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第一章 初恋は婚約破棄から

11.国王シュトラウス二世は決断する

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「父上。私はイルス男爵令嬢、マリエッタを我が妃として迎えたいと思っています」

 パーティーから数日後。私室に呼びつけた王太子アドリアンが、悪びれた様子もなく堂々と胸を張り、得意げに宣言するのを聞いた国王シュトラウス二世は、改めて頭を抱えた。
 出来ることなら傍らに置かれている王笏で、あの形のいいわりに中身に問題のあり過ぎる息子の頭をぶん殴ってやりたい。

 しかし、そんなことをしてもこの恋に溺れている息子は自分がなぜ、殴られたのかも分からないだろう。

  ことの一部始終については、その夜のうちに報告を受けている。

 数日後の今日までアドリアンを呼びつけるのを待ったのは、事実関係について早急に調査をさせるためだった。

 結果、アドリアンが婚約破棄の根拠としたアマーリア・クレヴィングがマリエッタ・イルスに対して行ったとされる嫌がらせ、及び誹謗中傷などの行為は事実無根だということが判明した。

 調査にあたった事務官は、「調査期間が短かったので確実とまでは言い切れませんが」と前置きしたうえで、アマーリア・クレヴィングは基本的にマリエッタ・イルスと接触していないこと。教師や学校職員たちの多くが、彼女は学院内ではたいてい、アンジェリカ・エイベル、ミレディ・バランドの二人と行動をともにしており、その他にも多くの生徒が彼女を慕ってまわりを取り巻いていることが多く、一人になる場面はほぼなかったと認識していることを証拠として挙げた。

 さらにマリエッタが主張している、「面と向かって罵倒された」「他の女生徒たちを扇動して無視させた」「集団で取り囲んで聞くに堪えない悪口を言った」などについても、そんな場面を目撃したという生徒や職員の証言はとれず、それどころか、マリエッタ自身も事務官に直接質問を受けると、その嫌がらせを受けた日時、場所、詳細な内容についても記憶があやふやなようである、といことが分かった。

「途中、マリエッタ嬢がひどく取り乱し、泣き叫ばれたので騒ぎを聞きつけた王太子殿下がおみえになり調査の中止をお命じになられましたので途中になってしまいましたが……」

「もういい」
国王は手を上げて事務官の報告を遮った。もう十分だった。

 もともと国王と、ギルベルト・クレヴィングは学院時代からの友人であり、その子供であるヴィクトールとアマーリアのことも幼少の頃からよく知っていた。
 アマーリアは美しいだけでなく、芯がしっかりした心の強い、優しい少女である。だからこそ、少々浮ついたところのあるアドリアンの未来の妃として望んだのだ。

 アマーリアがそんな下らない嫌がらせを、目下の男爵令嬢という相手にしたなどということは最初から信じられなかった。

 それでも、一通りの調査を命じたのは、ことが大事になり過ぎて、そうでもしなければ他の貴族に対する示しがつかなかったのと、それでも息子であるアドリアンを信じたいという気持ちがあったからだ。

 だが、事務官の報告は国王のアドリアンではなく、アマーリアに対するこれまでの信頼を裏付けるものばかりだった。

「聞き込みを行った令嬢の多くが、ここ最近、アドリアン殿下がアマーリア嬢に対して大変冷ややかな態度をとられ、かわりにマリエッタ嬢を連れて歩き、時にはまわりの眉を顰めさせるような親密ぶりを見せつけていたことを証言しています。彼女たちは皆、ひどく憤慨していてアマーリア嬢に対して王太子殿下が行った告発を『すべてでたらめです』と口をそろえて言っていました。エイベル侯爵令嬢アンジェリカ嬢の先導で、近々、女子生徒有志の証言を集めた嘆願書を王宮に提出する計画があるそうです」

