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第六章 慟哭
父の言葉
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明け方頃。為義さまをお迎えに上がった正清さまがお戻りになった。
義朝さまは由良の方さまとともに車寄せでお迎えになり、寝殿に用意したお部屋に案内して、そのまま長い間、御父子、お二人きりで話し込んでおられた。
宿直所で少し仮眠をとられるという正清さまに、埃を落とすお湯や着替え。それに夜食をお運びして夜具の用意をしていると、格子戸がとんとんと遠慮がちに叩かれた。
出ると、そこにはまだ少年ともいえる年頃の武者が一人、汚れきった直垂姿のまま立っていた。
「あの、こちらに鎌田次郎正清どのはおいででしょうか?」
少年は左源太と名乗り、義朝さまの異母弟君、為宗さまにお仕えしていた郎党だと言った。比叡山の麓で為義さまと御曹司がたがお別れになった時に為宗さまの命令で為義さまに従ったのだという。
正清さまが通すように言われたので、私は急いで席をつくって中に招じ入れた。
「お疲れのところを突然、失礼いたします。あの、正清どのにどうしてもお話しせねばならない事がありお訪ねしました」
左源太という少年は、私が差し出した白湯を、一礼してから一息に飲み干すとがばっとその場に平伏した。
「某は、先日の戦で通清どのに命を救っていただきました。いえ、というより通清どのは某のせいで亡くなられたのです。俺を庇って……俺のせいで……」
当惑した顔で左源太を見ていた正清さまは、それを聞くと黙って左源太の肩に手を置かれた。
「そうか。あの日、白河北殿におったのだな。その若さで、よう無事で」
「俺が助かったのは通清どののおかげなのです。でも俺を庇ったせいで通清どのが矢に当たられて……詫びてすむことではありませぬ。けれど一言、ご子息にお詫びと、通清どのの最期のお言葉をお伝えしたくて」
「父の最期の言葉?」
正清さまに促されて、左源太は拳で顔を拭いながら話し始めた。
あの日。七月十一日の未明。義朝さまの命で火をかけられた白河北殿は折からの風に煽られて瞬く間に燃え上がり、邸内は大混乱に陥った。
為義さまは新院と頼長さまの御身を平家弘らに託し、寝殿にまだお二人が残っているように見せかけてご子息らを率いて帝方の軍勢を迎え討たれた。
いざ退却という時になり、殿軍を引き受けられたのが通清義父上だった。
左源太は為宗さまに従って、為義さまをお守りしつつ退却するはずが乱戦の最中で味方に遅れてしまった。夢中になってあちこち逃げている間に敵の真ん前に飛び出してしまった。慌てて逃げようとしたが矢を射かけられ、もう駄目かと思ったところを身を挺して義父上が庇って下さったのだという。
「まわりの郎党と一緒に通清どのを担いでなんとか逃げ出して。ちかくの古寺の納屋に運び込んだ時には、通清どのは……もう、朦朧としておられて……」
時折、言葉に詰まったりしゃくり上げたりしながら左源太が話すのを正清さまはじっと黙って聞いておられた。
「通清どのは俺が申し訳なさで泣いているのを見て、苦しい息の下からこう言われました。『小鷹。泣くでない。父がおる。何も心配はいらぬぞ』と。そう言って、俺の手を握られて、そのまま、息を引きとられました。まるで笑っておられるような、穏やかなお顔でした」
正清さまが目を瞠られた。
部屋の隅に控えていた私は思わず手で口を覆った。
小鷹というのは正清さまのご幼名だ。
義父上は、薄れゆく意識のなかで、この左源太を幼い正清さまだと思われて名を呼ばれ、手を握って亡くなられたのだ。
(小鷹。泣くでない。父がおる。何も心配はいらぬぞ)
優しい義父上のお声が、ありありと聞こえたような気がした。涙が溢れてきて頬を伝った。
やっぱり義父上は最期まで私の知っているお優しい義父上だった。
やむをえない事情で敵味方に分かれてからも、お心の底ではずっと正清さまのことを案じていらしたのだ。何かあったら身を挺してでも庇って守ってやりたいと。
正清さまが小鷹丸と呼ばれていた、幼い少年だった頃そのままに。
正清さまはしばらく黙ったまま、じっと目を閉じておられた。
やがて、お顔をあげて左源太を見たときには、静かな、落ち着いたお顔をしておられた。
「父の最期の様子を知ることが出来て感謝している。父はそなたのような若武者を救うことが出来て満足していることだろう。これから先はどうか自分を責めずに、我が父に恩を感じてくれるのなら、くれぐれも命を無駄にせず、大殿にしっかりとお仕えして欲しい」
そう言って正清さまは深々と頭を下げた。
「……かたしげないお言葉」
左源太はまた平伏して肩を震わせた。
正清さまの言いつけで、私は左源太を別室に通してお湯を運ばせ、手足を拭き清めたあとで着替えの直垂を出した。
「父を看取って貰った礼だ。受けて貰えるとありがたい」
と言われ、左源太はしきりに恐縮しながらそれを受け取った。
左源太が帰ると、正清さまは「少し休む」と言われた。
明かりを消して下ろうとした瞬間、ぐいっと手を引かれて引き寄せられた。そのまま押し倒され、私の胸元にお顔を押しつけるようにして抱きすくめられる。
「……っ」
押し殺したお声が、かすかに暗闇を震わせる。首筋にぽとりと水滴が落ちてきた。
私は、そっと手を伸ばして正清さまの背にまわした。
「……ちちうえ……父上……」
