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第四章 動乱前夜
撫子(四)
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その後の騒ぎの凄まじさについては、あまり思い出したくもない。
「騒ぎ」とはいっても騒いでいたのは、主に槇野ひとりだったのだけれど。
「呆れてものも言えませんわっ。犬猫の仔ならばともかく、徒然の慰めのために人の子を引き取って生い育てるなどという話、聞いたこともございません! そもそも、一生預けるとはどういう意味ですか!? この娘を正式にご当家のご養女に迎えよと、そういう事にございますかっ!! そんな重要なお話を事前になんのお計らいもなく運ばれて、ある日突然、当の娘を連れ帰るなど、そんな…そんな無茶苦茶な話がありますかっ!! いったい、あなたさまは御方さまを何だと思っていらっしゃるのですかっ!!」
絶句している私の横で、槇野が一気にまくし立てた。
呆れてものが言えないといったわりには、立て板に水、どころか木をも岩をも押し流す賀茂川の濁流のような勢いである。
正清さまが何かお答えになるよりも先に、膝のうえの悠がその剣幕に驚いてしくしくと泣き出した。
私は慌てて小さな肩を抱き寄せた。
「あらあら。びっくりしたのね。ごめんなさいね。槇野。小さな子がいるんだからそんな大きな声を出すんじゃないの」
「私だって好きでこのような声を出しているのではありませぬ! 殿が、あまりに無体なことを仰るから…」
「いや、俺は別に…」
私は、泣いている悠を抱いて立ち上がった。
次の間で、茫然と座ってなりゆきを見守っていた楓を呼ぶ。
「悪いけど、この子を寝かせる部屋の用意をしてくれない? とりあえず、褥とあとなんでもいいから夜着も」
「姫さまっ!!」
槇野が金切り声をあげた。
「まさか、殿の仰せのままにその子をお引取りになるおつもりではないでしょうね!? 槇野は反対でございます! こんな、なんの前触れも断りもなく…そもそもこんな馬鹿げた話を長田のご実家にはどのようにご説明なさるのですか!」
「いいから」
私はその声を制して、腕のなかの悠を抱きなおした。
縋るように首に腕をまわしてきた悠のからだは綿のように柔らかくて、ぽかぽかと暖かかった。
「もう夜も遅いわ。とりあえず今夜はこちらでこの子を休ませます。だいたい、この子の聞いている場所でするお話でもないでしょう」
そう言って、まだ何か言いかける槇野に
「私はこの子を寝かせてくるからちょっと待っていてちょうだい。私が戻るまでに殿にこれ以上、失礼なことを申し上げたら許しませんよ」
きっぱりと告げて、所在なげにその場に立っていらっしゃる正清さまに悠を抱いたまま、ぺこりと頭を下げた。
「では、殿。少し御前を失礼致します。何か御用がございましたら、若菜にお言いつけ下さりませ」
悠は、気を張りつめ続けていて疲れていたのだろう。
楓の用意してくれた部屋で、柔らかな夜着に着替えさせて、添寝をしてやると四半刻もたたないうちにすぐに寝息をたて始めた。
楓にあとをまかせて、居間に戻ると正清さまのお姿は見えず、部屋の中央に槇野がひとり、憤然と座っていた。怒りと興奮のためか顔が真っ赤に上気している。
私は溜息をついた。
「なあに、その顔は。まるで不動明王さまじゃないの。あの子じゃなくても、私だって怖くて泣きたくなってくるわ」
「姫さまっ!」
槇野は弾かれたように振り返った。
「ご冗談を仰っている場合ではございませんわっ!いったい、どうなさるおつもりなのですっ!!」
(そんなのこっちが聞きたいわよ)
内心、思いながら部屋を見回す。
「そんなことより殿はどちらにいらっしゃったの? 何か失礼なことを申し上げてご気分を害されたのではないでしょうね?」
槇野はふんっと鼻を鳴らした。
「殿ならば、姫さまがお立ちになるやいなや、私の言うことになどまったく耳をお貸しにならず、さっさと御寝あそばされていらっしゃいますわよ」
「え?」
私は目を丸くした。
「御寝あそばしたって……もうお休みになられたってこと?」
それはいくら何でも酷いんじゃないの、という私の心の声を敏感に察知したらしく、槇野が一気に身を乗り出した。
「まあ、情けないお話ではございませんか。こんな厄介事を持ち込んでおきながら、何の説明もなさらずに逃げるような真似をなさって。武勇で聞こえた源家の御曹司の一の郎党が聞いて呆れますわ。男らしくありませんわ。卑怯ですわ」
正直なところ、私自身も少しはそう感じていた部分があったのだけれど、さも呆れたといった口調でそんな風に言われるとむらむらと反感がこみ上げてきた。
「口を慎みなさい。殿に対して何です。その言い方は!」
「でも、姫さま!」
「殿は日頃のお勤めでお疲れでいらっしゃるのです。お休みになられたのならお邪魔をしてはいけません。そんなに騒ぎ立てなくても、また、折をみてちゃんとお話くださるわよ」
槇野は胡乱そうな表情で私を見た。
「姫さま。なにか変なものでも召し上がられたのですか? それともお庭で引っくり返って頭でも打たれたとか」
「どういう意味よ。失礼ねっ!」
「だって、あまりに物分りのいいことを仰るから。あの例の紗枝どのの時などは随分と泣いてお怒りになっていらしたのに……」
「あの時はあの時よ。あの後色々あって私も少しは大人に……」
