婚約破棄された公爵令嬢は初恋を叶えたい !

橘 ゆず

文字の大きさ
上 下
38 / 66
第三章 悪人たちの狂騒曲

37.悪女のささやき

しおりを挟む
「それは本当なのか。ヨナス」
 アドリアンは鮮やかなブルーの瞳をみひらいて言った。

 侍従の一人ヨナスから、先日、学院内で起きたルーカスとアマーリアのトラブルの件について聞かされたのだ。

「リアが僕のためにそんなに怒って、ルーカスを平手打ちしたなんて……」
 本当は平手打ちをしたのはエルマで、されたのはレイフォード。しかも理由はアドリアンではなくラルフを侮辱されたためであったが、そのあたりのことは都合よく脚色が加えられている。

「はい。確かにそう聞きました。アマーリア嬢はルーカス殿に対し、『アドリアン殿下のお名前を貶めることはこの私が決して許しません』と言われ、ルーカス殿が、『そう仰るのはアマーリア嬢がまだ殿下を愛しているからなのでは?』と言われると、頬を染めて困ったように俯かれたとか……」

「リア……」
 アドリアンの脳裏に、白い頬を染めてうつむくアマーリアの可憐な姿がまざまざと浮かびあがった。

(リア。君はまだ僕を想っていてくれるのか。あんなに酷い仕打ちをした僕のことを)
 アドリアンの気持ちを見透かしたようにヨナスが、

「アマーリア嬢はまだ殿下を愛していらっしゃるのではないでしょうか? いえ、最初からアマーリア嬢が愛しているのは殿下だけなのでは」

と言った。

「どういう意味だ?」
「ですから、アマーリア嬢がラルフ・クルーガーを愛しているようなことを言われたのは、殿下に婚約破棄を言い渡されたことへの衝撃と悲しみのあまりの行動で、本心ではなかったのではないでしょうか?」

「本心ではなかった……?」
「ラルフ・クルーガーとの婚約は殿下への当てつけのおつもりだった。けれど、事が大きくなってしまい、今さら後戻りは出来なくなってしまって、アマーリア嬢は今頃、後悔と殿下への断ちがたい想いでとても苦しんでおられるのでは?」

「そんな……そうなのか。リア?」
 アドリアンはソファに座ったまま、両手で顔を覆った。

母王妃に王籍剥奪の可能性を突き付けられ、世間では弟のエルリックの立太子の準備が着々と進んでいるという知らせを聞きながら、アドリアンは懸命に自分が失ったもののことを考えまいとしてきた。

それよりも、これからのことを──自分を心から愛してくれるマリエッタとの未来のことを考えるべきだと自分に言い聞かせてきた。

 アマーリアがすでにラルフ・クルーガーと婚約を交わしたと聞いたときはショックだったが、彼女も自分も政略による結婚ではなく真に愛する人と結ばれることが出来たのだと思い、それで良かったのだと思おうとしてきた。

(だが、そうではなかったのか。リア。君は今でも僕を愛してくれているのか?)

 いや、だとしても今さら何になる。自分にはマリエッタがいる。
 いくら自分への愛ゆえの嫉妬からとはいえ、アマーリアがマリエッタにしたという苛めを自分はなかったことには出来ない。

 その時、部屋のドアが開き遠慮がちにマリエッタが顔を覗かせた。

「今のお話は本当なの、ヨナス」
 マリエッタが震える声で尋ねた。

「マリエッタ……!」
「ごめんなさい。殿下。聞くつもりはなかったのですけれど、その、お茶にお呼びしようと思ってきたら聞こえてしまって……」
 
 アドリアンはマリエッタに駆け寄り彼女を抱きしめた。
「何でもない。聞かなかったことにしろ。マリエッタ。僕たちには何の関係もない話だ」

「どうしてですの?」
 マリエッタが潤んだ瞳で見上げてきた。
「どうしてそんなことを仰いますの? それではアマーリアさまがあまりにお可哀想ですわ」

「君は優し過ぎる。マリエッタ。リアにはさんざん嫌な目に遭わされたんだろう。今さら、君が気遣うことはない」

「殿下」
 マリエッタがアドリアンの手をぎゅっと握った。
「確かに私は以前、アマーリアさまに嫌がらせを受けたと殿下にお話いたしました。でも、それは嘘です」

「は?」
 アドリアンは固まった。

「嘘というか、少し事実より大袈裟に言ってしまったかもしれません。いくつかは、ありもしないことを言ってしまったかも……」

「な、な、何故、そんなことを……」
 アドリアンは思わずマリエッタの両肩を掴んで自分に向き直らせた。

 婚約破棄騒動の後。父国王の命を受けた事務官たちの調査によって出された結果は、「マリエッタ・イルス嬢に対して行われたとされる、アマーリア・クレヴィング及びその友人の令嬢たちによる暴言、器物破損、暴行などの事実は一切認められなかった」というものだった。

