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第六章 慟哭
桂川
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波多野さまの話は続いていた。
いつの間にか日が暮れ、庭は夕闇に包まれていた。
誰かが燭台を運び、軒の灯籠に火を入れてくれたらしく室内は明るかったが私はそれにも気づかなかった。
すべてが終わったあと、波多野さまは地面に伏して泣き叫んでいる傅役のかわりに乙若さまの御首を拾い上げ、丁寧に血を拭って乱れた髪を直した。
天を仰いで泣き叫び、突っ伏して地面を拳で叩く傅役たちのなかで、天王さまの傅役であった内記の平太がふらりと立ち上がった。
「天王さま……天王さま。どちらにいらっしゃいます。じいが参りましたぞ。こちらへおいでなさいませ」
呟くように言いながら、平太は首のない養い君の亡骸に歩み寄ると、跪き、膝の上に抱き上げた。
「ご立派でいらっしゃいましたなあ。さぞや恐ろしかったでしょうに。もう大丈夫ですぞ。これから先はずっとじいがお側におります。お側で若君をお守りいたします。もう二度と怖い思いやお寂しい思いはさせませぬぞ。……ですから、『平太、一緒に来い』と。『供をせよ』とお言いつけ下さい。もう一度、お可愛らしい声をお聞かせ下さい……天王さま……若君……」
水色の水干に包まれた小さなお体を抱きしめて言う。
それを見た他の傅役たちも、それぞれの養い君の亡骸を抱き寄せ、縋りつき、生きている主君に語り掛けるようにその名を呼び始めた。
やがて、内記の平太が「天王さま。今お側に参りますぞ!」と言ってその亡骸を抱きしめるようにして突っ伏すのを合図に、次々と傅役たちは自らの太刀で養い君たちのあとを追った。
乙若と亀若に仕えていた、まだ子どものような年齢の若武者も震えながらあとを追った。
波多野さまはいま一度、太刀を抜いて死にきれずに苦しんでいる者たちを介錯してまわった。波多野さまの配下の者たちは皆、蒼白になって立ち尽くしていた。
そこで言葉を切ると、波多野さまは顔を上げてこちらをご覧になった。
「その飾り細工は、死ぬ前に鶴若さまと天王さまの傅役たちから託された。それをお気に入られていたお二方のために母君は、それを直垂の房飾りにして身につけさせておられた。最後のとき、天王さまは手のひらにそれを握りしめておられた。それゆえ、どうか形見として一緒にお渡し願いたいと」
「……では、これは蕨野の方さまにお渡しすべきでは」
私は震える声で言った。
「そのつもりであったが──蕨野の方はそなたにそれを持っていて欲しいと言われた。『あの子たちのことを誰かに覚えていてやって欲しいから』と。
『恨みの気持ちからではない。鶴若も天王も佳穂どのが好きでよう懐いておった。時々は思い出してやっておくれ』と」
蝶々の羽の先には赤黒く変色した染みがついていた。
「蕨野の方さまは今どこに」
波多野さまは、ふうっと息をついて目を閉じた。
「……北の方は、判官殿と若君がたのご最期を聞いて桂川に身を投げて亡くなられた」
「佳穂」
正清さまに背中から抱き止められて、私は自分がふらりと倒れようとしていたことに気づいた。
「蕨、野さまが……」
声が喉の奥で凍り付いたようにうまくでて来ない。
「ああ。事が終わったあと、私は六条堀河へと向かった。事実をお伝えし、若君がたの遺髪と形見をお渡しするためだ。しかし、北の方さまはまだ八幡からお戻りではなかった。八幡の方へお迎えに行く途中、赤井河原のあたりで北の方さまの輿と行き合った」
蕨野の方さまは、波多野さまがやって来るのを見て輿を止めさせ、
「何かあったのですか?」
とお尋ねになった。
波多野さまがありのまま、為義さま、四人の若君がたが勅命を受けて死罪となりすでにこの世におられないことを申し上げると、蕨野の方さまは輿から転がるように降りて来られた。
「今朝、私が出かける時、あの子たちは『連れて行って』と私の裾を引いてねだっていた。私は全員連れていくには供回りが足りないし、かと言って一人、二人を連れていっても、残された者が悲しい思いをするだろうと言い諭して出て来たが、こんなことになるのなら、対面などどうでも連れて出れば良かった……。せめて一人だけでも連れて出ていれば、逃げきることは出来ないとしても、せめて供に死ぬことが出来たのに……」