そこまで言いかけて私ははたと口を噤んだ。
「なんで、それを槇野が知ってるのよっ!!」
解決の糸口の見えない言い争いはそれから明け方近くまで続いた。
「騒ぎ」とはいっても騒いでいたのは、主に槇野ひとりだったのだけれど。
「呆れてものも言えませんわっ。犬猫の仔ならばともかく、徒然の慰めのために人の子を引き取って生い育てるなどという話、聞いたこともございません! そもそも、一生預けるとはどういう意味ですか!? この娘を正式にご当家のご養女に迎えよと、そういう事にございますかっ!! そんな重要なお話を事前になんのお計らいもなく運ばれて、ある日突然、当の娘を連れ帰るなど、そんな…そんな無茶苦茶な話がありますかっ!! いったい、あなたさまは御方さまを何だと思っていらっしゃるのですかっ!!」
絶句している私の横で、槇野が一気にまくし立てた。
呆れてものが言えないといったわりには、立て板に水、どころか木をも岩をも押し流す賀茂川の濁流のような勢いである。
正清さまが何かお答えになるよりも先に、膝のうえの悠がその剣幕に驚いてしくしくと泣き出した。
私は慌てて小さな肩を抱き寄せた。
「あらあら。びっくりしたのね。ごめんなさいね。槇野。小さな子がいるんだからそんな大きな声を出すんじゃないの」
「私だって好きでこのような声を出しているのではありませぬ! 殿が、あまりに無体なことを仰るから…」
「いや、俺は別に…」
私は、泣いている悠を抱いて立ち上がった。
次の間で、茫然と座ってなりゆきを見守っていた楓を呼ぶ。
「悪いけど、この子を寝かせる部屋の用意をしてくれない? とりあえず、褥とあとなんでもいいから夜着も」
「姫さまっ!!」
槇野が金切り声をあげた。
「まさか、殿の仰せのままにその子をお引取りになるおつもりではないでしょうね!? 槇野は反対でございます! こんな、なんの前触れも断りもなく…そもそもこんな馬鹿げた話を長田のご実家にはどのようにご説明なさるのですか!」
「いいから」
私はその声を制して、腕のなかの悠を抱きなおした。
縋るように首に腕をまわしてきた悠のからだは綿のように柔らかくて、ぽかぽかと暖かかった。
「もう夜も遅いわ。とりあえず今夜はこちらでこの子を休ませます。だいたい、この子の聞いている場所でするお話でもないでしょう」
そう言って、まだ何か言いかける槇野に
「私はこの子を寝かせてくるからちょっと待っていてちょうだい。私が戻るまでに殿にこれ以上、失礼なことを申し上げたら許しませんよ」
きっぱりと告げて、所在なげにその場に立っていらっしゃる正清さまに悠を抱いたまま、ぺこりと頭を下げた。
「では、殿。少し御前を失礼致します。何か御用がございましたら、若菜にお言いつけ下さりませ」
悠は、気を張りつめ続けていて疲れていたのだろう。
楓の用意してくれた部屋で、柔らかな夜着に着替えさせて、添寝をしてやると四半刻もたたないうちにすぐに寝息をたて始めた。
楓にあとをまかせて、居間に戻ると正清さまのお姿は見えず、部屋の中央に槇野がひとり、憤然と座っていた。怒りと興奮のためか顔が真っ赤に上気している。
私は溜息をついた。
「なあに、その顔は。まるで不動明王さまじゃないの。あの子じゃなくても、私だって怖くて泣きたくなってくるわ」
「姫さまっ!」
槇野は弾かれたように振り返った。
「ご冗談を仰っている場合ではございませんわっ!いったい、どうなさるおつもりなのですっ!!」
(そんなのこっちが聞きたいわよ)
内心、思いながら部屋を見回す。
「そんなことより殿はどちらにいらっしゃったの? 何か失礼なことを申し上げてご気分を害されたのではないでしょうね?」
槇野はふんっと鼻を鳴らした。
「殿ならば、姫さまがお立ちになるやいなや、私の言うことになどまったく耳をお貸しにならず、さっさと御寝あそばされていらっしゃいますわよ」
「え?」
私は目を丸くした。
「御寝あそばしたって……もうお休みになられたってこと?」
それはいくら何でも酷いんじゃないの、という私の心の声を敏感に察知したらしく、槇野が一気に身を乗り出した。
「まあ、情けないお話ではございませんか。こんな厄介事を持ち込んでおきながら、何の説明もなさらずに逃げるような真似をなさって。武勇で聞こえた源家の御曹司の一の郎党が聞いて呆れますわ。男らしくありませんわ。卑怯ですわ」
正直なところ、私自身も少しはそう感じていた部分があったのだけれど、さも呆れたといった口調でそんな風に言われるとむらむらと反感がこみ上げてきた。
「口を慎みなさい。殿に対して何です。その言い方は!」
「でも、姫さま!」
「殿は日頃のお勤めでお疲れでいらっしゃるのです。お休みになられたのならお邪魔をしてはいけません。そんなに騒ぎ立てなくても、また、折をみてちゃんとお話くださるわよ」
槇野は胡乱そうな表情で私を見た。
「姫さま。なにか変なものでも召し上がられたのですか? それともお庭で引っくり返って頭でも打たれたとか」
「どういう意味よ。失礼ねっ!」
「だって、あまりに物分りのいいことを仰るから。あの例の紗枝どのの時などは随分と泣いてお怒りになっていらしたのに……」
「あの時はあの時よ。あの後色々あって私も少しは大人に……」
そこまで言いかけて私ははたと口を噤んだ。
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