「男子生徒のなかにはマリエッタ嬢の肩をもつ者も何人かいましたが、具体的にアマーリア嬢がマリエッタ嬢に危害を加えている場面を見たという者は皆無で、ほぼ全員が伝聞といった形でそれを知ったそうです。そのため、彼らから聞き取った嫌がらせ、誹謗中傷の内容には非常にばらつきがあり、信用に欠けると言わざるを得ませんでした」

 事務官の報告を聞いた国王は、公爵家に使いを出す前にアドリアンを呼び出し、問いただすことにしたのだが、これがまったく話にならなかった。

 調査結果を読み聞かせてやっても、はあっとこれみよがしな溜息をついて
「父上はあのアマーリアに騙されているのです」
と言うばかり。

「しかし、お優しい父上は騙せてもこの私は騙されません。マリエッタへの愛が私のこの目の曇りを拭い去ってくれたのです」
と言って、自分の言葉に陶酔している。

「ではそなたは、この私の目が曇っておると申すか」

「ああ、いえ。そういうことではありません。父上がアマーリアのあの見かけに騙されたとしても無理はありません。あの女は狡猾ですからね。なんといってもこの私の婚約者でありながら、ひそかに他の男とも通じておったのですから。しかも相手は一介の騎士風情ですよ。いかがわしいにもほどがある」

 アドリアンは、憎々しげに言った。

「そのことについても報告は受けておる」
 国王は不機嫌そうに言った。

 アマーリアが、アドリアンに婚約破棄を突き付けられた直後、その場にいた騎士ラルフ・クルーガーという騎士に駆け寄り愛の告白をした件についても事務官は、ラルフ・クルーガー当人はもとより、アマーリアの兄ヴィクトール、クレヴィング家の使用人、同僚の騎士たち、学院の生徒たちなどにも聞き込みを行っていた。

 それによると二人が出会ったのは、クレヴィング公爵邸でヴィクトールが自分を訪ねてきたラルフをアマーリアに引き合わせたのが最初とのことだった。

 その後も、公爵邸や騎士団の詰め所で何度か顔を合わせたことはあるが、いずれの場合もヴィクトールが同席しており、二人きりで会う機会は一度もなかった。
 ラルフ・クルーガー本人は今回の件について「思い当たることは何もない。何かの間違いかアマーリア嬢の冗談なのではないか」と言っているという。

「アマーリア嬢が、そなたとの婚約中に不義を疑われるような行動をとったことは一度もなかった。婚約を結びつつ、他の異性に心惹かれること自体は、心の動きは誰にも止めることは出来ぬし、それだけで咎めることは出来ぬ。なにしろ、この国には立派な婚約者がありながら、他の令嬢と四六時中ともに過ごし、時には夜遅い時間まで密室で二人きりで籠ったり、舞踏会では婚約者をさしおいて、別の相手と二曲も三曲も踊り、その後、婚約者を会場に置き去りにしてその相手と姿を消すような男でさえ、罰する法律はないものでな!」

 自分とマリエッタの行状を父国王が、思いのほか詳細に調べ上げていることにアドリアンは狼狽した。

「父上。それはアマーリアとその取り巻きどもがマリエッタを苛めていたせいで、私はマリエッタを守るために側にいただけです。部屋に二人きりでいたのは酷い嫌がらせを受けて、なおもそれを誰にも打ち明けずに耐えようとしているマリエッタから詳しい話を聞くためで、ダンスに誘ったのは沈んでいる彼女を慰めようと……」

「ああ。もう良い。もう良い」
 国王はうるさそうに手を振った。

「だからその嫌がらせというのが事実無根であったと言うておるのがまだ分からぬか。だったらもう好きにするがよい。
 そのマリエッタだかマリエールだか知らぬが、その娘と気のすむようにするがよかろう」

「え!? よろしいのですか?」
それまで、うなだれて父王の話を聞いていたアドリアンがぱっと顔を上げた。
「マリエッタとの結婚を本当にお認め頂けるのですか?」

「認めるも何もアマーリア嬢との婚約はもう諦めるしかなかろう。ギルベルト・クレヴィングは与えられた屈辱を甘んじて呑むような性格ではないからな」

「もちろん、アマーリアとの婚約になど何の未練もありません。あの女が恥知らずにも他の男のことなど持ち出したから話がおかしい方向にいってしまいましたが、もともとは私の方から婚約破棄を突き付けてやったのですからね!」

