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第六章 慟哭

船岡山(一)

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 夕暮れの日差しが差し込む部屋で、波多野義通は語り始めた。

 正清が三条坊門の邸から為義を輿に乗せて連れ出したその夜。
 義通は義朝に呼び出され、正清とは別の命を下された。

 朝廷は為義と、すでに捕らえられている五名の息子たちに加えて
「為義の遺児は女子はともかく、男児は年齢を問わず幼い者どもも皆、処刑するように」
との命令を下してきたのだ。

「すでに母親や乳母が抱いて逃げ散ってしまった者は見つからなかったと言い訳も出来ようが。六条堀河の邸に留まっている子らについては、もはや逃しようもない。理由をつけて船岡山へ連れ出し、父のもとへ送ってやれ。……あまり恐ろしい思いや痛い思いをさせないように」

 頼賢以下、乱に参加した年長の子息たちの処断はすでに長男義平の母の一族である三浦の者たちに命じ、明日早朝には執行されることになっているという。
 義通は暗澹たる気持ちになった。
 
 乳兄弟である鎌田正清が為義を斬り、三浦一族が頼賢たちを斬る。
 どちらも嫌な役目には違いないが、稚い子を斬れと言われた自分よりはましだと思われた。義朝はごく身内だけでこの陰鬱な仕事を済ませようと考えているようだった。波多野だけが断るわけにはいかない。
  
 どんなに非情で理不尽な命令であれ、義朝はここで手を止めることは出来ないのだ。そんなことをして朝廷の不興を買えば為義らの死のいっさいが無駄になる。
 
 翌朝。義通は重い足どりで馬を進めた。
 行先は六条堀河邸。為義とその妻子が暮らした邸である。

 為義の北の方、蕨野の方は不在であった。
 朝早く石清水八幡宮に参詣に出たという。夫の無事を祈ってのことであろう。

 幼い子どもたちはまだ寝ていたが、物音を聞いて次々と起き出してきた。

「お馬の声だ!」
「父上たちがお帰りになったの?」

 走り出てきた子どもたちは、中門の外に控えている家臣たちのなかに父や兄の顔を探そうとぴょんぴょんと飛び上がった。

 義通は強いて、平静な顔を取り繕いながら言った。
「父上さまは、船岡山にお籠もりになっていらっしゃいます。しばらく邸には戻れないが一度、子どもたちの顔が見たい。ここへ連れて参るようにと仰せつかって参りました」

「わあ! 父上のところへ行けるの?」
「その輿に乗って出かけるの?」
「皆で、そんな遠くまで出かけるなんて初めてだね!」

 十一歳になる亀若、九つになる鶴若、そして末の七つになる天王は先を争って輿に乗り込んだ。

 しかし、最後に出て来た最年長の十三歳になる乙若は、
「父上は降参なさって義朝の兄上のもとへおいでになったと聞いている。何故、船岡山などにいらっしゃるのか?」
と、不審げに言った。

 義通は、ぎくりとしたがここで自分が狼狽すれば余計に子どもたちに不審を与えると思って無理やりに笑みを浮かべた。

「詳しいことは存じませんが。ともかく、某は父上さまから一刻も早う若君がたをお連れせよとだけ伺って参りました。詳しいことは父上さまからお話しいただけましょう。さあ、早く輿の方へ」

 乙若はなおも納得いかない様子で、
「母上が間もなくお詣りからお帰りになるはずだから、同じことならご一緒に」
 と言いかけたが、すでに輿に乗っている弟たちが、

「兄上、早く早く!」
「父上が待っておいでなんだよ!」
「早くしないと僕らだけ先に行ってしまうよ!」

と騒ぎ立てたので、仕方なく一緒に乗り込んだ。義通の合図で輿がゆっくりと持ち上がると幼い子どもたちはますますはしゃぎ声をあげた。

 一行はゆっくりと船岡山へと向かった。

 義通にとって永劫とも思える長さの道中の末、一行は船岡山へ着いた。

 輿が下ろされるが早いか、中から下の三人の子どもたちが飛び出してきた。

「やっと着いた!」
「ずうっと輿に揺られてたからなんだか変な感じだな」
「それで父上はどこにいらっしゃるの?」

 乙若一人は、道の途中から異変に気がついていた。

 邸を出た時から抱いていた不吉な予感は、輿が草むらを掻き分けるようにして山の奥へ奥へと進んでいることに気づいた瞬間、確信に変わった。

 彼はひとり、輿から降りようとせず座ったまま静かに涙を流していた。

「申し訳ございませぬ!」
 義通はその場に跪いて、叫んだ。

 無邪気にあたりを駆け回っていた子どもたちが、驚いて振り返る。
「どうしたの?」
 義通は地面に額を押しつけたまま言った。

「それがしは御曹司がたに嘘をついておりました。まことのことを申し上げます! お父上──為義殿はすでにこの世にいらっしゃいません。朝廷からのご下命を受けた下野守義朝殿の命により、鎌田次郎の太刀取りにて昨晩、ご落命なさいました。頼賢さま、頼仲さまら五人の兄君がたも今朝がた、この船岡山にて皆々、お父上のお跡を追われました。……義通がここへ御曹司がたをお連れしたのは、父上さま、兄上さま方のおいでになるところへお送りせよとの下野守どのの命を受けてのことにございます……!」

