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第三章 確執
小さな御曹司(二)
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私が菊里さんからそんなお話を伺っているところに。
「通清。通清、こちらにいるの?」
賑やかなお声がして、鶴若君と天王君が駆け込んでこられた。
「お二人とも。また黙ってお邸を抜け出してこられましたな。源家の御曹司ともあろう方々が伴も連れずにお出かけになられてはいけませぬと何度も申し上げておるではありませぬか」
義父上に叱られても、お二人はけろりとしたもので、先を争うようにして義父上のお袖に飛びつかれた。
「この間、通清がつくってくれた凧を天王が壊しちゃったんだよ。せっかく今日は兄上方が河原へ連れていってくださると仰ったのに」
「だって、だって……わざとじゃないもん」
鶴若君の言いつけ口を聞いて、天王さまがべそをかかれる。
「それならば、通清がすぐに直して差し上げます。天王君。武家の若君ともあろう御方がそのようにすぐに泣かれてはなりませぬ。それに鶴若君も。武士が告げ口のような真似をするのはあまり感心いたしませぬな」
お小言を言いながらも義父上のお声はとてもお優しかった。
遠い昔、幼き頃の義朝さまと正清さまにも、こんな風にお話しておられたのかしら。
叱られながらも
「はあい」
と素直に頷いて、すぐにまた甘えるように義父上にまつわってゆかれるお二人の若君の姿に小さな仲の良い乳兄弟同士の少年の姿が重なった。
「じゃあ、すぐに行こうよ。今行こうよ」
鶴若君が義父上のお袖を引っ張って、連れ出そうとされる。
「今から?六条のお邸へですか?」
「うん。早くしないと兄上たちがもうお出かけになってしまうよ。
母上は、僕たちだけじゃ河原に言ったら駄目だって言うんだよ。ほら、早く早く」
義父上は苦笑しながら立ち上がられた。
その時、私の膝にふわりと何か柔らかいものが触れた。
みると、天王さまが膝にもたれるようにして、私の手元に広げられていた作りかけの節句飾りをご覧になっている。
「これ、なあに?」
ふっくらとした指で小さな飾りのひとつをつまみあげて、私の目の前に掲げて見せる。
お可愛らしい仕草に私は思わず微笑んだ。
「こちらは菖蒲の花でございます」
「じゃあ、これは?」
「そちらは鶯をかたどったものでございますわね。そして、こちらは蝶々」
「わあ、きれい」
桜色の端布と萌黄の絹糸で作りあげた蝶々の飾りものを手のひらにのせて差し上げると、天王さまは、きゃあっとはしゃぎ声をあげられた。
優しげな目元といい、愛嬌のある口元といい、天王さまは間近でみると、父君の為義さまにそっくりであられた。
そんな弟君のご様子をみて、鶴若君もおずおずとこちらに近づいてこられた。
私は天王さまを膝に抱いたまま、深々と頭を下げた。
「ご当家の郎党、鎌田次郎正清の妻で佳穂と申します。鶴若君、天王君におかれましては、お初にお目通りをさせていただきます」
少年とはいえ、そこは武家の名門、源家の御曹司であられる。
「うむ」
と、鶴若君は鷹揚に頷かれた。
が、すぐにもとの幼いお顔に戻られて、
「正清の北の方なの?」
と首を傾げて尋ねられる。
「はい」
頷く私の手元を熱心に覗きこまれて
「こっちはなあに?」
お尋ねになる。
「菖蒲と蓬の葉を乾かしたものでございます。これをこうして錦の袋に入れて薬玉の中身に致します」
「面白そう。僕も手伝ってあげるよ」
鶴若さまは興味津々といった様子で、あたり一面に広げられた端布や、糸を手にとっておいでになる。
「凧はよろしいのですか?」
義父上がからかうようにお声をかけられる。
「うん。今度でいいよ。僕、これを手伝ってあげなくちゃ。忙しくなったから凧はまた今度」
義父上は苦笑して、菊里さんに六条のお邸に若君がたがこちらにいらしていることを知らせるようにと言いつけられる。菊里さんが頷いて出てゆかれると、義父上もまた腰をおろされた。