そう言って遺髪の包みを胸に抱いて泣き叫ばれた。
波多野さまに縋りついて「私もここで一緒に殺して下さい。殿や子どもたちと同じ道をたどって追っていきたい」といわれる蕨野の方さまをお付きの侍女たちが
「ここではともかく人目に立って亡き御方たちの名を汚すことにもなりかねません。ひとまずお邸にお帰りになって……」
と必死になだめて、とにかく輿にお乗せした。
道中、「子どもたちをどこで殺したのです」とお尋ねになられたので「船岡山です」とお答えすると「では、せめてそこへ連れていって。物言わぬ亡骸でもよいからもう一度会いたい」と仰られる。
けれど、御首のない若君がたのお体や、日頃、馴染んだ傅役たちの亡骸が山中に打ち捨てられている光景など見せてもかえってお嘆きを増すばかりだと思ったので、言い繕ってとにかく一度、お邸に戻ろうとしていると、蕨野の方さまが「気分が悪い。少し輿を止めておくれ」と仰るのでやむなく、桂川のほとりで輿を止めさせた。
「少し風に当たって休みたい」と仰られるので侍女が付き添って輿からお下ろしした。そのまま、河原の石の上に座り込んだまま、いつまでも立とうとされないので見かねた侍女が「水辺の風は冷とうございます。どうぞ、御輿にお戻りあそばせ」と言うと、蕨野さまは、「輿に揺られて気分が悪い。薬湯が欲しい」と言われた。
「侍女が、薬を煎じる湯を貰おうとお側を離れた瞬間、驚くような素早さで立ち上がられて河原を駆け、あっという間に流れに身を投じられた。いつの間にか、河原で拾った石をひそかに袂に入れておられたらしい。救おうとした時にはもう水底に沈んでしまって間に合わなかった。……いや、果たして救おうとした者がいたのかどうか……」
波多野さまは自嘲するように笑って額を押さえられた。
(夫を失い、子を失い、絶望している女性が覚悟の上で身を投げたものを無理やりに引き上げるのが果たして救いになるものか)
そう思われているのが伝わってきた。
「若君がたは最年長の乙若さまでもわずか十三。波多野の庄で生い育たれている朝長よりもお年若だ。俺は、このお役目を命じられたことをとても妹の前では言えないだろう」
波多野さまの妹君は義朝さまのご次男、朝長さまのご生母である。
波多野さまは、朝長さまを大変に可愛がっていらっしゃるということだったので、この度のお役目はどれだけおつらかっただろう。
「俺は今まで義朝さまのもとでそのお志を支えることが朝長さまと我が波多野の一族の将来のためだと信じて働いてきた。
しかし、あのように稚い若君がたを手にかけてまで、我らはいったい何を得ようとしているのか分からなくなってしまった」
波多野さまのお声は苦しげだった。
「幼い亀若さま、鶴若さまに泣き縋られたとき、何度もこのまま若君がたを連れ、姿を消してしまおうかと思った。小さな手を合わせてお父君の名を懸命に呼ばれる天王さまのか細い御首を打ち落としたときには、いっそこのまま傅役の誰かが狂乱して、俺を斬り殺してくれればよいとさえ思った。そして、乙若さまの最期のお言葉を聞いたとき、俺はこのお役目を命じた義朝さまを憎んだ──」
「……波多野どの」
「分かっておる。この度のことで一番苦しまれているのは義朝さまだということは。一門のため、ご自身に従って来られた者たちのため、ここで刃を引くわけにはいかぬことは分かっておる。分かっておるつもりだが……このような気持ちでいる俺は、これ以上、義朝さまのお側にいるべきではないと思った」
波多野さまは泣いておられた。
正清さまは黙ってそれを聞いておられた。
四人の若君がたの御首は、朝廷に献上されたあと、信西入道の命により「獄門に掛けるには及ばず」ということでそのまま打ち捨てられたとのことだった。
なんでも「鳥羽の院の御忌中ゆえ」ということらしいけれど、それならば何故、その慎むべき忌中に幼子の血を流させたことは忌むべきことに当たらないのだろうか。
波多野さまは打ち捨てられた四つの御首を拾い集め、為義さまの墓所のある寺に埋葬して来られたという。
「父君のもとへお連れすると行ってお邸を連れ出した、せめてその約束だけでも果たしたい」
波多野さまは、
「時々は花なりと供えて差し上げて欲しい。お小さい若君がたには寂しい場所であろうから」
と言って、私に向かって頭を下げられた。
そうして波多野さまは、途中まで送るという正清さまのお申し出を断って帰って行かれた。
