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第二章 恋と陰謀の輪舞曲

26.クレヴィング家の令嬢は突撃する

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「失礼とは何がだい?」
 ルーカスがにやにやと笑って言った。

「アドリアン殿下を王太子に立てられたのは国王陛下や、宮廷会議の総意に基づくご判断だったはず。それを『そもそも間違いだった』と仰るのは陛下と国に対する侮辱かと思いますが」

 アマーリアが言うとルーカスは、にやにや笑いを引っ込めた。
 周囲のルーカスに同調していた生徒たちも慌てて口を噤む。

「そのようなつもりはなかったのだが、誤解を招いたのなら訂正してお詫びしよう」

「私に謝っていただかなくても結構です。けれどこのような場所でアドリアン殿下のお名前を声高に貶めるようなことは今後控えられた方が良いと思いますわ。聞いていて不愉快です」

 アマーリアがぴしゃりと言うと、ルーカスたちを取り巻いていた人だかりの外側の生徒たちが数人、こそこそと集団から離れ始めた。

 ここ最近、学院内はルーカスをはじめとするエルリック派が勢力を伸ばしていて、廃位されたアドリアンについては何を言っても構わないような空気が流れていた。

 廃位の経緯が男爵令嬢の色香に惑い、その虚言に踊らされての失態ということもあって、それこそ「女狂い」だの「色呆け」だの好き放題に言われていたのだ。

 それが当の「被害者」であるはずのアマーリアが公然と彼を庇うような発言をしたことでその場の空気が変わった。

(クレヴィング公爵家はアドリアン殿下と完全に手切れになったわけではないのではないか?)

 時勢を読み、エルリックに擦り寄り、次代の宰相とも言われているルーカスの機嫌をとることに懸命になっていた者たちは、どちらが我が身にとって得なのかと忙しく両者を見比べた。

 現国王シュトラウス二世と、アマーリアの父、ギルベルト・クレヴィングが学生時代からの旧友同士であることは周知の事実である。

 すでにアドリアンの廃位は宣言され、エルリックの立太子を待つばかりという状況とはいえ、もし万が一、アマーリアとアドリアンが復縁したら?

 アマーリアはすでにラルフ・クルーガーとの婚約したことが知られていたが、なんといってもアドリアンは元王太子。
 彼が愚かな気の迷いを起こさずに、あのままアマーリアと結婚していれば二人は未来の国王と王妃だったのだ。

 何もかも失いかけたアドリアンが我に返ってアマーリアとやり直したいといえば、クレヴィング公爵はそれを許すのではないか。

 そしてクレヴィング公爵が再び後見につけば、アドリアンが廃位された理由はなくなる──。

 その場の多くの者に一瞬でそう思わせる力がアマーリアの言葉にはあった。
 ルーカスはいまいましげに彼女を睨みつけた。

「これはこれは。お優しいことで。男爵令嬢に見返られ、公の場で婚約破棄を言い渡された方とは思えないな」

「それとあなたが殿下を貶める発言をなされたことは何の関係もないと思いますけれど?」
 
 華奢で可愛らしい外見のアマーリアだが気の強さは、ラルフと初めて出逢ったときに街のごろつきに食ってかかったことからも証明済みである。
 あの時同様、自分が正しいと信じている状況では一歩も引く気がなかった。

(生意気なクレヴィングの小娘め)
 ルーカスはイライラする内心を押し殺して、にっこりとほほ笑んだ。

「ですからそれは誤解だと言っている。私には殿下を貶める意図など微塵もない。失礼ながらそう聞こえたのはアマーリア嬢がいまだに殿下に未練をお持ちだからではないのかな?」

「どういうことでしょう?」

「言った通りの意味だよ。君は殿下のお心がマリエッタ嬢に移られてからも健気にもあの方を想っている。だからこそ、ちょっと殿下のお名前が耳に入るとそのように過剰反応してしまうんじゃないのかな」

「そんなことはありませんわ」

「果たしてそうかな。そうでなければあのようなひどい仕打ちを受けてまであの方を庇おうとするだろうか」

「……」

「いや。これは失礼。君にはすでに別のお相手がいたのだったな。なあ、レイフォード。そうだったな」
 ルーカスに言われて人だかりの中から、ぽっちゃりした赤毛の少年が進み出た。

「は、はい。ルーカスさま」
「紹介しよう。彼はレイフォード・クルーガー。クルーガー伯爵の次男にして君の婚約者殿の弟だ」

 こちらを伺うような目つきでチラチラ見ながら会釈をしたのは、ラルフの異母弟のレイフォードだった。

 婚約は決まったものの、クルーガー伯爵夫人とその息子のレイフォードとはまだ体面が叶っていなかったのでアマーリアがレイフォードと会うのはこれが初めてだった。

(全然似てない……)
 長身で精悍な体つきのラルフとは似ても似つかない少年を見て、アマーリアは目を丸くした。

 その場に至ってはじめて、アマーリアはラルフの継母と異母弟がこのルーカスとはごく近い血縁者であることに思い至った。

 国王への婚約報告の日のクルーガー伯爵の憔悴しきった様子が今更ながらに納得がいった。
 今、伯爵家は家庭内にザイフリート家とクレヴィング家との間の対立構図をそのまま抱え込んでしまったような状況なのだ。