「佳穂。これはどうやってやるの?」
「それは、こちらをこう結んで、ここを引っ張るのでございます。まあ、お上手ですこと」
鶴若君はなかなか巧みに紐を結んだり、糸を切ったりされる。お手をとって、教えて差し上げているうちに、どうにか花の形らしいものが出来上がってきた。
「これ、母上へのお土産にする」
「まあ、母上さまはさぞやお喜びのことでしょう」
それを聞いて、それまでその辺りの布を手当たり次第に引っ張り出して遊んでいた天王さまが
「ぼくも、おてつだいする」
と、手を伸ばされる。
「ダメだよ。天王は。まだ小さいんだから。出来っこないよ」
兄君に言われて、たちまち泣き顔になりかけるのを義父上が笑ってお膝にのせて差し上げる。
そんな様子を見ながら、もし私に男の子が恵まれていて。
義父上が祖父君になられていたとしたら、こんな感じなのだろうか。
そんな思いがふと胸をよぎって、手が止まってしまう。
由良の方さまには鬼武者さまが。
そしてまた、秋にはお生まれになる御子さまもいらっしゃる。
そうして、為義さまの北の方にもこうして幾人も御子がいらして……。
……どうして、私には子が恵まれないのだろう。
皆がたやすく出来ているそのことが、どうして私には出来ないのだろう。
もし、こんな風に活発でやんちゃで健やかな、そうして殿によく似た子を授かることが出来たら。
殿はその子をどんなにか可愛がられるだろう。
今、義父上が若君方にして差し上げているように、お膝に抱いたり、玩具をつくって一緒に遊んであげたり。
馬の乗り方や弓の握り方なんかも、教えてあげたりして下さったのだろうか。
坊門のお邸で、鬼武者さまの弓のお稽古を、傍らでお手をとって差し上げながら、ご指南を差し上げている正清さまのお姿が目に浮かんだ。
義朝さまと正清さまは、同い年であられる。
本当ならば、正清さまにだって鬼武者さまや、こちらの鶴若さまと同じか、もっと大きい御子がいらしても何の不思議はないのだ。
でも。
私一人が妻でいる限り。
それは叶わないことなのかもしれないのだった。
「通清。通清、こちらにいるの?」
賑やかなお声がして、鶴若君と天王君が駆け込んでこられた。
「お二人とも。また黙ってお邸を抜け出してこられましたな。源家の御曹司ともあろう方々が伴も連れずにお出かけになられてはいけませぬと何度も申し上げておるではありませぬか」
義父上に叱られても、お二人はけろりとしたもので、先を争うようにして義父上のお袖に飛びつかれた。
「この間、通清がつくってくれた凧を天王が壊しちゃったんだよ。せっかく今日は兄上方が河原へ連れていってくださると仰ったのに」
「だって、だって……わざとじゃないもん」
鶴若君の言いつけ口を聞いて、天王さまがべそをかかれる。
「それならば、通清がすぐに直して差し上げます。天王君。武家の若君ともあろう御方がそのようにすぐに泣かれてはなりませぬ。それに鶴若君も。武士が告げ口のような真似をするのはあまり感心いたしませぬな」
お小言を言いながらも義父上のお声はとてもお優しかった。
遠い昔、幼き頃の義朝さまと正清さまにも、こんな風にお話しておられたのかしら。
叱られながらも
「はあい」
と素直に頷いて、すぐにまた甘えるように義父上にまつわってゆかれるお二人の若君の姿に小さな仲の良い乳兄弟同士の少年の姿が重なった。
「じゃあ、すぐに行こうよ。今行こうよ」
鶴若君が義父上のお袖を引っ張って、連れ出そうとされる。
「今から?六条のお邸へですか?」
「うん。早くしないと兄上たちがもうお出かけになってしまうよ。
母上は、僕たちだけじゃ河原に言ったら駄目だって言うんだよ。ほら、早く早く」
義父上は苦笑しながら立ち上がられた。
その時、私の膝にふわりと何か柔らかいものが触れた。
みると、天王さまが膝にもたれるようにして、私の手元に広げられていた作りかけの節句飾りをご覧になっている。
「これ、なあに?」