 だが、アドリアンはマリエッタの、
「本当なんです。信じて、アドリアンさま!」
という涙ながらの切実な訴えを、一人信じ続けてきた。

 調査の結果は、自分たちの結婚を快く思わないクレヴィング家や他の貴族たちが示し合わせて偽造したのだと思い込んできた。

(それなのに、それが今更嘘だって……!!)
 
 それが事実ならアドリアンがアマーリアをあのように断罪し、婚約破棄までした意味が一切なくなる。
 茫然とし、さすがに問いただそうとした瞬間、マリエッタがわっと泣き出した。

「ごめんなさい。私……殿下のことが好きで、身分違いの相手だとは知りながらどうしても諦められなくて。思い悩むうちにだんだんおかしくなってしまって、あの頃の記憶があまりはっきりしていないのです。何故、あんな恐ろしい嘘を申し上げてしまったのか……。すべて私が身の程知らずにも殿下を愛してしまったのが悪いのです」

 記憶がはっきりしていないで済むことなのか。
 その、おかしくなっていたマリエッタの言葉を真に受けて、自分はアマーリアとの婚約を破棄し、自ら自分の未来を棒に振ってしまったというのか……。

 愕然とするアドリアンだったが、床に倒れ伏して、
「どんなにお詫びしても取返しのつかないことをしてしまいました。私の命をもってお詫びいたします。殿下、どうか私を殺して下さいませ」
 と泣きじゃくるマリエッタの哀れな姿を見るとそれ以上責めることはアドリアンには出来なかった。

「い、いいよ。マリエッタ。もう泣かないで。もういいんだ。すべては君の僕を愛する気持ちゆえだったのだから……」
 弱々しく言うと、俯いて肩を震わせていたマリエッタがぱっと顔を上げた。

「よくありませんわ! 私のせいで殿下が王籍を追われ臣下のご身分となられるなどあってはならないことです!」

「いや、そんなことを今さら言っても」
(誰のせいだと思っているんだ)
という言葉が喉元まで出かけたのを何とか飲み込む。

「いいえ。今からでも方法はあります」
 マリエッタがきっぱりと言った。
 たった今まで儚げに泣いていたとは思えない強い光がその瞳に宿っていた。

「アマーリアさまを元通りお妃としてお迎え出来れば殿下は王太子の座に返り咲けますわ。少なくとも、王籍を奪われ、命の保証もないような境遇に落とされることは決してなくなるでしょう」

「それは、そうかもしれないが、それでは君が……」
「私のことなど良いのです。もともと、すべて私が招いた災いですもの」
「しかし……」

「殿下がどうしても私に悪いと思って下さるのなら、いったん私とは別れたことにしてアマーリアさまをご正妻としてお迎えになり、落ち着いた頃に側室として迎えて下さればそれで結構です」

「しかし、心からの愛を誓った君を側室になどと……」
 呟くように言いながらもアドリアンの心はだいぶマリエッタの提案に傾いていた。

 ともかくマリエッタが苛めの事実を嘘だと言い切ったことが大きかった。
 それが事実なら、アマーリアには何の非もなく、そうでなければたとえアドリアンがマリエッタに心惹かれていたとしても、彼の正妻になるのはアマーリアだったはずだからだ。

 すっかりその気になった様子のアドリアンを見てマリエッタはひそかに微笑んだ。
 
しおりを挟む
感想 123

あなたにおすすめの小説

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。

しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」 その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。 「了承しました」 ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。 (わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの) そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。 (それに欲しいものは手に入れたわ) 壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。 (愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?) エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。 「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」 類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。 だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。 今後は自分の力で頑張ってもらおう。 ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。 ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。 カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*) 表紙絵は猫絵師さんより(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠♡

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

処理中です...