数日ののち、波多野さまは京を発って波多野の庄へと戻られたとのことだった。
いつの間にか日が暮れ、庭は夕闇に包まれていた。
誰かが燭台を運び、軒の灯籠に火を入れてくれたらしく室内は明るかったが私はそれにも気づかなかった。
すべてが終わったあと、波多野さまは地面に伏して泣き叫んでいる傅役のかわりに乙若さまの御首を拾い上げ、丁寧に血を拭って乱れた髪を直した。
天を仰いで泣き叫び、突っ伏して地面を拳で叩く傅役たちのなかで、天王さまの傅役であった内記の平太がふらりと立ち上がった。
「天王さま……天王さま。どちらにいらっしゃいます。じいが参りましたぞ。こちらへおいでなさいませ」
呟くように言いながら、平太は首のない養い君の亡骸に歩み寄ると、跪き、膝の上に抱き上げた。
「ご立派でいらっしゃいましたなあ。さぞや恐ろしかったでしょうに。もう大丈夫ですぞ。これから先はずっとじいがお側におります。お側で若君をお守りいたします。もう二度と怖い思いやお寂しい思いはさせませぬぞ。……ですから、『平太、一緒に来い』と。『供をせよ』とお言いつけ下さい。もう一度、お可愛らしい声をお聞かせ下さい……天王さま……若君……」
水色の水干に包まれた小さなお体を抱きしめて言う。
それを見た他の傅役たちも、それぞれの養い君の亡骸を抱き寄せ、縋りつき、生きている主君に語り掛けるようにその名を呼び始めた。
やがて、内記の平太が「天王さま。今お側に参りますぞ!」と言ってその亡骸を抱きしめるようにして突っ伏すのを合図に、次々と傅役たちは自らの太刀で養い君たちのあとを追った。
乙若と亀若に仕えていた、まだ子どものような年齢の若武者も震えながらあとを追った。
波多野さまはいま一度、太刀を抜いて死にきれずに苦しんでいる者たちを介錯してまわった。波多野さまの配下の者たちは皆、蒼白になって立ち尽くしていた。
そこで言葉を切ると、波多野さまは顔を上げてこちらをご覧になった。
「その飾り細工は、死ぬ前に鶴若さまと天王さまの傅役たちから託された。それをお気に入られていたお二方のために母君は、それを直垂の房飾りにして身につけさせておられた。最後のとき、天王さまは手のひらにそれを握りしめておられた。それゆえ、どうか形見として一緒にお渡し願いたいと」
「……では、これは蕨野の方さまにお渡しすべきでは」
私は震える声で言った。
「そのつもりであったが──蕨野の方はそなたにそれを持っていて欲しいと言われた。『あの子たちのことを誰かに覚えていてやって欲しいから』と。
『恨みの気持ちからではない。鶴若も天王も佳穂どのが好きでよう懐いておった。時々は思い出してやっておくれ』と」
蝶々の羽の先には赤黒く変色した染みがついていた。
「蕨野の方さまは今どこに」
波多野さまは、ふうっと息をついて目を閉じた。
「……北の方は、判官殿と若君がたのご最期を聞いて桂川に身を投げて亡くなられた」
「佳穂」
正清さまに背中から抱き止められて、私は自分がふらりと倒れようとしていたことに気づいた。
「蕨、野さまが……」
声が喉の奥で凍り付いたようにうまくでて来ない。
「ああ。事が終わったあと、私は六条堀河へと向かった。事実をお伝えし、若君がたの遺髪と形見をお渡しするためだ。しかし、北の方さまはまだ八幡からお戻りではなかった。八幡の方へお迎えに行く途中、赤井河原のあたりで北の方さまの輿と行き合った」
蕨野の方さまは、波多野さまがやって来るのを見て輿を止めさせ、
「何かあったのですか?」
とお尋ねになった。
波多野さまがありのまま、為義さま、四人の若君がたが勅命を受けて死罪となりすでにこの世におられないことを申し上げると、蕨野の方さまは輿から転がるように降りて来られた。
「今朝、私が出かける時、あの子たちは『連れて行って』と私の裾を引いてねだっていた。私は全員連れていくには供回りが足りないし、かと言って一人、二人を連れていっても、残された者が悲しい思いをするだろうと言い諭して出て来たが、こんなことになるのなら、対面などどうでも連れて出れば良かった……。せめて一人だけでも連れて出ていれば、逃げきることは出来ないとしても、せめて供に死ぬことが出来たのに……」
そう言って遺髪の包みを胸に抱いて泣き叫ばれた。
波多野さまに縋りついて「私もここで一緒に殺して下さい。殿や子どもたちと同じ道をたどって追っていきたい」といわれる蕨野の方さまをお付きの侍女たちが
