婚約破棄された公爵令嬢は初恋を叶えたい !

橘 ゆず

文字の大きさ
上 下
23 / 66
第二章 恋と陰謀の輪舞曲

22.新王太子の婚約者

しおりを挟む
 アマーリアが王宮に上がるのは久しぶりだった。

 アドリアンから婚約破棄を言い渡された日以来なので、十日と少し前になるのだがもう何年ぶりかに訪れたような気がする。

 屋敷からの馬車のなかで、父公爵の存在を想像力でいないことにして、「ラルフと二人っきりの馬車の旅」という幸せな空想に浸っていたアマーリアだったが、王宮に到着して、その青と白のタイルで美しく飾られた床に足を踏み入れた瞬間、現実にかえった。
 
 馬車寄せにはすでにラルフの父であるクルーガー伯爵の馬車も止まっていた。
 馬車から降りてきた伯爵は、床のタイルの色に負けないくらい真っ青な顔をしていて、ラルフが手を貸さなければ危うくステップを踏み外して転げ落ちるところだった。
 
 無理もないだろう。父の公爵はともかく伯爵という身分では国王陛下の御前に出て、直々にお言葉を賜ることなど普通はまずない。

 しかも「娘が一方的に婚約破棄をされた被害者」であるクレヴィング公爵とちがって、クルーガー伯爵の立場は「王子の婚約者であった令嬢と、婚約が破棄されるがはやいかあっという間に婚約した男の父親」という実に微妙な立場なのだ。

 顔面蒼白になり、冷や汗が止まらなくても無理はない。
 伯爵がそんな立場に立たされたのも、もとはと言えば自分が引き起こしたことなのだと思うとアマーリアは申し訳なかった。

 王の間は人払いされて他には誰もいなかった。

 四人は順番に御前に進み出て礼をした。

 クレヴィング公爵と伯爵はそれぞれ身分に応じた貴族の例をし、ラルフは剣を両手で捧げる、騎士の最敬礼をした。

(ああ、かっこいい……)
 思わず見惚れてしまっていたアマーリアは、国王に
「いかがした? クレヴィング嬢」
と声をかけられてはっと我にかえった。

「も、申し訳ございません」
 慌てて貴婦人としての最敬礼である両膝をつき跪く形の礼をしたが、ふと見ると父が恐ろしい顔で睨んでいた。
 その顔を見たクルーガー伯爵が睨まれたアマーリア本人よりも震えあがっている。

「そんな顔をするな。ギルベルト。今日は余の方が謝るためにリアに来てもらったのだから」
 
  固くなっている一同の緊張をほぐそうとしてか、国王が優しい声で言った。

「いいえ。滅相もございません。陛下。本日は我が娘の軽挙のせいで陛下と王家に多大なる御迷惑をおかけしたお詫びに参上いたしました。その席でまたさらに今のような失態をお見せするなど、父親として恥じ入るばかりです。申し訳もございません」

 深々と頭を下げる父の後ろでアマーリアもまた床に髪の先がつきそうなほど深く頭を下げる。

「もう良いというのに。まったくおまえは昔から頭が固い。クレヴィング公爵家からの詫びは今の言葉ですでに受けた。ここから先はアドリアンとアマーリア、互いの父親同士として腹を打ち割って話そうではないか。学生の頃のように。そう思って人払いをしておいたのだ」

 国王の言葉にクレヴィング公爵は、その鋭い目に涙を浮かべた。
「もったいなきお言葉にございます」

「リア。こちらへおいで」
 国王がアマーリアを手招いた。
 アマーリアが側へ行くと国王は手を伸ばして、子どもにするように淡い金色の髪を撫でた。

「この度はアドリアンが本当にすまぬことをした。皆の前でそなたの名誉を穢すようなことをしただけでなく、以前から随分とつらくあたっていたようだな。父として詫びを言う」

 アマーリアは慌てて膝をついた。
「そんな。とんでもございません。私こそ殿下のお心に叶わず国王陛下、王妃陛下のこれまでのご厚情を裏切ることになってしまい、申し訳ありません」

 国王は優しく首を振ってアマーリアに立つように言った。

「そなたは何も悪くない。非はすべてアドリアンとあれをあのように育てた余にある。許せとはとても言えぬ。勝手なことを申すようだが、せめて幸せになって欲しい」

 そう言うと国王は、後ろに控えているクルーガー伯爵に視線を移した。

「クルーガー伯爵」

「ははっ!」

「この度は王家の不始末でそなたにも随分と厄介をかけることになった。クレヴィング嬢をよろしく頼むぞ。そなたの誠実な人柄は耳にしておる。アマーリアのことを頼んだぞ」

「はっ。命に代えましても!!」
 クルーガー伯爵が床に平服せんばかりにして言う。

「そしてラルフ・クルーガー」
「はっ」

「アマーリアは我が親友ギルベルト・クレヴィングの娘にして、余も王妃も我が娘同然に思うておる。出来ることならば手元に置きたがったが、こうなっては仕方がない。不肖の息子にかわってアマーリアを世界一幸せにしてやって欲しい」

 ラルフは右手を胸に当てて深々と頭を下げた。

「畏れ多きお言葉。陛下のご恩情を胸に刻みます。このラルフ・クルーガー、陛下の御前にてアマーリア嬢を生涯かけてお守りし、終生その幸福のために尽くすことをここに誓います」


