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第二章 恋と陰謀の輪舞曲

21.疑惑の恋の歌

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「さてと。俺もひと働きしてくるかな」
 
王宮に向かう父公爵と、ラルフとアマーリアを乗せた馬車を見送るとヴィクトールは両手をぐっと天にのばして伸びをした。

「今日はあなたはご一緒しなくて良かったのですか?」
 妻のソアラが尋ねる。

「ああ。ちょっと他にやりたいことがあるからな」
 訝しげな顔をするソアラの腕に抱かれた、娘のミュルエルの柔らかな頬をちょっとつついてヴィクトールは自分の書斎へ向かった。
 そこではヴィクトールの側近のリーヴィスがすでに待っていた。

 婚約破棄騒動から数日後。
 国王がアドリアンに廃位を言い渡した直後のことである。
 リーヴィスがヴィクトールのもとに「気になることが」と報告にやって来た。

 側近とはいってもリーヴィスは貴族ではない。
 今はクレヴィング家の使用人の濃紺のお仕着せを着ているが、普段は王都の下町の「一角獣の角亭」という酒場で働いている。

 ちなみにその酒場はリーヴィスの父が経営していて、父や祖父の代からクレヴィング公爵家のために仕えてくれている。
 公爵家が、市井の情報を集めるために雇っているいわゆる「情報屋」だった。

 リーヴィスが持ってきたのは、
「数日前から、王太子アドリアンとイルス男爵令嬢マリエッタとの恋物語」がもの凄い勢いで流布されている」
 という情報だった。

 それと同時に、
「王太子の愛するマリエッタ嬢に嫉妬して彼女を虐待する『悪役令嬢』アマーリア・クレヴィング」
 の噂も流れているという。

 数日前といえば、アドリアンがアマーリアに婚約破棄を言い渡した日と時期が一致する。

 しかし、その場にいた貴族たちがそれぞれの知人や友人に広めたとしても宮廷じゅうに広がるには早くとも三、四日はかかるだろう。
 
 それにあの場では、クレイグが出席者たちに
「ことは王太子殿下の名誉に関わること。くれぐれも軽はずみな発言は慎まれるように願いたい。このことが奇妙な尾ひれをつけて広まるようなら、私は本日、この席の主催者として噂の出どころを徹底的に究明させていただく」
 と釘をさしたという。

 それでもお喋りな令嬢や貴婦人たちの口を完全に止めることは出来ないだろうが、それにしてもその日のうちに、噂が宮廷どころか下町の酒場にまで届くというのはいくらなんでも早すぎる。

(これは故意に広めた者がいる)

 そう確信したヴィクトールは、リーヴィスに命じて噂が広まった経緯について調べるよう命じていた。十日ほど前のことだ。

「何か分かったのか」
「はい。噂が加速度的に広まったのは、最近、あの辺りで人気の吟遊詩人セオドールという者がアドリアン殿下とマリエッタ嬢の恋物語を題材にした歌を歌い始めたのがきっかけのようです。ちなみにタイトルは『君は僕の光 あなたは私の夢』」


「いいねえ。実に胸に迫るいいタイトルだ」
 ヴィクトールは皮肉げに笑った。

「若様の命を受けてセオドールの定宿を訪ねましたが、すでに引き払われた後でした。どうやらやつはしばらく前から数日ごとに別の酒場に現れてはその歌を歌っていたらしいのです」

「しばらく前? いつ頃だ」
「確認出来た範囲ではひと月半ほど前」

「ひと月半?」
 ヴィクトールは眉根を寄せた。それではアドリアンが婚約破棄をするずっと前からすでにこの歌は広められていたということになる。

「最初の頃は、それがアドリアン殿下とマリエッタ嬢のことだとは言われていなかったのだそうです。歌詞のなかには個人名は出てきませんし。ただの高貴な若君と恋に落ちた可憐な娘が、その若君の意地悪な許嫁の妨害にあいながら愛を貫くといった内容で、どこにでもあるといえばあるような恋歌です」