時折、低く漏れ聞こえる声に、聞こえないふりをしながら私は黙って、正清さまのお背中を撫で続けた。
義朝さまは由良の方さまとともに車寄せでお迎えになり、寝殿に用意したお部屋に案内して、そのまま長い間、御父子、お二人きりで話し込んでおられた。
宿直所で少し仮眠をとられるという正清さまに、埃を落とすお湯や着替え。それに夜食をお運びして夜具の用意をしていると、格子戸がとんとんと遠慮がちに叩かれた。
出ると、そこにはまだ少年ともいえる年頃の武者が一人、汚れきった直垂姿のまま立っていた。
「あの、こちらに鎌田次郎正清どのはおいででしょうか?」
少年は左源太と名乗り、義朝さまの異母弟君、為宗さまにお仕えしていた郎党だと言った。比叡山の麓で為義さまと御曹司がたがお別れになった時に為宗さまの命令で為義さまに従ったのだという。
正清さまが通すように言われたので、私は急いで席をつくって中に招じ入れた。
「お疲れのところを突然、失礼いたします。あの、正清どのにどうしてもお話しせねばならない事がありお訪ねしました」
左源太という少年は、私が差し出した白湯を、一礼してから一息に飲み干すとがばっとその場に平伏した。
「某は、先日の戦で通清どのに命を救っていただきました。いえ、というより通清どのは某のせいで亡くなられたのです。俺を庇って……俺のせいで……」
当惑した顔で左源太を見ていた正清さまは、それを聞くと黙って左源太の肩に手を置かれた。
「そうか。あの日、白河北殿におったのだな。その若さで、よう無事で」
「俺が助かったのは通清どののおかげなのです。でも俺を庇ったせいで通清どのが矢に当たられて……詫びてすむことではありませぬ。けれど一言、ご子息にお詫びと、通清どのの最期のお言葉をお伝えしたくて」
「父の最期の言葉?」
正清さまに促されて、左源太は拳で顔を拭いながら話し始めた。
あの日。七月十一日の未明。義朝さまの命で火をかけられた白河北殿は折からの風に煽られて瞬く間に燃え上がり、邸内は大混乱に陥った。
為義さまは新院と頼長さまの御身を平家弘らに託し、寝殿にまだお二人が残っているように見せかけてご子息らを率いて帝方の軍勢を迎え討たれた。
いざ退却という時になり、殿軍を引き受けられたのが通清義父上だった。
左源太は為宗さまに従って、為義さまをお守りしつつ退却するはずが乱戦の最中で味方に遅れてしまった。夢中になってあちこち逃げている間に敵の真ん前に飛び出してしまった。慌てて逃げようとしたが矢を射かけられ、もう駄目かと思ったところを身を挺して義父上が庇って下さったのだという。
「まわりの郎党と一緒に通清どのを担いでなんとか逃げ出して。ちかくの古寺の納屋に運び込んだ時には、通清どのは……もう、朦朧としておられて……」
時折、言葉に詰まったりしゃくり上げたりしながら左源太が話すのを正清さまはじっと黙って聞いておられた。
「通清どのは俺が申し訳なさで泣いているのを見て、苦しい息の下からこう言われました。『小鷹。泣くでない。父がおる。何も心配はいらぬぞ』と。そう言って、俺の手を握られて、そのまま、息を引きとられました。まるで笑っておられるような、穏やかなお顔でした」
正清さまが目を瞠られた。
部屋の隅に控えていた私は思わず手で口を覆った。
小鷹というのは正清さまのご幼名だ。
義父上は、薄れゆく意識のなかで、この左源太を幼い正清さまだと思われて名を呼ばれ、手を握って亡くなられたのだ。
(小鷹。泣くでない。父がおる。何も心配はいらぬぞ)
優しい義父上のお声が、ありありと聞こえたような気がした。涙が溢れてきて頬を伝った。
やっぱり義父上は最期まで私の知っているお優しい義父上だった。
やむをえない事情で敵味方に分かれてからも、お心の底ではずっと正清さまのことを案じていらしたのだ。何かあったら身を挺してでも庇って守ってやりたいと。
正清さまが小鷹丸と呼ばれていた、幼い少年だった頃そのままに。
正清さまはしばらく黙ったまま、じっと目を閉じておられた。
やがて、お顔をあげて左源太を見たときには、静かな、落ち着いたお顔をしておられた。
「父の最期の様子を知ることが出来て感謝している。父はそなたのような若武者を救うことが出来て満足していることだろう。これから先はどうか自分を責めずに、我が父に恩を感じてくれるのなら、くれぐれも命を無駄にせず、大殿にしっかりとお仕えして欲しい」
そう言って正清さまは深々と頭を下げた。
「……かたしげないお言葉」
左源太はまた平伏して肩を震わせた。
正清さまの言いつけで、私は左源太を別室に通してお湯を運ばせ、手足を拭き清めたあとで着替えの直垂を出した。
「父を看取って貰った礼だ。受けて貰えるとありがたい」
と言われ、左源太はしきりに恐縮しながらそれを受け取った。
左源太が帰ると、正清さまは「少し休む」と言われた。
明かりを消して下ろうとした瞬間、ぐいっと手を引かれて引き寄せられた。そのまま押し倒され、私の胸元にお顔を押しつけるようにして抱きすくめられる。
「……っ」
押し殺したお声が、かすかに暗闇を震わせる。首筋にぽとりと水滴が落ちてきた。
私は、そっと手を伸ばして正清さまの背にまわした。
「……ちちうえ……父上……」
時折、低く漏れ聞こえる声に、聞こえないふりをしながら私は黙って、正清さまのお背中を撫で続けた。
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