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第三章 悪人たちの狂騒曲

43.カタリーナからの招待

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「本当にこちらのお屋敷なんですか?」

 シェリルが眉をひそめて言った。

「ええ。指定された住所だと確かにここのはずですよ」
 御者のアレフが、アマーリアに渡されたメモを見ながら答えた。

 カタリーナからの手紙に書かれていた住所を頼りに辿り着いた場所は、王都のなかでも庶民の住む下町に近い、しかも倉庫や工房などが立ち並ぶ人通りもまばらなエリアだった。

 とても公爵家に仕える乳母の住むような場所だとは思えない。

「でも確かにここって書いてあるわよね」
 アマーリアもカタリーナの手紙を取り出してもう一度読み直した。

 間違いなく、「碧玉通り 12番地」と書いてある。

「ちょっと拝見してもよろしいでしょうか」
 シェリルがそう言って、手紙を受け取った時、ちょうど屋敷の中から人が出てきた。

 四十歳くらいの痩せた背の高い侍女で、

「アマーリアさまですね。カタリーナさまから伺っております。どうぞ中へ」
 と愛想のない声で言った。

 では、やはりここで間違いないのだ。
 アマーリアはシェリルと顔を見合わせて、馬車のステップを降りた。


「カタリーナさまは、すぐにいらっしゃいます。こちらのお部屋でお待ち下さい」

 案内されて廊下を進むうちに、むこうから大きな花瓶を抱えた少年がよたよたと歩いてきた。

 アマーリアたちは端に避けたが、少年はどこかに躓いたようによろめき、前のめりにバランスを崩してしまった。

「きゃっ!!」

 花瓶から派手にこぼれた水がシェリルにかかる。
 上半身にまともに水をかぶってしまったシェリルはその冷たさに悲鳴をあげた。

「まあっ! なんて不手際を!」
 先ほどの侍女が少年を叱りつける。

「カタリーナさまの大切なお客様になんて失礼なことを! 何をやってるの、おまえは!!」
「申し訳ございませんっ!!」

 少年は慌ててその場にひれ伏した。

「大丈夫、シェリル?」
「はい。ちょっと濡れただけですので」

 どう見てもちょっとではなかったが、シェリルは濡れた顔をハンカチで拭いながらそう言った。

「失敗は誰にでもありますわ。小さな子をそんなに叱らないであげて下さい」

(そもそも、あんな大きな花瓶を小さな子供ひとりに運ばせてる方が悪いんだし)
 という内心を押し隠してシェリルは、怯えた顔で自分と侍女頭らしい女性を交互に見ている少年に笑いかけた。


「まあ、なんてお優しいこと。さすがに天下のクレヴィング家のご令嬢にお仕えしておられる方は寛大でいらっしゃること」

 侍女頭の言葉は丁寧だったが、シェリルはなんだか馬鹿にされているような気がした。

「びしょ濡れじゃないの。着替えないと風邪をひくわ」
 アマーリアが自分のハンカチを取り出して、シェリルの濡れた髪を拭きながら言った。

「これくらい大丈夫ですわ、お嬢さま」
「でも……」

「もし差支えなければお着替えを用意いたしますわ。侍女のものになりますけれど」

「お借りしたら? 濡れたままだと冷えるわよ」
 アマーリアもそう言うので、シェリルは着替えを借りることにした。

「こちらになります」
 別の小柄な侍女がシェリルを別室に案内する。

 アマーリアは侍女頭に、応接室に通されたがそこには誰もいなかった。

「カタリーナさまは王宮でのレッスンが長引かれたとかで、今急いでこちらへ向かっていらっしゃるそうです。恐れ入りますが、いましばしお待ちいただけますでしょうか?」

「ええ。大丈夫よ。待たせていただくわ」
 アマーリアは頷いて、すすめられたソファに腰かけた。

 お茶が運ばれてくる間、部屋のなかを見回していたアマーリアは最初にここへ着いたときと同じように違和感を覚えた。

(随分と殺風景な部屋なのね。お花も絵も飾ってないなんて)

