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第三章 確執

小さな御曹司(一)

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「北の方さま。これはこちらでよろしゅうございますか?」

「ええ。そちらでお願い。ああ、それからあちらの居間にはそちらの紫の組紐のものを」
「かしこまりました」
私は頷いて、箱の中から一つ、薬玉を取り出して几帳の端に結びつけた。

淡い萌黄色の垂れ布に、紅梅と紅を基調にした組紐の薬玉はよく映える。
隣りの居間の白の屏風の脇の柱には、言われた通り、紫を基調とした色合いのものを結びつけた。

「ああ。綺麗。見事だことね。部屋がぱっと華やかになったわ」
 
そう仰ると、為義さまのご正室、蕨野わらびのさまはにっこりと微笑まれた。

ここは六条堀河邸。

通清義父上の御あるじにして、義朝さまの御父上。
河内源氏の一門の現・棟梁であられる為義さまのお邸である。
何故に私がそんな場所にいるのかというと……。

「佳穂、佳穂!」
簀子縁すのこえんを、ぱたぱたと小さな足音が近づいてきて室内にひとりの少年が飛び込んできた。

「やっぱりここにいた!」
言うなり飛びつくようにして抱きついてこられたのは、このお邸の御曹司、鶴若つるわかさまであられた。
大殿、為義さまの十三番目(!)の若君であられる。

そのすぐあとに続くようにして「まってー」と、まだたどたどしい口調で言われながら、転がるように駆けてこられるのはそのすぐ下の、末の若君、天王てんのうさまである。

揃いでお召しになっておられる水色の童水干がとてもお可愛いらしい。
「だっこ、して」
まわらない舌で、仰るのがお可愛いらしくて、私は微笑んで天王さまを抱き上げた。

「ずるいぞ、僕が先にみつけたのに」
鶴若さまが口を尖らせて抗議される。
「いやー」
裾をぐいっと引っ張られて、天王さまが足をばたつかせて悲鳴をあげられる。

「これこれ」
北の方さまが苦笑して割って入られる。

「佳穂が困っているではありませぬか。聞き分けのないことを申してはなりませぬ」
諭されて兄君の鶴若さまが不承不承という感じで手を引っ込められる。

兄君とはいっても、まだ御年五つ。坊門のお邸の鬼武者さまと同い年であられる。
天王さまに至っては、まだ数えで三つといういとけなさで……。

(これは義朝さまがあちらこちらの女人に御心をかけられるのもお血筋といったもので、仕方ないのかもしれないわねえ。いえ、大殿に比べたら義朝さまなんて、まだ可愛い方なのかも)

浅茅さまに聞かれたら叱り飛ばされかねないようなことを、こっそり思う。

私は、腕の中の天王さまを抱きなおしながら、にっこりと鶴若さまに微笑みかけた。

「まあ、お利口さんでいらっしゃること。ちゃんと母君さまの仰せを聞き分けられて。さすがに兄上でいらっしゃいますわね。お偉いわ」
途端に、得意げな笑顔になられるのがとてもお可愛いらしい。

「あとで佳穂がまた何かお好きなものを作って差し上げますわね。とんぼ?うぐいす?蝶々?何がよろしいかしら?」
「僕、毛虫がいいや」
私は眉をしかめた。

「毛虫?佳穂はあまり好きではありませぬ。何か他のものになさいませ」
「どうして?可愛いじゃないか?」

「可愛い可愛いといって。お願いだからこの間みたいにお部屋のなかにまで持ち込まないで頂戴ね」
北の方さまが大仰に顔をしかめて身震いをしてみせられる。

「母上も佳穂も怖がりだなあ。毛虫なんてこんなに小さいのに何が怖いのさ」
そう言って、鶴若さまは今度は北の方さまのお膝に飛び乗ってゆかれる。

それを見た天王さまが手足をばたつかせて、私の腕から降りると急いでそちらへ駆けてゆかれる。
「あれあれ。そんな風に一度に乗られたら母は潰れてしまいますよ」

言いながら、北の方さまが笑い声をあげられる。
まわりの女房たちもそれを見て、微笑ましげに笑う。



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結局私は、あの日義父上に連れ去られるようにして六条堀河のお邸に参上して以来、そちらで宴の支度や邸内のご用事をお手伝いしたりすることになった。

人手がなくて困っているという話は本当だったようで、何か申し上げるよりも早く、蕨野さまにもお側の女房がたにも、とても歓迎されてしまって断れる雰囲気ではなくなってしまったのだ。

四条にお使いにたってくれた橋田殿が言われるには、正清さまは、
「そなたでお役に立つならば、存分にお手伝いさせていただくが良い」
と快く了承して下さったということで、そちらの方はとりあえず心配はないようだった。

義父上は、
「四条からこちらまで毎日通うのも大変だろう。しばらくはこちらの邸にいたらどうだ」
と仰って下さった。

確かに、そこまで遠くないとはいえ四条から六条堀河まで毎日行き来するとなると、その都度、七平太か誰かに供を頼まなければいけないし、それも申し訳ないので、私は義父上のお申し出をありがたく受けることにした。