「ここではともかく人目に立って亡き御方たちの名を汚すことにもなりかねません。ひとまずお邸にお帰りになって……」
と必死になだめて、とにかく輿にお乗せした。
道中、「子どもたちをどこで殺したのです」とお尋ねになられたので「船岡山です」とお答えすると「では、せめてそこへ連れていって。物言わぬ亡骸でもよいからもう一度会いたい」と仰られる。
けれど、御首のない若君がたのお体や、日頃、馴染んだ傅役たちの亡骸が山中に打ち捨てられている光景など見せてもかえってお嘆きを増すばかりだと思ったので、言い繕ってとにかく一度、お邸に戻ろうとしていると、蕨野の方さまが「気分が悪い。少し輿を止めておくれ」と仰るのでやむなく、桂川のほとりで輿を止めさせた。
「少し風に当たって休みたい」と仰られるので侍女が付き添って輿からお下ろしした。そのまま、河原の石の上に座り込んだまま、いつまでも立とうとされないので見かねた侍女が「水辺の風は冷とうございます。どうぞ、御輿にお戻りあそばせ」と言うと、蕨野さまは、「輿に揺られて気分が悪い。薬湯が欲しい」と言われた。
「侍女が、薬を煎じる湯を貰おうとお側を離れた瞬間、驚くような素早さで立ち上がられて河原を駆け、あっという間に流れに身を投じられた。いつの間にか、河原で拾った石をひそかに袂に入れておられたらしい。救おうとした時にはもう水底に沈んでしまって間に合わなかった。……いや、果たして救おうとした者がいたのかどうか……」
波多野さまは自嘲するように笑って額を押さえられた。
(夫を失い、子を失い、絶望している女性が覚悟の上で身を投げたものを無理やりに引き上げるのが果たして救いになるものか)
そう思われているのが伝わってきた。
「若君がたは最年長の乙若さまでもわずか十三。波多野の庄で生い育たれている朝長よりもお年若だ。俺は、このお役目を命じられたことをとても妹の前では言えないだろう」
波多野さまの妹君は義朝さまのご次男、朝長さまのご生母である。
波多野さまは、朝長さまを大変に可愛がっていらっしゃるということだったので、この度のお役目はどれだけおつらかっただろう。
「俺は今まで義朝さまのもとでそのお志を支えることが朝長さまと我が波多野の一族の将来のためだと信じて働いてきた。
しかし、あのように稚い若君がたを手にかけてまで、我らはいったい何を得ようとしているのか分からなくなってしまった」
波多野さまのお声は苦しげだった。
「幼い亀若さま、鶴若さまに泣き縋られたとき、何度もこのまま若君がたを連れ、姿を消してしまおうかと思った。小さな手を合わせてお父君の名を懸命に呼ばれる天王さまのか細い御首を打ち落としたときには、いっそこのまま傅役の誰かが狂乱して、俺を斬り殺してくれればよいとさえ思った。そして、乙若さまの最期のお言葉を聞いたとき、俺はこのお役目を命じた義朝さまを憎んだ──」
「……波多野どの」
「分かっておる。この度のことで一番苦しまれているのは義朝さまだということは。一門のため、ご自身に従って来られた者たちのため、ここで刃を引くわけにはいかぬことは分かっておる。分かっておるつもりだが……このような気持ちでいる俺は、これ以上、義朝さまのお側にいるべきではないと思った」
波多野さまは泣いておられた。
正清さまは黙ってそれを聞いておられた。
四人の若君がたの御首は、朝廷に献上されたあと、信西入道の命により「獄門に掛けるには及ばず」ということでそのまま打ち捨てられたとのことだった。
なんでも「鳥羽の院の御忌中ゆえ」ということらしいけれど、それならば何故、その慎むべき忌中に幼子の血を流させたことは忌むべきことに当たらないのだろうか。
波多野さまは打ち捨てられた四つの御首を拾い集め、為義さまの墓所のある寺に埋葬して来られたという。
「父君のもとへお連れすると行ってお邸を連れ出した、せめてその約束だけでも果たしたい」
波多野さまは、
「時々は花なりと供えて差し上げて欲しい。お小さい若君がたには寂しい場所であろうから」
と言って、私に向かって頭を下げられた。
そうして波多野さまは、途中まで送るという正清さまのお申し出を断って帰って行かれた。
数日ののち、波多野さまは京を発って波多野の庄へと戻られたとのことだった。
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