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第四章 動乱前夜

骨肉(二)

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その時。邸全体がぐわんと揺れたような感覚が義賢を襲った。

「な、なんだ」
 ワアア……という地鳴りのような響きが周囲から上っている。
 それが武士たちが挙げる鬨の声だということに気がつくまでにしばし、かかった。
 気がついた途端に、冷水を頭から浴びせられたような恐怖に襲われた。

(館のまわりを兵が囲んでいる……!?)

「と、殿……」
 となりの部屋で休んでいたこの館の娘──義賢の妻が臥所から転がり出るようにして歩み寄って来て縋りついた。
「申し上げます!」
 家臣が部屋に駆け入ってきた。

「何事だ!」
「夜襲にございます。三浦、新田らの軍勢が館のまわりを囲み矢を射かけ、今にも攻め入ってこようとしております!」
「何だと!」

 一瞬感じた恐れはすでに去っていた。かわりに久しく忘れていた全身の血が湧きたつような高揚感が湧き上がって来る。

義賢は悲鳴をあげてしがみついてくる妻の体を押しやり、
「駒王を連れて逃げよ!」
 と怒鳴った。太刀置きに掛けてった友切ともきりの太刀を手に取る。

 東国下向にあたって、父・為義から授けられた源氏の棟梁の証だ。太刀を佩き、その柄を握ると体の奥底から力が湧き上がって来るような気がした。

「まだ火はかけるな! 目指すは義賢の首と友切の太刀。ゆめゆめ逃すでないぞ!」
 敵の将らしき声が、兵たちに指示を飛ばしている。

「夜盗くずれが片腹痛い」
 義賢は妻戸を蹴やぶるようにして簀子に出た。

 外はすでに混乱をきわめていた。
 外塀は破られ、敵の兵が中庭にまで入り込んでいた。館の郎党たちが中門のところで必死に防いでいるのでいまだ住居部分への侵入はないが、それも時間の問題かと思われた。

「御曹司!」「義賢どの!」
 義賢の姿を見て、あたりにいた者たちが駆け寄って来る。

「騒ぐな。三浦、新田ふぜいが八幡太郎義家公の血を引く源氏の血筋に弓引こうとは笑止千万! いくら数を頼んだところでかような雑兵ばらなど恐れるに足らぬわ」

 高らかに言って友切の太刀を掲げると、あたりから義賢をたたえる声が地響きのように沸き上がった。
 義賢は郎党が引いてきた栗毛の馬に飛び乗ると、周囲に数騎を従えて門の外へ駆け出た。
 危険は承知の上である。坂東武者は何よりも蛮勇を好む。
 ここで怖気づいているなどと思われたら、この場を切り抜けたとしても今後、東国で勢力基盤を広げていくのは難しくなる。

 義賢はあたりに満ちている敵味方の兵に聞かせるように、声をはり上げた。

「我こそは六条判官為義が嫡子、源次郎義賢である。そちらの将は誰ぞ。我が八幡太郎どのの三代の末裔と知っての所業か」

 さすがにあたりを払うような威を響かせた義賢の大音声に敵の兵が一瞬、静まる。
 やがて、むこうの陣の一部が割れて一人の騎馬武者が進み出た。

 夜目にもあざやかな月毛の馬の上には、紺色の錦の直垂に萌黄の匂の鎧を着た若武者が、ゆったりと馬を操りながら悠揚せまらざる様子でこちらをまっすぐ見ている。

 その兜の前庇の下から覗く切れ長の目と視線があった瞬間、義賢の背筋をゾクリと寒気が駆け抜けた。
「……八幡太郎が末裔、六条判官が嫡子、と言うたか」

 そう言った声は和歌でも口ずさむかのように涼しげで、それでいての場の隅々までよく通った。
「こちらの将は誰か、とも言うたな。ならば名乗ってやろう」
 そう言って若武者は、すらりと腰の太刀を引き抜いた。

「我こそは八幡太郎義家公の末裔、清和源氏の嫡流、下野守義朝が子、義平! 鎌倉悪源太とは我のことよ‼」
 頭上に掲げた白銀の太刀が、周囲の篝火を反射してぎらりと光る。
 まわりの郎党たちが狂ったように拳を突き上げて声をあげた。

 鎌倉悪源太。
その名を知らぬ者はこの東国にはおらぬ。
兄・義朝が三浦氏の娘との間に儲けた最初の男子。
跡継ぎである嫡男の座こそ、異母弟の鬼武者に譲っているものの、義平の武芸の腕、将としての才、そして相対す者すべてを震え上がらせると言われる勇猛さは、齢十五にして東国諸国にあまねく鳴り響いていた。
義賢はごくりと息を呑んだ。
認めたくはなかったが、義賢はこの年若い甥に明らかに気圧されていた。
その武名に慄いたのではない。義賢とて武人である。敵が強いからといって奮い立ちこそすれ怖いと思ったことはない。兄義朝と対峙した時も、一度もこんな風に感じたことはなかった。

「叔父上」
 義平がすっと片手を差し伸べた。

「その手にお持ちの友切は源氏重代の太刀──嫡流たる我が父義朝こそが手にするべきもの。お返し願いたい」
「ぬかせ、小童!」
 義賢は怒鳴った。

「これは俺が父、為義から直々に譲り受けたものだ。貴様のような田舎の賤が女が産んだ小倅が触れていいものでは……ぐわっ!」
 二の腕に焼け付くような衝撃が走った。義平の後ろに控えた武士たちの一人がいつの間にか弓を構えてこちらに向けていた。

「おい。まだ当てるなと言っただろう」
 義平がふうっと息を吐いた。
「と、殿!」
「義賢どの!」
「卑怯な!!」
 義賢陣営の兵たちが色めきたつ。
その瞬間。義平が静かに手を挙げた。舞でも舞うかのような優雅な仕草であった。
 その手がすっと振り下ろされると同時に、義賢たちの頭上に雨のような矢が降り注いできた。

「くそ……っ!」
 伏せておいた兵たちに一斉に矢を放たせたのだ、と気づいた時にはもう遅かった。

 矢傷を受けた兵たちが態勢を立て直す暇もなく、敵兵たちがなだれ込んできた。あたりはあっという間に血の海となった。
そのなかで、自らも無数の矢を受けた義平は呆然と膝をついていた。腿と踝のあたりを射抜かれて立っていられない。せめて自害を……と懐剣を取り出そうとしたその時。

 シュッと空気を切った矢がまっすぐに義賢の喉元を射抜いた。
 信じられない、といったように目を見開いたまま倒れていく様子を見ながら、義平はゆっくりと構えていた弓を下ろした。乱戦となったまわりに関心を払うことなく義賢に歩み寄ると、動かなくなった叔父の手から友切の太刀を奪い取り、満足気に微笑んだ。

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