 アドリアンは、現金に顔を輝かせて言った。
「ありがとうございます。父上ならばきっと分かって下さると思っていました。それで結婚の時期なのですが、私としては出来るだけ早く……」

「好きにせよ」
「はっ。それでは来年の春あたりを予定して……」

「好きにせよと言うておる。そなたの結婚に関してはもう余の関与するところではない。そんなことより早急にエルリックの妃候補の選定に入らねばならぬからな」

「は……?」
 アドリアンは笑顔を張り付けたまま、首を傾げた。

 第二王子のエルリックは、南の宮に住む父の第二王妃ロザリーの息子でアドリアンには異母弟にあたる。
  華やかなタイプのアドリアンに比べ、二つ年下のこの弟は母親に似て控え目でおとなしい性格で、兄弟とはいっても日頃あまり接点はなかった。

 その弟の縁談の話がなぜ今出てくるのだろう。

「そなたも知っての通り、ロザリーの父のマール辺境伯は隣国グランベルとの国境に広大な領地を持つ、我が国の守りの要だ。その領地の豊かさ、財力、軍事力ともに国内屈指の存在で、エルリックが生まれた時にはあれを王太子にという声が多くあがった。今でもマール伯とエルリックを支持する声は根強く残っている」

「なっ!?」
 アドリアンは目をみひらいた。
「それは王太子である私に対する反逆罪ではありませんか!」

「まあ聞くが良い。そなたの母のクラリスは王家に繋がる家柄で血筋は高貴だが後見が弱い。かと言って、第一王妃の産んだ長男のそなたを差し置いて、生まれて間もないエルリックを王太子に立てるのも不憫ではあるし、のちのちの諍いのもとだ。
 そこで余が考えたのが、そなたの妃にマール辺境伯にも劣らぬ大貴族の娘を迎えることだった」

「…………」

「幸い、ギルベルトとは学院時代からの友人だった。アマーリア嬢をそなたの妃に……そしてゆくゆくは国王となるそなたを支えて欲しいという余の頼みをギルベルトは快く聞いてくれた。クレヴィング公爵家が後見となることで、そなたが王太子となることに不服を唱えていた一派も黙らざるを得なかった。しかし、そのすべてをそなたがぶち壊しにしてくれた」

「父上、私は……!」

「もう良い。別にそなたに頼まれたわけでもクラリスに頼まれたわけでもない。余が愚かな親心から勝手にしたことだ。それをそなたが望まなかったと言って責めることはせぬ」

 国王は静かな目で、息子をつくづくと眺めた。

 クラリスによく似たプラチナブロンドの髪、青い瞳。
 輝くように美しいその風貌のなかに、神は国王となるに相応しい魂をお授け下さらなかったとみえる。

 だとすれば、無理に王位につかせるよりも、これが望むように男爵令嬢を妻に迎え、平凡な一生を過ごさせてやった方がいいのかもしれない。

「アドリアン・クラウス・ランベルト。本日この場を持ってそなたの王太子としての任を解く。かわって第二王子エルリックを王太子とし、近日中に立太子の儀を挙げることとする」

「ち、父上! 待って下さい。それは……っ」

「話は以上だ。今後のことについては事務官のマリスという者から後ほど連絡がいく。王太子宮にも、今をもって立ち入ることは叶わぬ。荷物などはあとで運ばせるゆえ、詳しいことが決まるまでは王妃宮で謹慎するように」

 それだけ言うと、国王は縋りつこうとする息子の手をあっさりと跳ねのけて部屋を出ていった。二度と振り向こうともしなかった。
あとにはただ茫然とした、王太子……いや、前王太子のアドリアンが残された。
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