「それがいつ頃からか、殿下とマリエッタ嬢のことを歌った歌だと言われるようになった……そしてそれは恐らく、殿下がアマーリアとの婚約破棄を発表した時期と一致する、と」
「その通りです」

「もともとのレパートリーだった恋歌を使って話題の恋人たちの話に便乗したのか。
 それとも最初からあの二人を想定して歌詞を書き、歌を広め、婚約破棄のニュースを待って実はあれは王太子と恋人のことだと広めたのか……後者だとしたら、歌をつくったやつは殿下があの日、アマーリアに婚約破棄を言い渡すことを知っていたということになる」

「噂が爆発的に広まったタイミングの絶妙さから見て、私は後者である可能性が高いと思います」
 リーヴィスは淡々と言った。

 ヴィクトールの前では、クールなポーカーフェイスで事務的な態度を崩さないリーヴィスだが、これが一度酒場に立つと陽気な酒場の跡取り息子に変貌するのだから面白い。

「だとするとその吟遊詩人に情報を流し、その歌をつくらせた者がいるな。アドリアン殿下がマリエッタ嬢と恋仲だということを知っていて、なおかつマリエッタ嬢がアマーリアに苛められたという嘘を殿下に吹き込んでいたことを知っている人物」

 ヴィクトールは考え事をするときの癖で、こめかみのあたりを親指でぐいぐいと押しながら呟いた。

「どう考えても貴族だな。しかも学院の殿下の近くにいた人物だ」
「殿下の近く、ですか?」

「ああ。マリエッタ嬢はすぐにバレる嘘をついたアホだが、アホなりに考えていて教師たちやアマーリアに近い女生徒には、自分のついた嘘が広まらないように気を配っていた。

 マリエッタ嬢が『他の人に言ったことがばれたら、私もっと苛められてしまう』とか言って口止めしたんだ。

 下手に広まれば、真偽を確かめようとしたり、直接問いただしにくる者がいるかもしれないからな。

 マリエッタ嬢以上にアホなアドリアン殿下はそんな言い分にコロッと騙されてアマーリアに事実を確認することもなく、あの場で大々的に婚約破棄をやらかしたわけだけど、そうなるまでは殿下とマリエッタ嬢の側にいたごく一部の人間以外は、アマーリアがマリエッタ嬢を苛めていたなんていう噂に関しては誰も知らなかったはずだ」

「成程。しかし、その相手が学院内の貴族の子弟ということになると私などは手が出せませんが」

「そちらに関しては俺が調べよう。リーヴィスは引き続き、噂の出どころとその吟遊詩人の行方について調べてくれ」
「承知いたしました」

 リーヴィスが退室したあとで、ヴィクトールは彼が書き出して持ってきたその恋の歌の内容に目を走らせた。

《星の数ほどいる人のなかで、なぜ貴方でなくてはダメなの?》

《僕は君を抱きしめるためだけに この世に生まれてきたんだ》

 あちこち痒くなりそうな甘ったるい言葉の羅列を追いながら、ヴィクトールは鋭く目を光らせた。

 主役の二人、高貴な若君と娘の外見を歌った部分。

『日の光を集めたような白金の髪、深い湖のような碧い瞳』『やわらかな栗色の巻き毛、あたたかな茶色の瞳』というのは明らかにアドリアンとマリエッタの容貌を現わしている。

 そして敵役の悪役令嬢の『凍れる月のごとき髪、暗き夜明けの瞳』というのはアマーリアの淡い金色の髪、藍色の瞳に当てはまる。

 ヴィクトールは羽根ペンを走らせて該当部分に丸をつけた。

 アドリアンはかつて、アマーリアのことを『月の光を集めたような髪』『夜明けの空の瞳』と称えていた。
 これを書いたものはそれを知っている──?

 ヴィクトールは、ふうっと深く溜息をついた。

 これだけではまだ何も分からない。
 不十分な材料だけを眺めて頭を捻っていても、行き詰まり感に疲弊するだけだ。

 ともかく行動しよう。
 ヴィクトールは立ち上がって、馬車の支度をするように言いつけた。
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