来得る限り自分の力でアマーリアを幸せにしたいというラルフの気持ちを公爵は好もしく思った。

「手は入れさせるつもりだけれど、なにぶん古いし君の育った公爵家のお屋敷とは比べ物にならない小さな家だ。気に入らないのなら正直に言って欲しい」
 そう言ってラルフに連れて来られた「樫の木屋敷」をアマーリアは一目で気に入った。

 ラルフが自分のために用意してくれたこの可愛い家で、やがて二人だけの新婚生活が始まるのかと思うと夢のように幸せだった。
 
 屋敷には、クルーガー伯爵家を退職した執事のバートラムと侍女のクララが、クレヴィング公爵夫人の命を受けてすでにやって来ていて、改修や内装の指示にあたっていた。

「二人ともすまない。俺が考えなしに義母を怒らせたせいでつらい思いをさせてしまった。なんと詫びればいいか」
 沈痛な表情で謝るラルフに二人は「とんでもありません」と恐縮して首を振った。

「お詫びいただくどころか、こちらがお礼を申し上げなければいけません。クレヴィング家の奥さまには本当に快くお迎えいただきまして、今またこちらのお屋敷でラルフさまと若奥さまにお仕え出来るなど夢のようです」

「若奥さまはまだ早いわ。クララ」
 アマーリアが頬を染めて言った。
「あら。私ったら嬉しくてつい。失礼をいたしました」

「ラルフさまのことはこれからは旦那さまとお呼び申し上げねばなりませんな」
「今まで通りラルフでいいよ。バートラム。そんなの自分が呼ばれた気がしない」

「それにしても、よろしゅうございました。まさかこんな日が来るなんて。本当におめでとうございます。若様」
 クララの目には涙が光っていた。

「ありがとう。クララ。苦労をかけたな。バートラムも」

 ラルフも母を亡くした幼い自分に、これまで変わらぬ愛情と敬意を捧げ続けてくれた二人の気持ちを思って目を潤ませた。

「これからは二人をお父さま、お母さまとも思って孝行しなくてはね、ラルフさま」
 アマーリアが言うと、二人は
「そのような、あまりにもったいない!」
 と慌てて言った。

「私、恥ずかしいけれど家の切り盛りについては知らないことばかりなの。色々と教えてね、クララ」
 六歳のときにアドリアンと婚約し、ずっと王妃になるための教育を受けてきたアマーリアは、義姉のソアラや友人のアンジェリカが受けてきたような貴族の夫人として家庭内の細々としたことを取り仕切る教育は受けていなかった。

 母のメリンダはそれを心配して、最初は自分の選んだ侍女頭をつけてやろうかと思ったのだが、新居に対するラルフの考えを聞いて、あまり実家が出しゃばりすぎても良くないだろうと考えを改めて、ラルフのことや伯爵家の内情をよく知っているクララにそれをまかせることにした。
 クララは夫人のその母心に全力で応えたいと思った。

「私で良ければなんなりとお申しつけ下さい」
「ありがとう。こちらは私の侍女のシェリル。よろしくね」

「クララさま。よろしくお願い申し上げます」
 シェリルは公爵家の令嬢付き侍女という地位を微塵もひけらかすことなく、謙虚にクララに頭を下げた。

 女性たちが部屋の内装や家具について、楽しそうに相談をはじめるのをラルフとバートラムが微笑ましく見つめていた。



 そしてその頃。
 王都の外れにある別の古びた屋敷の一室では、昼間なのにカーテンの引かれた薄暗い部屋のなかでひそかな密談が行われていた。

 出席者はマリエッタと、エリザベート。
 二人とも普段の華やかな装いとはうってかわった地味な使用人のような服を着て、暗い色のマントを羽織っている。
 とてもかたや伯爵夫人、かたや王都を騒がせた「運命の恋」の令嬢とは思えない。

 屋敷は、クルーガー伯爵邸を使用して人に見咎められたらまずいというエリザベートの発案で、彼女が探させた目立たない空き家を使用していた。

 マリエッタを一目見たエリザベートは、
(こんな貧相な女がアドリアン殿下の運命の恋のお相手? 噂はあてにならないわね)
 と思った。
 もっと人目を惹きつけるような華やかで妖艶な美女を想像していたのだ。
 しかし、やってきたマリエッタは地味に装っているせいもあって可愛らしくはあるものの、これといって目立った魅力のない、どこにでもいる町娘の一人に見えた。