 アマーリアを通したということは、ここがこの家のなかでも一番上等な、主賓用の応接室のはずだがそれにしては壁紙も、ソファやテーブルなどの調度品も上等なものではなく、しかも使い古された印象である。

 しかも、部屋の隅には埃がたまっていた。

 貴族の客を迎えるような屋敷では、ありえないことである。
 
 そう言えば、先ほどシェリルに水をかけた少年も、屋敷勤めの侍従にしては仕草や話し方が洗練されておらず、ぎくしゃくしていた。


(ここは本当に、カタリーナさまの乳母の家なのかしら……?)

 その時、ノックの音が響き、先ほどの侍女頭がティーワゴンを押しながら入ってきた。

 侍女頭が自らお茶を運ぶというのも普通ならばあり得ないことだ。


(もしかして、ここはカタリーナさまが私とこっそり会うためだけに急遽、用意したお屋敷なのかもしれないわね)

 それだけ、ザイフリート家の中ではクレヴィング家に対する反感が強く、カタリーナはアマーリアと会うことを誰にも言えず、わずかな側近に命じてここを用意させたのかもしれない。


(そこまでして、私とお話しなさりたいなんて。きっととても悩んでいらっしゃるのね)

 アマーリアにはその気持ちがよく分かった。

 六歳でアドリアンの婚約者となったアマーリアが、その後、婚約破棄をされるまで受けてきた王太子妃となるための教育はとても厳しいものだった。

 学問や教養、礼儀作法から立ち居振る舞いまで、貴族の令嬢として以上に求められるものは多く、またその範囲も多岐にわたっていて、その膨大な量と、求められる水準の高さに、レッスンから帰ってきて屋敷で涙したことも、一度や二度ではなかった。

 カタリーナが悩むのも無理もない。

(私で少しでもお役に立てれば良いのだけれど……)


「お口汚しかと思いますが、アマーリアさまのためにご用意させました。よろしければお待ちになる間、お召し上がり下さいませ」

 侍女頭が言って、お茶と焼き菓子の皿を差し出した。

 この殺風景な部屋にも、屋敷にも似合わない愛らしい茶器と、ふんわりと焼かれた美味しそうな焼き菓子だった。

 ティーワゴンも、他の調度品に比べてそれだけやけに凝った造りの立派なものである。

 これだけはカタリーナがアマーリアのために本宅から運ばせたのかもしれない。

 正直、さっきラルフとお昼を食べてきたばかりだったのでお腹は空いていなかったが、自分のために用意したと言われて手をつけないわけにはいかないだろう。

 そんなことをしたら、口に合わなかったと思われてしまいそうだ。

 カタリーナの心遣いを無駄にしたくなくて、カタリーナは紅茶のカップに口をつけた。

 カップからはこれまで嗅いだことのないような、香しい不思議な香りがしていた。
 公爵家が沿岸諸国かどこかから取り寄せた、珍しい茶葉なのかもしれない。

 焼き菓子も少し甘みが強すぎたが、ふんわりと焼かれていて美味しかった。


 しばらくして、席を外していた侍女頭が戻ってきた。

「美味しかったわ。ありがとう」
 そう言ったアマーリアは、自分の声がなぜかひどく遠くから聞こえるような気がして首を傾げた。

(あら、私、耳がどうかしたのかしら……)


「それはよろしゅうございました」
 そう言う侍女頭の声も、幕を隔てたようにくぐもって聞こえる。


 その時になってアマーリアは、視界がゆらゆらと揺れていることに気がついた。

 それは、自分の体がくらくらと揺れているからだった。

(私、どうしちゃったのかしら。シェリル……)

 急速に眠気が襲ってきて、意識が遠のいていく。

(ラルフさま……)

 愛する人の面影が脳裏をよぎった気がしたのを最後に、アマーリアはゆっくりとソファに倒れこんだ。


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