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第六章 慟哭

船岡山(二)

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身支度が終わったのを見てとった乙若が義通に向き直った。

「本来ならば年長の私が先に見本を見せるべきだが、私の斬られるさまを見てからでは弟たちがひどく怖がって泣くだろう。まず、弟たちを見送ってそれから私を斬ってはくれまいか」
 義通は了承した。
 太刀を抜いて近づいていくと、三人の少年たちは蒼白になってぱっと立ち上がった。

「いやだ! いやだよ!!」
「死ぬなんてやだ! 母上のところに帰る!」
「こわいよ、内記、内記、たすけて!」

 泣きじゃくりながらそれぞれの傅役にしがみつき、その袖の下に潜り込もうとする。

 傅役たちもそれをなだめることも出来ず、顔に袖を押し当てて泣き声を殺している。

 義通も、それ以上無理にことを進めることも出来ず、たまらない気持ちでその場に立ち尽くしていた。

 いっそのこと、この若君たちを連れて身を隠してしまおうか。共に出家をして亡き為義の菩提を弔おうかとさえ思ったが、一族間の争いに為義が敗れたというだけだったならばともかく、朝敵となった為義とその遺児には、朝廷から処刑せよとの正式な命令が出ているのである。

 ここでもし、逃してもさらに追捕の手が伸びるばかり。
 そうなれば、義朝にも処罰が下されるかもしれない。それは為義の望むところではない、ということは義通にもよく分かっていた。

 しかし、泣きじゃくっている子どもたちを傅役の手から無理やり引き離して、その首を刎ねるなどということはやはりどうしても出来そうになかった。

「おまえ達は、どうしてそう聞き分けがないんだ。それでも源氏の血筋か! 父上の子として──八幡太郎殿義家公の末裔として恥ずかしくないのか!」

 乙若が弟たちの手をつかんで、傅役から引き離した。
 嫌がってしがみつこうとするのを、叱りつけ、教え諭して敷皮の上に三人並んで座らせる。

「背を伸ばせ。先ほどのように西に向かって手を合わせよ。父上にお会いしたくはないのか? おまえ達が行かぬというのならこの乙若が先に行くぞ」

 言いながら、義通の方を見て小さく頷いた。
 義通は、太刀を背の後ろに引くようにして持つと、静かに三人の若君の後ろに移動した。

「父上はあそこに見える西の山の向こうにいらっしゃる。お会いしたくば、目をつぶり、手を合わせてこう唱えるんだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と。そうすれば父上の方からお迎えに来て下さる」

 側に控えた三人の傅役たちが一斉に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」と念仏を唱え始めると、若君たちも目を閉じて、それに倣った。

 一番幼い天王は、念仏ではなく
「ちちうえ、今、まいります。きっときっと、おむかえにきてください」
 と懸命に繰り返していた。

 乙若は泣き出しそうになるのを堪えて、弟たちを励ました。

「そうだ。天王。良い子だ。もう父上がそこのお山までお迎えに来られたぞ」

 天王が思わず目を開け、顔を上げかけた瞬間。
 義通の太刀が一閃し、ぽとりとその首が落ちた。
 気配を察した鶴若、亀若が目を開けてそれを見るより早く義通は次々と太刀を振るった。

 一人残った乙若はその様子をじっと見つめて静かに言った。
「可哀想に。どんなにか怖かったことだろう。小さい者たちを先に逝かせた自分を非情な兄よと恨んでいることだろうな」

 乙若は弟たちの小さな首を三つ並べて、顔にふりかかった髪を払い、柔らかな頬に飛んだ血を、袖でやさしく拭った。

「我らの首の血を拭い、顔をつくろい、髻をきちんと結い直してから左馬頭殿の見参に入れておくれ。年若いからといって見苦しい最期だったと思われたくない」
「……承知、仕りました」

「弟たちを先に逝かせたのはそなたに頼みたいことがあるからだ。だが弟たちがこれを聞けばまた泣くだろうと思って先に逝かせた。頼みたいことというのは母上のことだ」
乙若は一番小さい天王の首を慈しむように撫でながら言った。

「今朝、母上は八幡へ参籠に出かけられた。父上のご無事をお祈りするためだ。我らが口々に『一緒にお連れ下さい』とねだるのを母上はお止めになられた。
先日の乱の後、邸のなかは家人も逃げ散ってしまって人も少なく、我ら全員を連れていくにはとても供回りの人数が足りない。

供も連れずに子どもたちを引き連れて出かければ世の人は『あれが六条判官為義の妻子よ。物詣をするのに従う供もない。落ちぶれたくはないものだ』と嗤うことだろう。父上の御名を汚すようなことをしてはなりませぬ、と。そう仰せられた。

母上がお戻りになり、我らの姿がないのをご覧になったらいったい何と仰せられるだろう。
父上のお召しと聞いて、お帰りも待たずに我先にと輿に乗ってきてしまったその浅はかさが悔やまれる」

 乙若は、はらはらと涙をこぼした。実際に、子どもを騙すようにして連れ出してきた義通はいたたまれなさに唇を噛んだ。

「恨み言を言いたいのではない。そなたに頼みたいことというのは母上のことだ。不孝者の我らは、母上に何の言葉も残さずに家を出てきてしまった。母上に形見を渡して欲しいのだ」

 そう言って乙若は懐剣を取り出し、天王の髪を一房切り取った。続いて、鶴若、亀若と順に髪を切り取り、最後に自分の髪を一房切ると、それぞれを懐紙に丁寧にくるんだ。
懐剣の切っ先を人差し指の先に押しつけ、滴ってきた血で包みの一つ一つに髪の持ち主の名を書いていく。

そうして四つの包みを義通に差し出した。
「これを母上へお渡ししてくれ」

「……しかと承りました」
 義通は額に押し頂くようにしてそれを受け取った。

 乙若は弟たちの首をそれぞれの傅役に渡した。
 傅役たちは泣きながらその首を白木の首桶に収めた。

 もう一つ、空の首桶が置かれているのを見て乙若は悲しそうな顔をした。今からそこに自分の首が入れられるのだ。
 乙若の傅役はもうこちらを見ていられずに顔に拳を押し当てて懸命に嗚咽を堪えている。

 乙若は波多野義通を見た。
「では、私も行く。弟たちが待っている」

 そう言って乙若はまっすぐに背筋を伸ばし、西の空を見た。
「……弟たちは無事に父上に会えただろうか」

そう呟いて手を合わせる。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、願わくば我を西方浄土へ迎えたまえ。亡き父上のもとに導きたまえ。亀若、鶴若、天王のもとに過たず迎えたまえ……」

義通は太刀を構えて静かに乙若の背後に移動した。
「御免!!」
 そう言って太刀を振りかざした瞬間、乙若は細い首筋をまっすぐに前に伸ばし、太刀の前に差し出すようにした。

 血飛沫飛び散り、あたりの草を赤く染める。
 それまで必死に堪えていた傅役たちの泣き声が、地鳴りのように周囲に響き渡った。
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