 マリエッタの方も、エリザベートを注意深く観察していた。

(いかにも権高で気位の高い貴族の奥方さまっていう感じ。こんな人が男爵令嬢に過ぎない──実際のところはそれですらないんだけれど──私なんかの話にほいほいのってくるなんて……よっぽどの馬鹿か、それともよっぽど切羽詰まった事情があるみたいね。それとも両方かしら)

 セオドールの紹介で引き合わされた二人は内心のそんな思いを隠して、簡単に挨拶をすませるとすぐに本題に入った。

「私たちに共通する望みは、ラルフ・クルーガーとアマーリア・クレヴィングの婚約を解消し、アドリアン殿下とアマーリアを再び婚約させるということでよろしゅうございましたかしら?」
 マリエッタの言葉にエリザベートは、
「ええ。そうよ」
 と頷いた。

 本音ではアマーリアがラルフと別れてさえくれれば、その後はどうしようとまったく興味はなかったが、それではこの性悪そうな男爵令嬢を利用することは出来ない。

 この女は今になってアドリアン殿下と別れたいと思っているようなのだ。
 それも殿下が王太子ではなくなり、下手をしたら暗殺される恐れさえあるらしいので巻き添えをくうのが怖くなったというのだから「運命の恋人」が聞いて呆れる。
 けれど、それくらい浅ましく利に敏い女の方が何かと利用しやすいだろう。

 マリエッタの考えた企みはこうだった。

 アドリアンとアマーリアを別々に呼び出して、使われていない屋敷で会わせ、そこに二人を閉じ込める。
 手を下すのは下町に詳しいセオドールを通じて雇わせたならず者たちだ。

 アマーリアは薬で眠らせ、二人きりで一夜を過ごさせる。
 アドリアンには媚薬をのませておく。

 そうしておいて、自暴自棄になったアドリアンがアマーリアを攫って監禁したという投げ文を公爵邸と王宮にする。

 駆け付けた人々が見るのは一夜を過ごしたあられもない姿の二人だろう。

 前代未聞の不祥事に王家と公爵家は、名誉のために二人を結婚させることを選ぶはずだ。

 そうすればマリエッタはアドリアンに捨てられた悲劇の令嬢としてまた他の貴公子を探すことが出来る。
 ラルフは面目を失うし、公爵家との縁談も壊れて失意の底に沈むだろう。

「細かいところはこれから練り上げていくとして大筋はこんな感じでいかがでしょう? 肝心なのは二人の間に何かあったと皆に思わせることですわ。そうしてしまえば、もともとは婚約者同士だったお二人ですもの。再び一緒になられるのになんの不都合があるでしょう」

 淡々というマリエッタの言葉を聞きながらエリザベートは内心眉をしかめた。

(なんて下品で恥知らずなことを考える女なのかしら。男爵家とはいえ貴族の身分にある令嬢の考えることとはとても思えない)

 嫌悪を覚えつつも、その作戦がエリザベートの望みを叶えるうえでこのうえもなく有効であろうことはよく分かった。

 エリザベートはとにかく、自分を貶めたクレヴィング家とラルフに復讐をしたかった。
 あの高慢でこちらを馬鹿にしきった態度をとった連中を悲歎の底に突き落とし、苦しませるのにこれほどいい方法はないに違いない。

 二人の密談はその日、遅くまで続いた。
しおりを挟む
感想 122

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

完結)余りもの同士、仲よくしましょう

オリハルコン陸
恋愛
婚約者に振られた。 「運命の人」に出会ってしまったのだと。 正式な書状により婚約は解消された…。 婚約者に振られた女が、同じく婚約者に振られた男と婚約して幸せになるお話。 ◇ ◇ ◇ (ほとんど本編に出てこない)登場人物名 ミシュリア(ミシュ): 主人公 ジェイソン・オーキッド(ジェイ): 主人公の新しい婚約者

夫のかつての婚約者が現れて、離縁を求めて来ました──。

Nao*
恋愛
結婚し一年が経った頃……私、エリザベスの元を一人の女性が訪ねて来る。 彼女は夫ダミアンの元婚約者で、ミラージュと名乗った。 そして彼女は戸惑う私に対し、夫と別れるよう要求する。 この事を夫に話せば、彼女とはもう終わって居る……俺の妻はこの先もお前だけだと言ってくれるが、私の心は大きく乱れたままだった。 その後、この件で自身の身を案じた私は護衛を付ける事にするが……これによって夫と彼女、それぞれの思いを知る事となり──? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...