 亀若は目をみひらいた。

「嘘だ……!」
 義通は平伏したまま、肩を震わせて泣いている。

 亀若はその肩に飛びついた。

「嘘だ! 嘘だよね? 父上がもう亡くなられたなんて、義朝兄上の命令で正清が父上を討っただなんて、嘘だよね?」
 義通は何も応えない。

 助けを求めてあたりを見回した亀若は、二つ下の鶴若が張り付いたように一か所をみつめていることに気がついてその視線を追った。

 そこには、今盛り上げたばかりのような土の山が五つ。心なしかあたりの地面には黒々とした染みが広がっているように見える。

(五人の兄君がたも、今朝がた──)

 足元から悪寒がぞくぞくと背筋を這い上ってくる感覚に亀若は声もなく立ち尽くした。

「そんなの何かの間違いに決まってる。……そうだ、今すぐ義朝の兄上に使いを出してみてよ。そうしたら間違いだったってことが分かるから」

 鶴若が義通に歩み寄り、震える声で言った。

「そ、そうだよ。僕たちが大きくなったらきっと義朝兄上にお味方して絶対にお力になるよ。そうお伝えしたら兄上だってきっと僕たちを殺さない方がいいってお分かりになるよ」
亀若も弟の声に誘われたように言う。

 そこへ、
「やめないか、おまえ達」
 涼やかな声が響き渡った。

 輿からゆっくりと降りてきた乙若は、義通に縋りついている弟たちの手を一つ、一つ引き離した。

「みっともない真似をするんじゃない。父上の御名を汚したいのか」
「だって、兄上……」

 たちまち泣きかける弟たちを乙若は、
「いいからそこへ座れ。俺の言うことを聞け」
と諭した。亀若と鶴若は泣き泣きその場へ座った。

「天王、何をしている。おまえもこっちへ来い」
 一番幼い天王は、わけも分からず異様な雰囲気に怯えたように一人、少し離れた場所でしゃがみこんでいた。
 傅役の内記平太が抱き上げて兄たちのところへ連れてきた。

 乙若は弟たちの顔を順番に見ながら話した。

「いいか。よく聞け。世を捨てた父上が身一つで頼って行かれたのを無残にも斬って捨てられたような義朝兄上が、我らが命乞いをしたからといって助けてくれると思うか。もし、今回命だけは救われたとしても、頼りになる父上も兄上たちもいない。たった一人残った身内の義朝兄上は、いまや親兄弟の仇。頼れるとも思えず、また亡き父上たちのことを思えばその情けになど縋れるはずもない。この先、所領もなく、頼る人もなく世を流離い、あれ、あの乞食同然の身でさ迷っているのが亡き六条判官為義の子よ、などと後ろ指をさされては父上の御名を汚すこともなる。……亀若、鶴若、天王……父上が恋しいか?」

 兄の言葉に、弟たちは涙に濡れた顔でこくりと頷いた。 

「ならば未練なことを言うのはもうやめよ。西の方を見て、手を合わせ、『南無阿弥陀仏』とただ一心に唱えるんだ。そうしたらきっと、父上や頼賢兄上たちが西方浄土の同じ場所に迎えとって下さる」

 三人の弟たちは、袖でごしごしと涙を拭いて座り直すと、それぞれ西に向かって小さな手を合わせた。

 居合わせた兵たちの中から押さえても押さえきれない啜り泣きの声が洩れた。

 乙若が、
「弟たちの髪が乱れている。綺麗に結い直してやってくれ」
 と言ったのでそれぞれの傅役たちが進み出て、それぞれの養い君の髪に櫛を入れて結い直す。

 おとなしくされるがままになっている少年たちを見て、人々はまたその健気さに泣き咽んだ。

 ましてや傅役たちは、赤子の頃から朝夕膝に抱き、慈しんできた若君がたの御髪を梳いて差し上げるのもこれが最期と思えば哀しみに目を眩むような心地だったが、自分たちが泣けば、若君たちを余計に怖がらせ、つらい思いをさせるばかりだと思って懸命に堪えていた。
 
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