「君はこのレイフォードの兄と婚約したのだったな。公爵令嬢ともあろう方が一介の騎士の妻になど、聞いたときは耳を疑ったものだよ。
 まあ、それもアドリアン殿下にあんな形で婚約破棄を言い渡された腹いせにその場しのぎででっち上げたことだったと思えば納得もいくが」

 ルーカスはまたにやにや笑いを復活させて言った。

「何ですって!」
 アンジェリカが反論しようとするがアマーリアは片手をあげてそれを制した。

 ルーカスはアマーリアが何も言わないのをいいことにぺらぺらと続けた。

「我にかえってアドリアン殿下とよりを戻したくなったとしても無理はない。むしろそれが当然だと思うよ。まあ、殿下の方は相変わらずあの艶っぽい男爵令嬢に骨抜きで君には何の未練もないようだが。
 しかし、それではラルフ殿が可哀想だな。なあ、レイフォード?」

 ルーカスに肩を抱くようにして言われ、それまで不安げに目を泳がせていたレイフォードは、得意げに鼻をふくらませた。

「仕方ないですよ。父は僕に伯爵家を継がせるつもりですからね。そうすれば兄は生涯ただの騎士。アマーリア嬢がアドリアン殿下のところに戻りたくなっても無理もないんじゃないかなあ」

 アマーリアは、ちょっと小首を傾げるようにしてそれを聞いている。
 口元にわずかに微笑みさえ浮かんでいるのを見て、アンジェリカとミレディは思わず手を取り合った。

(ど、どうしよう。アンジェ)
(まずい。あれは絶対にまずいわよ)

 先ほどからアマーリアが一言も言い返さないのが何より恐ろしい。

(ヴィクトールさまを呼んできた方が……)
(騎士団の詰め所まで呼びに行くの? 間に合わないわよ)
 
 二人の令嬢の気も知らずに、ルーカスの威を借りて気が大きくなっているレイフォードはにやにやしながらアマーリアの前に進み出た。

「兄上がアドリアン殿下の婚約者に言い寄って横取りしたって聞いたときには驚きましたけどね。クルーガー家の伯爵位が手に入らなそうだからって出世のためにそこまでするかってね。
 でも結局は公爵家のご令嬢の見栄と気まぐれに振り回されただけってことですね。
 まあ、もともとは兄の浅ましい欲が招いたこととはいえ、さすがに哀れになりますよ。ははっ」

(ああ~。アドリアン殿下だけじゃなくてよりによってラルフ様のことを……)
 アンジェリカとミレディは急いで両側からアマーリアにとりすがった。

「リ、リア。落ち着いて。ね」
「そうよ。ここは学院の中だし、エルリック殿下もいらっしゃるし、穏便に。ね?」
 止めながらも二人ともが、それで止まるアマーリアではないことは分かっていた。

 日頃は比較的おっとりとしているアマーリアは、弱いものが一方的に苛められていたり大切な人が傷つけられていたりするのを見ると豹変する。
 
 幼い頃、ミレディのふわふわした癖っ毛をからかって泣かせた某侯爵家の子息は、その場で飛びかかったアマーリアに、泣いてミレディに謝るまでぼこぼこにされた。

 武術全般が好きで得意な兄のヴィクトールが「護身術」と称して色々と教え込んだので、少女時代のアマーリアはそこらの男の子が束になっても敵わないほど喧嘩も強かったのだ。

(そのアマーリアの前で、よりにもよってラルフ様のことを侮辱するなんて。なんて命知らずなの!)

 必死に止めるアンジェリカたちの前でラルフの弟、レイフォードはなおも、そばかすの散った顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべて喋り続けている。

「まあでも、あの女狂いのアドリアン殿下と比べたらうちの兄はまだマシなんじゃないかなあ。なんといってもあの年齢まで浮いた話一つない、筋金入りの朴念仁ですから。つまらない男だけれど浮気だけはしないと思いますよ。しようにも相手になってくれる女性がいな……」

 その時。

 バッチーーーーン!! 

 派手な音が鳴り響いた。
 レイフォードはよろめくと小柄な体ごとカフェテリアのテーブルに突っ込み、それをなぎ倒しながら床に倒れた。

「な……っ!!」
 騒然となる一同の視線の先では、先ほどからアマーリアたちの後ろでおろおろと成り行きを見守っていたエルマが大きな青色の瞳に涙をいっぱい溜めて、倒れているレイフォードを睨みつけていた。

「リア姉さまの好きな人を侮辱しないで下さいっ。ひどいわ、そんな言い方!」
 エルマは泣きながらアマーリアに縋りついた。
「エルマ……」
「姉さまああ」

「ああー……」
「もう一人いたわね」
 アンジェリカとミレディはアマーリアの両手を握ったまま力なく呟いた。

 エルマ・アデライド・クレヴィング。

 アマーリアの父、ギルベルトの弟フランツ・クレヴィングの溺愛する一人娘。
 彼女もまたクレヴィング家に伝わる「情熱と突撃の血筋」の継承者の一人だった。

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