 両手を口に当て、真っ赤になっているアマーリアを見て国王がにやりと笑った。

「未来の婿殿はこう申しておるがアマーリア。そなたから言うことはあるか?」

「あの、もっと、落ち着けるところで心の底から噛みしめたいので、後ほど、声を大にしてあと三十回くらい言って欲しいです……」

 思わず言ってしまってから、国王の笑い声と父公爵の

「おまえというやつは……」

といううめくような声ではっと我に返ったアマーリアは真っ赤になって顔を覆った。

「申し訳ありません。つい」

「だそうだ。ラルフ・クルーガー。屋敷に戻ったら三十回。婚約者どのの耳元で言ってやれ。これは王命だ」
「は……はっ」

 ラルフも耳まで赤くなって頭を下げる。
 先ほどまで石像のように固くなっていたクルーガー伯爵も思わず吹き出し、国王への謝罪、挨拶、婚約報告の場は思いのほか、和やかな雰囲気のうちに進んでいった。

 
「それで挙式はいつ頃を予定しておるのだ?」
 しばらく歓談したあとで、国王が尋ねた。

「は。本来ならば数年の婚約期間をおくところですが事情が事情ではありますし、遅くとも来年の春頃までにはと考えております」

「そうか。それでは今度の立太子の儀とその後の祝宴には二人で出席するといい。ちょうど良い披露の場になろう」

 
 第二王子エルリックを王太子とする立太子の儀は、約一か月後の銀の月の10日に行われることがすでに決まっていた。

 アドリアンが本当に廃位されたことが改めて実感されてアマーリアは複雑だった。
 
 誰よりも注目されることが好きで、自分が人の中心にいないと気がすまない性格だったアドリアンが、弟王子にその座を譲ることになり、どんな思いでいるだろうかと思うと心配だったが、自分はもう彼のことを心配する立場にはないと思いなおす。

 アドリアンもそんなことは望んでいないだろう。
 彼も、親に決められた許嫁ではなく、真に愛する人と歩んでいく人生を選んだのだ。

 そのおかげで自分とラルフは結ばれることが出来たのだからと、アマーリアは感謝さえ覚えていた。


「その件でギルベルトに相談したいことがあったのだが良いかな?」
「は。私で良ければ何なりと」

 国政に関わる話になるならばと、クルーガー伯爵は自分たちは退室しましょうかと申し出たが国王は、

「良い。そなたたちにも少なからず関わることだ。一緒に聞いて欲しい」

 と言った。

「実は、立太子と同時にエルリックの婚約発表をしようと考えておる。王太子位移譲の経緯が経緯なだけにな」

「慶事を同時に発表して祝賀ムードを盛り上げようというお考えですな。良いと思います」
 クレヴィング公爵は頷いた。

「婚約者候補は、最終的に三人ほどに絞られてあとはエルリック殿下とロザリー王妃のご意向次第と聞き及んでおりますが」

「ああ。それが決まった。ザイフリート公爵家のカタリーナ姫だ」


「ザイフリート家の……」
 クルーガー伯爵が、はっと顔を上げた。

 ザイフリート家は、現在は伯爵の妻エリザベートの兄のニコラスが当主となっている。

 カタリーナはエリザベートには姪にあたる。
 妻の姪が、未来の王妃ということになれば確かにクルーガー伯爵家にもおおいに関係のあることだった。

 クレヴィング公爵は、内心驚いていた。

 最終候補のなかには、バランド公爵家の末娘セシリアの名前もあり、多くの貴族の間では彼女こそが最有力候補だと言われていた。

 ザイフリート家のカタリーナ嬢はアマーリアと同じ十六歳で、アドリアンの婚約者選びの時にも名乗りをあげていたが、目立った印象のない少女で、社交界でもあまり話題にのぼる存在ではなかった。

 野心家だと評判のニコラス・ザイフリートがこの千載一遇のチャンスを前に指をくわえているはずがないとは思っていたが……。

(そうか。次期王太子妃……ゆくゆくは王妃にザイフリートの娘が立つか)

 宮廷の勢力図が大きく変わっていく気がした。


「それで相談というのはだな。ザイフリート公爵は立太子の儀と同時にエルリックとカタリーナ嬢の挙式を行ったらどうかと申しておるのだ」

「挙式、ですか? 婚約発表ではなく」

「ああ。その……アドリアンがああいうことになったのも、長い婚約期間を置き過ぎたためだという意見でな。いっそのこと、婚約から間を置かず結婚させてしまうことで、エルリックも王太子としての自覚が出来、身辺が落ち着くのではないかと。ロザリーの父のマール辺境伯も、それに異存はないと申しておる。そなたはどう思う?」

「……成程」

 クレヴィング公爵は、ゆっくりと頷いてその猛禽類を思わせる目をすっと細めた。


 その頭のなかでは、宮廷の人間たちの関係や勢力図がめまぐるしく思い浮かべられていた。




しおりを挟む
感想 122

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

夫のかつての婚約者が現れて、離縁を求めて来ました──。

Nao*
恋愛
結婚し一年が経った頃……私、エリザベスの元を一人の女性が訪ねて来る。 彼女は夫ダミアンの元婚約者で、ミラージュと名乗った。 そして彼女は戸惑う私に対し、夫と別れるよう要求する。 この事を夫に話せば、彼女とはもう終わって居る……俺の妻はこの先もお前だけだと言ってくれるが、私の心は大きく乱れたままだった。 その後、この件で自身の身を案じた私は護衛を付ける事にするが……これによって夫と彼女、それぞれの思いを知る事となり──? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

処理中です...