ふっくらとした指で小さな飾りのひとつをつまみあげて、私の目の前に掲げて見せる。
お可愛らしい仕草に私は思わず微笑んだ。
「こちらは菖蒲の花でございます」
「じゃあ、これは?」
「そちらは鶯をかたどったものでございますわね。そして、こちらは蝶々」
「わあ、きれい」
桜色の端布と萌黄の絹糸で作りあげた蝶々の飾りものを手のひらにのせて差し上げると、天王さまは、きゃあっとはしゃぎ声をあげられた。
優しげな目元といい、愛嬌のある口元といい、天王さまは間近でみると、父君の為義さまにそっくりであられた。
そんな弟君のご様子をみて、鶴若君もおずおずとこちらに近づいてこられた。
私は天王さまを膝に抱いたまま、深々と頭を下げた。
「ご当家の郎党、鎌田次郎正清の妻で佳穂と申します。鶴若君、天王君におかれましては、お初にお目通りをさせていただきます」
少年とはいえ、そこは武家の名門、源家の御曹司であられる。
「うむ」
と、鶴若君は鷹揚に頷かれた。
が、すぐにもとの幼いお顔に戻られて、
「正清の北の方なの?」
と首を傾げて尋ねられる。
「はい」
頷く私の手元を熱心に覗きこまれて
「こっちはなあに?」
お尋ねになる。
「菖蒲と蓬の葉を乾かしたものでございます。これをこうして錦の袋に入れて薬玉の中身に致します」
「面白そう。僕も手伝ってあげるよ」
鶴若さまは興味津々といった様子で、あたり一面に広げられた端布や、糸を手にとっておいでになる。
「凧はよろしいのですか?」
義父上がからかうようにお声をかけられる。
「うん。今度でいいよ。僕、これを手伝ってあげなくちゃ。忙しくなったから凧はまた今度」
義父上は苦笑して、菊里さんに六条のお邸に若君がたがこちらにいらしていることを知らせるようにと言いつけられる。菊里さんが頷いて出てゆかれると、義父上もまた腰をおろされた。
「佳穂。これはどうやってやるの?」
「それは、こちらをこう結んで、ここを引っ張るのでございます。まあ、お上手ですこと」
鶴若君はなかなか巧みに紐を結んだり、糸を切ったりされる。お手をとって、教えて差し上げているうちに、どうにか花の形らしいものが出来上がってきた。
「これ、母上へのお土産にする」
「まあ、母上さまはさぞやお喜びのことでしょう」
それを聞いて、それまでその辺りの布を手当たり次第に引っ張り出して遊んでいた天王さまが
「ぼくも、おてつだいする」
と、手を伸ばされる。
「ダメだよ。天王は。まだ小さいんだから。出来っこないよ」
兄君に言われて、たちまち泣き顔になりかけるのを義父上が笑ってお膝にのせて差し上げる。
そんな様子を見ながら、もし私に男の子が恵まれていて。
義父上が祖父君になられていたとしたら、こんな感じなのだろうか。
そんな思いがふと胸をよぎって、手が止まってしまう。
由良の方さまには鬼武者さまが。
そしてまた、秋にはお生まれになる御子さまもいらっしゃる。
そうして、為義さまの北の方にもこうして幾人も御子がいらして……。
……どうして、私には子が恵まれないのだろう。
皆がたやすく出来ているそのことが、どうして私には出来ないのだろう。
もし、こんな風に活発でやんちゃで健やかな、そうして殿によく似た子を授かることが出来たら。
殿はその子をどんなにか可愛がられるだろう。
今、義父上が若君方にして差し上げているように、お膝に抱いたり、玩具をつくって一緒に遊んであげたり。
馬の乗り方や弓の握り方なんかも、教えてあげたりして下さったのだろうか。
坊門のお邸で、鬼武者さまの弓のお稽古を、傍らでお手をとって差し上げながら、ご指南を差し上げている正清さまのお姿が目に浮かんだ。
義朝さまと正清さまは、同い年であられる。
本当ならば、正清さまにだって鬼武者さまや、こちらの鶴若さまと同じか、もっと大きい御子がいらしても何の不思議はないのだ。
でも。
私一人が妻でいる限り。
それは叶わないことなのかもしれないのだった。
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