それに関しても正清さまは「好きにせよ」と承諾して下さったそうだ。

日頃、三条坊門のお邸へ伺うことさえあまり良いお顔をされない正清さまが、そんな風にあっさりとお許し下さるなんて……。

あんなことがあった後だけに、殿の方でも私とはあまり顔を合わせたくないのかもしれない。

そう思うと「勝手にしろ」と突き放されたようで悲しくなった。
もともとは、自分の方から、顔を合わせるのが気まずくて由良の方さまのもとへ逃げていったのに勝手なものだ。


私が頼まれたのは、部屋に飾る薬玉や、菖蒲の根合わせの際に根に添える飾り細工作りだった。

その日は朝から、私は鎌田のお邸で義父上付きの一の女房だという菊里さんという方に手伝って貰いながら針仕事をしていた。

義父上には現在、定まった北の方はいらっしゃらない。

まだ東国にいらした頃に、正清さまのご生母であられた御方をなくされて以来、改まってご継室をお迎えになってはいられないのだそうだ。

菊里さんは、年の頃でいったら浅茅さまと同じで四十そこそこ位だろうか。
にこにことよく笑う、ふっくらとした優しげな女性で、もとは正清さまの母君の侍女であった女性らしい。

母君が亡くなられてからはそのまま、あるじの夫君である義父上付きとしてお仕えになられ、こうして上洛の際もお供して来られたのだそうだけれど。

私が見る限り、現在では事実上、この菊里さんが義父上の北の方のような役割をつとめておられるようだった。
少女の頃から、お邸勤めに上がられた菊里さんは正清さまのこともよく知っておられるようで。

「まさか、こちらのお邸で若君の北の方さまにお目にかかれるとは思うておりませんでしたわ。嬉しいこと」
と、私を見るなり、嬉しげに微笑まれた。

「若君?」
私が首を傾げると、ころころと笑い声をたてられる。

「あらまあ。こんなにお可愛いらしい北の方さままで迎えていらっしゃる一人前の殿方に若君はおかしゅうございますわね。小鷹君、とお呼び申し上げていた頃の癖がいまだ抜けませず。ご当人がお聞きになられたら嫌がられましょうね」

「小鷹君……」
「次郎君のご幼少の頃のお名でございます」
「まあ」
私は目を瞠った。

「菊里さんは殿がそんなにお小さい頃からご存知なのですか?」
「ええ、ええ。義朝さまが武者丸さま。正清さまが小鷹丸さまと呼ばれていらした頃から、ようく存じ上げておりますよ」
「まあ……!」
私は思わず身を乗り出した。

結婚してもう四年がたとうとしているけれど、考えてみたら私は結婚する以前のこと、東国にいらした頃の正清さまのことなど、ほとんどと言っていいほど何も知らないのだった。

ご幼名が「小鷹君」と仰ったということさえ、たった今知ったのだもの。

「殿はどのようなお子でいらっしゃいましたの? その頃からやっぱり義朝さま、義朝さまだったのかしら」

「そうですわねえ」
菊里さんは、ふふっと笑って懐かしげな表情を浮かべられた。

「乳兄弟の御仲とはいえ、あれだけお側去らずでいつもご一緒にいられたお2人は実のご兄弟でもなかなかいらっしゃらないでしょうね。本当にどこに行くにもいつもご一緒で」
「まあ、やっぱり」

「でもその頃は、どちらかと言えば武者丸さまの方が『小鷹丸、小鷹丸』と、若君のおあとを慕ってついてまわられるような感じでしたわ。 お二人は同じ保安四年のお生まれでいらっしゃいますけれど、小鷹君が睦月、武者丸さまは葉月のお生まれにございましたから、小鷹君の方が半年余りご年長で。幼い頃の半年というのは意外に差があるものでございますからね」

「まあ、そうでしたの」
「またその頃の武者丸さまと申しますのが、お気が優しいと申しますか……有体に言って随分と甘えん坊で物怖じをなさるご性格でいらっしゃいましてね」

「まさか」
「そうお思いになるでしょう?けれど本当に泣き虫でいらして。
 兄上のようにお慕いになっておられた小鷹丸さまのお姿が少しでも見えないともう大変。
 お戻りになられるまで泣いて駄々をこねられて……」

「まあ……」
現在の、精悍で荒々しい物腰の義朝さまのお姿を思い浮かべて私は目を丸くした。

「木登りも魚釣りも、弓も乗馬も、何でも最初は小鷹君の方がお上手で。いちいちお手をとって、武者丸さまに教えて差し上げている様子など、本当のご兄弟のようでした。お庭の楠の木によく一緒に登っていらしたのを覚えておりますけど。いつでも先に登られた小鷹君が、上から武者丸さまの手を引いて引き上げて差し上げていて……。それをまた、武者丸さまが『自分で出来る。手を出すな』なんてむきになられて……」

二人の少年の仲睦まじい様子が、ありありと目の前に浮んでくるようで。
私はくすっと笑みをこぼした。
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